4.恋愛音痴な私と『王子様と異世界の乙女』
警察の力を借りてようやく三人目の彼氏と別れられた私を、友人はとても心配してくれた。
「怜の家も、相手には知られちゃってる訳でしょう? 危なくない?」
確かに、危ない。けれども、幼い頃に母とは死に別れ、現在実家には父と共に再婚相手の女性とその連れ子が住んでいる。「金は渡すがそれ以上を期待しないでほしい」と言って早々に私を家から追い出した彼らに、頼ることなどできそうにない。
「しばらく私の家にいな? せめて安全な引っ越し先が見つかるまで」
私と実家との関係を知る友人からのその誘いは、だからとてもありがたいものだった。
「……ごめん。迷惑掛けるけど、そうさせてもらっていい?」
「当たり前じゃん。なんか、ルームシェアみたいでワクワクするね!」
「家賃も生活費も、ちゃんと半分払うからね」
「え、まじで? ラッキー!」
そんな流れで始まった私と友人のルームシェアは半年程続いた。そしてその中で、彼女が大の乙女ゲーム好きだということも知った。
「生身の男が無理でも、二次元にならときめけるかも!」
お酒に酔った勢いで「私は今後の人生でもう二度と異性にときめけないかもしれない」と溢した私に、彼女はそんなことを言ってきた。
「合わないと思ったらすぐやめればいいんだし、初心者向けのやつ教えてあげる!」
そう言って彼女から勧められたのが、『王子様と異世界の乙女』だった。
「『王子様と異世界の乙女』ってタイトルなのに、攻略対象者の四分の三は王子様じゃないのね?」
「これだから恋愛初心者は……。好きになった相手はみんな自分にとっての王子様なんですう」
やれやれといった表情でそんなことを言う友人を目の前にして、「なんら共感できないなあ」と思ったことを覚えている。
そんな友人の一推し作品である『王子様と異世界の乙女』、通称『イセオト』と呼ばれるこの乙女ゲームは、全世界累計ダウンロード数五百万回超えの大人気の乙女ゲームだと聞いている。
その数値がどれほどすごいものなのか、知識のない私にはわからないけれど、乙女ゲームとは無縁の人生を送っていた私に、「これなら絶対ハマるから!」と友人が推しに推しまくるほどにファンの多い作品だそうだ。
友人によると、この世界で〝聖女〟と呼ばれるヒロインは、気に入った攻略対象者と恋仲になり、その人を支えることで間接的に国を危機から救うという役割を担うらしい。
「らしい」とは、どういうことか。念のために言っておくが、私もきちんとプレイした。全攻略対象者を相手に、合計四回真剣に彼らと向き合った。けれども、私は遂に国を救うことができなかったのだ。
理由は簡単。乙女ゲームであるにもかかわらず、私は攻略対象者と恋仲になれなかったのである。
初心者である私からすると「どういうこと?」なのだが、友人によると稀にこういった展開を迎える乙女ゲームがあるという。
『イセオト』においては、全ての選択肢において攻略対象者が求めるのとは逆の回答を続けることで到達するというこのラストは、通称〝友情エンド〟と呼ばれているらしい。
一つも間違えることなく、好感度の上がる選択肢を外し続ける必要があるということで、攻略サイトなしで辿り着くのは困難だとされるそのエンドに、なんと私は自力で到達してしまったのだ。
もちろん、狙った訳ではない。攻略者全員に真摯に向き合い、「私ならこう言うだろう」と真剣に考え、最も近い考えを選択した結果がこれなのだから、友人が絶句するのも無理はない。
「まあ、人っていろいろだからさ。怜の考え方が好きっていう男の人も、きっといるよ!」
友人はそう慰めてくれたけど、ここにきてようやく私は悟ったのである。私は恋愛音痴なのだ、と。
……さて、前置きが長くなってしまったけれど、問題はここから。
そんな恋愛音痴の私が、よりにもよって乙女ゲームの世界に転移してしまったかもしれないのだ。
転移先が唯一知っている乙女ゲームであることを喜ぶべきか、全ルートで友情エンドを迎えてしまったゲームであることを嘆くべきか、とりあえず今は考えないでおこう。
どちらにせよ、私に乙女ゲームとはなんぞやということを教えてくれた友人には、感謝してもしきれない。そうでなければ、私は突如として放り込まれたこの全人類顔面キラキラ世界に耐えることなどできなかっただろう。
「……レイ様? 大丈夫ですか?」
不自然に黙り込んでしまっていた私に、目の前のヘンリーが声を掛ける。
右手の人差し指で私の頬をそうっと撫でる彼の行動は、私が元いた世界でやれば一発アウトのセクハラだ。けれども、乙女ゲーム世界のフィルターがかかっているのだろうか、不快感はなかった。
ヘンリーから漂う柑橘系の香水の香りに、「これほどはっきりと嗅覚が働いているのだから、夢と言い切るのがいよいよ困難になってきたぞ」などと、別のところに意識を持って行かれていたからかもしれないが。
「いえ、ごめんなさい。驚いてしまって」
「こちらの都合でお呼び出ししましたからね。無理もないでしょう」
「ちなみに、帰ることって……」
「……歴代の聖女様は皆、問題が解決した後も自分の意思でこの国に留まられることを決断されたようなので、前例はありません。……もちろん、可能性はゼロではありませんが」
暗に「帰れない」ということを、ヘンリーがばつの悪そうな表情で告げるものだから、覚悟を固めるしかないだろう。
「……わかりました。〝聖女〟がどういう立場の人間か、先程ルークから話を聞きました。力不足かもしれませんが、精一杯務めさせていただきます」
元々、家族とは折り合いが悪かったのだ。仲良くしてくれていた友人に会えなくなるのは辛いが、私がこの世界に来たことで大きく人生が狂ってしまう人間もいないはずだ。
「ご理解感謝いたします。聖女様にはこの国の〝平穏の象徴〟として過ごしていただきますので、ご不便をお掛けする場面は少ないかと……」
「いえ」
「え?」
「精一杯務めさせていただきます。よろしくお願いいたします」
今までの聖女にとっては、攻略対象者である彼らと親睦を深めることこそが、この国に呼び出された意味だったのだろう。
けれども、恋愛音痴の私はそうもいかない。私が彼らと親睦を深めたとて、恋愛関係に発展しないことがわかっている以上、そこに意味があるとは思えない。私が攻略対象者と恋仲になって、間接的にこの国の危機を救うことは早々に諦めよう。
しかしだからといって、〝この国の危機を救う〟という、聖女としての役割全てを放棄するつもりはない。
「せっかくこの世界に来たんですから、私が呼ばれたことに意味を見出したいと思います」
聖女として呼ばれたからには、きちんとその役割を果たしたい。そう、たとえ乙女ゲーム的な展開にならなくとも。