08話
煙と砂塵が荒地を覆い、視界は紫紺の煙に閉ざされていた。
電磁波の嵐が帯電し何かのショックで開放されると、電光が空中を切り裂き、ジャミングノイズが光学観測すら歪ませ、通常の視覚や通信を混沌の渦に飲み込んでいた。
足元に見える僅かな視界には乾燥した地面が見え、わずかな風が砂を巻き上げる。敵の気配は煙の奥に隠れ、姿を隠していた。
「今日は一段とノイズが多いな。そう言えば電磁波嵐がいつもより濃いと言っていたな」
ラヴァリーは機体の情報モニターを見て端末を操作した。だが、ジャミングカウンターシステムを幾つか起動させるも状況が変わらないので光学情報だけで敵を探すことにした。
「一度でいいから航空機というものに乗って、空からの景色というものを見てみたいものだ」
荒野の空は晴天だとしても不可視な絶え間ない電磁気嵐とナノマシンの靄が覆っていた。
そこでは人類の叡智、空の技術など、一切の意味をなさない。
誘導兵器は発射すら許されず。飛行機や攻撃ヘリはエンジン始動後、ほんの数分で制御を奪われ、地面から飛び立つことはなかった。
転移者の記憶にある空を支配した技術は、この戦場に、この世界においては存在しない幻想であった。
塹壕戦で頼りにされたのは、移動する弾幕砲撃だった。
敵塹壕からの攻撃を黙らせる弾幕の移動に合わせ、味方兵士は自らの上を飛び越える砲弾の雨を頼りに突撃する。
専用の車両と支援用VF、多くの人間が砲弾をせっせと運び、砲列は息を合わせて火を吐き続ける。
しかし、それは理論上の美しさに過ぎず、実際には職人芸頼りのもので弾幕は前進するにつれて散逸し、火力の密度は急速に失われていく。
支援要請と弾着の誤差は、時には敵塹壕を飛び越え敵火力を黙らせられず、時に味方を巻き込み突撃部隊の命を容易く刈り取った。
通信網は盤石ではなかった。そのために障害を何とか克服しようと人々は足掻いた。
連絡用に伝書鳩が飛び、軍用犬が駆け周り、伝令兵が命を賭けて塹壕の迷路を走り回るようなことをやりかけたが、鳩が撃ち落とされ、犬が機械兵に踏み潰され、命懸けの伝令は失敗した伝言ゲームのような乱雑な結果を生み、それらの情報は届いたとしても混乱により地獄を見る。
そのことを近代や現代からの転移者が血の涙を流して説得し、間違った足掻きの計画を止めた。
近代や現代と呼ばれる時代から転移してきた者たちは、心底痛感した。
自分たちの世界で空から降り注いだ火力のありがたさを。あの機銃掃射も、精密誘導爆弾も、この地では過去の夢物語に過ぎないと。
それゆえに、この世界で塹壕にいる兵士たちは、再び忌まわしき塹壕戦を経験する。敵の迫撃砲や榴弾砲の轟きに怯え、味方の砲撃に歓喜する。
「ナノマシンがすぐに分解するから地雷や毒ガスが使いづらい。ついでに言えば、乾燥地帯だから泥がないだけマシなのかもしれないが。ナノマシン環境が良いのか悪いのかわからんが、現代人はろくなことを考えない。はっきり言って悪だ。中世や野蛮な連中だけに争いを任せていればよかったのに。使えるものを使って、いつかの大惨事をまた引き起こそうとする。だいたい、奴らのことは気に入らないのだ。現代人が勝手に区分付けをしたので、先の時代から来た者が近代現代という区分に対して違和感を覚える、現代人が多いからいつの間にか、この使い方が蔓延ってしまった。数の暴力とは怖いものだ」
マッツがラヴァリーに通信で転移者に呆れるように文句を言った。
「そういうなマッツ。犬や鳩が無駄に死ななくてよかったじゃないか。それには感謝しないとな。あと、その現代人によって自軍の戦領域には、通信網が瞬時に構築できたんだ、ノウハウを貰った分くらいは感謝してやれ。手旗信号や狼煙を上げなくて助かっているじゃないか」
