講和
天文3年(1534年)10月 三好軍本陣・越水城近郊
越水城の北西、小高い丘に設けられた三好軍本陣。
紅葉の色濃く染まり始めた山の麓で、三好長慶は陣幕に腰を下ろし、静かに戦況を見つめていた。
二ヶ月前に晴元陣営と交えた初戦は、まさに鎧袖一触。
四国からの精兵は精強であり、士気も高かった。
だが──
「……政長の軍、押し切れぬか。」
布陣図を前に、長慶は口を開いた。
集められたのは、康長、長逸。
長慶は2人に対して、そして自分自身に対して、話始めた。
「これまでの戦は、何かを“守る”ための戦だった。父が亡くなり他家から分家から宗家を。皆々の生活を守る為に拠点を。笑顔あふれる四国の家族を。そして……弟たちを。
だが今回は違う。奪われたものを、“取り戻す”戦だ。血を流しながら掴んだ畿内の地を。父の魂を……。」
長慶は静かに拳を握る。
「その意識の違いが、判断に表れたのだろうな。
これまでとは違う布陣、違う策。普段なら取らぬ手を使った。
……今の状況は、私自身が招いたものだ。」
康長が食い入るように顔を上げた。
「長慶様は、御立派でございました。指揮に一点の曇りもなく……なのに押し返されたのは、我らが未熟だった故!」
悔しげに足を叩く康長。
「この怒りは腹に沈め、いずれ政長に叩きつけてご覧に入れます。」
「我らが熱くなりすぎましたな……政長め、その隙をうまく突いてきた。」
長逸は苦笑しながら言う。
「だがまあ、死んでから知るより、生きて気づけたのなら安いもの。
これは、次への糧ですな。」
長慶は一度、微笑を浮かべると、真剣な眼差しに戻った。
「……講和の使者が来る。木沢長政が仲介に立ってくれた。
講和とはいえ、我らは立場を一段下げねばなるまい。」
「……」
「だが、それで良い。今はまだ“地ならし”の時。畿内を整えるには時間が要る。
四国の兵を長く留めるわけにもいかぬ。決断せねばならぬ。」
その時、幕外から松永久秀の声が届いた。
「殿。木沢長政様の使者、到着いたしました。ご案内いたしましょうか?」
すぐに返事をする前に、長逸が声を張った。
「殿がすぐに出ては、余裕なく見える。しばし待たせい!」
長慶も頷き、声を添える。
「……だが粗末にするな。茶を出して、礼を尽くせ。」
「ははっ。」
松永は素早く下がっていった。
去り際を見送りながら、長逸がぽつりと漏らす。
「……俺は、あの男の目が好きになれん。
だが……血だけで見るのではなく、才のある者に任せてゆく。三好一族が度重なる不幸な戦で減ってゆく中でそれは正しいのだろうし、これからの戦の時代はそうなっていくのだろうな。」
長慶は静かに言葉を返す。
「血だけでなく、才でも。
三好はそうやって、さらに“整って”いくのだ。」
少し沈黙があった後、康長が気を取り直したように笑いながら口を開いた。
「そういえば、また新しい若者を登用されたとか? 岩成友通という男……才を見込んだのですか?」
「ふむ。器用な男よ。剣も弓も文も、人付き合いも抜け目ない。
ただの小器用で終わらせぬよう、こちらも見極めねばならぬがな……
あれは、きっと三好の柱になる。」
そう話す長慶の目には、敗北の悔しさなど微塵も残っていなかった。
「そろそろ参ろうか。使者も、寒空で待たせるのは気の毒だ。」
ふっと軽口を交えながら、長慶は立ち上がった。
その背中に、康長と長逸は無言で続いた。
三好長慶――再起の第一歩であるこの講和。
それは敗北の証ではなく、「整頓」へ向かうための一手に過ぎなかった。




