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冴えない配送員が異世界転生して、たった一冊の点呼簿で世界を救って戻ってきた件  作者: もしものべりすと


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第十五章 記録の中の真実

扉の向こうに立っていたのは、白い息を吐く、ティアナ・フィンレイだった。


「ジュン様」


 彼女の声が、北方の冷たい風と一緒に、修道院の中に飛び込んできた。


 俺はぽかんと立ち尽くした。


「ティアナ、様」


「お迎えに参りました」


 彼女の頬は、寒さで赤かった。白い聖女の装束ではなく、今日は厚い灰色の毛織りのコートを着込んでいた。


 彼女の後ろから、もう一人、別の人影が現れた。レオハルト第二王子だった。彼は黒い旅装に、短い剣を腰に佩いていた。


「シンジョウ殿、生きていたな」


「殿下」


「五日、遅れて、申し訳ない」


 彼の息も、白かった。


 その後ろから、さらにもう一人、顔を見せた。ガリア砦長ヴァロル・ハーズだった。彼の無精髭の頬は、凍えで赤くなっていた。


「シンジョウ殿。お会いできて、何よりだ」


「砦長」


「殿下に無理を言って、ついてきた」


 彼は俺の手を握った。砦長の手はごつごつとしており、冷たかった。が、握り返してくる力は、強かった。



 修道院の暖炉の前に、四人で集まった。ティアナが持参してきたパンとチーズと果実酒を、机に並べた。俺はそのチーズの匂いを、久しぶりに嗅いだ。胃がぐっと動いた。


「シンジョウ殿。状況を説明する」


 レオハルトは毛皮の手袋を外しながら言った。


「君が流刑になった十日後。リエル村の住民の症状が回復した。原因は毒ではなかった」


「腐敗、ですか」


「そうだ」


「俺、それ、気づきました」


 俺は点呼簿を開いた。昨夜、書き上げた告発書の最初のページを、レオハルトに見せた。


「これに、まとめてあります」


 レオハルトは書類を受け取った。


 彼の目が書類の上を、左から右へゆっくりと滑っていった。二枚目。三枚目。彼の表情が徐々に固まっていった。


 最後のページを読み終えたとき、レオハルトは書類を膝の上に置き、長い、長い息を吐いた。


「シンジョウ殿」


「はい」


「これは……君が一人でまとめたのか」


「はい」


「この点呼簿に、すべて書いてあったというのか」


「はい」


「君がふた月以上前から書きとめていたメモだけで、ここまで辿り着いた、と」


「はい。たぶん、メモを毎日書いていなかったら、絶対に辿り着けなかったと思います」


 レオハルトは書類を、隣のティアナに渡した。


 ティアナがそれを読み始めた。彼女の唇が文字を追って、時折、動いた。


 ヴァロル・ハーズは暖炉の前で、組んだ腕の上に顎を預けて、書類を覗き込んでいた。彼の目は徐々に、焦点が絞られていった。


「シンジョウ殿」


 彼が低く声を出した。


「私の砦の兵士から聞き取った噂話の日付、これは本当に、その日のものか」


「はい。ガリア砦に滞在していた頃、毎日、書きとめていました。誰の発言かも書いてあります」


「私が覚えている発言と合致する」


「ありがとうございます」


 砦長は目を強く閉じて、しばらく黙った。長い沈黙のあと、彼は目を開いた。


「シンジョウ殿」


「はい」


「このような地味な、しかし確かな記録を続けてくれていたお前を、我々は見過ごしていた」


「いえ」


「謝罪する」


 彼は俺の前で、深々と頭を下げた。石床に額がつくほどの深い礼だった。


「砦長、やめてください」


「いや、これは私の軍人としての礼節だ」


「……」


「お前は、我が砦の兵士たちを命懸けで守ったのと同じだ。点呼の儀、補給路、冷蔵チェーン。お前が点呼簿を毎日書き続けていなければ、今、砦はまた、あの酒の匂いと無秩序の状態に戻っていた。今の規律ある砦の土台を、お前が作った」



