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第50話 泥棒猫不可侵条約

「――――と、いうわけで。影人は記憶喪失になったけど、しばらくすれば記憶は元に戻るそうよ」


 影人を部屋まで送った後。メッセージアプリのグループ通話で、私は二人の泥棒猫たちこと羽搏乙葉と四元院海羽に影人の状況を報告していた。


 この二人は影人の友達だ。友達。そう。『と・も・だ・ち』(重要)だものね。

 いくら泥棒猫とはいえ、このことを黙っているほど私だって倫理観が無いわけじゃない。まあ? 仮に? 黙っていたとしても? この二人が泥棒猫であるところに非があるといえる。ああ、私ってなんて優しいのかしら。まるで天使ね。いや女神?


『……よかった。影人が無事で』


 と、アプリ越しに安堵の声を漏らしたのは、大型新人泥棒猫第一号の羽搏乙葉はばたきおとは

 歌姫というあざとい肩書きを持つ泥棒猫だ。近々、復帰する予定らしい。今もレッスンの隙間を縫って参加している。


『ええ。怪我も大したことではないとのことでしたし、とりあえずは一安心ですわね』


 夏休みに頭角を現してきた、大型新人泥棒猫第二号の四元院海羽しげんいんみう。天堂家にも匹敵する名家、四元院家のご令嬢。私や影人とも、幼い頃から何度か顔を合わせてきた仲だ。


『影人様が記憶喪失になったと聞いて、お兄様ったら記憶を元に戻せる奇跡の腕を持ったスーパードクターを探す旅に出ると言い出して……本当に……本当に本当に本っっっ当に、大変でしたわ。これで少しは大人しくなるでしょう』


 お兄様、というのは海羽の兄である四元院家次期当主、四元院嵐山のことだ。

 夏休みの一件で影人のことをとても気に入ってしまったらしく、私個人としては泥棒猫化を警戒している。


「あなたの無駄にアクロバティックな方向に行動力のある堅物お兄様の話はともかくとして」


『くっ……! 何か言い返してやりたいのに何も言い返せません……!』


「しばらく、影人は療養させることにしたわ」


 私の報告に一瞬。二人の泥棒猫たちは黙り込んだ。

 恐らくは影人が記憶喪失になっているこの緊急事態につけこんだ、様々な計算が頭の中を駆け巡っているのだろう。


「影人は今まで働きすぎなぐらいだったし。記憶が戻るまでは、お仕事も休んでもらうつもりよ」


『……分かった。じゃあ、わたしたちも普通にしてる』


『そうですわね。こんな時に、影人様を振り回してはいけません』


 だけど二人は、そんな自分の欲や都合を抑え込むことにしたらしい。

 正直、拍子抜けだ。てっきりこの二人は、ここぞとばかりに攻め込んでくると思っていたから。


「…………そう? だったら、そうしてくれると……ええ。助かるわ」


『あら。拍子抜けした、と言いたげなお声ですわね』


『……わたしたちがこんな時まで、争うとでも思ったの?』


「ええ。きっと記憶を失くして生まれたての雛鳥のような状態になってしまった影人に、あることないこと邪悪な妄想を吹き込んで自分だけ優位に立とうとするような、そんな浅ましくて卑しくてはしたない泥棒猫だと思っていたわ。……ごめんなさい。私、誤解をしてしまっていたようね」


『……星音。それはお互い様。わたしも星音のこと、療養を名目にして影人のことを独占してここぞとばかりに既成事実を作り出すような、卑怯千万の四文字がこの世で誰よりも似合う泥棒猫だと誤解していた。謝らせてほしい』


『そうですわよ。星音さんは幼い頃から影人さんと時間を共にしている主であるというアドバンテージを得ているにも関わらず、未だにこのザマであることに危機感を覚えて人道に反する手段をとると誤解していました……わたくしも謝罪いたしましょう』


