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そのじじぃの名はジロー  作者: k2taka
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第1話 時を超えたのじゃ!

まずは古い時代から始まる。

世は文明開化を果たし、海を渡って様々な文化がこの国に伝えられ、今までとは全く違う世へと移り変わっていく。

しかしそれは海外からの来客を迎え入れる場所や、国の中枢を担う場所に集中しており、都会からかけ離れた場所に住む者たちはそうした噂話を耳にするのみであった。

更に言うならば国の変化に興味を示さず、その日を何とか生きる事に邁進する者にとっては、気にも留める余裕などあるはずもない。

そのため次第に時代から遠ざかっていくことさえも気づかなかった。

それも仕方ないことであろう…


そしてこの物語に入る。

これより語るその者は周囲と解け合うことが出来なかった。

生を受けて名を授かるまでは、他と何ら変わりない赤ん坊であった。

当然家族からの愛情を受けた赤ん坊は、次第に己の社会を知っていった。

父は武芸をたしなんでおり、その技などを教えてくれた。

母は優しい人であり、その愛情に包まれた。

また3つ違いの兄がおり、兄とは共に遊び学びんでいった。

そんな幸せな彼に受難が訪れる。


やがて同じ年頃の者たちと接する機会を得たわけなのだが、幼い童である彼ら彼女らは、純粋で素直なだけに相手を平気で傷つける。

それは主人公に何の謂れもなかった。

落ち度など全くなかった。

ただ彼の名前が「弄られ易かった」。それだけである。

「たかがそんな事」と思われるかもしれないが、当時の童に道徳という教育はされておらず、それだけに他人を労わる心が未熟なため、傷つけやすく逆に傷つきやすい。

主人公は傷ついても、父は武に生きるが故に厳しく「負けるな」と叱る。

そして母はただ「そんなつもりがなかったのにごめんね」と涙するばかりだった。

現代社会であればそれは「イジメ」ととられるであろう。

だがこの時代にそうした考えは存在しなかった。

兄もまた似たようなイジメを受けたが、兄弟は互いに励まし合い、強く生きた。


やがて俗にいう「元服」を兄が迎える。

それまで共に遊んでいた兄は、一人の大人として暮らし始め、自分は一人ぼっちとなった。

そんな彼に周囲のイジメは変わらなかった。

否、知識などを得た彼らの執拗な言葉はより過激だった。

やがて彼は「奴ら」による父母を貶める言葉に耐え切れず、怒りを行動に移してしまった。

武を学んだ故にその力は同年代相手には圧倒的で、幸いにも命は取らずに済んだが、殴りかかった相手に一生の傷を負わせてしまった。

結果として彼は家を出る事となった。

今回の原因はからかう者たちだとしても、負わせた傷が許容の範囲を超えており、その地に置いておくわけにはいかなくなったのだ。

父と母は彼を思って、共にこの地を離れる事を決意した。

先祖代々過ごした家であっても、我が子を見捨てる気はなかった。

当然兄も、弟の事情が分かるだけに同意した。

そんな家族の愛に後悔の念を覚え、

「これ以上家族に迷惑をかけられない」

と思い、一人でこの地を出る決心をした主人公。

寺子屋で学んだ拙い文字で綴った手紙を残し、気付かれぬよう彼は夜中に一人で家を出た。


ある意味自由となった彼はしばらく歩きながら旅をした。

お金など持っておらず、野にある木の実などを食した。

空腹に苦しむ時もあったが、ありがたい事に道行く旅人から施しを受けて凌げた。

そんな旅をする中である日、野盗に襲われる旅人に遭遇する。

彼はそれを助け、そのお礼にと食べ物を頂戴したことから食事にありつく方法を知った。

それ以来、旅の用心棒として雇われることで金銭を知り、お金について学ぶことも出来た。

それから数年、彼も立派な青年となる。

『旅をする用心棒』として噂になり、旅人たちから頼られた。

その一方で野盗たちから狙われることにもなった。


そんな生活を続けていたがそう長くは続かなかった。

『文明開化』の波が彼から仕事を奪っていく。

鉄道が現れ旅人の数は減り、道の整備や野盗を取り締まる警官が置かれ、彼の仕事はなくなっていった。

そんな世間の変化にふと興味を覚えた彼は都会に向かう。

そこは今まで見たこともないほどに華やかで、溢れるばかりの人が往来していた。

建物も背が高く、木や土の匂いがしなかった。

(まるで異国だ)

