章前
今日私は、この入口をくぐった。
首から下げる社員証。
ああ、お母さんにこの姿を見せてあげたかったな。
誰が聞いても知っているこの大企業。
その本社に私は配属された。同期は男女2名ずつ。
それぞれ別の部署に配置され、同期と言っても関わりはないだろう、と思っていた。
そんなある日。
「なあ、就職して初めての連休だし、同期でなんか美味いもの食いに行かない?」
そう言ったのは原田君だった。
初夏5月に入ろうとする頃。
仕事を始めて1ヶ月、そんなご褒美があっても良いかもしれない。
いかにも美味い物好きそうなその体型に、私はちょっと和んだ。
同期4名と言っても、後の2人は声をかけづらかった
原田君が有能な事は良く分かっている。
けれど、もう1人の男性同期は見ていて分かる。
普通じゃないほど仕事が出来る。
いや、今年入社だよね!?と聞きたいくらい仕事が出来る。
噂じゃTOEIC960点だとか。
そして、物凄く綺麗な顔をしていた。
有能、美形、無口。
三拍子揃った彼、宇都宮君と私は殆ど話をした事が無かった。
そして、もう1人の女性社員も美形だった。
例えるならば、金髪を振り翳して『バスティーユへ!』と叫びそうな美形だった。
美形2人に声をかけるのも、場所も原田君に丸投げする事にした。
「いや、三田にはお前が声かけてくれよ」
と、原田君は情けなさそうに言った。
綺麗すぎて声をかけられないらしい。
仕方ない、1人ずつ美形を攻略するか。
私は、恐る恐る三田さんを誘ってみた。
『花が咲いたようだ』
と言うのはこう言う表情を現した言葉なのだろうか。
三田さんは驚くほど嬉しそうに微笑んで、それどころか「誘ってくれてありがとう。楽しみにしている」とまで言ってくれた。
『イヤッホォォォォォ!』と言うのはその時の私の表情を現した言葉なのだろうか。
原田→宇都宮ラインも無事開通したらしく、私達は連休半ば、中華街で待ち合わせる事にした。
「それにしても、すっごい人出だな」
そこには、原田君、三田さん、私の3人がいた。
「宇都宮、遅れたか迷ってるか、俺たちを見つけられないか…………」
いや、どっかで仕事してんじゃないの?と私は思った。
それか、やっぱりこんな無駄な集まりに時間を取られたくないと、無言のブッチか。
「とりあえず、会場は伝えてあるし、予約時間もあるからゆっくり向かおうか」
会場知ってるならそこで仕事してんな、と私は再び思った。
そうして人混みを縫うようにして中華街のメインストリートを歩いていた私達の足が突然止まった。
3人同時に、ん?という顔を見合わせたまま、後ろ向きに数歩戻る。
見慣れた顔、体型、そしていつもきっちりとスーツを着こなしている宇都宮君が、高校のジャージ姿で肉まんを頬張っていた。
「う…………う…………宇都宮、なのか?」
原田君の声が上擦っている。
「いや、俺も人の事言えない格好だけどさ……」
体育会系ラガーメンだった原田君は、ラガーシャツなら売るほどあるから多分それ着ていく。目立つから分かりやすいだろ、と言っていた。
大学時代のラガーシャツも大概だけれど、いくら何でも高校のジャージはないだろう。
「え?そうだよ、オレ、大学の入学式と入社式に買ったスーツの他はジャージしか持ってないもん。何か変?」
もきゅもきゅと肉まんを咀嚼しながら答える。
変、どころじゃないだろ。
「自慢じゃないけどジャージは沢山持ってる。穴空いちゃったやつがあってさー、自分で繕って着てたら、母親が『もう諦めた。ジャージでいいからせめて穴の空いてない物を着てくれ』って」
………宇都宮って、こういうキャラだったんだ。最早私は、君付けをする事すら忘れていた。
「…………いいな」
三田さんの呟きに私はまたひっくり返りそうになった。
このジャージ男のどこがいいんだ!?
