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王国

作者: 変汁

その王国には3人の人間しか住んでいなかった。1人は王女であるうら若い女性で残りの2人は従者である若い夫婦だった。


ある時、2人の従者である夫婦が城の前で行き倒れている子供を見つけた。年の頃は12.3といった所だ。発見当初、全身水濡れで息もしていなかった。だが2人の夫婦従者の素早い対応によってその子供は息を吹き返した。だが意識を失っていた期間が長かったのか、自分の名前も年齢も、どこの国の生まれも、どうしてここに来たその理由すら覚えていなかった。

だから王女は、その子供が記憶を取り戻すまで、夫婦に面倒を見るように命じた。


その王国にはこじんまりとした城が1つと馬屋と牛舎があった。城の周りは大きな河で囲われていて、向こう岸に渡るには船が必要だった。王様も王妃も、家来も兵士も農民達もいなかった。だからだろうか。その王国には旅人や他国の者達が城を訪ねて来る事は先ずなかった。そこに年端もいかぬ子供が現れたのだ。賑やかとはいかないが、王女を含めて歓迎の意を表した。


従者の2人は城の中にある小さな部屋で暮らしていた。行き倒れていた子供は2人の提案によって、身元がわかるまで2人と同居する事になった。夫婦はとても仲が良く、朝早くからよく働いた。さして大きくない畑を耕し、牛や馬に牧草を食べさせた。食事は主に河から得られた魚が主だった。河に囲まれている為、森や林などはなく、大小2本のリンゴの樹があるだけだった。夫婦は実がなる季節になると、それでジャムを作った。王女はそれを美味しく頂き、いつもその季節が来るのを楽しみに待ち侘びていた。


行き倒れていた子供を見つけてから、ひと月が過ぎた。けれどその子供は何一つ思い出せずにいた。それでも従者の夫婦は我が子のようにその子供を可愛がった。何故なら2人には子供がいなかったからだ。


「あの子は神様から私達夫婦へ贈られたお恵みに違い無い」


農作業に精を出しながら夫の方がそう言ったのを開けっぱなしの窓の外から聞こえて来たのを王女は耳にした。


「ええ。貴方。きっとそうよ」


王女は安楽椅子から立ち上がると、窓辺へと近寄った。柔らかな風に揺れるレースのカーテンが頬に当たる。畑を見下ろすと従者である夫婦はその手を休め、草を食む馬達をじっと眺めている子供を見やった。子供は膝を抱え城壁に背を預け地面に腰掛けていた。王女は従者から目を逸らし子供がいる方を眺めた。子供は無表情のまま馬達を見つめていた。時折り、地面にある小石を拾っては放り投げている。

それに飽きたのか立ち上がるとズボンについた砂埃を払った。そして馬に近づくとその背や立髪を撫でた。細い両腕で馬の首を抱きしめ頬を擦り寄せた。馬も同じように子供に返すと、子供は馬の背に両手をつくと勢いよく飛び乗った。馬は嫌がる事はなく、子供を乗せてゆっくりと歩き出した。従者の夫婦はその光景を嬉しく思ったようで農機具を手放し、じっと子供の方を眺めていた。子供は馬に身を任せて庭や畑付近を歩き回った。稀に馬が走りだしたりしたが、子供が振り落とされる事はなかった。王女は窓辺から離れて、安楽椅子へと戻り、読みかけの本を手に取った。子供が馬に話しかける声や笑い声、掛け声などが聞こえて来る。夫婦の拍手も耳に届いた。王女は楽しそうにしている子供の姿を見れた事がとても嬉しいと思った。

ここ数日、子供は何も思い出せず、自分が何者かもわからず塞ぎ込んでいると、従者から聞き及んでいたからだった。だが今日のあの姿を見る限り、その不安は少しばかり解消されたかも知れない。


王女は開いた本を閉じ、再び窓辺へと近寄った。子供の姿を見たかったからだ。そんな子供は馬に乗って遊んだことがよほど楽しかったのか、夫婦に近寄り、あの馬の名前は何ていいますか?と尋ねていた。


