母の祈り
大永元年。阿波国。
この地を流れる「四国太郎」のほとりに、身重の女がひとり、数人の侍女を従えて熱心に祈りを捧げていた。
身なりは上品で、裕福な家の出と見える。腹をさすりながら、祈りの言葉を心の中で何度も繰り返していた。
(どうか、この腹の子が無事に生まれますように……!
そしていつの日か、長き三好の一族の名を、後世に残す男となりますように――!!
それから……他のおなごどもより、もっともっと、殿のご寵愛を賜れますように!!!)
この女、名を「お春」という。
後に名を轟かせる三好兄弟の母となる人物であったが、今はまだ、夫・三好元長の浮ついた心に嫉妬しながら、ただひたすらに腹の子の無事を祈る、健気で可愛らしい女であった。
やがて、四半刻ほど祈り続けたところで、付き従う侍女のひとりが小声で諫めた。
「これ以上は御身体に障りますゆえ……」
お春は名残惜しげに手を合わせたまま、侍女たちに付き添われて立ち去っていった。
* * *
それから数ヶ月後。
阿波国・三好郡芝生にある芝生城にて、ひときわ力強く、そして可愛らしい産声が上がった。
生まれたのは、千熊丸――
のちに「三好長慶」と名を改めることになる、四国が生んだ偉大な男である。
母・お春の祈り通り、彼はやがて三好の名を天下に轟かせることになるのだった。
……なお、もう一つの願い――「殿のご寵愛をさらに賜れますように」――が叶ったかどうかは、事あるごとに祈りを捧げられた「四国太郎」のみが知ることである。