(続き)序叙その4
二日後、辛抱堪らなく、真神(まがみ)鉄道に乗って薙久蓑駅へと向かった。
店には誰もいなかった。いや、客はいた。店長がいた。店員もいた、あの男を除いて。そして午後五時まで待ったが彼女は来なかった。翌日も同じだった。翌々日もであった。彼も彼女もいない。
「あの」
「はい」
多分學生のアルバイトなのだろう、ウエイトレスが怪訝そうな顔をした。
「ほら、前にいた彼、こんな感じの髪型でさあ、背が高かった」
「斉木さんのことですか」
「そうそう。そうだと思う」
「辞めちゃいましたよ」
「何で突然に」
「さあ、染物屋さんを継ぐんじゃないですか。何か、急にその気になったんだぁみたいなこと言っていましたよ」
「染物屋だったのか。どこにあるの」
「畝邨だったと思いますけど。以前はすごく嫌がってたんですよ、継ぐの」
小生が畝邨駅を降りたのは午後四時ごろであった。
貞観正國寺に向かう路を途中で少し外れると、藍染菱屋はあった。眞神の藍染めは伝統ある手工職だ。古くは眞神湾に泛ぶ安房島の社に奉納する布に龍神の紋を藍染めで入れたと云う記録が残され、江戸時代中期には既に名が知られていたらしい。
菱屋は敷地を白い塀で囲んでいたが、一部を割いて店舗としていた。商家と言うよりは工房と言うべきであった。楠や樫の大木の狭間から母屋の堂々たる甍が広がっているのが覘かれる。店尖の方へと向かった。店内は狭く暗く、棚に無造作にたくさんの染物が積み上げられ、店番の老婆が小さく坐っている。
何もわからなかった。離れがたかったが、怪しく見られても困るので、駅へ引き返さざるを得なかった。
電車に乗り、考える。
二人は終に結ばれたのだ。彼女の爲に彼は正業に就く決意を固めたのだ。小生はそう思い込んだ。所詮が絡繰りなのだ。實体はない。苦患に価わない。恋慕する人を失うことに失恋と云う事實性はない。すべて駈る爲の架空に過ぎない。
しかし、現に人々とともにこの渦中に生きていながら、独りさような省察をすることが樂しかろうか。愚か者どもとともに妄執し、吝しみ、妬み、恨み、嘆く方がまだしもましではないか。
家で寝るしかなかった。
その後数日は猛然と小説を書き綴り過ごした。原稿を破り捨てた。時々寂寥を玩味する爲に『サン・ミッシェル』に寄った。曹洞宗建長寺派龍蔵大巖寺に参禅し、某大學で『ハイデガー、それは何か、存在とは』を聴講し、一週間で二十七冊を読み、豪雨の日に裸体で三和畝山に登り、橅木に絡む蔦葛にしがみつき、烟る谿を睥睨した。
執著は諸々の細胞の隅々にまで染み渡っている。心は欲し求める。欲し求めても身が炙られるごとく焦がれるだけでしかない。涸渇が癒えることがないのは自家撞着のせいである。わかったって足しにならない。せずにはいられようか。無爲であっても現實であった。生存に封ぜられている。絡繰りを疾駆するしかない。
自由が欲しかった。この苦しみから、焦燥から、生存の鞭から永遠に逃れたい。
なぜ小生は普通に現實と闘えなかったのか。彼女に交際を求めればよかったではないか。好かれるように工夫すればよかったではないか。誰でもすることではないか。なぜ普通の人は普通に振舞えるのか。
なぜ小生は臆病なのか。
なぜあっと言う間に彼女が小生の存在肯定のすべてと化し、彼女を喪うことがすべてを喪うこととなり、生死の問題でもあるかのようにいとも簡単に追い込まれてしまったのか。なぜこうも脆弱で寄り憑き縋る島を求めて芯のない浮遊なのか。なぜ人より不安定に陥り易いか。不安を生ぜしめる物質が脳内に分泌され易いのか。なぜ小生は幼少時から自己の存在の均衡を失していたか。なぜ生まれつき他者性が露わな牙を剥く姿が見えていたのか。責めらるるべきは小生である。だが小生は選択したわけでも敢えて做したわけでもない。
余りに理不尽ではないか。だが理とは何か。理が何だと言うのか。理が通るくらいなら不幸があるか。一切諸考概が絡繰り措定の爲の架空の便宜であり、諸考概たる本質性なく、無効であると云うのに、これらに構築される理が廃墟でない筈がない。人間を焦燥に駈る爲の絡繰りでしかないそれに、仁義などを糾しても声帯が空気を震わすに過ぎない。
