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40.私達はこの世界を生きる

 結局、「聖女をかの国に献上するか否か」という官僚間の対立を発端とする騒動は、あっけなく幕を閉じた。

 王宮内で働く人々からの嘆願書、王宮兵団からの通告、そしてかの国の国王からの手紙を無視することなどできる訳もなく、「聖女をかの国へ献上すべきだ」と言っていた官僚達は、早々に主張を取り下げたという。


 こちらが脅迫する間もなく事態が収束したものだから、ヘンリーが旧書庫で発見したあの資料は、騒動から半年が経過した今も、私達以外にその存在を知られることはなく、元あった場所に眠っている。

 私にとって不要となったそれは、またいつの時代かの聖女が必要とする時を、静かに待ち続けるのだろう。


「……ということで、今期の農作物の収穫量は、例年並みであると見込まれています。『危機は去った』と言って、差し支えないかと」

 私に向かって説明をするヘンリーが資料をまとめる手元をぼんやりと眺めつつ、私は「そう、よかった」と返事をする。


 私がこの世界に来てもうすぐ二年が経とうとしている。

 ヘンリーから見せてもらった資料によると、異常気象がもたらした〝国の危機〟は、乗り切ることができたと言ってよい状態にまで回復しているという。当初恐れられていた経済の落ち込みも、倒産した店や失業者の数の増加もなく、被害は最小限に抑えられたようだ。

 そこに私がどれだけ寄与できたかはわからない。けれども、長いような短いようなその二年間は、私が生きてきた中で最も濃密な二年間だったと言えるだろう。


「本当に、レイ様のご尽力のおかげです。改めて、私からも御礼申しあげます」

 そう言いながら頭を下げるヘンリーを前に、私は大きく息を吐く。

「役に立てたみたいでよかった。こちらこそ、たくさん助けてくれてありがとうね」

 そう言って笑いかけると、ヘンリーが愛おしいものでも見るかのような視線を向けてくるものだから、なんだか恥ずかしくなってしまう。

「これで私も、お役御免って感じかな?」

 照れ隠しにそう言うと、ヘンリーは口角を僅かにあげて「まさか」と答えた。


「レイ様はもはやこの国にはなくてはならない存在です。現に明日も、王宮兵団の叙任式への出席が予定されているはずですが?」

「……そうだったね。午後からだったっけ? なんだか緊張しちゃう」

「どうしてレイ様が。先程ウィリアム様にお会いしましたが、彼は普段通りでしたよ」

 ヘンリーの言葉を聞いて、「まあウィリアムならそうだろう」と容易に想像がついた。


 明日の叙任式で、ウィリアムは近衛兵の兵隊長に任命される。

 私がこの世界に召喚される以前から、実力だけを見れば兵隊長レベルだと言われていたウィリアムの昇格が決まったのは、周囲の兵士達との関係性が改善したところが大きいと聞いている。

 現に私も、他の兵士達の輪に混ざるウィリアムの姿を、何度も目にしてきた。任務に真摯に取り組む姿勢はそのままに、相手の言い分に耳を傾け、自分の考えをきちんと言葉で伝えようと尽力するようになったウィリアムは、きっと良き上司になるのだろう。


「今日はこの後、何もないんだっけ?」

「ええ、この後はご自由にお過ごしいただいて構いません」

「じゃあ、城下町に行きたいな。ノアにお祝いを買わないと」

「構いませんよ。それにしても、ノアが父親になるなんて、いまだに信じられません」

 そう言って苦笑するヘンリーに、「ほんとにね」と言葉を返す。


 少し前、いきなり「子どもが産まれたんだ」とノアから報告を受けた時には、それはそれは驚いて叫んでしまったものだけれど、そんな私を見てノアは「うるせえよ」と言いながらも幸せそうに微笑んだ。自信満々に、そして幸福そうに笑うノアを見て、なんだか胸が熱くなったのを覚えている。

 あのノアが父親になることに、なんだか不思議な気持ちが湧き上がることは事実だけれど、しかし彼はきっと立派な父親になるのだろう。孤児院の子ども達にも心を砕き、あれだけ好かれていたのだから。


 ゲーム『イセオト』の世界において、ウィリアムは兵隊長には任命されなかったし、ノアに子どもは生まれなかった。この世界の彼らは、『イセオト』のストーリーとは違った、ゲームとはまた別の幸せを掴んで歩み続けている。

 どちらの人生が彼らにとってより幸せなのか、それを決めるのは私ではないけれど、これもまた正しい道なのだと、それだけは胸を張って言うことができる。

 きっとこの先どんなことがあろうとも、彼らは自分の力で乗り越え、そして自分の力で幸せを掴んでいけるはずだ。たとえ隣にいるのが、ヒロインではなかったとしても。


「……私だから、呼ばれたのかもしれないな」

 そんな言葉が、私の口から不意に溢れる。


 恋愛音痴の私が、攻略対象者全員と友情エンドを迎えた私が、よりにもよってどうして乙女ゲームの世界に転移したのかと、ずっと疑問に思っていた。それこそ、神様的存在による手違いなのではないかとすら、思い続けていた。

 けれども、ゲームの中では攻略対象者とされていた彼らの現在の姿が、私に自信を与えてくれる。きっと私は、ゲームとはまた別の彼らの未来を紡ぐために呼ばれた存在なのだ、と。


 私は乙女ゲーム『イセオト』をプレイする中で、攻略対象者達と恋仲にはなれなかった。そしてこの世界でも、私と彼らの間に恋愛感情なんてものはない。

 しかし、だからといって彼らと私の間に何も芽生えなかった訳でもなければ、彼らと過ごしてきた時間に意味がなかった訳でもない。

 恋人ではないけれど、私は彼ら各々と良好な関係を築いてきたし、それは恋人としての関係と比較して優劣をつけるようなものではない。

 そしてきっと、私とこの世界の彼らにとっては、今のこの形が最善なのだろう。


「レイ様? 何かおっしゃいましたか?」

「ううん、なんでもない」

「それなら良いのですが……。そういえば、ルークが近々レイ様にご挨拶に伺いたいと言っていました。レイ様さえよければ、日程を調整いたします」

「え! 嬉しい! いつ頃なら会えそうかな?」

「……レイ様に他意がないことはわかりますが、そんなに嬉しそうにされると嫉妬してしまいますね」

 私の弾んだ言葉を聞いて、ヘンリーは拗ねたような口調でそう言うけれど、彼の瞳は嬉しそうに細められており、彼もまたルークのカウンセリングが上手くいっていることを、心から喜んでいることが見て取れる。


「……ねえ、ヘンリー?」

「どうなさいましたか?」

「この世界に召喚された聖女が、私でよかったと思わない?」

 この世界に来たばかりの頃、私は同じようなことをヘンリーに言った。あの時の私は、「姿を消すことで深い傷を負う人間がいない私でよかった」と、他の人が選ばれなくてよかったと、そういう思いでその言葉を発した。

 けれども、今はそうじゃない。


「私をこの世界に呼んでくれて、ありがとうね」

 私がここに来れてよかったと、そんな気持ちを込めてヘンリーの両手を握りしめると、彼は泣きそうな顔をした。しかしそれはほんの一瞬のことで、彼は真っ直ぐに私の瞳を覗き込みながら「レイ様と出会えたことが、私にとっては最大の幸せです」と答えた。

 そのままゆっくりと跪き、私の右手の掌に口づけを落とすヘンリーの姿を見ながら、私は心の中で「まるで王子様みたいだな」と思うのだった。

これにて作品完結です。

最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

今後の参考のためにも、評価や感想いただければ嬉しいです。

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