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9.この世界で生きる覚悟というもの

 私が『イセオト』の世界にやって来て、早くも三ヶ月が経過した。

 私が言い出した服飾店への支援策は、おおむね上手くいっているらしい。聖女として呼び出された私には隠れた才能があった……という訳ではなく、宰相補佐官であるヘンリーがきちんと形にしてくれたおかげである。


 ほぼほぼヘンリーの手柄であるにもかかわらず、しかし彼は「聖女様のご提案のおかげです」と吹聴しているらしい。そのことをルークから聞かされた時、私は眩暈を覚えたものだ。

 申し訳ないと思うものの、おかげで過ごしやすくなったのも事実で、きっとそれも含めてヘンリーの策略なんだろうなと思うことにしている。


「聖女であるレイ様が着用しているということに加えて、売上げが激減した店舗への支援に繋がるということも、付加価値だと思われたようです」

 今回の政策に関する中間報告の場で、ヘンリーはそう言った。

「最近では庶民向けの商品を部屋着として着用することが、貴族の間でちょっとした流行りになっているらしいですよ。聖女様効果ですね」

 付け加えられたその言葉に、私は思わず赤面してしまった。


 この策が上手くいったおかげで、服飾店以外の店についても同じような支援が行えないかという方向で、現在議論が進んでいるらしい。議会で話し合われているのであれば、〝失業者数を増やさない〟という点に関しては、私が口出しすることはもはやないだろう。

 ならば次は……と、自室の机に向かって、私が思いつくことを紙に書き連ねている時だった。


「レイ様、ヘンリーです。ただいまお時間よろしいでしょうか?」

 部屋の扉を叩く音に続いて掛けられたその言葉に「どうぞ」と返すと、ヘンリーと共にルークが部屋へと入って来た。ルークは手にティーセットを乗せたトレイを持っており、ほのかに漂う香りから、それが以前私が好みだと言った紅茶であることが窺えた。

 

 しかし、私の言葉を覚えてくれていたことにお礼を言おうと顔をあげると、二人がなんとも言えない微妙な表情を浮かべているのに気がついた。

「どうしたの?」

 思わずそう尋ねると、おずおずといった様子でヘンリーが口を開く。

「レイ様、そのお姿は……」

 その言葉に、自分が元の世界で愛用していたよれよれのTシャツを身につけていることを思い出し、思わず立ち上がる。

 庶民向けのワンピースですら「肩が凝るな」と感じてしまった数十分前の私が、クローゼットの中から勝手にこのTシャツを引っ張り出してきた訳だけれど、さすがに人前に出るにはだらしのない格好だと思う。


「あ、ごめんなさい。誰かに見られると思ってなかったから……。着替えて来ますね」

 そう言って慌てて侍女に声を掛けようとする私の腕を、ヘンリーが力強く掴んだ。

「本当に、申し訳ありません」

 そう言うヘンリーはなぜか悲痛な顔をしていて、頭の中に疑問符が浮かぶ。


「何に対する謝罪ですか?」

「レイ様の同意を得ることなく、この世界にお呼び出ししてしまったことに対してです。謝ってすむ問題ではありませんが、心からお詫び申し上げます」

 ……どうやらヘンリーは、大きな勘違いをしているようだ。

 ただ「楽だから」という理由で着用しているこのTシャツは、ヘンリーからすると重大な意味を持つ物のように見えるらしい。

「深く考え過ぎだよ」と呆れる気持ちもなくはないが、おそらく日常的なドレス生活を回避するために私が口にした「制服という文化を通して故郷との繋がりを感じていたい」という発言が、彼のこの発言に繋がっているのだろう。そう考えると、むしろこちらこそごめんなさい、 だ。


「全く気にしなくて大丈夫ですよ。私は『呼ばれたのが自分でよかった』と思っていますから」

「……どういう意味ですか?」

 訝しげな目線を向けるヘンリーに、「本当に気にしていない」ということが伝わるように、私はなるべく淡々とした口調で言葉を続ける。

「私には、帰りを待つ人がいませんから。そうでなければ、なんとかして元の世界に帰ろうとしたでしょうし、こんなにすぐに心を切り替えることはできなかったかもしれません」


 私が「この世界に呼ばれたことに意味を見出したい」と前向きな気持ちでいられるのは、元いた世界に執着する理由がなかったからだ。

 そう考えると虚しいような気持ちがしないでもないけれど、どうせなら「よかった」と思っていたい。それが家族であれ恋人であれ、私が姿を消すことで深い傷を負う人間がいなくて、本当によかった。


「ご家族は……?」

「家族とは疎遠にしていました。仲の良い友達はいましたが、それだけです。『絶対に帰らなくては』と思えるような居場所が、私にはなかったんです。だから、私でよかったなって」

 本心からそう言うと、目の前のヘンリーが苦しげに顔を歪めるのがわかった。

「やだな、そんな顔しないでくださいよ。それでもそれなりに幸せに過ごしてたんですから」

 意識的に明るい声でそう言ってみたものの、ヘンリーはそのまま黙り込んでしまった。


「私は……私共は、レイ様を聖女としてお迎えできたことを、心から嬉しく思っております」

 空気の音が聞こえそうなほどの沈黙を破ったのは、他ならぬヘンリーのそんな言葉だった。

「急に知らない世界に連れてこられて、泣き喚いたって不思議ではないのに、我々のために策を講じて、そして成果を上げられている。正直なところ、ここまでのことを聖女様に求めるつもりはありませんでした」 

「……褒めすぎですし、今後も上手くいくとは限りませんよ?」

 さすがにむず痒く思ってそう伝えてみたものの、ヘンリーは即座に「この世界を良くしようとしてくださっていることが、今の我々にとっては重要なのです」と言った。


「レイ様から与えられてばかりでは、こちらの気持ちがおさまりません。ですからどうか、私達からはレイ様の帰る場所を提供させてください」

 視界の端では、黙って立ち尽くしていたルークが少し驚いたような顔をした後で、首を大きく縦に振ったのが見えた。

「言葉遣いも、もう少し楽にしてくださって構いませんよ。最初にお会いした時の姿が、本来のレイ様に近いお姿なのでしょう?」

 ヘンリーのその言葉を受けて、「レイ様は僕の妹みたいなものですからね」とルークが言った。冗談めかした口調ではあったものの、その言葉は「私を受け入れてくれているのだ」ということが感じられる響きを有していた。


「……ありがとう」

 この世界はゲームの世界ではない。私がこれから生きていく現実世界であり、この世界における私の居場所はここなのだ。

 彼らの言葉を聞いて、私はようやくそのことを受け入れられた気がした。

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