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ラブユーベイベ  作者: こす森キッド
2/2

ラブユーベイベ 後編

注意 こちらは前後編のうちの後編です。


いっぺんに投稿するには長すぎる気がしたので、前後編に分けて投稿しています。


2023年4月19日

段落分けを修正しました。


♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎



 蛇口をひねり、浴槽にお湯を張り始める。

 風呂場の体を洗う場所は、意図的にかどうかは分からないが、意外と狭く感じられた。

 その代わり、と言っていいのか、浴槽は大人二人で入ったとしてもまだ余裕がある広さだった。

 もっとも、人間大の反物を洗うために湯を張っているだけなので、人が肩まで浸かれるような量の湯を汲む必要はない。

 その代わり、温度は熱すぎず冷たすぎず、反物の生地が傷まないような温度にしなければならない。

 そう言えば、一人暮らしを始めてから、浴槽に湯を張る行為自体が久しぶりな気がする。

 いつ以来だろうか。

 実家に住んでいた時は毎日肩まで浸かっていたのに、こっちに来てからは自分一人のために湯を張る手間と掃除をする手間を惜しんで、数えられるぐらいの回数しか浴槽は使っていないはずだ。

 そういう面倒臭いことを、オカンがやってくれてたんだよな。

 もうちょいちゃんと、家の事の手伝いをしておけばよかったな。

 一人暮らしを始めてから、拓はそう思うことが増えた。


 当然、誰かと一緒に風呂に入ることもなくなった。

 子供の頃は兄貴や弟とワイワイガヤガヤ言いながら、一緒に入っていたこともあるが。

 ……誰かと一緒に?

 ここで拓は、ある重大な事実に気づいた。

 そうだ、人生初のイベントじゃないか。

 『彼女と一緒にお風呂に入る』のだ。

 ……うーん?なんか思ってたんと違うな??

 当の彼女はと言えば、拓の腕の中で「まだかなー?まだかなー?」とお湯が溜まるのをうずうずしながら待っている。

 絵面的には完全に、ペットと飼い主みたいな構図だ。

 そしてそのペットは反物だ。

 ……これはこれで俺たちらしい、と思うべきなのか?

 なんだこれ?

 正直不本意なんだが?

 いや、正直こんな姿になってすら、美由の仕草は可愛いなと内心思っている。

 なので、こんな状況でも俺としては嬉しいと思っている部分も、ゼロではない。

 が、これもやっぱり口に出したら怒られる気がする。

 もう、何を言っても怒られるパターンに入ってしまった感があるな。

 拓は苦笑いしながら、「もうちょい待ちなー」と美由を宥めていた。


 十分な量のお湯を溜めるのに、思っていたより時間がかかった。

 大人二人が入れるほどの広さだからか、俺もやっぱり焦っているのか、その両方かもしれなかった。

 美由の身体の反物化はさらに進行しているようだった。

 それでもピクピクと小刻みに震え、なんとか自我を手放さないようにしている様子だ。

 俺の足元の汚れが、今の美由にどんな影響を及ぼすか分からない。

 お湯が溜まるのを待つ間に、あらかじめ靴と靴下を脱ぎ、カーゴパンツの裾を捲って出した素足をシャワーで軽く流しておいた。

 同時にラックに置いてあった石鹸を手に取り、洗面器に分けておいたお湯の中でひたすら泡立てておく。

 衣類を簡単に手洗いする際に石鹸を使う方法を以前ネットで調べたことがあり、それを思い出してやってみる。

 そして、美由の反物を大きな浴槽の中まで担いで運んでやり、泡を張ったお湯に浸けて手洗いしてやる。

「今からお湯の中に入れるからな。

 息苦しかったり、何かあったら動いて知らせろよ」

 へニョンと反物は頷いた。

 今の美由の身体には、男の毒霧が『汚れ』として浸透し、その際に使われた液体の成分による何らかの作用によって反物と化したのではないか。

 故に、その『汚れ』を落としてやることによって、反物化の作用が止まり、もしかしたら元の人間に戻せるかもしれない。

 拓はそう思った。

 そして、その見立てはどうやら正しかった。

 泡を張ったお湯に浸けてやってから、拓が「手応えアリだな」と思うまで時間は掛からなかった。

 浴槽の水分を吸って少し重くなった手元の感触は、まさに反物そのものだった。

 変化が進行して既にほとんど本物の布と同じくらいの薄さになっている部分については、なんとなく泡風呂に浸けているだけでも“汚れ”が勝手に落ちてくれそうな気がしたので、まず拓はまだ厚みの残っている箇所を揉み洗いしてやることにした。


