蒼銀商会設立
リセルの工房には、今や人が集まりはじめていた。
風蓄炉の実用化に成功してからというもの、農夫や荷運び人、果ては街の女性たちまでもが訪れ、風の力を使った魔道具を使ってみたいと願うようになっていた。だがそれに応えきるには、彼女一人の力では足りなかった。
アレクは、それを見越していた。
「商会の登記は済ませてきた。“蒼銀商会”って名前でいいな? 君の魔道具にぴったりだと思って」
「……商会、ね」
リセルは書類を眺めながら、苦笑いを浮かべた。
「私が“代表”って書いてあるわよ。そんなの、前代未聞じゃない?」
「そういう時代にしたいと思ってる。“女は家庭に入れ”なんて価値観はもう古い。君がそれを壊せば、他の女たちも続くだろう」
リセルはしばらく黙っていたが、やがて静かにうなずいた。
「だったら、やってみる。女だからって理由で、何かを諦める人生なんて、ごめんだもの」
◇ ◇ ◇
蒼銀商会の本拠地は、王都から少し離れた工業区に置かれた。そこには風を効率よく集められる高台があり、風蓄炉の動作にも適していた。
初期スタッフは、リセルの元に集った市井の人々ばかりだった。鍛冶職人の娘、縫製の得意な未亡人、元兵士の若者。皆がリセルの話す“魔道具による未来”に心を動かされていた。
しかし世間の風当たりは、冷たいどころか鋭利だった。
「結婚もせず、子も持たず、何が社会貢献よ」
「女が商会なんて滑稽だ。しかも、貴族の坊ちゃんが尻に敷かれてる」
貴族社会も、商人組合も、古い体制の守り手たちは皆、蒼銀商会を異端視した。
そんな中、リセルとアレクは人前に出て記者会見を開いた。
リセルは堂々と語った。
「私は、子を持たないと決めています。誰かの母になるよりも、自分自身でありたいから。そして私の力で、他の誰かを助けたいからです」
ざわめく会場。
アレクも口を開いた。
「リセルは私に何度も求婚を断りました。でも、私は彼女の信念に惹かれた。だからこそ今、私は彼女と結婚します。ただし、それは“子を持つ”ことを前提とした結婚ではありません。これは、意志で結ぶ契約です」
――結婚はするが、子は持たない。
その言葉は国中に波紋を呼んだ。だが一方で、静かに涙を流す者もいた。自分と似た生き方を求め、声を上げられなかった女性たち。既に家庭に入り、夢を諦めた者たち。
◇ ◇ ◇
蒼銀商会の製品第一号――「風紡ぎ車」は、風の力で布を自動で織る機械だった。これが農村部の女性たちに絶大な支持を受け、一気に注文が殺到した。
だが同時に、王都の布商ギルドが妨害に乗り出す。
流通を止められ、資材の入荷が遅れ始める。人手不足にも陥った。
リセルは悩んだ末、ある決断を下す。
「魔道学院時代の後輩に声をかけるわ。女性の研究者を――“結婚より魔法が好き”って子たち、けっこういたもの」
アレクは頷いた。
「君が先陣を切ってくれたことで、希望を持つ人が増えてる。その風に、僕たちも乗ろう」
◇ ◇ ◇
数週間後。
工房の前には、新しい仲間が集まり、風のように忙しく、そして生き生きと働いていた。
その中心には、青銀の風蓄炉が静かに回り続けていた。
リセルはその音に耳を傾けながら、小さく笑った。
「ねえアレク。これからも、どんな形であれ、あなたと一緒に風を起こしていけたら嬉しいわ」
アレクは、彼女の横顔を見つめながら答えた。
「君となら、どんな風でも追い風になるさ」
こうして――
“子を持たない人生”を掲げる2人の物語が、蒼銀の名とともに王国を駆け抜けていく。