なぜかを、何者であるかを問うても答えはない。永劫の葛藤を生起せしめる爲の自家撞着、その絡繰りが在るだけである。すべて事務処理でしかない。
このとき小生の脳裏に一つの疑問が泛び、茶室に端坐したまま、微動すらできず、猜疑に囚われた。
それはこう云うことであった。
我々は絡繰りに気が附くことができる。無論、構造的に許されているからだ。しかし何ゆえ生存の構造を做した者は、絡繰りを垣間見させるのか。もし生の存続のみが目的であるならば、隠匿したままでいた方がよかったのではないか。これほど巧緻なる創造者が敢えて見せるからには、絶対に意図がなければならない。
だがいったい、この絡繰りを知らしめることでどんな効果を創造者生存は期するのか。それは絡繰りを発見した者がどのような情態になるかを分析すれば解明を得るに違いない。小生はこれを垣間見、どうしたくなったか。どう云う気分になったか。
問うまでもない。
自在奔放になりたい。炸裂するがごとき威勢を以て執著を振りちぎり舞い、生存と云う絡繰りを打破したい。
狭陋なる我執の繰り返しを解脱したい。脱自の空間へと躍り出て、広大無辺の歓びに拡散し、前後左右上下を封じる堰を超駕し、外部になりたい、無限大の宇宙に、客観性になりたい。
だがこれはどう云うことなのか。生存の法則に叛らうことなのか。なぜ生存がさような設定を做すのか。自裂行爲か。
いや、そうは思えなかった。これが生存の法則に叛らうことだとは感じられなかった。むしろこのような威勢こそが生命そのものなのではないか。これが平常なる生の状態とは言えまいか。我々は生存を誤解してはいないか。生存とは生を做し、存続させようとすることだけが趣意なのではない。
小生には強くそう考えられ、眩暈をすら覚えた。
生存の本欲とは、脱自、生を拡裂させることではないかと直観したのである。
そう云う風に措定すると、何のことはない、存続と云うことが拡大の属性の一つに過ぎないと云うことに思い至った。拡裂とは、存続し続けることを含んでいるではないか。
小生は陶然とした。これこそが眞の生存の法則なのだ。絶対にそうでなければならない。このような高揚感が眞實でないわけがない。
強裂拡散、あたかも陰極まって陽となるがごとく極外へ、顱頂を踏み砕いても高く天翔ようと欲する。常に自己の例外となって自己を乗り越え、より強くより大きくより高度になろうとする。
これが生ではあるまいか。自らの現状を常に否み、すなわち否む者としての自らをも破砕し、自らを喰らい尽くしてしまえる原蛇のごとく、想像を絶する境涯へと逝く者となる。
これが生存の絡繰りの實像ではないか。自家撞着に始まってこれを含め自己超越までがその全体像ではないのか。自分自身を超えようとして身も裂き砕き天翔躍ること、これが生存なのだ。
そう思えば、ありとしあらゆるもの、自らをも観察の対象とする意識の一切が異逆であり、非情であること、すなわち他者性を持った冷徹な他者であること、この世が非道であることが脱自への志向と云う義に於いては義しい。他者の冷厳があればこそその克服がある。だがその爲とは言え、なぜこのような回りくどい手続きを取らなければならないのかは依然不明だが、その答はもはや答以前の場所にあるに相違ない。
いずれにせよ、異逆と云うことは異逆と感じることであり、異逆と云う抵抗感はその異逆を回避したい、解消したい、超越したいと云う願望の顕われであり、その爲に自らの殻を破り、自らの外部に出て自らの例外となり、客観を得て異逆を綜合し、より高度な脱自態となる。より拡大炸裂する。それこそが小生らに問答無用に与えられたテーゼだとすれば、他人が小生に脅威であり、敵意があり、理不尽であること、世界が無道であることは道理に適ったことなのである。