「とても賢い馬ですね。そんな馬を僕は初めて見ました」


馬が賢いという事について、王女はいまいちよくわからなかった。何故なら一度も乗った事もなければ触れた事もなかったからだ。

だから子供の言わんとしている事が理解出来なかった。だが子供は馬が賢いといい、その名前を知りたがっているようだ。


「名前はありませんよ」


妻である従者がそう答えた。


「それは可哀想ですね」


「なら、あなたがその名前をつけて差し上げたらいかがでしょう?」


「それは名案だ」


夫が言った。


「僕が名付けて良いのですか?」


弾んだ声でいうと子供は大層、喜んだ。


それから数日が経ったある日の事、

王女は子供を連れ立って城の外へ出た。

その理由はこの小さな王国の外を見れば、何かしら思い出すかも知れないと考えたからだった。


従者である夫婦は王妃の考えに反対だった。


「あの子供が敵国の視察隊の一員として、この国へ送り込まれていたとしたら、大変な事になりかねません」


「だとしても、恐る事はありません。この国は四方は大河に囲まれており、攻めるにしても船が必要となります。それ以上にこの国は他国にとって利益になるようなものは何一つないではありませんか。金や銀が取れるわけでもなく、強固な軍を備えているわけでもない。たった4人の小さな王国です。攻め込む理由など1つもありませんわ。それに貴方達はあの子供を我が子のように可愛がっておるではないですか。私にはわかります。あの子はその恩に報いはすれど裏切るような事をしでかすとは私には思えません」


従者は子供が記憶を取り戻したら、きっと城から出て行くと考えているようだった。だから従者は王女に止めるよう忠告したのだ。だが王女は従者の反対を押し切り子供を城外へと連れ出した。


河を見てその子供は怯え上がった。決して側には近寄ろうとせず、このような場所には来たくありませんと王女に訴えた。


「怖くはありません。貴方が毎夜口にしている魚達もこの河からとれたものですよ?感謝こそすれ、怖がってはなりません。それはこうして私達を生かしてくれている河にも魚達にも失礼にあたります」


子供はすいませんと王女に謝った。そこに従者の夫が釣竿を持って現れた。子供の手を取り、りんごの木で出来た釣竿を握らせる。そして自分用の釣針にミミズをつけ河へ向けて投げてみせた。


「これは釣りというものだ。遊びでもあり仕事でもある。そして魚達との戦いでもあるんだよ」


「戦い?」


王女は2人から少し離れた場所にある岩の上に腰掛けていた。


「そうだ。魚だって命が惜しい。それは私達とて同じ事。私達は魚を食べているからこうして生きていられる。同じように魚も餌を食べなければ死んでしまう。その餌を私達は罠として河へ投げ入れる。騙し討ちのようではあるが、これもどちらかが、生きなければならないからこそ、行われるものなのだ」


「正々堂々という訳にはいかないのですね」


「あぁ。時に人は戦いに勝利する為に、より良い策を練るのだ。例えそれが邪なやり方でも」


何処となく、納得出来かねない表情の子供ではあったが、魚が釣れだすと、大いに喜びはしゃいだ。


そのお陰かどうかわからないが子供は最初は恐れて近寄りもしなかった河に対して、平気な様子で近づいていた。従者が靴を脱ぎ膝まで河に入ると子供も真似て入って行った。

王女は日傘をさしてその様子を眺めていた。


「冷たくて気持ちが良いですよ」


子供は陽の光が眩しいのか目を細めながら王女に向かってそう言った。


「それ以上、遠くへ行ってはなりませんよ」


王女はいい、先に城へ戻ると従者へ告げた。

この行動が子供に与える影響がいかなるものかはわからない。けれど何より幸せそうな笑顔が見れて、王女はホッと胸を撫で下ろした。


この子の幸せがここにあるのであれば、それはそれで良い。ずっと居てくれても構わなかった。従者達夫婦もきっと喜ぶであろう。

けれど、もしも何かを思い出し、この子供が自身の家族や暮らしていた国の事を思い出し、帰りたいと望めば、王女はそのようにするつもりだった。その時は船を修理しなければならないが、その辺の事は従者が何とかするだろう。