そう感じる程にそこは彼のこれまでの知る環境と違っていた。

同じ人を見てもまるで別人のようであった。

着ているモノが全く違い、見慣れぬ大きな鉄の物体が人を運んでいく。

周囲を見回しながら歩いていくと、ようやく見慣れたソバの屋台が目に入った。

ホッとした思いでかけそばを一杯頼む。

店の主人に色々話を聞くと、次第に外国の文化が取り入れられて様変わりしているとの事だった。

食べ物にしても米でないものが流行りつつあるという。

「なにやら色々と物事が変わっていくが、時代に取り残されてしまったようだ。」

その主人の言葉に納得すると共に、自分もこれからどうやっていこうかと思案した。


しばらくぶらつきながら町を見続けていたところ、女性が絡まれているところに遭遇する。

二人組のうら若き女性に言い寄る酔っ払った外国人数名。どうやらその二人を口説こうとしているが、二人の女性は怯えるばかりだ。

それもそのはず。明らかに体格の大きい外国人の船乗りたちが昼間から酒に酔い、下品な態度で言い寄る姿は浅ましい。

周囲にも男たちはいるが、大柄な男たちに関わろうとはしないようにそそくさと去っていく。

そのうち男の手が女性を掴み、女性が嫌がる。そして事もあろうに天下の往来で女性の身体を弄り始めた。

「いやぁー、誰か助けてー!」

涙ながらに助けを求める女性。それを見捨てていくなど出来ない彼は歩み寄る。

「その手を離せ。嫌がっているではないか!」

その言葉に視線が向けられる。不満そうな顔を向けた外国の男たちは、こちらを見て一斉に笑い出す。

それはこちらを見下した笑いだった。

彼らの笑う理由は察する事ができる。

大柄な彼らに対し、こちらはずいぶん小柄な体格だからだろう。

結局、大人になっても父や兄のような大きな体格には恵まれなかった。

見るからに小さな子供が自分たちを注意しに来たと知って嘲笑っていると見受けられた。

そして女性二人も期待の視線が次第にあきらめに変わる。

子供がこの国の一般男性より大きな外国の男たちに敵うなど誰が思うだろうか。


やがて笑った男たちは外国語でこちらに何かを告げる。

だが、相変わらず女性の体を触っていた。

嫌がる女性たちを見て、彼女たちを救うと決意した。

そして男たちを引きはがそうと歩を進める。

すると、一番近くにいた外国人が笑いながら寄ってきた。

そしてこちらを掴もうと右手を伸ばした。

不用意に伸ばされた太い手。

それによって、小さな子供が酷い目にあうと見ていた誰もが予想した。

しかし、いかにも掴んでくれと言った動作の手首を、サッと掴みあげ捻りあげる。

テコの原理で相手の重心を崩すと、酔った相手は前のめりにクルっと転がって倒れる。

その瞬間、それまで周囲を覆っていた空気が静まり返った。

何が起こったか分からぬという状況でただ一人足を進める。

そして更に二人の外国人が襲い掛かってくる。

二人してこちらを捕まえようという様子だが、酒を飲んだ者の動きなど恐れる事はない。

直線的に突っ込んでくる一人目を寸前で横に躱し、ついでに足を引っかける。

それで躓いた男は先に倒れていた男にぶつかっていった。

そしてもう一人も狙いを定めて捕まえに来た寸前で後ろに回り込み、お尻を叩く様にして押す。

するとその男もまた、先にいる二人の男の方へとよろめき倒れた。

流石にこうなると船乗りたちも顔立ちが変わり殺気立つ。

摑まっていた女性2人は解放され、残る3人がこちらを包囲した。

そして激しく怒りをぶつけてくるが、外国語など分かるはずもない。

彼にとってはただ五月蠅いだけで、「多分怒っているんだろうなぁ」としか思わない。

そして三人は顔を真っ赤にしながら殴りかかってきた。

周囲で悲鳴があがるが、普段から用心棒として戦っている身としてはそれほど危機感もなく、逆に相手を死なせてしまわぬように注意したほどだ。

