風は誰のものか
蒼銀商会の名は、王都の市場を越えて地方都市へと広がっていた。
「風蓄炉」を応用した農耕支援装置「風耕ローラー」や、家庭向けの自動換気窓「風さやか」など、風を使う道具は次々と人々の暮らしに浸透していった。
リセルの開発理念は一貫していた。
――風は誰のものでもない。けれど、誰かを助ける手段にはなれる。
その思いは、彼女の魔道具にも通じていた。
「魔法って、贅沢な人だけのものじゃない。生活のために使える技術に変えられる。それを証明したいの」
◇ ◇ ◇
ある日、王宮から使者が訪れた。
「国王陛下の命により、蒼銀商会の製品を王国軍に提供していただきたい。対岸のシュルザリオ国との国境地帯で、風魔道具を偵察用途に使いたいとのことです」
軍事転用――
その言葉に、リセルの目は曇った。
「……断れない案件なの?」
アレクは静かに首を振った。
「正式な要請ではある。でも、必ずしも従う義務はない。王国は今、蒼銀商会の影響力を見極めようとしている」
「……それなら、私は断る」
リセルははっきりと答えた。
「私の作る魔道具は、人を傷つけるためのものじゃない。風は、誰かの背中を押すものであって、誰かを突き飛ばすためのものじゃないもの」
「……わかった。なら、俺が外交交渉に出る。君の信念が揺らがないように、俺が盾になる」
リセルは、ふっと微笑んだ。
「ありがとう。でもアレク……私、弱くなったらいけない気がするの。子を持たないと決めて、好きな人の告白も断って、それでも“この生き方でいい”って胸を張りたくて、ここまで来たから」
「君は強い。でも、たまには誰かに甘えてもいいと思うよ」
その言葉は、深く、静かに、彼女の心を満たした。
◇ ◇ ◇
交渉の席は、思いがけず硬直していた。
「民間の魔道具を軍が管理するのは当然ではないか。国家のためになる技術は、すべて王のものである」
高官たちはそう迫った。
アレクは毅然と答える。
「風は王のものではありません。自然の一部であり、人々の生活に根ざすものです。リセル・カーヴィンはその風を使い、人々の暮らしを変えるために技術を磨いてきました。それを武器に変えることは、彼女の信念を殺すことになります」
議場は静まり返った。
やがて、老いた宰相が口を開いた。
「……ならば、蒼銀商会は王国の“公認民間機関”として認定しよう。軍との協力は“依頼”にとどめ、強制はしない。その代わり、商会の魔道具の安全性は責任をもって保証してもらう」
アレクは深く礼を取った。
「感謝します。私たちは、この国の民として、誠実にその責を果たします」
◇ ◇ ◇
交渉の帰り道、アレクはリセルに報告した。
「君の風は、自由のままでいていいらしい」
「……よかった」
リセルは、初めて涙を見せた。
「戦うのは、本当に怖かった。でも、私が作るものが、誰かの痛みを生まないとわかって、安心したの」
アレクはそっと、彼女の肩に手を置いた。
「君の決断が、きっと未来の誰かを救う。子を持たない君の人生が、誰かの背中を押す風になる」
その夜、丘の上で見た星空は、まるで風のように澄んでいた。