 ムニュ、ムニュ、と親指で擦ったり、押してやったりする。

 くれぐれも、生地を痛めないように優しく……。

 押してやるたびに、反物の厚み部分はお湯を吸って吐いてを繰り返してるようで、手触りはちょうど風呂場で体を洗う用のスポンジが、中に入っているかのような感触だった。

 お湯の量が多いので、視覚的に例の琥珀色の毒霧が取り除かれていってるかを確かめるのは難しい。

 でも、指先の感覚的に、反物化はどうやら沈静化し、そして人間の身体に戻ろうと逆行し始めたらしいと分かった。

 時々、反物をお湯から持ち上げ、様子を見る。

 うん、なんだかさっきよりも身体の厚みが少しずつ戻ってきた気がする。

 美由もちょっとずつ元気が戻ってきたようで、ピチピチと喜んでいるようだ。

「おっと、俺の顔にお湯がかかるからやめてくれぃ」

 言いつつ、事態が好転してきたようで俺も嬉しい。

 洗濯されている感覚が気持ち良いのか、美由も気分が良さそうに時々身を捩らせている。

 引き続き、厚みのある部分を重点的に揉み洗いしていく、が。

 あれだな……、反物の生地越しに、明らかに女の子の肌特有の柔らかさが表出してきた。

 当たり前だが、身体が元に戻っていくと言うのはそういうことであった。

 ここで正直に白状すると、俺は今までに美由に頼んでその胸を触らせてもらったことが、既に何回かある。

 だから幸いなことに、ファーストインパクト的な衝撃に俺の脳が焼かれるというような恐れは、そこまでない。

 美由も、大なり小なり胸を揉まれているような感覚は味わっているだろうが、状況が状況なので多少は大目に見てくれるだろう。

 ただ、今のこの指先の感触……。

 やっぱり悩ましいかも……。

 もう、ストレートに言い表してしまおう。

 泡でヌルヌルしたお湯の中で、女の子の柔らかい身体を、シャツの生地越しに素手で洗ってやってるような感じに近い。

 これは、下手に触った経験があるが故に、寧ろそういった感覚を鋭敏にキャッチしようというモードに脳が入ってしまったかもしれない。

 うーんこのままだと、仮に美由が元の姿に戻っても、その頃には今度は俺が狼男に変身してしまっている可能性が……。


 よ、よし。

 もう、反物の上半分は十分洗い終わった気がするし、そろそろ違う場所を……と思って手をスライドさせた、その時だった。

 フニッ。

 反物がお湯の中でビクッ!!と大きくのけぞった。

 あれー?今なんか両親指が柔らかい突起のようなものを擦っていった感触があったな……。

 気のせいかな?気のせいであってほしい……。

 皆まで言わなくて良いことかもしれないが、美由が来ていたシャツは変化の過程でショートパンツを中に飲み込んでいっていた。

 それと同様に、美由が身につけていた上下の下着も、シャツに飲み込まれているようだと、洗っている際の手の感触から何となく察してはいた。

 要は、着けている感触がなかった。

 以上の前提にもとづいて、次の問いに答えよ。

『Q.今触れた二つの突起の名称は何か?』

『A.な、何やろなぁ?直径1cmくらいのデッカいイボかなぁ……?」


 どうやら不正解だった。

 反物が徐にその身体の下半分を触手のように長く伸ばしたかと思うと、拓の首に背後から巻き付いて締め上げた。

「ぐはぁっ!?ちょっ、やめやめやめ!!

 ごめんいやマジでごめん!?」

 謝罪を受けて反物は、「分かればよろしい」と拓の頸動脈を解放した。

「ひゅー、ひゅー……」

 拓は色んな意味で息も絶え絶えだった。

 濡れた布を首に巻き付けるのは絶対ダメだって……。

 しかし流石に、アレを触らせてもらえたことは今までなかった。

 まさか人生初の『フニッ』がこんな形になるとは……。

 もしかしたら、美由としても、男の人にフニッを触られたのは人生初かもしれない。

 反物もなんだか恥ずかしそうに、お湯に浸かってしおらしくしている。

 ……なんか気まずいな?

 まだ今から下半分を洗ってやらにゃならんのだが。


 気分を変えたくなった拓は、近くにあったシャワーで冷水を自分の頭にぶっかけた。

「ブハァっ!はぁっ!冷たっ!」

 思考が急激に冷却される。

 うん、だいぶスッキリした。

 スタンバっておいたタオル類のうち一枚を取って、頭髪から顔に伝う水分を拭う。

 よし、続きだ。

 美由の方に向き直る。

「上半分は終わったから、次は下半分な。

 だいぶ戻ってきたなと思ったらすぐやめるから」

 反物はペコリと頷きつつも、「何やってんだコイツ」とでも言いたげなクールな佇まいだった。



♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎



 拓が洗ってやった甲斐あって、人間の身体の輪郭はほとんど戻りつつあった。

 ちなみに、下半分を洗う時に、せっかくだからと裏返して反対側も洗ってやることにした。

 これでフニッにも接触しなくて済むと油断していたら、結果尻と背中でそれぞれ一回ずつ首を絞められる羽目になった。

 だから首はやめろって!

 尻に関しては完全に俺が悪いが、背中は全くそういう心当たりがない。

 もしかして、美由のそういう弱点だったりするのだろうか?

 今度、背後から不意打ちでなぞって仕返ししてやるか……。


 なお、今の段階としては、シャツ生地でできたバキュームベッドに入った女体が泡の張った浴槽に浸かっているような、とんでもないインパクトを放つ絵面となっている。

 下半身の肉感が戻ってきてからは、拓は人体の厚みのある部分を洗うのは一区切りつけて、最後の仕上げとして元々厚みのなかったシャツ生地の部分をちまちま擦って洗ってやっていた。

 泡でヌラヌラとした美由のシルエットを見ていると、拓は変な気分になって戻れなくなってしまいそうなので、もう何も考えないよう心を無にして黙々と作業を続ける。

 しかし同時に、何かを洗うという行為自体が、同時に自身の心を洗う効果をも持っているような、そんな実感をこの時拓は得ていた。


「よし、そろそろ濯ぐか」

 一通り洗い終わったので、浴槽からお湯を排出させる。

 そしてもう一回浴槽にお湯を張るのは流石に面倒に思えてきたので、ちょっとお湯が勿体無いが、シャワーで濯いでいくことにした。

「泡を流していくからなー」

 自分の手で温度を確認した上で、ジャブジャブと反物の表面を流していってやった。

 “汚れ”がほとんど落ちているからだろう、そこから美由の身体が人間の姿に戻るのは早かった。

 シャツの縦幅と横幅が縮んでいき、肩やバストや腰回り、胴体のその立体感が固まっていった。

 ムニュムニュムニュっと、シャツ生地から両脚、両腕、頭と顔が生えてきた。

 そうして間も無く、浴槽の片隅にシャツを着た状態で全身を濡らした格好をした、人間の美由の姿が復活した。

 お湯に濡れて、素肌の色が見えるか見えないかぐらいの透過度で、その白シャツの生地が透けている。

「ぷはぁー戻った戻った」

 美由は身体の感触を確かめるように伸びをしている。


 やれやれ、これで一安心だ。

 拓はそう思っていたのだが、しかしなんだか、美由の見た目に違和感がある。

 ぱっと見は元通りに見えるのだが……。

 なんか、白シャツの表面積が、元の大きさよりも増えてないか?