この客観の極みはあらゆる主観性を超越し、やがては空に達するのであろう。なぜならありとあらゆる意識、他者性の顕在とは、我と云う想い、我がものと云う執著に因して成立するからである。それらが究極の脱自により霧散すれば、無分別無差別な空に移行することは必定ではないか。
我執の寂滅であり、敵をも愛することに繫がる。
そう考えた瞬間、小生は肉体の殻を脱いで自由となった風の気概に襲われた。かろらかに、身が蒼穹となったかのように、涯しのない清澄となり、あらゆる重さをなくし、不死を覚えた。受難を超克した殉教者のように、無辺なる法悦の恍惚を以て超然とする。天頂から雲海を見渡す無際限の自由であった。筆舌に尽くせるものではなかった。烈しい陶酔を覚えた。
だが。
茶室は日暮れて薄暗くなり、小生は既に現實に戻っていた。かろらかの境涯は疾くに去っていた。
陶酔はわずかな時間で終わったのである。
小生は早くも自らが今さっき得た境涯を否定し、焦慮の情態へと復帰してしまっていたからである。これもまた執拗に問い糾さねば気の済まぬ性分、細密に、精細を以て常に閲せねば安心できぬたちの成果であろう。残虐な科學性を以て無慈悲に刹那の幸福を捉え、それが醜い哀れなものであることを暴くまで執拗に解析しなければ気が済まぬのだ。性癖が小生に強要するのだ。内奥からの神経性の強迫と言ってよい。
恐らくは喪うことが怖いのだ。だから自ら裂かずにいられない。たぶん不安物質が脳髄に分泌され易い体質に生まれ附いているに違いないのだ。だから幸福感が赦せぬ性癖を做すのだ。
これが解剖學的気質の意匠に隠された人間的、生理的な動機だ。休む間もなく次々と猜疑の心情を小生の胸中に構築するのだ。そして小生ながらのこの自然の摂理もまた、現在への不安や猜疑から現状の安定に不均衡を齎し、到達した現形からさらに脱皮しようとしていると捉えるならば、やはり根底に超越への志向が何らかの関与をして蠢いていると見るべきであろう。
さてその猜疑の内容であるが、それはこの超越運動が小生の自由意志でなく、小生と云う自然現象の自律的な動きであるという点にあった(だがそもそも小生の意図した意識がいつあったか。なかったではないか)。
超越の狂裂拡散が生存の本欲である以上、これが生存と云う自然現象の上にあることは、当然と言えば当然である。我々は有機物の化學的反応の上に刹那的に構築された現象である。いかなる意向も諸細胞から発する他はない。何をか欲しようとも、いかようにか考え、企み、何をか志向しようとも、すべては同じことでしかない。
これはほんとうに解脱なのか。自家撞着を遁れても、ただ次の絡繰りへと絡め捕られに逝くだけのことではないか。
根本は何ら変わっていない、一つの段階を終えて次の段階に移るだけのことではないか、新しい絡繰りに改めて嵌まるだけなのではないか。
慥かに生は拡大し続けようとしているかもしれない。陋劣を解脱しようと欲するのかもしれない。自家撞着を超克しようとするのかもしれない。だがその意志は誰が生み出したのか。少なくとも自分ではない。いかな意欲もインパルスでしかない。諸細胞の働きでしかない。化學的な現象の上に成り立っているのである。
小生を自家撞着の罠に絡め捕った力と同じ力が小生を運ぶに過ぎないのだ。同樣の自然の摂理による、生存の原理の上での出来事である。たとえそれが自家撞着の超越であったとしても、本質的には自家撞着に翻弄されているのと同じなのである。
だが諸考概は無効ではなかったか。しかしそれを言ってしまえば最初から問題などなかったのだ。それでも晰らかに實存的に苦しみはある。小生らはこの現實を實地で往くしかないのである。
それにまた同じ生存の原理上にあるからと言って超越後のそれが不幸なことだとは限らない。自家撞着さえ超えられれば、人における幸甚なのかもしれない。逝ってみなければわからない。想像するのみでは無意味だ。
だがその前に、いったい、どうやって自家撞着から遁れられるのか。
