長慶の願い
天文4年(1535年)正月 阿波国・芝生城
「あけましておめでとうございます」
正月の祝賀に、三好本拠・芝生城には多くの家臣たちが集った。
その年の年始挨拶を最後に、三好長慶は自らは今後、畿内・越水城を本拠とすることを告げた。
「来年以降、私は畿内にて年を越す。だが、皆は変わらずここ芝生に集ってくれ。実休を中心とし、三好を支えてくれるよう頼む。」
一人一人に、目を合わせて語りかける長慶の言葉に、家臣らは皆、深く頭を下げた。
やがて宴が始まる。
「去年は、皆よう励んでくれた。今年からは三好の体制が大きく変わるが、皆の力があれば、我が家はさらに強くなる。さて――ここからは無礼講よ。好きに飲み、騒ぎ、食え!」
長慶がそう高らかに告げると、座にどっと笑いが広がった。
その賑わいの最中、長慶はそっと兄弟たちを奥の間へと誘った。
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部屋に集まったのは、三好四兄弟――
不安げな表情の実休。
どこか誇らしげな笑みを浮かべる冬康。
そして、頬をぷっくりと膨らませ、不満気な末弟・一存。
それぞれの想いを胸に、円座に並んで座った。
「どうした一存。そんな顔をして?」
先ほどの公の顔から一転して、兄としての柔らかな声音で長慶が尋ねると、一存はまくし立てるように言った。
「それは――兄様が!戦に連れて行ってくれないし!讃岐にも全然来てくれないし!畿内に移っちゃうからでしょ!!」
あまりの大声に、隣の冬康が耳を押さえて頭をはたく。
「うるさい!全員に聞こえてるだろ、少しは落ち着け!」
「なにさ!冬康兄ぃは、兄様の近くに行けてズルいじゃんか!」
「ああ?兄上の決定に文句でもあるのか?」
売り言葉に買い言葉。弟二人が言い合う様子を横目に、実休がぽつりと呟いた。
「兄上様……本当に、四国を私にお任せくださって、よろしいのですか……?
康長叔父や、一族の重鎮でもなく、私などで……」
いつも真面目な顔が、青白くなっていく。
「兄上様が不在の間に騒乱が起きてしまい、支援が滞ったら……もしもの時に私は……」
言葉を重ねるたびに、実休の声は小さくなり、肩がわずかに震えていた。
そんな弟に、長慶はそっと近寄って、頭を撫でた。
「実休。兄が任せたのは、兄弟だからではない。お前が“できる”と信じているからだ。
優しい実休。お前は心配性なところが嫌いだと言うが、兄はそこが好きだよ。
心配するから、備える。心配するから、周囲に気を配れる。そんな男に任せたいと思った。」
実休は言葉を失い、じっと兄を見上げた。
すると、その隣から、そっと声が割り込んできた。
「兄様!じゃあ僕は!?僕のどこが好き!?」
嬉しそうに頭を突き出してくる一存。その後ろでは、冬康が盛大にため息をついていた。
あまりにも愉快な弟たちの姿に、長慶は心の底から笑った。
この瞬間が、何よりも守りたいものだ――
そう、彼は改めて感じていた。
だが同時に、わかっている。
この愛すべき弟たちを守るためには、自らが“綺麗なまま”でいるわけにはいかないことを。
だからこそ、自分だけが畿内へと向かうのだ。
彼らの未来が穏やかであるために、兄として――いや、三好宗家の当主として、歩むべき道がある。




