章前 2
連休が明けてから、私達の仲はぐっと近くなった。
そもそもまだ試用期間。
それが3ヶ月で明けても、適材を適所に配属させるという鬼のような方針で、私達は2ヶ月毎に様々な担当に配置された。
「ねえ、マニュアル作らね?」
そう言ったのはやはりハラディ。意外と気配りの出来る男である。
「どうせ同じ仕事するんだったらさ、働きながら次に担当する同期が動き易いようにマニュアル作っとくの」
「なるほど、それなら仕事前にルーティンは叩き込めるし、2度目の担当がマニュアルの改善が出来る」
ミチタカが冷静に答える。
その後、伝説の◯年組と言われる私達は、後輩達からバイブル、とまで言われる手書きのマニュアルノートを作り続けた。
「あ、かとりん!」
王子に呼び止められてへい、何でしょうと答える。
「お前のマニュアル、すげーわ。こんなに楽に進めていいのか、って思うくらい」
王子はへらっと笑った。
「そりゃ良かった。王子のも助かったよ。特に絶対引っかかりそうな穴、良く書いといてくれたね」
「そりゃ、同期のためだもんねえ」
穏やかに、そんなふうに過ごしながら、私達は入社2年目、そして3年目を迎えていた。
私達が「王子」と呼ぶために、何をどう勘違いしたのか、宇都宮は後輩達から『王子様』と呼ばれるようになっていた。
そして、後輩に引き継いだマニュアルは「神マニュアル」と呼ばれ、文字もグラフも活字化され、改善点は時系列毎にまとめられ、製本までされていた。
役に立った事が嬉しかったし、私達4人はマニュアル作りを通して更に仲が良くなっていた。誰が誰を好きとか、付き合うとか、そんな色気じみた話は全くない、居心地の良い空間がそこにはあった。
時々、王子が飲みに行きたい、と私達を誘った。
「またフラれたんだな」
私達は同時に思った。
「どうせフラれるんだから、最初から付き合わなきゃいいのになあ」
と、ハラディがため息をつく。
「………面倒なんでしょ」
「面倒なんだろね」
ミチタカと私が同時にため息をつく。
そんなある日の事、私と王子は珍しく2人で飲んでいた。
ハラディとミチタカは、来週のプレゼンに向けて、毎日日付が変わるまで働く日が続いていたからだ。
「ねえ、かとりん、オレ、また告白してされちゃったんだけどさ」
私達は虎貴族で飲んでいた。
またかよ、と私はため息をついた。
「そう。で、どうするの?付き合うの?」
ああもう、面倒臭い、と王子は頭を掻きむしっていた。
「だってさ、断ると泣くし」
「心配するな。どうせまたすぐフラれるよ」
そう言うと、ほっとしたように、そうだよねえ、などと呑気に答える。
私は、超絶イケメンの王子に勇気を振り絞って告白した後輩達への同情で一杯だ。
「こないだの子なんてさ、オレ見た途端に『そんなに嫌だったのなら最初から断って貰った方が傷付かなかった』って。意味わかんね。かとりんどう思う?」
そりゃ、初デートに相手がジャージ着て来たら明らかな拒絶だと思うだろう。
ため息しか出ない。
「せめてスーツ着ていけばいいのに」
そう言ったら、え、だって肉まんの汁とか垂らしたら、すぐクリーニング屋行かなきゃなんないじゃん。面倒くせえ、と呟く。
「まさか、デート中にコンビニで肉まん買って食べたの?」
デリカシーが無いのにも程がある。
そりゃ、仕事中はパリッとしたスーツ姿で、バリバリ仕事をする男が、ジャージで現れて肉まん食べてたら、明確な拒絶だと思われるだろう。
ちなみに、王子は5時を過ぎると上着を脱ぎ、シャツの袖を捲り、ネクタイを緩める。
その姿がまたワイルドで綺麗な顔とのギャップが良い、とキャアキャア言われているらしいが、私達だけは知っている。こいつ、ただ服緩めたいだけなんだな、と。
そして案の定、週末を挟んだ翌週、王子はまた飲みに行こう、と言って来た。
「あー、悪い。俺パス。プレゼン終わってしばらくは早く寝たい」
「同じく。どうせ話はいつものアレだろうから、かとりん頼む」
2人から拝むように王子を押しつけられ、私達はまた2人で飲む事になった。
「…………またフラれた」
「はいはい、そんなところだと思ってましたよ。今日はどこにする?たこ八でもトラキでも付き合うよ」
「なんかさあ、断るの面倒だからOKしてたけど、流石に続くとこのオレでもへこむわ」
王子が悪い訳じゃない。王子に勝手に夢見て幻滅しているだけだけれど、王子も相手も可哀想だなあ、と、私は彼の肩をぽんぽんと叩いた。
「かとりん、今日はガード下でいい?なんかしみじみ飲みたい気分」
いいよ、と私達はガード下のこ狭い飲み屋の暖簾をくぐった。
「あ、おでんがある」
王子の表情が一気に明るくなった。
大きな鍋の中には串に刺さったおでんだねがくつくつと煮込まれている。
王子は早速ネクタイを外すと頭に巻いた。何でも、皺にならず、しかも汁が飛ばない自慢の巻き方らしい。見慣れた私達はそれを「王子巻き」と呼んでいたが、お店のご主人が一瞬目を剥いたのを私は見逃さなかった。
その日は熱燗をしこたま飲んだ。
お腹いっぱいになった王子の表情も明るく、店を出る頃には2人共上機嫌だった。
話は最近行われたフィギュアスケートのペアのプログラムに移っていて、酔っ払ってフラフラと歩いていた私達は、よせばいいのにあの技凄かったよね、と歩道の上でくるくる回ったり飛んだりしていた。
「ねえ、あれ出来る?」
ん?と王子が問う。
「ホラ、両手持ってさ、ぶんって回すやつ」
「ああ、かとりんの体重くらいなら出来ると思うよ。オレ、案外力あるから」
本当に大バカだ。
王子が私の両手を掴んでふわっと回した。足が地面から離れた。
バカな私達は、私が手袋を嵌めていた事をすっかり忘れていた。
私の両手はすぽんと手袋から抜け、王子は呆然と両手に残った手袋を見た後、真っ青になって顔を上げる。
「かとりん!」
車道に転がった私に驚異の運動神経で追いついた王子の体が覆い被さった。そのままごろごろと何回転か。
「大丈夫?怪我は?」
「だ………大丈夫。王子は?どこか打たなかった?」
お互い無事で良かった。
そう思ってほっとした私達の耳に激しいクラクションの音とブレーキ音が響き、目の前は大きなトラックのライトの明かりが眩しすぎて何も見えない。
ああ、お母さんを看取ってあげられて良かったのかもしれない。
だめだこりゃ、と思いながら私は目を瞑った。
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