決意
6月中旬 阿波国 芝生城
阿波・芝生城。
初夏の朝靄がまだ城下に残る頃、馬の蹄音が門前に響いた。
「長頼様だ!……戻られたぞ!」
門番の声に、駆け寄る者たちのざわめきが広がった。
長頼は泥と汗にまみれながらも、鞍から軽やかに飛び降りると、迷わず城内へと足を向けた。
「千熊丸様は……」
「主殿は大広間にて、皆を集めてお待ちです。」
──「お待ち」?
それが意味するものを、長頼はすぐに理解した。
城に着いたその日、十歳の少年が皆を「集めて待つ」とは──すでに、構える覚悟があるということだ。
* * *
大広間には、若干名の家臣が揃っていた。
その中心、畳の一段高い上座に、千熊丸──三好長慶が、まっすぐに座っていた。
「……長頼、よく戻ってくれた。」
澄んだ声は、道中で聞いたものよりさらに落ち着きを増していた。
少年の眼差しは、もはや「主君」と呼ぶにふさわしい風格すら漂わせていた。
長頼は、一瞬言葉を失い、跪いたまま顔を上げられなかった。
「父上は……?」
「……ご最期でございました。」
言い切った声は、震えてはいなかった。
だが、涙を飲み込むように、一文字に結んだ口元がわずかに動いた。
「敵に討たれたのではなく、自ら戦場に残られたと……」
「はい。
……殿は『時間を稼げば、息子たちが三好を再興する』と申されました。
自らが死ぬことで、一揆勢の矛先を堺に留めようと……」
言い終える前に、長頼の声が詰まった。
千熊丸は目を閉じ、静かにうなずいた。
「……それが父上の選択ならば、我らはそれを『勝ち』にせねばならぬ。
父上の死が、三好を再び動かす“礎”だったと、世に示さねばならぬ。」
大広間に、少年の声が凛と響いた。
家臣たちは押し黙ったまま、その姿を見つめていた。
十歳の子が、泣きも叫びもせず、父の死を受け止め、次なる一歩を語っている。
その姿に、かつて元長の背中を追っていた男たちが、今、別の背中を見つけ始めていた。
「……長頼。」
「はい。」
「これより我らは、三好の名のもとに再起する。
まずは……淡路を押さえる。敵の補給線を遮断し、こちらに隙を見せぬ体制を整えよ。」
「はっ!」
長頼の声に、もはや迷いはなかった。
この少年の下でなら、再び戦える──そう確信していた。
そしてその場にいた誰もが思っていた。
──この少年こそが、三好を背負う「天下の器」なのだと。
三好千熊丸。
その名が、「長慶」として世に鳴り響くまで、あと幾ばくもない。