すなわちここにまで論を運ぶ必然がないのではあるまいか。自家撞着の超越など現實問題として考えられようか。ありもしない夢の餅菓子を目の前に餌としてぶら下げられているようなもの、これ自体が一つの自家撞着、自家撞着が小生らを駈るその構造と同じではないか。
仏教ですら生存中の解脱は完全な解脱ではないと説いている。生命維持の爲に食や呼吸を要するからである。合致要請を完全に捨てたとは言い切れない。仏陀その人でさえ、死の病に斃れたとき、涸渇して水を所望したと伝えられるではないか。
仏陀が渇喉を癒す爲に水を乞うた。その自然の事實を志野焼きの膚のように、ありありと想う。
小生は微苦笑を禁じ得なかった。だがいずれにせよ、絡繰りからいくらかでも脱し、たとえば人間が類人猿などに比べ、いく分か生存の絡繰りから自由であるように、今の人間より少しでも高次となれれば、ましになれる可能性がある。『まし』であれば、『まし』でないよりは、『まし』な筈だし、苦しみに遭う者にとってすれば、治癒でなくとも鎮静剤がどれほどありがたいものか。
だが哀しいかな、小生はと言えば、観念ばかりが先走り、その『まし』にすら到底及びもつかない。兆しすら見受けられない。
依然として彼女が小生とは異なる存在者であることを、小生の意向を疎外し、一瞥さえもくれない他者であることを、触れることすらかなわない、異なった事象であることを受諾できない、彼女が誰彼を愛そうが彼女の勝手であって、小生の拠り縋るべきところではないわと笑えないし、彼女と彼とを祝福するなど、絶対に心が従わない。
茶室に端坐し続けるのみであった。一歩も進捗しない、惨めな小生がただ独りここにいるだけである。
彼女が彼を愛し、彼らが睦み抱き合う姿を想像すれば、胸破る憤激や自暴自棄な哀しみに引き裂かれずにいられない小生が独り、暗くなった茶室で、微動もせず蕭然としているのみであった。
かくて半年、家業を手伝う。その間、各社新人文學賞に応募したりもしたが、第一次選考の壁に阻まれ、既に小説家への夢は果てていた。骨董もまた愉しからずや。日々は安穏であった。現實から眼を逸らし、麻痺し、夢遊病に陥ればよいのである。これもまた逸品の缼けたるに似て、妙観が刀のごとくおつならぬものかは。
さて。かく翳り帯たる幸福に浸され、自らを樂しみ憐憫し、寂寥と憂鬱との甘美に抱かれながら過ごす日々にも慣れ、茶陶に凝り出し、土味がどうのと言い始めた頃のことである。
何の用事があってそんなことをしたものか、はや憶えてはいないのだが、或る日小生は書斎の隣室にある桐の戸棚を開けた。別段珍しいことではない。普段からすることだった。一々理由を憶えていないくらいに。
そこには代々収集した茶陶が蔵されている。箱に収められた上に袋に入れられたものから、ただ紙に包まれたもの、剥き出しのまま置かれたもの等々のある中で、志野焼に目が留まった。手に取る。傾けたりしながら、景色を眺めた。
粘土を踏み圧し空気を抜いた上で捏ねて整形し、釉を塗って重ね、窯を以て高温で焼いたに過ぎぬものである。ただの焼かれた土である。冷えた感触が掌や指尖にある。凹凸の起伏の感じがある。
経緯もなく余りに唐突に、奈良の大神(おおみわ)神社の記憶が甦った。千鳥唐破風の拝殿の奥尖には、ただ脇鳥居を左右に附した三輪鳥居があるのみで、その後には磐座を有す三輪山が聳えるばかり、本殿のないさようなさまがまざまざと泛んだ。
志野陶の気泡の抜けた跡や釉薬の罅などが草や木や土や磐や雫や蛇や蟋蟀や風や靄であった。風雪の過ぎ去った幾星霜もの跡であり、儚い雑草や昆虫の短い生涯の繰り返しであり、黙して語らぬ大樹の威圧の古厳であり、それら自然は謂わば途方もなく古い存在である。驚嘆すべき老巌である。幾星霜をも経た者のみが持つ古薫を燻らせ、幽玄の雲気を雰かしめる。人間の言説考概を寄せ附けぬ神威を帯びた彼の實存的な叡智は小生らの持つ諸考概の空架な装甲とは遠く隔たった、實在するFORCEとしてあり、眞の燦芒たる光射を放つ聖の聖なる叡智であった。