酔った相手に力加減は難しく、僅かな酒精を帯びただけでも体に対しての影響は大きいとかつて学んでいる。

だから打撃はやめて、相手の攻撃を捌いて転がせることにした。

時間はかからず、わずかな間に船乗りたちは地面に倒れた。

「これに懲りたら、破廉恥な事をするんじゃないぞ。」

手をパンパンと叩きながら終わりを告げると、突然周囲から大きな拍手喝采が起きた。

小柄な青年が倍もある体格の屈強な外国人たちを一方的に転がしてしまったのだ。

それを見て普段怯えていた者たちの心を揺す振らぬ訳などなかった。

褒め称える声に中、救われた女性たちからも感謝の言葉を受ける。

母親以外とまともに会話などしたことがないだけに、その美しい二人の女性を見て顔を赤らめてしまった。

そこに騒動を聞いて警官が現れる。

かつての事件などから警官とは関わりたくない主人公。なので女性二人に

「無事でよかった。」

と言い残してその場を急ぎ去った。


やがてこの出来事が噂となって広まり、彼が旅の用心棒であったことがばれる。

それによって町では彼を中心に様々な出来事があった。

強い彼を身内に引き込もうとする動き、やられた仕返しを企てる者たちなど、様々な好意や陰謀が彼を取り巻いたのだが、結局どこにも属さず町を去った。

ただ、彼にとっては郷の次に思い出深い場所となった。


町を離れて、人目を避けた彼は導かれるかのようにとある山に籠り、以来そこを駆けまわって生活をした。

洞穴を見つけてそこを住みかとし、山の実りや川の魚を食した。

冬の寒さに死ぬ思いをした事もあったが、様々な体験から知恵を授かり、自由に暮らした。


そして数十年。その長い髪やひげは白くなるほどに年を取った。

しかし自然の中で鍛えてきた体は更に強靭となり、山で最も強くなっていた。

熊や猪を倒して食事とし、毛皮などは麓の商人に売り、代金として米や衣服を貰った。

麓の集落は小さいが和やかで、彼自身いつしか人との関わりを学んでいた。

穏やかな老後だと思う。

そして今までの人生についてふと考える。

その年になってようやく家族のことを考えたのだ。

出ていった家に関しては、兄が師範となって立派な道場を営んでいると聞いている。

今更会う訳にはいかないが、自分を愛してくれた両親を思い、密かに山を下りて両親の墓に向かった。

生まれ故郷は覚えており、集落の集団墓地は何度も通った記憶があった。

その中で家の墓は奥まった場所にあり、他より少し大きな墓石に二人の名が刻まれていた。

墓前にて野で積んだ花を手向け、手を合わせる。

あの時は自分の行動で辛い思いをさせ、更に身勝手な行動で心配させてしまったと涙流し頭を下げた。

するとそこで彼は声をかけられた。

聞き覚えのある声に顔を向けると、そこには面影残る兄の姿があった。

開口一番に叱りつけられた。

「これまでにどれだけ心配した事か。」

「父や母が一時も忘れることなくお前を心配していたぞ」

「旅の用心棒なる者がお前と分かり、幾度と足を運んだが会えなかった」

などと、散々心配させてしまった事を思い知らされた。


それから二人で実家に向かい、そこで夜通しこれまでを語らい合った。

兄は結婚してすでに孫までいた。

幸せそうで、何よりだった。

一方の自分は今も一人でおり、思えば破天荒な生活だった。

だが、悔いはない。これまでの人生には十分満足している。  

早朝に兄と別れ山へと戻った。

兄とは「また会おう」と言って別れた。

それが今生の別れだと互いに悟りながら…


そして再び山で暮らしていた時だった。

夜中、月が美しい夜にふと山の上にいた。

何かに誘われるような感じで美しい月を見上げていた。

辺りは満月に照らされて明るく、行き慣れた山道をいつものように登った。

そして丸い月を見上げながら持っていた握り飯を食し、そろそろ戻ろうとした時だった。

地面が揺れる。地震だ!

