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ヴァルキリー・アンサンブル 塹壕令嬢かくありき  作者: 深犬ケイジ
第2章 強化兵

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35話


冷たい金属の匂いと、焦げ付きが残る硝煙の臭いが、地下深くまで張り付いていた。


爆発物は解除され、辛うじて核となるデータ施設は押さえられたが、この施設が吐き出した闇は、関わった者の心に確実に傷を残していた。


改造兵プラントの管理室。教化兵手術に使われたと見られる巨大なカプセルが並ぶ薄暗い一角で、八郎太は、苛立ちを隠せない様子で分厚い資料を叩きつけた。彼の正面には、強化兵プロジェクトの関係者である両親を持つラヴァリーが端末を操作していた。


ラヴァリーは落ち着き払った態度に見えるが内心から滲み出る不安感が操作に出ていて、辛そうであった。


「ギルティ!! だからって、整備兵に八つ当たりされたら溜まったもんじゃありませんよ!」


八郎太の激情は、先刻まで続いていたフォーヴェルという男に関する報告が引き金だった。妹の境遇と貴族派による虐待で精神を病み、感情を制御できなくなった男が、自分より弱い立場の人間、特に整備部門の人間を標的に感情をぶちまけているという内容に炸裂していた。


「彼の不遇を考えれば同情の余地はあるが……現場で発散される鬱憤は別問題だ。ただの人間には堪えられん」


ラヴァリーはそう言って、冷静に溜息をついた。


「同情、ですか。俺には彼の性格の悪さが先に立ちますね。しかも、妹さんを改造兵だかにするだなんて。さらに兄の方を強化兵として復活させるだなんて……」


八郎太は頭をかきむしった。


「オレは、複雑な感情に支配されておかしなことをしでかしそうです。人として倫理観を試されている気分だ」


「落着いてくれ、ハチ。致命傷一歩手前まで行ったんだ。これから感情を無くし強化兵となり償いをさせる。私が断罪するのはお門違いだがな。だが、死ぬことは避けたい。妹さんのこともあるからな。知ってしまったんだ。この施設で救えることが判明したんだし。仕方なかろう?」


ラヴァリーはそれでは彼の感情を抑えきれないと知っていたために、次の策を使う決心をした。


「あ、そうだ。君が心配していた、件の後輩の整備兵の子だが、正式に我々に加入してくれた。戦線には出さない安心しろ。整備で力を貸してくれる。君の下につけても良い」


八郎太の表情が僅かに緩んだ。


「そいつは良いニュースですね。アイツは腕がいいですから。これで少しは報われるってものだ」


「まだあるぞ。街の人々が動いている。今回の騒動が貴族の企みで、自分たちの不利益になったことを知ってね。すでに街は混乱を収拾し、貴族派の権力剥奪に動いている。民意は我々の側だ」


「この街は良くなるな」


八郎太は純粋な希望を口にした。


気がそれてくれて助かった。こういう時のハチは、めんどくさい。ラヴァリーは内心そう呟き、目の前の激情がようやく冷静さを取り戻したのを見届けた。


「フォーヴェルと妹に関する今後について聞いてもいいですか?」


八郎太は心配そうな目でこちらを見てきた。


妹は、改造兵として、研究によるものか特異な因子のおかげか、あるいは兄の決死の行動に女神が微笑んだのか、精神汚染が少なく生還した。彼女は極めて高い知性と冷静さを保ち、新たな軍事オペレーションの指揮官として内定する予定だ。これは本人の意思でもある。


一方、兄のフォーヴェルは、強化兵として復活。彼の歪んだ性格と攻撃性は大きな問題だったが、感情や精神性は薄れた。問題はないだろう。戦力は間違いなく強力だ。報告書にはこうある。


「妹の決断により、戦場にて改善を施すことが決定された。本人の意識下で激しい感情の起伏が確認されたが、妹の管理下に入ること、および妹への絶対的忠誠を誓う条件づけが見られることから、戦力としての承諾が下りた」


つまり、兄は妹の手足となり、感情の発露の場を紋章騎士から強化兵として変えるよう訓練される。


「バディ型となるであろう報告、か」


八郎太は報告書に目を通しながら呟いた。兄妹は別の戦地へと送られる。彼らにとって、これは新たな門出であり、歪な再出発なのだ。


しばらく作業が続く。ラヴァリーの傍ら、すぐそばのソファーで八郎太は整備状況の確認をアルヴァはくつろいでいた。


八郎太の膝に頭を乗せて横たわるアルヴァの髪を八郎太は静かに撫でていた。アルヴァは感情の起伏に改善が見られ、以前はどこか影があったが、今ではすっかり甘える様子が出ていた。状況監察のためにアルヴァの望むようにしていた。


