第20話 先攻・羽搏乙葉②
…………計算外だった。
わたしが事前に調べた情報だと、このホラーアトラクションは恋人からの人気が高い。……そして。このアトラクションがきっかけで恋人になったという話も多いらしい。
それにホラーハウスなら、怖がりながらとても自然に影人に抱き着くことだって出来る。まさに完璧な計画……そう思っていた。けれど羽搏乙葉の立てた計画には、致命的な見落としがあったということに気づいた。
(…………そういえばわたし、こういうの全然怖くなかった)
雰囲気のある洋館とか、勝手に震えて音が鳴る人形とか。ついでに今、そこに現れた骸骨の怪物とか……まったく怖いと思えない。怖くないから、怖がるタイミングがいまいち掴めない。これだと、影人と良い感じの雰囲気になれない。
(……まだ諦めるのは早い)
まずは認める。自分の計画に見落としがあったことを。だけど挽回できないわけじゃない。
このホラーハウスもまだ序盤。先に進み、奥に行けば行くほど出てくる仕掛けだって大物になっていくはず。
(……まずは大物を待つ。出てきたら、きゃーってする。うん。完璧)
頭の中で計画を修正したわたしは、あらためて影人と一緒にホラーハウスの中を進んでいく。……暗闇で目が慣れてきた。なまじステージに対する知識があるだけに、なんとなく仕掛けが出てくる場所が分かる。
(あとは大物……この暗闇の中で、恐怖のついでに自然と影人に甘えられるような大物さえ来てしまえば、完璧……!)
…………骨を剥き出しにして血みどろになった犬。ダメ。次。
…………全身にナイフが刺さったゾンビ。微妙。次。
…………人骨で作られた趣味の悪いオブジェ。パンチが足りない。次。
「ふぅ……もうだいぶ進みましたね。上の階に到達しましたし、そろそろ終盤なんじゃないですか?」
「…………っ!?」
なんてこと。仕掛けとタイミングを吟味していたら、いつの間にか終盤まで来てしまっていた……!
「乙葉さん?」
「…………なんでもない」
まさか大人気のホラーハウスがこんなにも不甲斐ないなんて思わなかった。
星音も意見を出しているならちゃんと改良してほしい。これだとただ影人と普通にアトラクションを楽しんで終わってしまう…………あれ? それでいいような気も……?
(…………とりあえず、次は何が出てきても怖がってみせる……!)
心の中で覚悟を固め、仕掛けを期待して先へと進む。
……うん。まだ仕掛けは残ってる。この扉を開けたら、きっと何かが出てくるはず。
とても怖い仕掛けが出てきますように……と、祈りを込めながら、わたしは扉を開ける。
「ここは……」
扉を開けた先の部屋は、あちこちに糸のようなものが張り巡らされていた。
糸で巻かれて吊り下げられているのは……人間(を模した作り物)だろう。部屋の色んなところには人間の骨(を模した作り物)が散乱している。
そしてその奥。部屋の最奥には、血走ったように真っ赤な眼。毛皮のような皮膚を全身に纏い、複数の脚を怪しげに可動させた……巨大な蜘蛛(を模した作り物)がわたしたちを出迎えていた。
「はぁ……………………」
がっかりした。
どうして大きな蜘蛛なんだろう。薄暗い洋館というシチュエーションへの甘えが見える。正直もう少しやれたはず。洋館だったら吸血鬼とかでも……いや。今はそういうことじゃない。もうこれ以上の仕掛けはなさそうだし、ここはもうこの巨大蜘蛛で妥協するしかない。
「き、きゃー。こわいー」
このまま影人に抱き着く……いや。さっきからそれをやっても失敗している。今だと効果が薄い。この部屋には蜘蛛しかいないし……もっと怖さをアピールしないと。
わたしはこの巨大蜘蛛から逃げるようにして、部屋を飛び出した。
「お、乙葉さん!?」
驚く影人をよそに、わたしはそのまま薄暗い洋館の中を走って、走って、走って――――
「…………………………………………迷った」
一人になった時、自分が方向音痴……じゃなかった。個性的な方向感覚の持ち主であることを思い出した。
「……わたし、何やってるんだろ」
ふと冷静になって我に返る。なんだか、やることなすこと空回りな気がしている。
……あんまり認めたくなかった。けどここまできたら認めるしかない。
どうやらわたしの作戦は失敗してしまったようだ。というか、根本的なところから見落としてしまっていた気がする。
(……焦ってたのかも)
転入してから、なんだかんだ言って、星音と影人の距離感は近い(想いが届いているのかは別として)ということを実感した。そこにこの球技大会の景品。チャンスだと思って張り切り過ぎたのかもしれない。
……ううん。それはただの理屈。とってつけた後付け。
本当は自分でも分かってる。わたしは、舞い上がっていた。はじめての恋心に。
抑えがきかなくて、タガが外れて、前が見えなくなって、空回りして……はじめてのことばかりだ。