大きく揺さぶられた拍子に、自分の身体が浮いた感じがした。

それもそのはず、今まで座っていた足元が崩れてしまったのだ。

山の斜面がほぼ絶壁だった場所故に、摑まる所もなく体が落ちる。

そして真っ逆さまに暗い麓へと落ちていく間、ついに自分も終わりなのだと悟る。


呆気ないと思う。

鍛え上げた肉体も、大自然の中ではちっぽけなものなのだと思った。

だけど、ここまでよく生きたものだと我ながら感心した。

まだ幼い時に家を出て一人で生きてきた。

その中で様々なものを知り、学び、己の糧とした。

最後には穏やかな生活も営めた。

だからこれは良い人生だったのだろう。


しかし、ただ一つだけ心残りがある。

それは自分の名前がからかわれてきたが故に気にしないようにしてきた事だ。

「・・・せめて、一度くらいは触ってみたかったのぅ…。」

それは女性に触れるという事だ。

触れるといっても、普通に接触はしたことはある。

手を繋いだことはある。

美しい女性とも知り合えた時期もあった。

状況的に女性を抱きしめたこともある。

そして唇を重ね(られ)たこともある。

だけど彼は女性に対して奥手で、自ら女性に触れていったことはなかった。

だから当然、童貞のままなのである。

「もしも生まれ変われたなら、今度は女性と交際したいものじゃな。」

そう思い微笑みながら、死を迎え入れようと目を閉じた。


やがて体が何かに当たり、そのまま突き破る。

「なんじゃ?」

当然地面に叩きつけられたと思ったが、なぜか五体満足な状態。

そして目を開けると、光の洪水にまた目を閉じた。

「ぬおぉぉぉ!目がぁ目がぁ~」

様々な光に閉じてもチカチカとする目。

そして体は何かに流されていく。

川にでも落ちたかと思うが、水の中という感触はないし、何よりも呼吸は出来ている。

しかし目が眩むほどの光に飲み込まれた体は、どうしようもなくその激流に任せるしかなかった。

「どうなっておるんじゃ…?うむぅ~」

目を閉じたまま流され続ける中、考えることを放棄する。

「まぁ、なるようになるじゃろ。」

ずいぶん気楽な考えなのだが、実際苦痛などないのだ。

ものすごい激流に飲み込まれながらも、痛みどころか不快感は全くなく、逆に温かさを感じていた。

「もしやこれが天国なる世界への道やもしれんな。もしそうであるなら、天女たちに甘えさせてもらうとしようかの。」

そう思いながら彼の意識は眠りへと向かった。


彼の名は「智知井次郎」。

続けて読めば、「ちちいじろう」と読めてしまう事で、男たちからはからかわれ、女性たちからは「助平」と呼ばれた。

故に家を出てからは「次郎」とだけ名乗っていた。

そんな彼の破天荒な人生は、まだ続く。



閉じた瞼がピクリと動いた。

それから次第に意識が目覚める。

次郎はハッと両眼を見開く。

「ぬぅ?・・・青空じゃ。」

開いた視界に広がる青天。雲一つ、二つ、三つ…と、もくもくと幾らかばかり浮かんではいるが、見紛うなく良く晴れた空があった。

そして視線を左右に向けると木々が見える。

それでようやく体を起こすと、そこは見たこともない場所であった。

「はて?どこじゃここは?」

周囲は木々がぽつぽつと並び、背が高めの雑木が茂っている。

きょろきょろと周囲を見るが青い空と緑がいっぱいの中だ。