「私は、食べ歩きをした事がないから」
そっちか、と私は少しほっとした。
宇都宮は顔を上げると、食べかけの肉まんを半分に割り、口をつけていない方をそれはそれは嫌そうに差し出した。
「………良かったら…食べる?」
食い意地まで張ってんのかよ!と、最早ツッコミどころしかない。
「いや、ありがとう。食が細い方なので、今日はこれからの食事を楽しみにしているから。気持ちは嬉しいよ」
そう!?と、嬉しそうに笑ってまたもきゅもきゅと肉まんを食べ始める。
やがて、原田君おすすめのこじんまりとした広東料理屋に到着する頃には、私のライフは殆どゼロになっていた。
ジャージにも食い意地にも動じない三田さんもある意味凄い。
「飲もう!香取!!」
席に着くなり原田君が言った。
「オレは今日、シラフでこいつらと過ごせる自信がない」
同感しかない。
そして意外な事に、オレも、私も、と美形組もビールを頼んだ。
1番お酒に弱かったのは原田君だった。
「大体さ、詐欺じゃね?こんなの。今日はそりゃ少しは親交を深めようとは思いましたよ?思いましたけどね!」
どん、とジョッキをテーブルに置く。
「それならそれで、何でいつも俺達と口も効かずに黙々と仕事ばっかしてたんだよ!」
「え?それえ?」
宇都宮はへらっと笑った。
「凄く気の合う友達がいてさ、社会人になったら信用出来る奴ら以外とは余計な事話すな。外では会うな。それがお前を守るから、って変な呪いかけられちゃって」
「それでも今日は出て来てくれたんだ。少しは信用してくれてる?」
三田さんは恐ろしく強い。顔色ひとつ変えずに紹興酒をロックで飲んでいる。
「うん、1ヶ月あればね、大体分かる。だから今日はオレこそ楽しみにしてたんだ」
「あのー、ちなみに………」
恐る恐る私が手を挙げた。
「香取君、発言を許可する」
真っ赤になった原田君が言った。
「そのオトモダチと会う時もジャージで……?」
「いや、大体あいつがコンビニでおでん買って来てくれて、オレはみかんと酒係で、コタツでゲームしてた」
おまけに引きこもりかよ!
「いいね、そういうの」
三田さんの感性も理解不能だ。
「もう無理。連休明けから俺はお前達と普通に接する事が出来そうにない」
だから、と原田君は大真面目な顔で言った。
「俺達は愛称をつけてそれぞれ呼び合おう。連休明けからだ。ラジャ?」
ベクトルが捻じ曲がっている。
「ちなみに俺は大学時代ハラデーと呼ばれていた」
だから何でそんな自信満々なんだ。
「1番早く腹が出そうだからだそうだ」
どうだ、参ったか、と胸を張る原田。最早こちらも君付けをする気にもなれない。
「いや、鍛えているだけだと思う。腹筋もしっかりしていそうだし。だったら、ちょっとお洒落にハラディはどうかな」
三田さんの斜め上っぷりも怖い。
「ハラディ…………悪くないな。じゃ、次、香取」
「カトリーヌはどう?」
やめて三田さん!
「じゃ………じゃあ、かとりんで。かりんとうみたいで可愛いし」
「かとりん!いいわね!」
そう言った後、三田さんが何だか照れたような仔犬のような瞳で私達を見た。
「恥ずかしいんだけれど………私、愛称で呼ばれた事がないんだ。小学校から大学までずっと女子校で、友達付き合いもあまり上手じゃなかったし…………」
顔からは全く酒気を感じないくせに、三田さんの耳は真っ赤になっていた。
かわいい…………
「あ、でも時々下級生から、なんだろう、ぬいぐるみみたいな名前で呼ばれた事がある。あの動物は…………そう、確かアライグマだった!」
だけど、何て呼んでくれたの?って笑いかけてもみんな真っ赤になって逃げていってしまって…………と、寂しそうに笑う三田さんに残り3人は全員で突っ込んでいた。
「節子!それ、アライグマ違う!!」
「凄く嬉しいんだけれど、そんなワケで、出来たら本名からあまりかけ離れていないニックネームだと受け入れやすいかな」
「ミタチカコさんだよね、周子と書いてチカコ」
「そう、確か論語から取ったとか」
私は紙ナプキンにペンでミタチカコ、と買いてみた。
ミタチ………ミタチカ………うーん、しっくりしない、その時閃いた!
「ミチタカは!?男性名みたいでまるでその…………アライグマじゃない方の命名みたい」
「………アライグマじゃない方、っていうのが今ひとつ分からないけれど、いいね。本名なのに愛が込められてる感じがする」
私の頬がぼっと赤くなった。
もうやだ、このアライグマ。
「ねえねえ、オレは?オレは?」
楽しそうに宇都宮が聞いてくる。
「んなもん『ジャージ』に決まってるだろ」
ハラディが投げやりに言った。1日でこの変わりよう。
連休後、普通に接する自信がないのもよく分かる。
「それは可哀想だろう」
え?いや、私もジャージで良いと思ったけど。
そう思っているとミチタカが続けた。
「せめて『ジャージ王子』とか」
私とハラディが同時に吹き出した。
「いいかもな!『王子』にしとこう。そうすれば心の中でいくらでも前振りを付けられる。ジャージ王子とか」
「ものぐさ王子とか」
「肉まん王子とか!」
こんなに笑ったのはいつ以来だろう。
父を早く亡くし、女手ひとつで私を育ててくれた母も、大学在学中に失ってしまった。
大企業も、今更虚しい…………そうんなふうに思っていたのに。
素敵な同期と一緒になったよ、お母さん。
私は心の中でそう思った。
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