ラヴァリーはマッツの言う気持ちも理解できるが転移者には感謝することが多かった
その一つが通信網であった。
何処から来たものなのかわからないオーバーテクノロジーがあったとして、この世界の住民は未だにそれを完全に理解することが出来ていなかった。
結局は有視界で通用する光学信号、電波障害の中でも使える強力な短距離無線、それに有線、それらを複合した網の目ネットワーク通信が限界だった。
まるで人間が情報を手掴みして投げ合うような混乱により、戦場は相変わらずに混沌に堕ちていた。
それでは敵塹壕を破壊する臨機応変な火力支援は難しかった。歩兵大隊単位の支援でさえ、機能不全に陥ることが日常茶飯事だった。砲撃指揮システムが存在しても、それを使いこなす士官は常に不足していた。
AI支援は有効であったが、ナノマシンによる妨害や電磁気嵐が始まれば、量子演算機は停止する。
簡易なAIならばまだ動いたが、その程度で制御できる戦場環境ではなかった。
「また下手くそな砲撃が始まった。どうにかならないのかこれは、塹壕の手前に殆ど落ちていないぞ」
ラヴァリーは敵塹壕を超えて、まばらに弾着する砲弾の雨に呆れていた。
第一次大戦のような周到な計画射撃なしに、数10キロ先の目標へ砲弾を正確に送り込むことは叶わない。練度不足の士官と未熟な運用体制が、臨機応変な砲撃を許さなかったのだ。
突撃を命じられた時、頼れるのは運だけではない。頭上を覆う鉄の雨、戦場の女神の祝福に命を託していた。
ラヴァリーはその移動弾幕砲撃を眺めるのをやめ塹壕に身を潜めた。
「攻撃を仕掛けるのはやめたほうが良いかな。私の誤爆を狙ってなら、あの見られたものではない砲撃は納得できる。だが、私はまだ突撃していないと言うのにあのザマだ」
ラヴァリーが機体を塹壕の壁側にしゃがませ、塹壕壁にある接触通信にワイヤーを飛ばして回線を開く。
耐衝撃装甲材仕様のナノコーティングが施された装甲を白銀に鈍く光らせる、古代騎士の甲冑を思わせる流線型のシルエットに、脇腹の装甲の隙間から冷却スリットから赤い光りを漏らしてた。
「砲撃指揮所に繋いでくれ……ジャミングにより砲撃の精度が悪いようだが、砲撃観測員を申し出るが如何かな?」
すぐさま砲撃指揮所は適当な理由をつけてラヴァリーの提案を断る。
通信が終わると塹壕で待機する仲間に問いかけた。
「さて、出番がないから作りに行こうか?」
ラヴァリーがそう言うと、それぞれの機体は塹壕の縁の手をかけて戦場の様子を確認した。
塹壕は幅3メートル、深さ5メートル、まるで巨人のために掘られた巨大な溝だった。
鉄骨で補強された壁は戦車の砲撃にも耐えられるよう設計されていたが、ところどころ崩れ、土砂が足元に溜まっている。
一方で、その隣には人間用の塹壕がまるで子供の砂遊びの跡のように小さく細長く連なっていた。幅は1メートル強、深さは2メートルほど。人間の兵士が身を縮めて隠れるには十分だが、人型兵器ヴァリアブルフレームにとっては踏み壊しかねない邪魔な障害であった。
「お嬢よ。あれでも……あの砲撃は計画された砲撃のようだぞ」
「それはそれで困るんだがな。戦場の女神は寝ぼけているのか?」
「2度寝でもしているのだろう」
「それは困ったな、流石の私でも女神様を叩き起こす暴挙はできない」
ラヴァリーはヴァリアブルフレームの複合センサーデバイスを起動させ、敵を警戒していた。
「そろそろ、突撃タイミングが来そうなんだがな。そんな気がするのだ」