あなたの天叡をお与えください、小生ら人間はどこまで逝こうとも、この廻りから逃れられぬのです、何卒お救いを、理叡ならぬ天叡を、實存する眞なる叡智をお與えください、苦しみと不安とに苛まれ、烈しき憂鬱に簒奪され、凄まじき妄情に憑かれたる魂に平らかなる清爽を、光芒を做す恩寵をお啓き示しください。
小生はそう懇願した。だが厳かなる古老は軽らかに笑う。
『愚かな。おまえは何を言うか。わしに實存を訊くと申すか』
『そうです。逝にしへなるあなたが薫らせる古く深い馨、言説論議に拠らざるがゆえに動ずることなく、實體ある實存の、實存と云う名の叡智を哀れな小生にご分與ください』
だが巌は手を振って物憂げに顔を背ける。
『愚かなことを喚くもの哉。古今東西いずくにか實存たる叡智のあらんや。頑是もなくもよしなしごとを申すものよ。太古より存在せし者に厳粛なる實存の天叡があるとおまえは言う。だがそもそも實存とは何か』
『とても言葉にはできません。本質性を抱く諸考概には嵌らないものだからです。諸考概は本質のエクステンション(延長)です。しかし實存は依拠すべき本質を持たず、非情の切實性で人間を領し、常に現實問題として是非もなく人間に選択を迫ります。
考概としての存在でしかない人間にとっては、それは真正しく『非』です。但し考概の『非』ではなく、『非』と云う考概に本来期待されるべき、『非』にすらも非ざる非情の城壁のよう聳えています。
だから實存は小生らをして限界を超えた畢竟の脱自へと導く。小生ら脱自を志向するとも無限輪廻でしかない自己超越の繰り返しによる生存の絡繰りからは遁れられません。なぜなら何も彼もがこの脱自運動永続化への志向でしかないからです。諸考概がこれの爲の罠でしかない。先に脱自志向があってその爲にその後、全てが構築されているのです。到底人間の智慧では遁れられません。教えてください』
『愚か者が。ならば教えようがあるか。そもそも知らんわ』
『逆に言えば、それが事実として存在するときの空の現實的な存在の仕方ではないでしょうか。空と云う本質考概には嵌まらない、理叡が做す本質ではない、事実的な空の在り方とはそう云うことではないでしょうか。非知です。なぜなら事實は非理叡的であろうとも非情なまでに厳粛なる事實としてあります。
非れば眞。それが現實と云う積極的なFORCE、事實として實存するリアリティ、是も非もなき事實でありませんか』
『だがそう云う空もおまえの思考の産物であり、理叡性に支えられ、構築されたものではないか。
呆れ果てた奴よ。人間どもの相も変わらぬ舌戯、いつもながらの堂々巡りではある。空転する絡繰りを駈る愚昧な鼠のごとくに永劫に幻想を弄って戯れ、無爲徒労に倦むをも知らず、空想を玩ぶ。愚かな。
世にあるは只管現實のみぞ。それ以上もそれ以下もあるか。しかしそう説いてもおまえらは更に現實を考概にして舌戯に替えてしまう。「現實が答だ。つまり答はない。我々はその都度、対応するしかない。それが答だ」と。そう云うやり方しか知らんのだ。やめろ、やめろ。さような舌戯、聞きたくもないわ。重壓で狭苦しく煩わしさと苛立った空燥と苦患と疲弊とに満ち盈ちておるわ。實存じゃと?
おまえには未だわからぬか。さまでも申すぶざま、あたかも摩訶般若波羅蜜多心経神咒の義を叙さんとするかの哀れ』
羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯帝菩提沙婆訶
小生は既に廊下を歩いていた。既に下駄を突っかけて庭に出ていた。
すなわち既に茶室へと向かっていた。坐す。炭を熾し、茶釜を掛けた。炭斗から炭を取り出す。香を炉にくべた。野雁の羽箒の下に隠れていた桑柄の火箸を指にはさむ。湯気が立ってきた。碗を擱く。棗を開けた。竹の茶杓を捜す。
白竹一本樋の、中ほどに竹の節がくるよう誂われ、蟻腰という見掛、丁寧に漆拭き爲れたその竹箆は棗を包んでいた裂の傍らの畳の上に落ちていた。