風読みの娘
初投稿です。お楽しみいただけると嬉しいです。
アストレイア王国北部、風の丘と呼ばれる地に、小さな工房があった。外壁は白く、屋根には風見鶏。だがこの工房の風は、単なる気まぐれではなく、誰かの声に応えていた。
リセル・カーヴィンは、風と話せる魔道具職人だった。
「もう少し静かに。左側の羽根が、音を乱してるの。……そう、それでいい」
彼女は机に向かい、精霊銀の羽根を削っていた。その先には、空中に浮かぶ青白い歯車――風蓄炉の原型。風の魔力を蓄え、制御し、必要なときに放出する装置だ。
この土地は風が強く、農業には不向きだとされていた。だがリセルは思っていた。ならば、その風を利用すればいい。人々の悩みは、魔道具で変えられるのだと。
扉が開いた。
「また風と口論か? いつ見ても楽しそうだな」
からかうような声音。貴族の子弟にして魔道学院の首席卒業者――アレク・フォン・ロイエルだった。品のいいコートに、魔力を込めた銀の杖。どこにいても目立つ男だ。
リセルは振り向かずに言った。
「また来たの? 忙しいのに。私は今、あなたの求婚を断る練習をしてたの」
「何度断っても、また来るってわかってるんだな」
「そう。だから、あなたの“それでも結婚してくれ”ってセリフにも、もう飽きてる」
アレクは真顔で言った。
「俺は君の力に惹かれてる。生き方にも。だが、それは恋ではないかもしれない。むしろ、未来を一緒に作りたいという……同志としての気持ちかもしれない」
リセルの手が止まった。
「同志?」
「君が“子どもを持たずに社会を変えたい”と言ったとき、最初は驚いた。けど、今は理解しているつもりだ」
リセルはそっと立ち上がり、窓の外を見た。風が丘の草を揺らしている。
「私の母もね……魔道具職人だったの。でも、父の家に嫁いでから道具を作るのをやめた。“女は子を産んで家を守るもの”って言われて。私は、それが正しいとは思えなかった」
彼女は振り返り、アレクを見据える。
「私は、誰の母にもならない。自分の人生は、自分のために使いたい。そして、私が作る魔道具で、人の暮らしを変えてみせる」
風が、彼女の赤褐色の髪を揺らした。
アレクはうなずいた。
「なら、俺は君の“商売の相棒”になる。恋人でも、夫でもない関係でもいい。君の作る未来に賭けてみたい」
そのとき、歯車が静かに回転し、淡い蒼光を放った。
「……できた」
リセルは小さく呟いた。
「この風蓄炉があれば、風の強い地方でも農作業がしやすくなる。風の力を制御して、人々に届けられる」
アレクは言った。
「だったら、それを売る組織を作ろう。君の魔道具を、世界に広める商会だ」
彼女はふと笑った。
「おかしな人ね。普通、女に商売を持ちかける貴族なんて、そうそういないわ」
「君は普通じゃない。だから、俺も普通じゃなくていいと思ってる」
風が、工房の窓から入り込んできた。
それはまるで、新しい未来の始まりを告げる風のようだった。