「結局林の中にでも落ちたかの?…むむ、なんじゃこれは!」

山の麓にある樹海に落ちたかと思ったが、上体を起こして今の自分が着ている服に驚く。

確か寝間着代わりの着流しだったはずだ。しかし今その身には次郎の知らない衣服が着せられていた。

白いダボっとしたトレーナーにデニムのオーバーオール。そして白の靴下にゴムサンダルを履いている。

そしてペタペタと顔を触ってみる。

ふさふさの眉毛と髭はいつも通りだ。

真っ白になった長い白髪も変わりはない。

夢でも見ているのかと頬を抓る。

「あ痛いたたたっ!うむ、夢ではないようじゃ。」

そう言って「ほっ」と垂直に跳ねて飛び起きる。

首や肩を回してみるが異常はない。

「まったく訳が分からんのぅ。」

山から落ちたはずがその山が見当たらない。

とりあえず周囲の雑木が邪魔で遠くが見渡せない以上、移動するしかないと思った。

あれだけ落ちたり流されたりしたのだが、体に異常は感じられなかった。

ただ、ここは空気が少し悪いと思えた。

「少し淀んだ空気じゃな。」

一先ず今いる地面が緩い斜面になっており、上の木々の間から開けた様子が伺えるため、ゆっくり登っていくことにした。


木々を抜けて開けた草原の先に石造りの階段があった。その上にようやく民家を発見する。

「石の囲いじゃなぁ。」

ブロック塀を不思議そうに見る。ずっと並んでいるそれに金持ちの家だろうかと推測する。

そして階段を上ろうとした時だった。

「おじーちゃーん。どーかしたんですかー?」

若い女性の声にピクリと反応した次郎。そしてすぐにそちらへ顔を向ける。

ちょうど階段を登り切った場所で、3人の女性の姿があった。

3人とも着物ではなく洋服を着ており、髪もそれぞれ違った髪形をしている。特に真ん中の女性は栗色の長い髪をしている。

(外国人…ではないのぅ。じゃが三人とも別嬪さんじゃ!)

三人とも整った顔立ちをしている。そう思った次郎だったが、次の瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けた。

(な、な、ななななんじゃとぉ!?)

見開いた瞳に映ったのは3人の胸元。

これまで見たこともない程の大きな胸…俗にいう『おっぱい』が並んでいた。

(こ、これは何と大きく実った…?!)

驚きのあまり動きを止めてしまった次郎に対し、3人の女性は眉を顰める。

声をかけた白いセーターの女性が首を傾げる。

「あれ?なんか動き止まっちゃったね。」

その言葉に逆側に立つ三つ編みを肩に垂らした大人しい感じの女性が「うんうん」と肯定する。

すると真ん中にいる長い栗色の髪の女性が、顎に手をやって次郎を凝視する。

「そうね…、それにしてもあんなおじいちゃんてこの町に居たっけ?」

今まで見たこともない小柄で色黒な老人。そしてぼさぼさで真っ白な髪と眉毛と髭。

見た目のインパクトがすごい次郎だけに、一度見たら忘れないと3人ともが同じ感想を抱いた。


そんな3人を見上げる次郎だが、次第に脳が状況を勝手に解釈していく。

(全く知らぬ場所にいると思ったら目の前に美しき女性が3人もおる。しかも何とも見事なおっぱいをしておるではないかっ!

もしやワシが先ほど願うたから、神様がワシに天女をお召し下さったのではなかろうか!)