 シャツ周りをよくよく観察してみる。

 まず、飲み込まれたショートパンツが戻ってきていない。

 シャツのスリット部分を一瞥すると、ショーツも多分戻ってない。

 なので、今の美由は下に何も履いていないように見える。

 それと、濡れた白シャツの向こうに、美由の胸がその肌の色を表している。

 ということは、上もシャツに飲み込まれたままのようだ。

 さらにもう一つ気になる点が、美由の胸。

 元の大きさよりも、ボリュームが増してないか?

 こういう言い方は失礼だが、美由の胸はバストサイズ自体はそこまで大きくなかった。

 しかし目の前のその双丘は、なかなか立派な物だった。

 俺が日々サティスファクションしている画像のお姉さん達が持つそれに、引けを取っていない。

 あとそれらに比べれば些細な変化だが、ひとつ結びだった髪が下ろされて、セミロングがしっとり濡れて伸びている。

 つまるところ、髪を下ろしたいつもよりたわわな美由が大きめサイズのTシャツ一枚だけを着て、しっとり濡れて浴槽にペタンと座っている。

 どういうことだろう。

 シャツと美由の胸が、下着とショートパンツとヘアゴムと大量の水分を吸ったことで肥大化してるってこと?

「え、何……?

 ちょいちょい、美由さんや。

 なんでお前さん、そんなエッチな感じになってるの?」

 分からんので、普通に聞いてみることにした。

「はぁ?何言ってんだこのスケベ野郎?

 ……あれでも、本当だ」

 美由自身もそのことに気づいたようだが、ふと何かを悟ったような表情をする。

「ちょっと待ってて」

 そう言うと、美由は深く息を吸って、何かを念じ始めた。

 すると。

 ムニュムニュムニュ。

 もう一度、美由の身体が変化を始めた。

 美由の顔、両腕、両脚がシャツの生地の中に潜っていった。

 なんだ、また反物化が始まったのか?

 拓は一瞬そう思ったが、しかしその変化は美由自身の意思で行われているように見える。

 シャツに浮き立った美由の胸の膨らみが深呼吸するように、二回三回弾むと、両脚、両腕、顔がもう一度シャツから顔を出し、また人間の姿を形成し始めた。

 今度はちゃんと、元の胸の大きさで、ショートパンツと下着も身につけているようだった。

 髪型も、ひとつ結びに戻っている。

 そうして今度こそ、美由の元の姿が戻ってきた。

「ふぅ。見つけてきたよー」

 美由は一仕事終えたとばかりに人心地ついていた。

 えぇ……。

「え、何?

 それもしかして……、自分でコントロールできるん?」

「んー、自分の感覚的にだけど、どうやらできるっぽいよ。

 とりあえず今は、身体の形状と、身に付けてるこの服はある程度自由に変化させられるみたい」

 自然なことのように美由は言う。

 マジかよ。

「側から見てると、あの変な男に無理やり身体を変化させられてたように見えたから、それがまた始まったのかと思ったんだけど……」

「んー?

 確かに最初の変化は全然自分の意思とは関係なく強制的に変えられていく感じだったんだけど、その強制変化が解消されたら、後は普通に自分の意思で変化できるようになってる、っぽいよ?」

 そういうもんなん?

 まず人間の身体が異形に変化していくっていうシチュエーション自体、生まれて初めて遭遇したから、その後どうなるのが普通なのかとか、当たり前だけど全然分からん。

 美由自身も、少し不思議そうな表情で、首を傾げている。

「なんでだろうね。

 女の子だからかな?」

 そうなん?

 これもしかして女子あるあるなん?

 あいにく俺は女子の生態に関して疎いから、ただただ困惑してるんだが……。

 次々に目の当たりにした不条理に拓がただただ圧倒されていると、その顔を見た美由は不敵に笑って言った。

「……もしかして、これよりも、さっきの格好の方が好きだった?」

「えっ!?」

 美由は、最初に人間の姿に戻った時の、たわわ胸にシャツ一枚の姿がどうだったかを聞いているのだ。

 想像してもいないことを聞かれたことと、同時に無意識下の核心を突かれていることとの二重の驚きのせいか、拓は思っていたことを素直に答えていた。

「えーと、うん。はい。

 あのー、なんかすっごいエッチだったから……」

「ふーん?」

 美由はどこか嬉しそうにニヤニヤしていた。

「良いこと聞いた。

 でもじゃあ、拓にはもう見せないでおこ」

 えー???なんで??

 じゃあなんで聞いてきたの?

 もしかして、これが今日一番の不条理じゃない?

 あいにく俺は女子の生態に関して疎いから、釣り上げられてからの不意なお預けに、ただただ困惑するばかりだった。それに……。

 ちょいちょい、美由さんや。

 お前さん、今日一日だけで一気に蠱惑的な女性に成長してはいませんかね?

