祈り
『ねえねえおばあちゃん。あったかいって、食べたことあるの?』
ベッドで横になっている幼い私が老婆に話しかけている。
彼女は私の祖母であり、両親を亡くした私の育ての親でもある。
『もちろんさ。でも、もうだいぶ長いこと食べてないねえ。もう昔の話だけど、みんながあったかいものを、お腹いっぱい食べることができていたんだよ』
『いいな~。私もお腹いっぱい食べたいなー。おばあちゃんも、また食べたいの?』
私の夢。みんな一度も考えたことがある夢。でも叶うことはない夢。
『そうさねえ・・・。また昔みたいに、外に出て、みんなで食べたいねえ』
『じゃあ私、みんながいっぱい食べれるように頑張る!』
『ハルカなら、きっとできるさ。姉さんに似て、頭がいいからねえ。ほら、明日もお手伝いなんだろう? 風邪ひく前に早く寝なさい』
『うん、おやすみ、おばあちゃん。今度は、お姉さんのお話聞かせて?』
『ふふ、また今度ね。おやすみ、ハルカ』
祖母の手が私の頬にそっと触れる。
その手は、私を包む布団よりもずっと優しく、温かかった。
「ふあぁ・・・おじさん・・おはよう・・・」
恥ずかしいぐらいに気の抜けたあくびをしながら、おじさんに起床を報告する。
「おはようハルカ。この調子なら塔まであと30時間くらいだ。出発の準備をしなさい」
「あーい・・・」
随分と長く寝てしまった。
昨日の戦闘の後、移動し始めてから10分もせずして、強力な睡魔が襲ってきた。
目を瞑るや否や、気絶するように意識がなくなってしまった。
しかし懐かしい夢を見た。
おじさんが傍にいることに、安心感を覚えてしまったからだろうか。
こんなに熟睡できたのは、コロニーを旅立って以来だ。
背をぐーんと伸ばし、両手で頬を勢いよく挟む。
ヒリヒリするが、残った睡魔にはこれが一番だ。
持ってきた残り少ない水を一口のどに通し、機体に火を入れる。
「おじさん、準備できたよ。いつでもいいよ〜」
「了解した。では、行くぞ」
おじさんと出会ってから3回目の出発だ。
今日は珍しく吹雪が止んでいる。このまま一気に太陽の街まで行きたいものだ。
機体が進み始めると、空から光が降り注いできた。
塔の照射時間が始まった。
太陽の樹と呼ばれるあの陽だまりの塔は1日に数回、光を放つ時間がある。
塔の上のはいつも雲で隠れて見えないが、コロニーの老人たち曰く、あの塔は生きているそうだ。
先端は枝葉のように全周に広がり、空を覆っている。そして枝の所々から漏れたエネルギーが、光として大地を照らしてくれている。
変な話だ。
金属で作られている塔が、植物みたい成長しているかのような話しぶりだったが、真相は不明だ。
そんな漏れ出たエネルギーは、仄暗い雪の大地をみるみる銀世界に変えた。
コロニーでも度々見かける光景ではあるが、障害物や掘り起こした残骸がない、まっさらな光景を目にするのは初めてだ。
「すごーい! 綺麗だね、おじさん!」
感動的な景色に、ついついおじさんに通信を入れてしまう。
「外の様子を見たことないわけではないだろう。」
「そうだけど、吹雪じゃない日に塔の光が差し込むことなんて滅多にないよ。コロニーの周りなんてスクラップと残骸だらけだから、こんな景色、向こうにいたら一生見れないよ!」
「そういうものか? まあこうなる前は、このあたりは自然保護区で、緑に溢れていたんだ。興味はあるか?」
おじさんが思いもよらない提案をしてきた。
コロニーの老人たちの話でも、過去の世界がどうなっていたかはあまり聞いたことがない。精々自分の若いころの自慢話で少し触れられるぐらいだ。
「ほんと? それって宇宙開発時代の話? 聞かせて聞かせて!」
「分かった分かった。そうだな、これは俺がまだ子供の頃の話だったんだが、この辺りはパルゲア大陸でも有数の緑地でな。旧時代からこうだったそうだ」
「旧時代って、核戦争ばっかりで、世界中が焼け野原になったんじゃないの?」
「そりゃもっと内陸の方さ。ここは海からも遠かったからか、過去の大戦で一度も戦火に見舞われなかったからな」
「それが今じゃこの雪景色なんだ・・・。見たかったな~木がいっぱい生えてるとこ」
「まあ俺が子供のころの話だからな。今じゃ太陽の街にちらほら植えてあるぐらいで、地表は今じゃ鉄くずの方が多いな」
「確かにそこら中あるもんね。装甲車やら戦車やら飛行機やら強化外装やら・・・。あっそうだ、おじさんって強化外装の開発もしてたの?」
「強化外装の開発は専門外だが、だがハルカの機体は知っているぞ。そいつは重作業用の強化外装で、建築やら土木工事に使われていた汎用モデルだ」
「私のこれ?図録にはすごい古いってしかなかったんだけど」
「スリーデルタ製のやつは昔から見た目がほとんど変わらなくてな、そいつは陽だまりの塔の建設時に作られた一番新しいモデルだ」
「そうなの? おじさんすごい詳しいじゃん! ねえねえ、他の強化外装も教えてよ~。昔はメーカーたくさんあったんでしょ?」
「専門外だと言っただろう。まあたしかにスリーデルタとフォース・ターボの2強だったが--」
私は時間を忘れておじさんの言葉に耳を傾けた。
