追憶
第1章
第3話「追憶」
1990年9月USnavy某訓練所にて
前期初等訓練所、俺はそこにいた。日本人では、ここの訓練を受けるのは同期でもう一人いた
武田誠(俺)と、神原良のちの第3課第一班リーダーである。神原は元陸上自衛官である。
それがなぜ海兵隊に入ったのか?不思議ではあったが、本人曰く、最高の戦闘訓練機関で、
最高の戦闘技術学び、最高の兵士として、としか聞いていない、その前は、フランスの外人部隊で
1任期、居たとしか聞いていない。俺自身あまり人に言えた過去はないが、同じ訓練機関の同じ厩舎
同じ班、しかも、バディーだ。二人の時は、日本語で話し班でいるときは英語を話す。神原は英語が堪能ですぐに、同期の連中と打ち明けていたが俺は、英語と言ってもイギリス鉛の英語の為一部の隊員から、よそ者扱いされていた。俺は、高校卒業と同時に、サラリーマンを1年半だけ、していたが、何するわけでもなく、ただ働いていただけ生きがいや気概なんてものはなかった。それが嫌で自衛隊に志願したが、中学の時のけがなどで軽度の後遺症があり、落とされている。その時に従弟で海兵隊だったジョナサンに誘われ海兵隊に誘われたが、戦闘経験のない俺は寄り道をしていた。
フランス陸軍外人部隊に入隊後、1任期満了しイギリスに渡りSASの訓練を受けさらに2任期10年
流れ着いたのがやっと従弟との約束を果たすべくアメリカに、渡米し今に至る外国の軍隊の身体検査は自衛隊よりは、厳しくなく多少の昨日の不具合があっても基本動作に問題がなければ、入隊ができた。俺がまず越えなければならないのは、言葉の壁だったアメリカは多民族国家だが、州によって訛りがあり、北部と南部でも、大きく違う、なので、自分の部隊のメンバーの癖や訛りを勉強した。
更には、ジャンク(日常会話をさらに砕いた会話)なども勉強した。
いつの日か神原に言われたことがある。「お前、まじめすぎなんだよ。もっと砕けろ」と言われた
訓練は厳しいが、そのうち慣れ始めた、どこの軍隊も基本的な訓練は変わらない只、ボート訓練とパラシュート降下訓練だけは、普通科だった神原より慣れていたため、そりゃそうだボート担いでハイポートとか、SASでもやっていたし特殊戦技訓練は、2任期中最後の2年は教官をしていた。そんな俺にも、ただ唯一こればかりはと言うものがある。それは超高高度降下だ。なぜかと言うと、超高高度降下はいつ気を失うかわからない時速400kmの速度を落下パラシュートを開くタイミングを間違えれば開かずに地面に激突あの世行きうまく開いたとしても重症、若しくは、兵士生命が終わる。
こればかりは、いつになっても緊張するフリーフォールダイブだけは、本当に、慣れない、しかし
慣れたら慣れたでまた弊害もある、慣れたと慢心し得意げにやったらやったで気を抜いて帰らぬ人となる事故が、多発する、俺はそんな仲間たちを見てきた、故になれないのだ。自衛隊ではFF徽章がそれになると聞いたことがあるこれを持つのは一握りのレンジャー隊員だけらしい、神原からは聞けなかったが、これも秘匿義務と言うやつらしい、そりゃそうだ、わざわざ敵国になりうる存在にほいほいと情報は流せないだろう、もちろん、公開されている情報程度までしか俺も知らないしSASの情報も似たようなものだ、フランスの外人部隊だって同じ構成人員や使用火器などの情報は、開示してはいけない、どこの国の軍隊も似たようなものだ、だから、お互いそういうのは、口にしない、navyにしても同様で、開示されてる範囲の訓練内容位しか口外できない前期訓練も神原と俺のチームが何とか、首席で卒業を迎える。教官たちは、俺たちの経歴を知っているから、当然だという反応だったそのまま後期訓練に入るこの時、俺たちはシールズに編入され後期訓練に入るある意味ぶち込まれたという感想だ、やる事はSASと変わらないここも何とか無難にこなすつもりだったが、また神原とのバディだ。お互い「何の腐れ縁代こりゃ?」と腹の中で笑ったが、シールズの訓練は、SAS上がりの俺としては日課だった為か、ほかの訓練兵がついてこれず、着いてこれたのは神原だけだった。
そしてまた卒業を迎える気づけばまた、首席だった、神原は次席で卒業していた。俺たちが異常なのか?同期が普通なのか?それとも、同期が異常で、俺たちが普通なのか?わからなかった。そのままシールズでの実戦配備となる。詳しい作戦内容は、特秘事項なので、詳細はj省くが、俺たちは、いつもバディーで親友と呼べる仲であった。そこから8年が過ぎ日本政府の要請により帰国が命じられた。実質18年と言う、歳月を戦場で過ごした。俺は、渋々帰国の途に就いていた。最終経歴は海兵隊では、少尉イギリスでも少尉フランスでは曹長、まぁ~フランスでは形だけで、元々傭兵みたいなものだから階級なんてものは、意味を持たないのだが、一応最終経歴は少尉となる訳だ神原も同様だった自衛隊風に言うと3尉となる訳だが、幹部のかの字までは行けたわけだ。
最後に神原とは「日本に帰国したら何がしたい?」と聞かれた俺は「あの国でやれることなんてあるのか?」と質問を質問で返した。神原は笑いながら「だなと!」答えた。お互い空港のラウンジでビールを飲みながら成田行きのジェットを待つ今までの事を思い出しながら二人で笑っていた。
銃と共に生き死線を潜って来た者同士だからわかる笑いだった
続く