戦場の空気を読み取り、彼女の優れた勝機の嗅覚がラヴァリーを静かに滾らせていた。
彼女のアイウェアの液体レンズが青く光り、ナノマシンが空気と涙の層の間に膜を作り、静かに動き出し映像を出力する。
敵砲撃の合間、50メートル先で微かに動くものを捉えた。煙を突き抜ける高周波の波が、レーダー上でぼやけた影を捉える。
目に見えない波は、煙の粒子をすり抜け、物体のぼんやりとしたシルエットを浮かび上がらせる。
空気の振動が微かな心の揺らぎと同調する。熱の放射がかすかな赤い点の塊を描く。
だが、突然の砲撃音が地面を震わせ、その影響で合成映像の一部が一瞬ちらつき、影が揺らぐ。
その中でラヴァリーは茂みに潜み獲物を狙う肉食獣のように動かず待つ。
デバイスは砲撃と電磁波の嵐のによるノイズをフィルタリングし、断片的なデータを再構築。AIが以前の位置データを参照し、煙の向こうの影を予測で補完する。
30メートル先に、3つの影と1つの大きな影が浮かび上がる。
電波の跳ね返りが強まり、金属の反射を捉える。
「敵が前進してきたな」
だが、敵の電波妨害が始まり強力な電波撹乱によりセンサーが無効化される。AIによる敵探知方法がマルチ方式に切り替わる。
機体に搭載された様々なセンサーが敵の動向を察知する。熱情報。とらえた振動の方向、煙の隙間からの敵の姿、AIが過去のパターンを基に敵位置を予測して、映像上で注意を促す。
20メートル。シルエットが鮮明になる。敵が近づき、再び電波探知が有効になり、サーマルビジョンでは熱放射が装甲表面を赤く縁取る。
敵兵3体と車両1両がくっきりと映る。AIがその弱点を赤い点で強調する。だが、煙幕の奥で新たな砲撃が響き、映像が爆発により巻き上げられた土砂で見えなくなる。
「今回の砲撃はなかなか良い落ち方をする指揮者でも変わったかな?」
砲撃は敵を捉えその多くを撃破し、損傷を与えていた。
だが、ラヴァリーの機体はライフルを構える。過去に見えていた敵兵のシルエットの位置を的確に捉え、照準は敵の動きを予測し、合わせ調整する。映像に映らない生き残りの敵を撃ち、煙の隙間から爆発する光が見えた。
「至近弾でも、生き残りがいると思った。上手く当たってくれたようだ」
爆発光の後ろに、更に砲弾が敵に降り注ぐ。また遠くで新たな電波の跳ね返りがレーダー上で出現する。
砲撃の振動とジャミング波が信号を乱すが、機体のセンサーはノイズをカットして断片情報を縫い合わせ、混沌の向こう側を冷たく見通していた。
「弾幕射撃を修正したそうだ。次は突撃できるかもしれないぞ」
そうマッツが言うと砲撃は強くなる。
それは確かに突撃前の準備砲撃だった。
敵塹壕ラインに降り注いだ砲撃が終わるとラヴァリーは静かに塹壕から離れる。
「それでは次の塹壕に行ってくる。マッツ。砲撃情報を頼んだぞ。皆、行くぞ」
「了解した。武運を」
通信を終えたラヴァリーは仲間の機体と共に塹壕を飛び出し、煙と敵残骸の中を突き進む。
敵塹壕前に降り注ぐ弾幕は敵の火線を怯ませる、だが哀れな被害者を量産することはなかった。
被害者を量産するのは突撃するもの達が役目を負っていたのだから。
突撃の合図が鳴り響き、歩兵は駆け出し、車両は急発進する、パワードスーツの騎士達は重い足音を立て前進する。それぞれが、それぞれを邪魔しないように、連携して、己の進路を進む。
敵の激しい銃撃の中、ラヴァリーは徐々に機体を加速させ、敵塹壕に向けて突進した。
《《移動弾幕射撃》》
本来の用語としては移動弾幕射撃が正しいです。物語中ではわかりやすさ優先で移動弾幕砲撃としています。