王女はこちらに向かって手を振る子供に、同じように振り返すと開きっぱなしの城門から城へと続く石畳の道を歩いて行った。


自室へ戻る前に、従者の妻にお茶をお願いした。部屋に戻り、窓から城門を見やった。

ここからでは子供と従者の姿は見えなかった。風に乗り声らしきものが届いたように思えたが、恐らくは気のせいであろう。

お茶が届けられ、カップを口を添えた。一口飲んだ後、王女は部屋の扉を開き、顔を覗かせた。左右を見やり従者の姿がない事を確認する。扉を閉め中からしっかりと施錠した。

王女は日に数回、部屋の中にある大きな鏡の前に立つ事が習慣づいていた。お召物のお色直しなどは従者の妻がやってくれていたが、その時はこの大きな鏡ではなく、別の部屋、つまり衣装部屋で行われていた。だからこの鏡は王女が個人的に使用する為にだけある物だった。

王女は鏡の前に立ち、左手を右腕の手首付近に添えた。ゆっくりと袖を持ち上げると鏡の中に結晶のようにきめ細かい白い肌が露わになった。ただ不思議な事に鏡に映る右腕と自分で見る右腕は同じ人間であるにも関わらず、全く別人の者の腕のようだった。鏡の中の王女の腕には、無数の切り傷があり、そのどれもが整列するかのように真横に痕が残っていた。血も出ていなければ痛みもない。だが確かに傷はそこにあった。けれども実際の王女の腕にはそのような傷など1つもありはしなかった。


いつからこのような不可解な現象が鏡に映し出され始めたのか、王女は思い出せなかった。

気づいた日には夥しい傷が鏡に映っていたのだ。これはこれから先の未来に起きる不吉なお告げなのか、それとも自身に予言的な力が備わっているのか、王女にはわかりかねた。

相談するにも王様や王妃は居らず、かと言って従者に打ち明ける気も更々なかった。

王女は自分の右腕を撫でながら、鏡に映る右腕のこの傷の意味するであろう事柄とあの子供とに深い関わり合いがない事を王女は願った。

何故なら鏡は未来の映し絵だと王女が読んだ本に出て来るからだ。

もしその物語が本当の事であるのであれば、

私は、この腕に深い傷を負う事になる。それはまさに子供の記憶が戻る事を意味しているようで、王女は軽く身震いをした。

やはり城外へは出すべきではなかったか。

自身の決断に苛ついた王女は鏡の前から離れ、新たなお茶をカップへと注いだ。


子供は病気や怪我などもなく元気に育っていった。


16歳の(恐らくそれくらいの歳と思われた)春に、子供は正式に従者の養子となり、王女様から名前を頂戴した。河にちなんで名を[リヴ]とした。


そのリヴは養父である従者の下、畑仕事を習い、釣りを覚えた。養母の仕事である調理や掃除も習った。その間に、リヴは剣の鍛錬に励んだ。

剣は王女様の父の物を譲り受けた。


「攻め入る者がないとはいえ、万に一つそのような事が起きないとは限りません」


リヴは言い、日々剣を振り続けた。残念なのはこの城に剣士がいない事だった。だがリヴは王様の残した多大な蔵書の中から剣術の本をみつけそれを読み耽った。リヴの身体は益々大きくなり、漆黒の黒髪も今では腰の辺りまで伸びていた。父が使っていたであろう鎖帷子と兜を20歳の春に王女はリヴを呼び寄せ、その2つを譲り渡した。


「ありがたき幸せ」


「リヴよ。そうかしこまらなくても良いわ。この国には私を含めて4人しかいないのですもの」


リヴは王女の言葉に更に頭を垂れた。


「これからも父母、そして王女である私の為に尽くして欲しい」


「王女様。その事でお話しがあります」


「お話し?いいわ。遠慮なく話してください」


「王女様、どうか私にお暇を頂けないでしょうか」


鼻筋がスッと通った精悍な顔立ちの青年は片膝をつき、頭を下げていた。


この城の外で倒れている所を王女様達に救われ、その日から既に約8年が経過していた。


つい最近まで子供だったと思っていた青年は筋骨逞しい、立派な青年へと成長していた。

剣も独学ではあるが、必死に学び、恐らくは強くなった事だろう。従者の夫が稀に相手をするが、リヴは赤児の手を捻るように父をあしらった。


「更なる剣の修行をしたいのですか?」


「それもあります。ですがそれ以上に私は他の国を見とうございます」


「見てどうするのです?」


「他国の生活を学び、それを記し、覚え、そしてこの国へと還元する。それこそが我が身を助けて頂いた王女様への唯一のご恩返しではないかと最近良く考えるのです。幸い、私目が王女様に拾われからの約8年、敵らしき者が現れた事は一度もありません。私が居なくとも、この国は常に平穏無事であり続けて行くでしょう」