「マッツが言ってた胎内回帰お考慮に入れた改善処置でしたか? あれがアルヴァに効いてるんですか? 感情と言うか接し方がだいぶ変わったんですけど?」


「ラヴァリーはどう思います?」


「良いことだと考えている。生き埋めに何度もされ生き残ったコト、戦闘時のカレスなストレスと生き抜いた開放感。そのへんを重点的に調べ直したらしいな」


「みたいですね。たしかに良いことではありますね。でもちょっと絵面的に俺やばくないですか?」


「我々しかいないところぐらいでしか気持ちが緩まないようだから特に問題ないのではないか? アルヴァも機嫌が良いし」


ラヴァリーはそう言って微笑む。


「ハチ……」


「どうした、アルヴァ」


「もっと頭を撫でて」


「おう。でもよ、オレさ、整備が忙しくてシャワーをろくに浴びてないんだけど。臭くない? 大丈夫?」


「ううん。平気。ただ、ハチの膝はなんだかお日様の匂いがする」


八郎太は笑った。


「炎天下で干してたからかな?。一応は消臭剤もかけてたから。そう言えばアレなんてったけな? 消臭パウワーお日様の匂い。原因はこれか」


八郎太は思わず吹き出していた。


それを見てアルヴァは満足そうに目を閉じ、小さな鼻歌を歌い出した。それはかつてどこかで聞いた、古い子守唄のようだった。穏やかな、本当に穏やかな時間が流れる。


アルヴァの鼻歌にそっと自身の声を重ねる。


「眠れ、眠れ、小さな虹の橋を超えた丘で、


星が夢を、そっと運ぶ……」


ラヴァリーの歌詞がアルヴァの鼻歌の旋律にぴたりと合致し、2つの音、アルヴァの鼻歌のメロディ、そしてラヴァリーの低い歌声が溶け合う。古い子守唄の親しみやすいフレーズが、温かいアンサンブルとなった


その瞬間、部屋の穏やかな時間は、小さな協奏曲によってさらに深く、満たされたものになった。


突如、そのメロでディに電子音が重なった。八郎太は警戒した。


だが、八郎太の警戒して険しい表情であったが、やがて、その調べに合わせて緩んでいく


「ハチ。そのままだ。アルヴァ鼻歌を続けてくれ」


ラヴァリーは静かに言った。


電子音のリズムに合わせて、アルヴァは歌うのを続ける。


ラヴァリーは無表情のまま、囁くようにその電子音に合わせて、言葉を紡ぎ始めた。


続けた歌詞の内容は楽園に架かる虹橋の歌だった。


一通り歌うと電子音は止まった。


「この歌は私の飼っていた犬が亡くなった時に母が教えてくれた歌なんだ。虹の先にある丘で犬たちと遊べる幸せな場所があると、そこで遊び疲れ果てて眠ってしまった犬に歌う子守唄なんだ。ちなみに犬以外に猫とか鳥とかもいる場所なんだ」


ラヴァリーはモニターを見つめたまま、端末を忙しく操作する。


「メロディラインと歌詞が暗号だったんだな。これでは私しか暗号を解けない。どうりで貴族たちも解けないわけだ」


ラヴァリーはモニターを見ては端末を忙しく操作する。


「世間では両親が悪く言われ、公式も元凶だと発表している」


八郎太は息を飲んだ。彼女の言葉は、ほがらかだった空気が一変し、張り詰めた静寂に包まれている。


「それでも私は、両親が強化兵プロジェクトを進めて、悪用するとはとても思えなくて……。後ろ指をさされようとも両親を信じていて」


ラヴァリーは目元に手をやった。その手は濡れていた。


「私が知る両親なら、絶対にそんなことはしないと信じていた」


クリアな音声メッセージが流れ始めた。


『これを聞いているということは、俺たちは既に何等かで死んでいるのだろう』


男性の声。彼女たちの父親の声だろう。ラヴァリーは嗚咽を漏らしていた。


『貴方にさちあらんことを。愛しているよ、ラヴァリー』


そして、女性の優しい声。母親だ。


『パパとママの声だ……』


ラヴァリーは涙ながらに呟いた。


『亡くなってから、どうしても声を思い出せなかったんだ』


八郎太は全てを理解した。両親の肉声は、国により計画が隠蔽されて削除していた。


あの暗号化されたデータを介して、初めて彼らの真のメッセージが娘の元へ届いたのだった。


八郎太は、感情を抑えきれずに泣き崩れるラヴァリーに、静かに見守った。この瞬間、ラヴァリーの思いは真実へと変わった。

ラヴァリーの両親の言葉は強化兵計画の糾弾と本来進めていた改造兵治療への新しい計画に関するものだった。


だが、大貴族が隠蔽し罪をラヴァリーの両親に被せていた。その真実が明白になった。


どれくらい時間が過ぎたのかわからなかった。


ようやく落ち着きを取り戻したラヴァリーは、ハチとアルヴァをぼんやりと眺めていた。


「ラヴァリー?」


「大丈夫だよ。アルヴァ。コレは流しても良い涙なんだ。嬉しいときには流しても良いんだ」


「うん」


「これが両親に課せられた陰謀の証拠にはならないだろうな。だが、真実は手に入れることができた。ありがとうハチ、アルヴァ」


「オレは何もしてませんて」


「アルヴァに鼻歌を歌わせてくれた。そう思わせてくれ」


「了解です」


「真実も手に入れた。これで迷いなく戦える。これまで以上に貴族どもに噛みついて、証拠を自白でもさせてみせる。狂犬傲慢令嬢としてなぁ」


「その意気です。塹壕から這い上がったお嬢様を舐めるな! 目にもの見せてやるってことですね!!」


自分で言っていて恥ずかしかったのだろうハチは誤魔化そうとアルヴァに救いの目を向けていた。


「なぁ、アルヴァ」


「うん。ハチは良いこと言った」


ラヴァリーは二人を見て微笑んでいた。


「その通りだ。これから忙しくなるぞ!! と、意気込んでみたが。しばらく休暇だ。それに予防注射もしないといけない」


「なんです? 予防注射って?」


ハチの情けない声にアルヴァは笑っていた。


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