 悪巧みしているかのような美由の笑顔を見ながら、拓はそう心の中で呟いていた。



♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎



 気づけば、時刻は16:00少し前だった。

 美由は服が全てびしょびしょに濡れてしまっているので、とりあえずは風邪を引かぬよう部屋に用意してあったバスローブを着ている。

 なんと驚くべきことに、この部屋には乾燥機付きの洗濯機まで完備されていた。

 ここまで設備が充実しているラブホなんぞ、拓は聞いたこともない。

 それを使って美由の濡れた服一式を乾かすことにする。

 そこまで時間はかかるまい。


 俺たちが部屋に戻ると、フローリングの床には亀甲縛りされて身動きが取れなくなったままの白タキシードの男が転がったままだった。

 本物の亀甲縛りを初めて見るのか、美由はだいぶ引いていたが、だんだん見慣れてくると「ここはこうこう、こうやって縛ってるのかぁ、へぇ〜」と興味を持って観察し始めた。適応力……。

 当の男は恐慌状態をとっくに脱していたようで、疲れて眠ってしまっていた。

 まったく、疲れてるのはこっちだと言うのに……。

 むにゃむにゃと「違うよー……。ギル◯ートさんじゃないよ……」と寝言を漏らしている。

 いやいや、お前はデ◯カットさんでもないだろ、と突っ込むのも面倒臭く、その頬をベチベチ叩いて起こしてやる。

「おーい、オッサン?

 生きてるかー?」

 間もなく不機嫌そうに男は目を覚ますと、俺たちの顔を見てサッと顔を青くした。

「ヒーッ!!後生、後生!

 堪忍してほしいざんす!

 どうか、この時代の海には沈めないでほしいざんす!!」

 なんか俺たちに、今からとんでもない目に遭わされるのだろうと恐怖に怯えていた。

「待て待て。ちょっと話を聞け」

 俺は男を落ち着かせようとする。

 美由の方へ視線を受けると、構わないといった表情をしていたので、改めて男に話しかける。

「自分が『およそ許されないようなことをした』って言う自覚はちゃんとあるんだよな?

 それなら、俺たちはこれ以上、もうオッサンを咎める気はねぇよ」

 男の気色が変わった。

「ほ、本当ざんすか?」

「もう二度と今日みたいに、『他人を強制的に物品化させる』ようなことをしない、と誓えるんならな」

「ち、誓うざんす!

 この通り、きちんと反省してるざんす!」

 ペコリペコリと、男は何回も頭を下げていた。

 こういう仕草を見てみても実際、根はそこまで悪い人間じゃないと思うんだよな。

 これまでの人生にどんなバックグラウンドがある人物なのかは全く分からないが、今日のような凶行に及ぶに至ったのにはかなり特殊な事情があったのだろうと、俺は想像していた。

 ふと、大学の専門課程の講義で聞いた、犯罪歴のある人間の経済状況や家庭環境と、その後の再犯率との相関関係についての研究内容を思い浮かべていた。

 ただ勿論、それだけの理由で男を許すほど、俺と美由は甘くない。

 そもそも、今日の出来事はあまりにも非現実的なものだったので、仮にこの男を警察に引っ張って行って「彼女がラブホに連れ込まれて、毒霧を食らって反物にされました!」と訴えたところで、逆に俺たちの方がじっくりねっとり事情聴取されることになりそうだと思えたからだった。

 かと言って、このままタダで帰してしまうのも、それはそれで違う気がしていた。

 ということで、風呂場で美由と軽く打ち合わせた結果、男と一つ取引をしてそれで手打ちにしよう、ということになった。

「ただし、見逃してやる代わりに条件がある」

「な、なんざんすか……?」

「お前が持ってる小瓶の中身、残ってるやつ全部くれないか?」

「…………へ?」

 男は目を丸くしていた。



♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎♨︎



 美由の服は、本当にあっという間に乾いていた。

 最近の乾燥機の性能はすげぇな。

 平日昼間の格安料金であるとは言え、あまり長居し過ぎると料金が跳ね上がってしまうため、とりあえず準備が整い次第三人とも部屋を出ようということになった。

 とは言え、男の拘束を完全に解くのは流石にまだ早すぎるような気がしたので、最低限歩けるように足元を自由にするべく亀甲縛りは解き、手首のマントぐるぐる巻きはひとまずそのままにしておいた。

 俺と男は特に外に出るための準備は必要なかったので、美由の身支度が終わるのを待っている間、男に少なくともこれだけは確認しておきたいということをいくつかヒアリングしておいた。

 もっとも、本当は聞いてみたいことなんて時間がいくらあっても足りないぐらい沢山あるのだが。


 男の言う事をそのまま信じるのならば、男は所謂反社会的勢力及びそれに準ずる団体には一切所属しておらず、と言うよりそもそも今の時代の人間ではないとのことだった。

「要するに、未来人ってことか?」

「“未来人”という言葉をどう定義するかにもよるざんすが、“この時代の延長線上に位置する時間軸から座標を遡る形で移動したオブジェクト”か否か、と尋ねられているとするならば、その通りざんす」

「へー、すごーい」

 何を言っているのか一つも分からなかったが、とりあえず納得することにした。

 人間の反物化、そして美由が自在に自分の身体を変化させていたのを目の当たりにしたせいか、「まぁそういうこともあるよね」と思うようになってしまっていた。

 あと、今日一日ですっかり疲れてしまって、難しいことを考えるのが面倒臭くなってきたのもある。

 それと、男の内ポケットから例の小瓶を取り出し、その使い方の簡単なレクチャーを受ける。

 それとは別に、未来の道具というものは便利なもので、例えば一度その効果をかけられた美由の脳内には、この液体のユーザーズマニュアルのようなものが瞬時に“ダウンロード”されているらしい。

 何それすごい。

「でもそれって、まさか“洗脳”されてるってことじゃないだろうな?」

「例えば、インターネットに接続したPCでプリンタを使おうとしてケーブルを繋いで、その時にプリンタのドライバがWeb上から自動的にインストールされるプロセスを“洗脳”と捉えるのならば、確かにそうかもしれないざんすな」