知らなかった。恋がこんなにも、自分を変えてしまうなんて。
「乙葉さん」
「……影人」
「どうしていきなり飛び出していったんですか。探しましたよ」
「…………」
どうして、と言われても説明しづらい。
しかも影人本人に。出来るわけがない。
「えっと……なんでもない」
誤魔化すしかなかった。だって、本人に説明なんて出来ないから。
「……さすがに嘘をついていることぐらい分かりますよ」
「う……」
そんな気はしていた。いくら影人が鈍くても、さっきのわたしの様子がおかしいことぐらいは気づくだろう。
「……と、とりあえず今は先に進むべき」
いくら誤魔化しがバレているとはいっても、説明できないものは説明できない。
先に進むことで何とか有耶無耶にしようとしたけれど。
ドン、と影人の腕が壁を叩き、わたしの前を遮った。
「えい、と……?」
「人に心配をかけさせておいて、誤魔化そうとするのはいけませんね。乙葉さん」
そんなことを言う影人はニコニコと笑っているけれど……いつもとちょっと違う気がする。
思わず顔を逸らすと、影人の手がそれすらも許さないとばかりにわたしの頬に優しく添えられた。
「どこを見ているんですか」
「あ、あの…………えっと……」
「今は俺と話してるんです。ちゃんと俺の顔を見てください」
「ぁ…………」
わたしの頬に触れる影人の手。だけどその手は、わたしに顔を逸らすことを許してくれない。
「こんな薄暗い洋館の中を走り回ったら危ないじゃないですか。しかもあなたは方向音痴なんですし」
「ち、ちが……わたしは……」
「違わないですよね?」
「…………はい……」
「……それなら、言うべきことがあるんじゃないですか?」
「えっ?」
「心配をかけた俺に対して、言うべきことが」
「…………」
今日の影人、いつもとちょっと様子が違う気がする。
ちょっといじわるになったような感じ。でもそれが嫌じゃなくて、嫌いじゃなくて。むしろ……ドキドキしている、かもしれない。
「言ったら……許してくれるの?」
「それは乙葉さん次第です」
くすっ、と笑う影人。その表情や仕草は蠱惑的で、どことなく色気があって。
「……ごめんなさ…………ぁっ……」
影人の手がわたしの頬を優しく撫でる。じっくりと、ゆっくりと。
くすぐったくて、心地良くて。むず痒くて。そんなわたしの反応を楽しんでいるみたいに、影人の指が滑る。
「んぅ…………」
「どうしたんですか?」
「ぁう…………く、くすぐったい……」
「きちんと言ってくれないと、聞こえませんよ」
「影人のいじわる……」
「そうですね」
いじわるをされているはずなのに、そんな影人にドキドキしてしまっている自分もいる。
「今の俺はいじわるなんです。あれだけ心配をかけた乙葉さんが誤魔化そうとするから、いじわるになっちゃったんです」
もっと触ってほしい。もっと囁いてほしい。この時間が続いてほしい、って。
「……そういう乙葉さんは、いじわるされるのが好きなんですか?」
「どうして……?」
「さっきから物欲しそうな顔をしてますよ」
「う、うそっ」
影人の言葉にはっとして、思わず自分の顔を触る。鏡があったらきっとすぐに自分の顔を確かめていたと思う。
「冗談です」
「ぁ……ぅ…………」
……ここが薄暗くてよかった。だって、今のわたしの顔はとても赤いと思うから。
「言ってみてください。『ごめんなさい』って」
今のわたしには、影人のその要求がとても難しいことのように思えた。
だって、ドキドキし過ぎて、舌がうまくまわらないのだから。
言わないと。影人に心配をかけてしまったのは事実なのだから、それについてはちゃんと謝らないと。
(…………違う)
違う。すぐに分かってしまった。それは後付けの理由なんだって。
(本当はわたし…………期待してる……)
ごめんなさいを言おうとしたら、また影人がいじわるしてくれるんじゃないかって。
「…………ごめんにゃ……さい……」
ちゃんと言うことが出来なかったのは、舌がまわらなかったのか、それとも……影人のいじわるをおねだりしてしまったのか。自分ですら分からなかった。
「よくできました」
「あっ…………」
影人の手がわたしの頬から離れていく。いじわるされなくてほっとしている気持ちなんて湧かなくて、むしろそれを名残惜しいと思ってしまう。
「……では、先を急ぎましょうか。そろそろ出口ですし」
「う、うん…………」
すっかりいつも通りに戻った影人に手を引かれて、わたしは薄暗い洋館の中を進み、無事に出口までたどり着くことが出来た。
終わってみれば、結局わたしが立てた計画は何一つとして上手くいってなくて。
(……むしろ、返り討ちにされた)
攻めていたはずなのに、いつのまにかわたしが攻められていた。
(……わたし、ちょっと変かも)
この胸に感じているドキドキ。それは恋だけじゃない気がする。
(……いじわるな影人も、良いかも)