「ふっ……いいのよ、二人とも。あなた達の言う通り誤解はお互い様だもの。ちなみに謝罪なら土下座以外では受け付けないわ。今ならリモート土下座で勘弁してあげるから、カメラをオンにして床に頭を擦り付けなさい」


『『「…………………………………………」』』


 人間はなんて愚かなのだろう。


『……………………やめよう』


『……ええ。あまりにも不毛な争いですわ』


「そうね…………」


 ともかく。どうやら私達はお互いに釘を刺すまでもなく、今回の方針は一致していたらしい。


 ――――影人が記憶を失っている間は、抜け駆けしない。


「ではここに、『泥棒猫不可侵条約』を締結するわ」


『『異議なし』』


 泥棒猫不可侵条約を締結した後は、軽い近況報告を交えた雑談行い、アプリを切って解散した。


「はぁ……疲れた。ねえ、影人。お茶を――――」


 いつものように声をかけようとして。

 いつも傍にいるはずの存在がいないことに、遅れて気づいた。


「…………お茶ぐらい、別に影人じゃなくてもいいのよね」


 天堂家の使用人は影人だけではない。

 及川おいかわだっているし、それ以外にもいる。

 なまじ影人がなんでも出来てしまうから、普段は影人にお茶を淹れてもらうことも多いけど。別に不便になったわけじゃない。影人がいなくなったなら、その分の穴は誰かが埋める。天堂家ほどの家ともなれば、それだけの人員も人材も揃っている。


「…………たまには、自分で淹れましょうか」


 てきとうに誰かを呼んで淹れてもらおうと思ったけれど、たまには自分で淹れた方が気分転換にもなるだろう――そんな言い訳みたいな理屈をつけて、部屋を出て。


「……っ」


 影人と、ばったり遭遇してしまった。


「ど、どーもです。天堂さん」


 ぎこちない挨拶をしながら、困惑気味に頭を下げる影人。

 今の彼なりに考えた、使用人らしい振る舞いなのだろう。

 それがちょっと…………そう。ちょっとだけ、寂しい。


「……いつもみたいに『お嬢』でいいのよ」


「分かりました。お、『お嬢』……って、あれ? 『お嬢』? 『お嬢様』ではなくて?」


「そうよ。あなたはいつも、私のことを『お嬢』って呼んでたの」


「……他の使用人の方々は『お嬢様』ですよね? なんで俺だけ『お嬢』なんですか?」


「それはね。海より浅くて、山より低い理由があるのよ」


「大した理由じゃなさそうですね」


「うん。まあ、それはね……本当に、そうだったわ……」


 前に影人から聞いたことがあったけれど、本当にしょーもない理由だった。


「……でもね。私にだけしてくれる、特別な呼び方なの」


「特別、ですか……」


「そうよ。特別――――……」


 ……そうだった。私にだけしてくれる、素敵で、特別な呼び方。


「……さっきのは忘れてちょうだい。いつもみたいに『お嬢』でいい、って言ったこと。撤回させて」


「俺は構わないですけど……すみません。俺、何か失礼なこと……」


「そうじゃないの。ただ、無理はさせたくないだけ。……あなたの記憶が戻った時に、また『お嬢』って呼んでくれればいいから」


 今の影人が嫌いなわけじゃない。

 でも、今の影人からぎこちなく『お嬢』と呼ばれるのは、なぜだろう。

 ほんのちょっと……胸の中に、空白が出来たような感覚になる。


「…………やっぱり、そうなんだ」


「『やっぱり』? って、どういうこと?」


「あ……いや…………」


 影人の返事は、どこか歯切れが悪い。


「何か思い出したの?」


「ええ。まあ。さっき自分の部屋で、記憶の一部を思い出したと言えば、思い出したんですけど……」


「何を思い出したの? 私に関わることなら、話してみてくれない? もしかしたら、私に話すことでまた何か思い出すかもしれないし」


「……ですが、正直、自信が無いんです。この記憶が本当のことなのかどうか」


 どういうことなのだろう。自分の記憶に自信が無いなんて……。

 こういうのはお年を召した方が言うなら分かる。或いは、病を患っている人とか。

 だけど影人はそのどちらでもない。精密検査の結果は、異状なし。問題なく健康体なのだそうだ。記憶喪失になっている以外に、脳にも異常はない。


(……自分の記憶に自信が無くなるほどの記憶を思い出したのかも)