 ティアナが書類を読み終え、顔を上げた。彼女の目は潤んでいた。


「ジュン様」


「はい」


「あなたが書類で人を救うとは、こういうことだったのですね」


「いえ、これはただ、書いただけで」


「ただ書いただけで、世界を救えるのです、あなたは」


 彼女の瞳は震えていた。燭台の灯りに、それが反射していた。



 レオハルトは立ち上がった。


「シンジョウ殿」


「はい」


「今すぐ王都に戻ろう。証拠は十分だ」


「……いえ」


 俺は首を振った。


「殿下。これだけでは足りません」


「足りない?」


「ここに書いた過去の記録は、たしかに彼の不正の証拠です。けれど、これは過去です。明日また、彼が新しい不正をする」


「……」


「それを止めなければなりません」


 レオハルトはしばらく、俺を見ていた。彼の目がゆっくりと細まった。


「シンジョウ殿。具体策はあるのか」


 俺は点呼簿の新しいページを開いた。そこにはすでに、昨夜のうちに俺が書きつけた行動計画があった。


「補給路を絶ちます」


「絶つ?」


「廃村ザールへの不正な補給路を、根元から断ち切ります。すると勇者は、貢ぎ先の魔物に貢げなくなる。貢げないと魔物は、襲撃の予定を組めなくなる。そして勇者は、襲撃の日時と場所を知らないので、討伐に行けなくなる」


「……」


「彼の勇者としての活動が止まります。それを王の前で自然に見せれば、王はご自分の目で、彼が何者かを判断します」


 ヴァロル・ハーズが息を呑んだ。


「シンジョウ殿。それは……王に判断させるのか」


「はい。俺たちが勇者を断罪する構図は、避けたいです。王ご自身が彼を見限る構図を作ります」


「なぜだ」


「王は彼を神託で選びました。神託を否定するのは王にとって、ご自分の判断ミスを認めることになります」


「それは確かに、難しい」


「だから、王が自然に、ご自分の判断ミスではなく、神託の間違いとして彼を見限れる状況を作るんです」


「シンジョウ殿、君は……」


 ヴァロル・ハーズが長い間、俺を見つめた。


「君は本当に、ただの配送ドライバーだったのか」


「はい。日本ではただの、五年目の配送ドライバーでした」


「そのお前さんが、どうしてこんな王宮の政治の奥の手まで見抜ける」


「日本でも、栗山さん、いえ勇者と同じ手口の人を、長く相手にしてきましたから」


 俺は暖炉の火を見ながら言った。


「彼は面と向かって戦っても、勝てないんです。彼が自分で立っている足場を、こちらが静かに抜いていく。そうすると、彼が自分で転びます」


 レオハルトはゆっくり頷いた。


「補給路の戦争、だな」


「はい。補給路の戦争です」



 暖炉の火がぱちり、と爆ぜた。


 ティアナは俺の隣に膝をついた。


「ジュン様」


「はい」


「私も参加させてくださいまし」


「危険ですよ、聖女様」


「ええ。けれど、私の瞳が必要な場面が、必ずあります」


 彼女の目は強かった。俺は頷いた。


「お願いします」



 四人は暖炉の前で、簡単な計画を立てた。


 北方の廃修道院ヴェルナを、当面の拠点とする。ここからガリア砦の信頼できる兵士たちと連絡を取る。補給路ごとに、ザールへの不正な運搬を止める。すべて静かに、勇者に気付かれないように。そして勇者が討伐できなくなり、王の信用を自ら失った時、俺たちは王都に戻る。



 外は白んでいた。


 北方の雪原の上に、淡い太陽が昇り始めていた。


 俺は修道院の入口に立って、その光をしばらく見ていた。息はまだ白かった。


 でも、胸の奥は、もう冷たくはなかった。

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