 なるほど、その説明は分かりやすい気がする。

 あと、未来でもそういうのってあまり変わらないんだな……。

 どれくらい未来なのかは知らんけれど。

 あと、瓶の裏には、現代の市販の医薬品と同じように成分表や使用方法などがまとめて書いてあった。

 未来の言語で書かれているのでどうせ読めないのではと思っていたが、意外と文法などは大きくは変わっておらず、何と表現したら良いのか、高校で勉強した古文とは『反対方向に積み上げる読み解き方』をすれば意外と文の意味自体は理解できた。

 ただ、現代と比べると、漢字やひらがなに対する横文字の比率がメチャクチャ多くなってて、英語が苦手な俺は「この先やっていけるんやろか……」と若干不安に思うなどした。


 そうこうしていると、身支度を終えた美由が出てきたので、各自忘れ物はないか確認の上、精算を済ませ部屋を出た。

 美由は、髪型を入室したときの一つ結びではなく、肩まで下ろしていた。

 ドライヤーで丁寧に乾かした直後で、艶のあるセミロングの先っぽに少しだけ残った茶髪が軽く内側にカーブしている。

 料金は、まあ当たり前と言ってしまえばそれまでだが、男が全額出した。

 男のポケットから財布を出してやり、代わりに精算機にお札を入れ、お釣りを回収して財布に入れてやる。

 懐は大丈夫なのかと一応尋ねてみると、「手持ちの金自体はそんなにないざんすが、それ以前にこの時代のレートなんざ小銭みたいなものざんす」と返ってきた。

 こっわ……。

 未来はどんだけインフレしてんだよ……。

 一瞬そう思ったが、よくよく考えてみると、最近中央銀行が「インフレ率を2%/年の比率で安定させることを目指す」と発表していたのをニュースで見た。

 男の時代がいつなのかにもよるが、それを踏まえて複利計算前提で単純計算してみると、そこまでおかしな話ではないのかもしれない、そう思えた。

 ……なんか俺、今日一日でめちゃくちゃ賢くなった気がするな?大丈夫?

 未来を垣間見るってこういうことなのか?


 部屋の扉を開けると通路の天井に設置された監視カメラと、バッチリ目が合った。

 俺は、自分が男の両手首の拘束に繋がる手綱を握っていることを発見した。

 バツが悪いので、カメラに向かって手を振ってやった。

 俺の視線でカメラの存在にやや時間差で気づいた男も、何を思ったのかレンズに向かって律儀にお辞儀をしている。

 美由はと言えば、完全に他人のふりを決め込んでいた。

 おめーも同じ部屋から出てきたんだぞ?


 部屋を出る頃には、既に16:30を回っていた。

 さて、この後どうするかだが、ここで男を解放したとして、当初予定していた古着屋とセレクトショップを回るのはどうも微妙だった。

 閉店時間が近いので、ゆっくり回ることができない。

 では、二人でどっか飯でも食いに行くかと尋ねてみると、美由は「うーん」と少し思案した後、「海に行きたいかも」と呟いた。

 海?

 先程、部屋の中で男が『海には沈めないで〜』と言っていたのを聞いて、「そういえば今年、海に行ってないじゃん」と思ったらしかった。

 それを聞いた男は、「やっぱり沈めるざんすか?!」と狼狽えていた。

 沈めないってば。

 そう言えば、海行きたいって話、してたな。

 俺と美由の田舎は結構内陸の方だったので、高校時代に海に遊びに行ったことはない。

 一方、この隣県は都市部と海との距離が近く、ここから車で30分も走れば浜辺が広がる海浜公園にたどり着けるのだ。

 色々な巡り合わせの結果、なんだかんだ今日まで海に行くことができないままでいた。

 確かに、夏の海を楽しむには、しっかり暑さが残っている今の時期がラストチャンスかもしれない。

 遅刻やらなんやらの埋め合わせもしなければならないと考えていたので、二つ返事で「じゃあ、海、行くか」と答えた。

 その流れで男にも、「今から海浜公園に遊びに行くけど、オッサンも一緒に来るか?」と尋ねた。

 男はキョトンとして、「ミーは、特にこの後予定もないし、この時代の海がどんな感じなのか興味はあるざんす。でも……、お邪魔じゃござぁせんか?」と聞き返してきた。

 まあ正直なところ、二人でしっぽりできればそれに越したことはないのだが、このまま男を放り出すのもどこか引っかかるところがあった。

 夏の海の綺麗な景色を目の前にすれば、この男も少しは心が洗われ、スッキリした気分で元の時代に帰れるのではないかと思ったのだ。

 これが俺なりの、この世界への『コミットメント』だと考えた。

 美由が「全然かまへんよ」と答えたので、三人で一路海浜公園を目指すことに決定。


 男がタクシーをご馳走してくれると言うので、その言葉に甘えることにする。

 異様な身なりの男と、その手綱を握りつつヘイタクシーと手を上げる俺への、通行人たちの視線が痛い。

「そういやなんで縛ったままなの?」と美由が疑問を口にする。

 うーん、なんとなく?

 なんかもうこの状態に慣れてしまった自分に気づく。

 癖になってしまったかもしれん。

 しばらくこの辺には近づかん方がええかもな……。

 駅前なので、タクシーもすぐ捕まえられた。

 俺と男を見て、運転手さんは一瞬ギョッとした顔をしたが、すぐ平常通りの仕事の表情に戻り、「どちらまでですかー?」と尋ねてきた。

 この辺は奇天烈なコスプレをした若者が歩いていることも珍しくないので、その類だと思われたのかもしれなかった。そういうことにしておいてください。

 美由、俺、男の順番でタクシーに乗り込み、海浜公園までお願いしますと目的地を告げると、タクシーは滑らかに大通りを走り出す。


 俺と美由はタクシーに乗っている間、男からせしめた変化薬でどう遊んでやろうかと話し合っていた。

「色んな感じの服に変化させてさ、それでプリクラ撮りまくるっていうのはどう?」

「そこまでしてやることがプリクラかよ〜。

 それよりもさ、時々でいいから、胸と尻大きくして服越しに俺に見せてくんない?」

「何言ってんだコイツ?