 私の考えすぎかもしれない。

 何しろ、今の影人は記憶喪失。そもそも自分の記憶を信じることが難しい状態だ。


「なんでもいいわ。話してみて?」


「…………分かりました」


 影人は何度か深呼吸を繰り返した後、思い切ったように。


「俺は天堂さんと半同棲状態であり、『ラブラブあまあま夏休みライフ』を過ごしていたのは……本当ですか?」


「本当よ」


 ――――はっ……! い、今、私は何を……!?

 無意識なんて生温いレベルの速さで、勝手に口が動いてしまったわ……!


「や、やっぱり、本当だったんですね……」


「そう。本当だったのよ」


 頭の中で五分ほど前に締結したばかりの『泥棒猫不可侵条約』が浮かぶ。

 でも……あれよね。別に嘘はついてないわよね?

 半同棲状態だったのは事実だし。『ラブラブあまあま夏休みライフ』を過ごしていたのも事実。私が決めた。これは事実よ。半同棲状態で新婚さながらの生活をしていたのだから『ラブラブあまあま夏休みライフ』と言っても過言ではない。


『何を言ってますの? 影人様にそのつもりはなかったでしょう?』

『……半同棲状態だけで「ラブラブあまあま夏休みライフ」と断定するのは条約違反』


 イマジナリー泥棒猫共、お黙りなさい。

 悪しきは去れ! 正義は我に有り!


「では……もう一つ、訊いてもいいですか?」


「本当よ」


「まだ何も訊いてないんですけど……」


 いけない。また口が勝手に動いてしまった。

 落ち着きなさい天堂星音。


「ごめんなさい。どうぞ、続けて?」


「…………半同棲状態で『ラブラブあまあま夏休みライフ』を過ごしていたということは、その……俺達って…………恋人、だったんでしょうか……?」


「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~まあ? 半同棲状態で? 『ラブラブあまあま夏休みライフ』を過ごしていたのなら? その関係を何と呼ぶかは……あえて口に出して語らずとも、という感じだと思うのよね。ほら、あるじゃない? 言葉にしてしまう方が野暮な時って。それが今だと思うのよね、私」


「そ、そうですよねっ。口にするのは野暮、ですよね…………!」


 影人が照れてる! 顔を赤くしてる!

 え~~~~!? うそうそうそなにこれかわいい~~~~!


「…………っ! すみません。俺、まだちょっと混乱してて……」


「そうよね……いきなり思い出したりしたら、混乱するわよね。


「俺、頑張ります。少しでも早く、天堂さんのことを思い出せるように」


「……いいのよ。急がなくても、ゆっくり思い出せば。私はいつまでも待ってるから」


「……ありがとう、ございます。そのお言葉に甘えます」


 むしろごめんなさい影人。本当にごめんなさい。

 今、私の頭の中では大フィーバーが起こってるわ。


「あの……ちょっと外に、出かけてもいいですか?」


「勿論よ。でも、気を付けてね」


「ありがとうございます。気を付けます」


 礼儀正しくお辞儀をして影人は出かけた。

 私はその背中を見送った後、さっきからきゃんきゃんうるさいイマジナリー泥棒猫たちの声をかき消しつつ。


「いや条約違反はしてないわよ? ただ言葉に出すのは野暮と言っただけで……」


 誰も聞いていない言い訳をぺらぺらと並べ立てることで忙しかった。




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