「リヴの言いたい事はわかります。ですが父母の気持ちはどう考えます?お主が旅に出ると彼らはきっと悲しむ事でしょう」


「はい。育てて貰ったご恩は一生わすれません。最近は父も長年の農作業のせいで腰を痛めております。作業もままならぬなら、父の代わりとなる者、又は農耕具なども手に入れ、戻って来たいと考えております」


「そこまで考えているのですね」


「王女様。どうかこの私目にお暇を」


「リヴ。頭を上げて」


リヴはゆっくりと顔をあげた。王女様と目が合い、胸の鼓動が早鐘を打った。


「どうやらお主の意思は堅いようですね」


「はい。どうかお赦し下さいまし」


「わかりました」


「よろしいのですか?」


「ええ。仕方ありません。止めても其方は出て行くのでしょう。夜な夜な舟を、こしらえていたのもこの日の為であったのではないですか」


「お気づきになられておりましたか」


「気づくもなにも、宵闇にランプの灯火が庭の周りをチラチラしているのが見えれば誰でもわかります」


「ありがたき幸せ」


「では、リヴ行きなさい。其方の意思を貫き、そして更に強くなって戻って来る事を願っております、私も父母もリヴがいなくなるのは寂しいですが、それもこの国の繁栄の為。どうかご無事でありますよう。私も神へ祈ります」


翌朝、リヴは王女と養父母に見送られ、小舟を河へ浮かべた。オールを持ったリヴが小舟へと乗り込む。


「父上、母上、しばしのお別れです」


涙を流す2人に後ろ髪を引かれながらリヴは小舟を出した。


「河の流れに飲み込まれぬよう気をつけなさい」


「わかっております」


そう力強く返したリヴは河の半分付近にまで到達した。残り半分だ。リヴは更に力を込めて再びオールを漕ぎ出した。その時だった。小舟がミシミシと悲鳴を上げ始めたのだ。木々の繋ぎ目から河の水が浸水し始める。バキバキっという音と共にに小舟の舳先が折れ、一気に水が流れ込んで来た。小舟はあっという間にリヴの腰辺りまで沈んで行く中、リヴは必死にオールで漕いでいた。


「このままだと小舟共々、自分も沈んでしまう」


振り返ると養父母や王女様が何やら叫んでいるようだった。だがその声がリヴに届く事はなかった。


「諦めてたまるものか!」


リヴは思うが無情にも小舟は更に破損していくばかりだった。リヴは小舟を捨てオールにしがみついた。


「あちらの国までもう少しだというのに!」


リヴは仕方ないと覚悟を決めた。オールも捨て、泳いで向こう岸へと……


思ったその時だった。



「俺、泳ぎ教わってなくね?って事はさ。溺れちゃうよね?あら。かなりヤバヤバな状況じゃん。養父母の野朗!何で俺に泳ぎを教えてくれなかったんだよ!」


リヴはそう叫びながら河の底へと沈んで行った。


それを見ていた王女様と従者の夫婦は、呆気に取られた表情でリヴの姿が見えなくなるのを見送った。


「リヴは泳げなかったんだ?」


「はい」


「教えなかった?」


「教えるも何も王女様。私達2人は泳げませんから」


「あら。奇遇ね。私もよ」


王女様はいい、まだ若い未来ある青年が溺れ死んだ事を憂いた。その時、右腕に激しい痛みを覚えた。みると王女様の右腕に赤く滲んだ横線が入っていた。まるで刃物で切り裂いたような感じだ。だが血は出ず、傷だけが残った。王女様は思った。あの鏡で見た私の右腕はこの事を予知していたのか。という事はこの先の未来、私達の前であの多くの傷の数だけの人間がこの国へやって来ては死んで行くと言う事なのだろう。つまり鏡に映る王女様の腕に見える傷の数の分、この国は安泰でいられるという事だ。


王女様は従者達を両腕で抱きしめた。


「安心なさい。たかが人1人死んだに過ぎません。大切なのはこの国と私達3人が安泰である事です。それに悲しまずとも次のリヴがやってくるわ」


王女様は右腕の傷に触れながら高らかに笑った。



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