 絶対見せてやんねー。

 それに、そんなの形に残らないじゃん勿体無い」

 二人とも発想が基本的に子供っぽいので、あまり有効活用はできなさそうな気がしてきた。

 一方男はと言うと、

「この時代だと、燃料代やら毎月の固定費やらの出費に対して身入りが少なくて、大変ざんしょ?」

「よくご存知ですねぇ。

 そうなんですよ。

 実は結構、シビアにやらせてもらってるんですよ……」

と言った具合に、意外にも至極普通な話題で運転手との会話を弾ませていた。

 これじゃまるで、コイツよりも俺たち二人の方がよっぽどやべーやつらみたいになってるんだが?


 海浜公園に着く頃には、時刻は17:00を回っていた。

 八月なのでまだ余裕で日は出ているが、流石に夕陽の兆しが迫ってきていた。

 気温は夏らしい暑さを残していて、かつ海風が砂浜まで程よく吹いてきているおかげで体感的には過ごしやすい。

 夏休み最後の思い出を作ろうと訪れた、子供たちや大学生らの姿も少なからず見える。

 そこまで数は多くはないので、この広い敷地の海浜公園で散在し、それぞれにちょっとしたプライベート空間を作り出して各々楽しんでいた。

 この点は、平日に来て正解だったと思える。

 この公園は規定された範囲内であれば、遊泳も許可されている。

 が、あいにく俺達は水着や着替えを用意してきていない。

 ここに来ることを決めたのがついさっきのことだから、仕方がないことだった。

 俺と美由は、ビーチハウスでサンダルをレンタルすることにした。

 更衣室のロッカーに、二人の荷物と靴と、美由のジャケットを預け入れる。

 美由が日陰で日焼け止めを肌に塗り直しているのを待ちながら、俺と男は海と砂浜の景色を眺めている。

「はえ〜、この時代のここはこんな感じの海だったざんすかぁ〜。

 松林だった頃の史料はどこかで読んだことがござんすが、実際に見てみるとまた印象が変わるざんすねぇ〜。

 はぁビューティフォー……」

 喜んでくれているようで、俺は素朴に嬉しかった。

 この土地は、30年以上前に宅地造成のために埋め立てられた土地の上に作られた人工海浜で、オッサンが言っている松林というのは、おそらくその前身となった景勝地のことを言っているのだろう。

 その昔、藩主の命によって元々の海岸線に沿って防風林が築かれることになり、そこには約一里ほどの距離に渡ってクロマツが植林されたと言う。

 その松林と砂浜が作り出す美しい風景が評判となり、やがて藩内でも指折りの景勝地“一里松原”として、多くの人が訪れる場所になっていったそうだ。

 戦後、急増する市内人口を支えるための大規模な宅地開発の必要に迫られ、都市計画の進行に伴ってこの場所もその姿を大きく変えていった。

 しかし、現在でも一里松原の歴史を示す痕跡は、街のそこかしこに残され、生活に息づいているのだ。

 ……といった話を大学の教養課程の授業で聞いたことがある、とオッサンに教えてやると、オッサンはほえーと興味深そうに聞き入り、改めて景色を感慨深げに眺めていた。

 そんなわけだから昔と比べると、ここから見る景色は全く違うものに違いない。

 おそらくは、オッサンの時代のここからの景色とも、全く違うのと同じように。

 オッサンの時代は、一体どんな時代なんだろう。

 本当は、聞いてみたかった。

 ちょっとくらい未来を覗き見しても、バチは当たらないのではなかろうか。

 でも。

 俺みたいなフラフラしたやつは、その聞いた言葉一つでただただ驚いて、振り回されるばかりで終わる気がして。

 それが怖くて、結局、最後まで聞いてみる勇気は、出なかった。


 日焼け止めを塗り終わった美由と、砂浜を歩いてみることにした。

 男は「ミーは水に近づくのが苦手ざんすから、ここから海を見てるざんす」と言って、砂浜手前の堤防に体育座りをしている。さいざんすか。

 美由は、早速水に足を浸けてはしゃいでいる。

「わぁ、水が冷たくて気持ちいー!

 これ、めっちゃ、海!」

「うん、これ、めっちゃ、海だな」

 田舎では海を訪れる機会があまりなかったこともあって、俺たちはまず感覚的に『海を感じてみる』という順番になる。

 自分でも海水に足を入れてみた。

 今は気温と水温とで10℃くらい差があって体感的に丁度良く、確かにこれは気持ちいい。

 やっぱり水着持って来たかったな。

「夏の間に来れてよかったなー」

 美由は、吹き付ける潮風に煽られたセミロングの髪を手で直しながら言う。

 この何気ない仕草ひとつと、それ越しの夕方の海の景色を見て、拓はここに来れて、本当に良かったと思った。

 新しい生活に多少慣れては来たものの、その生活を維持するためにはバイトも頑張らなければならなくて、それを言い訳にしているうちに今年の夏ももうすぐ終わろうとしていたから。


「来年の夏は、もっと早く連れて来てやるから……なっ!?」

 高い波が急に来て、俺のカーゴパンツを濡らしていった。

 せめて言い切らせろぃ!