そう勝手に解釈した次郎は3人に向かって合掌し礼をする。

(かような別嬪な天女が3人もおる。しかも実ったおっぱいが3人分。つまりこれは3ぱい!さんぱい…参拝せよとの事じゃな!

神様よ、感謝いたしますぞ!)

そう思った次郎は涙を流しながら深々と頭を下げる。

突然自分たちに向かって深々と拝礼する老人に、今度は3人が困惑する。

「え?ええっ?な、なんで拝んでるの?」

「ちょっ、ちょっと待って。いきなり何拝んでるの?

もしかしたら変な人なんじゃないの?(ある意味正解)」

まだあどけない顔の白いセーターの女性が呼びかけるように言うと、栗色の長髪の女性は警戒する。

それを聞いて大人しそうな三つ編みの女性の表情が一変した。

「でわっ!神様の好意を頂きますぞっ!」

そう言いながら己の身体能力を使って3mほどはある石段を一跳びで飛び越え、更には3人の女性たちをも超える。

「え?」

「うっそぉー!!」

白いセーターと栗色の髪の女性が次郎の行動にまたも目を見張る。

そして次郎は、世界的大泥棒よろしくな「ル〇ンダイブ」で3人に飛び掛かった。

年老いた老人にしてはあり得ない大跳躍に動けない女性二人。

しかし大人しい三つ編みの女性が、すぐさま二人を庇う様に前へ進み出ると、迫る次郎の右腕を掴み地面へ引き落とすように投げる。

完全に不意を突かれた次郎は、そのまま成すがままにアスファルトの上へ転がされた。

幸い頭を打ち付けないように配慮してくれた投げと、体が勝手に受け身を取ったことでそれほどダメージを受けなかった次郎。

すぐに立ち上がろうとしたが、仰向けにされた視線の前に、捲くれ上がった三つ編みの女性のスカートが舞う。

当然次郎の視線はそのスカートに隠された女性の股へ向けられ、紫の花柄模様をしたパンツが瞳に焼き付いた。

そして膝下丈のプリーツスカートが元に戻ると、こちらを睨むような3人の視線が向けられていた。

次郎は初めてみた女性の下着を思う暇もなく、現実を見つめさせられることとなった。


「ワシもよく解らんのじゃ。」

正座をして訴える次郎。

あれから三人の有無も言わさぬ痛い視線に自然と正座し、その流れでお説教を受ける事となった。

名前を問われて「次郎」とだけ名乗り、住まいを聞かれて「山じゃ」とだけ答えた。

当然その返答に難色を示す3人だが、次郎としてはそうとしか答えようがない。

家を出たために自分の住まいはあの山であったし、実際住所などと言われても全く分からない。

年齢にしても50歳までは何とか覚えていたが、それからは気にもしなかった。

そんな次郎を前に長い栗色の髪の女性が腕組をして問う。

「それじゃ次郎さん、もう一度聞くけどどうやってここに来たの?」

さっきから何度か尋ねられた質問に、次郎は首を捻るしかできない。

「さっきから言っとるが、気付いたらそこで居たとしか答えられんのじゃ。」

同じ質問に女性たちは困惑を示し、互いに視線を向け合う。

