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(続き)本文その5

 碗に茶筅を廻した。

 床の香炉から情ない煙が昇っている。香合や花入れが置かれていた。眼を落とす。金襴の(きれ)地で作った仕覆(しふく)には棗が入っていた。濃茶だからだ。一服する。

 曾祖父が興した家業をようやく手伝うようになって数ヶ月余りで古陶磁講座を開設するなど、尚早を超えて驕慢だと云うのはわかり切ったことであった。

しかし畢生の思想を若き血潮に伝えんとの思い止みがたく熾った過日、ビラ数枚を貼せずにいられなかった。応募者は一人、五十代半ばの呑気な独り者で、近隣の乾物屋の親爺であった。


 小生数え二十歳と云う年齢を鑑みるならば、若人とは当然十七、八歳を上限とする年少者を指すが、ないよりましよと自らを叱咤激励し今日に至るも、終に去られてしまったわけである。講座は二月を待たずして廃れた。


 躙口をくぐり外に出、井戸や手水鉢や石灯籠やらを左に見ながら四つ目垣の中門を通り、内路地から外路地に渡る。

 延段を過ぎって無人の腰掛待合を右にし、母屋に向かった。


 内玄関から入って店舗の方に廻り、番台にうずくまるように店を看ていた婆さんに声をかけた。

「もう今日はなくなっちまったよ。俺が替わるさ、婆ちゃん」

 祖母に見上げられた。眼を細めて皺に埋めている。哀しくなった。

「ありゃ。ええんか。すまんのう。ほいじゃ、そら。やれ、よっこさぁ」


 黒い床板の上に婆さんが敷いていた海老茶色の坐蒲団に坐った。ガラス戸越しに通りを見遣れば、路を挟んだ向かいの煎餅屋にも婆さんが坐っていた。通りは竜呑神社の参道に繋がっている。その逆を行けば旧街道とぶつかり、道は丁字路となっていた。蕭寂雨が降り始める。


 寂れた店であった。骨董屋だから古臭いばかりなのは仕方ない。

『恩顧士結城春深堂』とは、鎌倉の持氏卿が室町将軍義教公との会戦に敗れ、嫡子義成ともども切腹に果て、次男三男らが下総の結城氏朝の城に逃れると、持氏恩顧の武士ども呼ばれずとも結集し、永享十一年より嘉吉元年の四月まで籠城したと謂う故事に由来すると云う。


 なぜならば我らが祖先もまたこれに参じ、陥城の憂き目に期せず命を助かり、遁れ遁れてこの龍呑の地に落ちたがゆえに、と言うのだが。何か理不尽である。

 以前より地方豪族であったと謂われるは、代々村の豪農であったことがまず確かなので、そんなこともあろうかとも受け流せるが、結城の城の合戦まで言われると得心しかねる。


 要はどうも読本臭いのである。


 と言うよりか文化年間に購入したと思われる和綴が我が家に残っており、その出だしがとてもよく似ているのだ。


 本は今も店内に飾ってあり、売物ではないが、ガラス棚の中で客の閲覧に供されている。

 有像(ゑいり)読本の肇輯(ぢゃうしゆう)五冊で、閲覧用に開かれた頁は総目録、その末尾に『肇輯(ぢやうしゆう)題目(だいもく)通計(つうけい)一十回(いちしうくわい) (まつたし)』とされている。


 曾祖父の道樂が嵩じ、田畑を蔑ろにしてまでも成した骨董屋がその扁額を古瓦の上に掲げたのは大正十五年のことである。『恩顧士結城春深堂』の名を決めた曾祖父にしても父祖らの言葉を信じたまでに過ぎないのであろうが、わかっていながら諧謔的に附したのかもしれないと思えなくもない。


 遊郭に通っていたのか、遊郭から家に通っていたのか判然とせぬような人だったと謂うし、酔狂で、と云うのもありかとも想う。小生がかくあるもその血筋か。


 因みに曾祖父の父と云う人が念仏屋と呼ばれるくらいに眞宗に熱心な御仁であったのにと囁く人もあったらしいが、その寺の娘を娶ったことを思えば、さほどではない。


 祖父天児郎(あまじらう)は老鬚を蓄え、豪胆な人でもある。

 今日もまたいわれの知られぬ茶陶に大枚を叩いて帰って来た。午後八時を過ぎており、表戸を閉めた小生が落語のCDの音量を絞りつつ、ガラス棚を眺めていたときのことである。唐突に、

眞兮(まことや)、これを見ろ。信樂(しがらき)だ」


 珪石や長石を多く噛み、あちこちに石はぜを做す蕪雑さ、ぷっくり膨らんだ火ぶくれ、荒々しい火割れ、灰なだれが焦げ附いてできた深玄な無骨顔のこげ、降り被った松灰が溶けて流れ出し、自然釉となるが、松灰に含まれる鉄分が青緑を做し、長石と融け合ってガラス状のビードロ釉となっている。白い長石が做す蟹目の藪にらみ、ふりものの被さる火色は溶岩にも見える。


 たとえば諸氏が今紙製本を覧じておられるならば、それを眇めるようやや斜めにして光を乱射せしめられよ。微か繊維のいくらかの燦めくが見えるであろう。それが小生の眼のあたりにする陶の膚である。


 インク印刷の活字で(正確に言えば活字ではないが、まあ、印刷文字のことだと適宜に読み替えてください)読まれているならば、そう云う活字を做すインクとして眺ぜられよ。

 紙繊の上の点綴たるさまや(ぎやう)が信樂の景色である。

 小生が龍安寺参ぜる折の頌句を此處に吟じて曰く、


ぐわてゑゐぐわてゑゐぷわらぐわてゑゐぷわらすわんぐわてゑゐばふでゑゐすぶわふわ    


 さて、小生かくも()の信樂を凝視し続けつも、こちらを眺めている祖父の微笑をも頬の皮膚に感じつつ、かつ怯むことなく、相変ることもなく、止むこともなく只管に眉間に皺を寄せ、力み続ける。


 あなや、我が事ながらも少しの進歩すらも見られぬわと思わざるを得ぬ哉。すなわち妄りに執して一喜一憂、一向融通なし。それまた善しなどとは言わぬつもりも、これまた妙義ならずや。白竹(しらたけ)一本樋(いっぽんひ)蟻腰(ありごし)の見掛。


 いや、さりとても、さてもさまでも可笑しきものか、耄碌数寄者(すきじゃ)。小生鹿爪らしき面が堪らんらしき風。いやはやそれもそれ(これ)(また)善哉とすべしか。



                              (まったし)

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