 裾を捲ってるから大丈夫だろうと油断していた。

 高さが足らんかった。

「プフーッ!だっさー!」

 美由は思わず笑っている。

 自身はショートパンツなのでノーダメージだ。

 にゃろ〜。

「道連れだっ!」

「きゃっ!やめーやせっかく乾かしたのに!」

 軽く水飛沫をかけようとしたが、美由は器用にそれを避ける。

 そしてお返しとばかりにザバッと、俺のカーゴパンツに染みを作ってくる。

「なんの!」

 そのまたお返しに、今度は美由の上半身を狙って水をかけようとしたが、これも見事に避けられる。

「ほーれもっかい!」

 美由も俺の上半身を狙って水の礫を放ち、俺のシャツを海水で濡らす。

「今度こそ!」

 むきになって自分が起こせる一番大きな水飛沫を美由に向かってぶっ放したが、結局これも躱される。

「へったくそー!」

 意趣返しとばかりに、美由も水の塊を俺に向かって投擲してきた。

 俺は髪の毛から水を滴らせている。

 ……美由、水遊びの腕前エグくないか?

 そして俺、弱すぎないか?

 別にタメを張るための遊びじゃないんだが、ここまで実力差があるとしみじみ悔しいな……。

 美由は小学生の頃スイミングスクールに通っていたそうなので、その時に鍛えられたのだろうか?

 10ターンほど水の掛け合いっこをして遊んでいたのだが、結局美由はダメージゼロで、俺だけが濡れ鼠になっていく一方だった。

 途中で美由も彼我の力量の差を察したのだろう、自分は水飛沫を上げるのをやめて、こちらがかけてくる水を避けてやることに専念しながらはしゃいで見せている。なんか切なくない?


「あっ、そうだ!

 ちょっと待ってて!」

 テンションが上がってきた美由は、少し周囲の様子を伺う様子を見せた。

 おっ、どうしたどうした?

 すると、美由のシャツがムニュムニュっと動いたかと思うと、両腕と、ショートパンツを履いた両脚、顔がそれぞれ半分ほどシャツの中に引っ込み、内部で何か変化を始めたようだった。

 まだ変化薬の効き目が残っていたのか、と驚く。

 美由の顔はシャツの首元部分から上半分だけを覗かせていて、その目は何かを企むようにニンマリしている。

 堤防で海を眺めていたオッサンが、「な、なぜこんなにも早く、変化能力をここまで使いこなせるようになってるざんすか?!!」と驚愕している。

 何故なんでしょうね?女の子だからなんですかね?

 やっぱこの中で、美由が一番やべーやつなんじゃないかって気がしてきた。

 程なく新しい形状を生成するべく、美由の顔と手足は元の背に戻り始めた。

 美由は、そのシャツの形を、ワンピースに変化させていた。

 俺が今日あの部屋で美由を人間の姿に戻した直後に見たTシャツワンピースは、ショートパンツをギリギリ覆い隠すくらいの短い丈の簡易なものだったが、今着ているそれは膝まで届く長さのシックなドレス型のものだ。

 概形も、その時とは大きく違っている。

 美由の形の良い胸を強調しつつも、いつもとは違って胸部のすぐ下から生地がその幅を急激に狭めていき、バストからウエストへの曲線的な傾斜を作っている。

 そして、キュッと締まったウエストから下、膝丈に至るまでフワリとドレススカートが広がっており、その両端にスリットと布紐による装飾が、可愛らしいアクセントを加えていた。

 美由は、普段ほとんど見せないボディラインを浮かび上がらせた、白いドレスを着ているような姿となった。

「へへ、去年は受験勉強で忙しかったから水着を着なくて済んだんだけど、それで油断しちゃってたせいで、本当は今年かなり大ピンチだったんだよねー。

 こう見えても、メチャクチャ必死こいてダイエットしてたんやから!

 まぁ、あんなとことかこんなとことかは、今日はほんのちょびっとだけドーピングしてたりするんだけど……。

 その辺は来年までの宿題ってことで。

 ……本当は前から、こういう系の服着てみたいと思ってたんだよねー」

 なんでもないことのように思わせるように、でも早口で、美由は捲し立てる。

 うん、薄々、頑張ってるなというのは察してはいた。

 でも、ここまで仕上げようとしてたとは、思ってなかった。

 そっかぁ……。

 ……メチャクチャ綺麗じゃないか。

 そしてメチャクチャ可愛い。

 ハチャメチャに似合ってる。

 美由のことだから、見せ方とかも色々考えてたんだろうと思う。

 きっと、自分のコンプレックスになっている部分ともせめぎ合いながら。

 その思いの結実に立ち会ったような、そんな気がして、思わず、視界が滲んでしまう。

「え、なになに、なんで涙目なの?!

 何か、感想ないの?」

 美由に気づかれて、戸惑いつつ心配されてしまった。

「あ、いや、ごめんごめん。

 えーとそのー、あまりにも可愛すぎで似合いすぎで……。

 あと、あまりにもエッチ過ぎたから立ち眩みが……」

 照れ隠ししたくなって、おどけてその場でフラついてみせる。

「ちょっとー!