するとまだあどけない顔をした白いセーターの女性が問う。

「それじゃおじいちゃん、覚えている限りでいいから、ここにいる前のこと教えてくれるかな?」

ここまで栗色の髪の女性が一方的に質問していたため、次第に言い合うようなきつい口論となり始めていた。

そこに柔らかな口調の問いかけをされて、次郎も少し気持ちを和らげる。

「うむ、あまり長く語るわけにはいかぬ故搔い摘むが、ワシは山で暮らしておってな、ある夜月が美しい日があったのじゃ。

それを見ておった際に地面が揺れてのぉ、ワシの身体が山から落ちたのじゃ。」

それを聞いて3人の女性はそれぞれに表情を見せる。

「当然ワシはそれでもう死ぬと諦めておったのじゃ。

その際なのじゃが、ワシは女性と交際しておらんかったからの、死んだ後の世界で女子おなごに触れてみたいと思っておったのじゃ。

して先ほど目が覚めて気付けばここに居って、お主たちを見て神様がワシの願いを聞き入れてくれた天女と思ってしまったわけじゃ。」

それを聞いて余りに荒唐無稽なだけに、未だ信じられない話ではあるが、その真剣な瞳が嘘を言っている訳でも、ホラを吹いている訳でもないと感じ取れた。

ただ、自分たちを「天女」と思ったと言われた事にずいぶん気を良くしたのは黙っておく。

「おじいちゃん、とりあえずその話の真偽は置いておくとして、私たちは天女じゃありませんよ。

だからいきなり襲い掛かられたらこっちもびっくりするから、次からはこんな事しないで下さいね。」

柔らかな物腰で諭すように言われ、次郎もそれには納得を示す。

「うむ、思わず行動してしまってお主たちには迷惑をかけた。申し訳なかったのじゃ。」

正座をした姿勢から膝に手を付けて深く頭を下げる。姿勢がよく、清々しい程に洗練された御辞儀に3人の怒りは収まった。

「…まぁ納得は出来ないけど、ちゃんと謝罪はしてもらったからそれについては赦します。」

栗色の髪の女性が嘆息の後にそう告げたことで、他の二人も賛同した。それによって次郎は立ちることを許された。


「それじゃ改めて、一応この町の自治会長をしている『梨佳』よ。どうやら次郎さんは非現実的な事が起きてここに来てしまったみたいだけど、何か身元に関して覚えていることないかしら?」

栗色の長い髪の女性の名は『小野寺(おのでら 梨佳(りか』と言い、町長をしている。まだ30代前半と若いが、姉御肌な気質と面倒見の良い人柄で皆から信頼を得ているらしい。

そんな梨佳の問いかけに次郎は腕を組んで考える。のだが…

「ワシが生まれ育ったのは外国から色んなものが入ってきた時代じゃったのう。

一時は町に出た事もあったが、慣れぬために山へと籠ってしまったのじゃ。」

その言葉に驚きの声をあげたのは、白いセーターを着たあどけない顔の女性『藤居ふじい 彩香あやか』。あどけない顔だが20代半ば過ぎで、梨佳の幼い頃からの後輩としてずっと仲良くしている妹分だ。