聞くこと全てが新鮮であり、私の底なしの好奇心が満たされていくのを感じた。
どれくらい時間がたったろうか。
まさか1日中しゃべっていたのではないだろうか。
そう感じ始めたとき、不意におじさんの語りが止まった。
どうしたのか聞き返そうとした瞬間、視界の隅に赤と黒が現れた。
何かが燃えている。おじさんはあれに気を取られたのだろうか。
「おじさん、前の方で何か燃えてるよ!」
「ハルカ、周囲に敵影はない。行ってみよう」
「分かった!」
どうやら戦闘にはならないらしい。
正直あんな思いは二度とごめんだ。
安堵と僅かな緊張が走る。
今晴れているとはいえ、あんなに遠くの火が見えるだなんて普通じゃない。
何があったんだろう。
炎の元は予想だにしない代物だった。
それはあまりにも大きな金属の箱だった。高さだけでも自身の機体の3倍はあるであろう巨大なコンテナに、滑り止めの鋭い爪がびっしりと付いた車輪が並んでいた。
これが動いて、しかも移動していたとは信じられない。一体どうやってこれほどの大きさのものを動かしていたんだろうか。
大きさに圧巻されていたが、重大なことに気が付いた。
これが動いていたのなら、動かしていた人物がいるはずだ。
車内はこのありさまだけど、避難できた人がいるかもしれない。
おじさんは後ろのコンテナの方に行ってしまった。
1人で行動するのは危険だが、おじさんはこのあたりに敵影はないと言っていた。
人助けをするなら早い方がいい。
そう決心すると、少し離れた場所にもう1つ、細く黒い煙が立ち上っているのが見えた。
ここから逃げ延びた人かもしれない。助けなくちゃ。
私は1人、もう1つの残骸に向かっていった。
もう1つの残骸は、こちらに背を向けているが大型の強化外装のようだ。
火は出ていないが、パイロットは無事に脱出できているのだろうか。
ブーストを切り、正面に回ると、見たことのないものが目に飛び込んできた。
強化外装の半壊したコックピットから飛び出した黒い塊。
私がこれを人が燃えたものだと理解するのに、どれくらいの時間を費やしただろう。
私のコロニーでは、亡くなった人は地下の墓地に埋葬される。
地下は居住区と異なりとても暗く、冷たい。
そのため遺体は亡くなったときから時間が止まったかのように、そのままの姿を保っている。
だからこそ今、目の前の燃え殻が、人間だと理解を拒んだのだ。
人がこんな風に死んでいいのか
なんでこの人は死ぬ必要があったのか
名前も知らない人の悲惨な最後を目にし、私はひどく困惑した。
そうだ、おじさんに連絡しなくちゃ
今更ながらに、おじさんへの無線を繋いだ。
「お、おおじさん。ひ、人がた、倒れて・・・」
「分かった、すぐそっちへ行く」
震えてうまく伝わったかどうか怪しい通信だった。
倒れている、という表現は的外れだが、今の私にそんなことを考える余裕はなかった。
現実感のない光景に、ただの見間違いだと思いたかったのか。
それを確かめるため、私はいつの間にか機体から降りていた。
防護服無しでも動けそうなくらいに、外は光に満ちていた。
しかし光が照らしているのは幸せとは程遠い、無残な命の影だった。
視界が歪み、涙が自然と頬を伝う。
なぜ泣いているのか分からない。
目の前の遺体はどこの誰とも知らない人だ。私が知らないところでも人は大勢亡くなっているはずだ。だから悲しみを感じるはずもないのだ。
私は、悔しいのか。
懸命に生きている人の、誰かの幸せを願っているかもしれない人の最後がこれか、と。
あまりにも理不尽じゃないか。
この人が一体何をしたんだろう。
例えレジスタンスの人間だったとしても、今を必死に生きようとしている人が、こんな目に、こんな最後を迎えていいはずがない。
命が無残に失われていることが、私は悔しいのだ。
「あなたの魂に、導きの火があらんことを・・・」
私は自然と祈っていた。
手を合わせ、この人の魂が凍ってしまわないよう。
温かい、火のある世界に行けるよう。
目を閉じ、願った。
「行こう、ハルカ。もうじき吹雪が来る」
後ろでおじさんの声が聞こえた。
いつの間にか来ていたみたいだ。
私たちは進みます。どうか、私たちの旅路を見守ってください
最後の祈りを捧げ、顔を上げる。
「グスッ・・・うん・・・」
重い足取りで自分の機体に向かう。
しかしいつまでも暗い雰囲気でいるのはよくない。
前を向かなければ。
ガチャッと音がした方を振り向くと、おじさんは残骸の後ろから武装を取り外し、自分の背中に取り付けていた。
「おじさん、それ、持っていくの?」
「ああそうだ。何かあった時のお守りだ。俺たちがこいつで助かれば、あの人も少しは報われるだろうからな」
「うん・・・。それも、そうだね・・・」
正直なところ、あの人の一部を持っていくようで気が引ける。
私たちがあの人の分まで生きることができれば、弔いになるだろうか。
おじさんが言うように、あの人の武器で助かることでも、あの人の救いになるだろうか。
弔いの念がまとわりつく。
だが、私たちには向かうべき場所がある。
前に進まなければ。