 困ったらすぐエッチ絡みに頼るの悪い癖だから本当やめなー?!」

 ぶっかけてきた飛沫がクリーンヒットしたから、俺は撃ち抜かれた、と言わんばかりにザバーンと水面に倒れ込んでみせた。

 いやいや、エッチだと思ったのは本当だから、しょうがないじゃないか。

 勿論、可愛過ぎるっていうのも、似合いすぎっていうのも、本当。

 俺は、なるべく、美由には気持ちを素直に伝えたいって、思っているから。

 いつもはどうしても、冗談ばっかり口をついてしまうけど。

 起き上がりついでにザバンと飛沫を上げて、今度こそ美由にかけてやろうとしたが分かりきっていたとばかりに避けられる。

「へっへーん、拓が考えることなんて、大体分かってるんだよん。

 でも、これで、拓は悩殺完了だね?」

「そうだな、負けたよ。

 完全に悩殺されたわ」

 これで、もう言い訳はできないな、と拓は苦笑いする。

 ふっふーんと満足げな表情で、美由はその胸を張る。

 多分今まで見た美由の顔の中で、一番誇らしげに見えた。

 万感、一言で表すならそんな表情だった。

 すると、美由の張った胸が、そのままどんどん大きく膨らみ始めた。

 その形の良い双丘が、風船のようにそのシルエットを押し広げていく。

 胸だけではなく、白い服そのものが膨張していって、美由の体を丸ごと包み込んでいく。

 今度は何に変化するのかと見ていたら、最終的には美由の元の姿よりも、もっともっと大きな、丸みを帯びた形になった。

 いや、丸ではない。

 それは、巨大なハートだった。

 美由が着ていたシャツと同じ生地で包まれたハートマーク。

 柔らかく大きく膨らんでいった美由の胸が、人間の心臓を表しているとも言われる特徴的なそのフォルムを形成していた。

 海面に心地よさそうにプカプカと浮かんで、表面の滋味深い光沢が、夕陽を受けて艶めいている。

 美由みたいな格好をしたハートとも言えるし、ハートみたいな姿をした美由だとも言えた。

 言葉すら使わずに、美由は自分の内側を、拓に向かって表現してみせていた。

 遠巻きに、オッサンが鳴らした「ヒューッ♪」という口笛の音が聞こえた。

 巨大なハートマークを目の前に、俺の胸もある一つの気持ちで一杯になっていく。

 俺は変化能力を持っていないから、姿形は変えられないけれど、多分今、美由と同じ想いを抱えているんじゃないかって、そう思う。

 そうだったら、いいよな。


「おーい、いよいよお邪魔のようだから、ミーはそろそろお暇するざんす〜!」

 男が立ち上がって、二人に大声で別れの挨拶を告げる。

「ご両人とも達者でやるざんすよ〜!

 風邪引かないように気をつけるざんす〜!

 バイチャざんす〜!!」

「お〜う!

 オッサンも元気でな〜!!」

 美由も、ハートマークの二つの膨らみを器用にプニプニと動かしながら、オッサンに大きく手を振っているようだった。

 男は、堤防を降りていき、だんだんその姿は見えなくなった。

「やれやれ、あんなにお馬鹿なつがいは今まで見たことがないざんす。

 血気盛んな大学生共の相手をするのは、もう懲り懲りざんすねぇ。

 でも、結構楽しうござんした。

 ……あ、やっべ、あいつらに両手首の拘束解いてもらうのを忘れてたざんす……。

 まぁなんとかなるざんしょ……。

 さて、最寄りの電話ボックスはどこざんす?

 いちいち探すのが面倒だから、今度から渡航の時にはモバイルフォンを持ち歩くざんす……。

 経費で落とせるかどうか確認しておくざんす……」

 ブツブツ独り言を垂れ流しながら、男は海岸から続く、松林に面した遊歩道を歩いていった。



 そろそろお別れの時間が近づいてきたみたいだぜ、とオレンジ色に燃える夕焼けが告げていた。

 気づけば美由は人間の姿、最初の格好に戻って、水面に少し足を浸けて立っていた。

 白シャツをゆったりと着て、デニムのショートパンツ、髪は一つ結び。

 腰に両手を当て、少し体を傾かせてドヤ顔で。

「Love You Babe.」

 あまりにも決まり過ぎていたので、思わず吹き出してしまいそうになるが、今は笑わないでおこうと居住まいを正す。

「Q.それに対する、俺の答えは?」

 軽く咳払いをしてこう言う。

「A.You too.」

 英語は苦手だけど、それでもこれくらいのことは知っていた。

 調べたことがあったから。

 それにもしかしたら、もう言葉はいらないのかもしれなかった。

 ただ、お互い冗談ばかり重ねてしまう悪い癖があるから。

 さながらこれは、互いの合意を確認するためのダブルチェックのようなものだった。

 かくして交渉成立。

 水飛沫の祝砲をかけ合うことに、もはや理由は必要なかった。



 そっか、こういう、笑えるような、同時に泣けるようなものだったのか。

 なんだこれは。

 なんか、思ってたんと違うな?

 もっと、メラメラテカテカルンパッパな感じかと思ってた。

 でも、悪くない。

 なんだよ〜、参ったな。

 これで明日のバイトも頑張れちゃうじゃないか。


 不安がないと言えば嘘になるけれど、でも、涙は大体海水に混じってどこかへ流れていく。

 だから、大勢に影響はない。大丈夫。

 どうせ最後は、みんな海に還っていくのだから。


 水平線の向こうへ、夏が去っていく。

 さようなら、さようなら。

 来年、またここで会おう。



 その時だった。

 西の空に、太陽を追いかけて飛んでいく一匹のエイを、確かに見た。


 その軌道は空間にも時間にも捉われず、そしてその姿形すら一所には留まらないくらい自在で。

 優雅にヒレをなびかせながら、真っ直ぐに、空を泳いでいった。


 きっとあれが、世界で一番自由だと思った。





 そうそう、そういうことがあったんだよ。

 だから、私には高校の頃に付き合い始めた彼氏がいるわけ。

 残念だったね。


 え、その彼氏のことは本当に好きなのかって?

 あんたしつこいなぁ。


 試しに付き合い始めたから情が湧いてきただけで、元々はそこまで好きじゃなかったんじゃないのかって?

 そんなの……。


 そういう気持ちもないのに、いきなり試しに付き合ってみようなんて、思うわけないじゃん。



ちなみに、前回書いた「名札」の前書きにおいて「初めて書いた小説」と書いた記憶がありますが、よくよく思い返してみると、小学生の頃ズッコケ三人組の二次創作を書いたことがありました。

お詫びして定時制入ります。

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