「それって、『文明開化の時代』じゃないの?って事はおじいちゃん150歳以上ってこと?」

驚く彩菜の声に梨佳ともう一人、先ほど次郎を投げた三つ編みの女性『原田はらだ 早紀さき』も目を大きくさせている。

早紀は梨佳と一つ違いの幼馴染で、大人しい性格ながら幼い頃から合気道を学んでいる。

このように三人は幼馴染の仲良しで、今日は町を一望できる場所で自治会関係の相談をしていた。

そこに現れたのは次郎というわけである。

「さっきも言うたが、ワシも山で暮らして居るうちに自分の歳が分からんようになっておった。されど、お主たちのような衣装を着た女子おなごは見たことないぞ。」

そう話す次郎を見て、梨佳は目の前の老人が100歳を超えているとは到底思えなかった。

「…確かに次郎さんは100歳を超えているようには思えないわね。

ん~、ダメだわ。流石にこれはどうにも出来そうにないわ。」

次郎に関してはこれ以上どうしようもないと結論付ける。

実際、当の本人が分かっていないだけにこれ以上何かが出来るとは思えなかった。

「とりあえず、次郎さんを交番に届けるとしよっか。」

その意見に二人は素直に頷き、次郎は訳の分からないまま3人に付いていくこととなった。


それから時間は過ぎて夕刻。

次郎は今、竹ぼうきを持って道を掃いていた。

人々が忙しなく行き交う繁華街の中、次郎は与えられた箒でせっせと掃く。

なぜそうなったかは、丘の上から後の行動の結果だ。


あの後交番へ行ったのだが、身元も何も分からないのでどうしようもなかった。

当然、自治会長をする梨佳は交番に努める巡査とも仲良く、彼は梨佳の後輩で彼女に頭のあがらない少しやんちゃだった青年だ。

「梨佳さん、流石にどうしようもないっスよ。」

小森こもり 俊太しゅんた』巡査の話によると、ネットで検索しても『次郎』だけでは全く分からないどころか、そもそもの住民届も出されていないのだから調べる事など出来ない。

当然昔の次郎の住民証明など残されている訳もなく、あっても苗字を名乗らない以上は探しようもない。

これでは『住所不定』という事で、本来であれば『違法行為』として罰せられる内容である。

となれば次郎は逮捕されてしまうのだが、幸いにも町で顔の利く梨佳達三人相手に、小森巡査は口止めされた。

「本来なら爺さんの身柄を預からなきゃっスけど、梨佳さんの顔を立てて一先ず目を瞑ります。だけど爺さん、何か悪い事したらその時は大変な事になるっスから気を付けるっスよ!」

軽そうな雰囲気の青年だが、町のおまわりさんとしてしっかり仕事をしている小森。そんな彼に言葉に肯定をした次郎は、梨佳たちに連れられて派出所を後にした。

「あ~、どうしようかしら…。」

困ってしまった梨佳たちの後を続く次郎。

自分への気遣いにありがたいと思う一方、町に来て自分の持つ常識とかけ離れた町の様子に面食らっていた。

かつての自然溢れた町の様子は、固く冷たい石造りの道や建物だらけで、旅の用心棒で寄ったあの町よりも冷めた様子を感じる。

高く大きな建造物に驚くも、何やら囲まれた雰囲気は狭苦しさを感じてならない。

賑やかだった文明開化後の町と違って、何やら澄ました様子で人々が行き交う。

人の格好も昔に比べて軽薄な印象だ。

見たこともない乗り物が人を押し退ける様に行き交う道。

喧噪な町の音は、やたらと耳に不快で居心地が悪く思える。

こうして次郎は、全く違う世界に来てしまったのだと実感した。


そんな周囲をきょろきょろ見ている次郎に、彩香が声をかけた。

「おじいちゃん、やっぱり珍しい?」

そう問われて次郎は肯く。

「うむ、昔町に行ったことがあったが、それよりも大きな建造物が立ち並んでおる。

それに見たこともない鉄の塊が多く行き来しておるのぅ。」

そう語る次郎に彩香は時代の移り変わりを感じているのだろうと思った。

「えぇ、時代が変わって、町は変わっていったんですもの。

今でも数年ごとに変わっていってるんだよ。」

移り変わっていく時代に少し誇らしげな彩香の言葉だが、次郎は逆の感情を抱く。

「そうかぁ…時代が変わっていくとはこういう事なんじゃのぅ。」

一抹の寂しさを交えながら、これからどうしたら良いだろうかと困惑する。

(天国なる世界に来たかと期待したんじゃが、とんでもない世界に来てしまったものじゃなぁ…)

気落ちする次郎。その様子に何やら可哀そうだと思えてしまう3人。

すると早紀がふと気付いたように提案した。

「そういえば次郎さん、今日は何か召し上がられましたか?」

朝に会って交番に向かい、そのあとこうして歩いている訳だが、話を聞く限りに何かを食べた様子はない。

「いや、今日は何も食っておらん。」

それを聞いてちょっと早い昼食を取ることにした3人。

「そうね。お腹が空いてたら良い考えも浮かばないでしょうから、何か食べよっか。」

梨佳の声に4人はある店に向かった。


「いらっしゃい…っと、珍しいな。」

ガラスの入った木製の扉を開けると、来店を告げる「カランカラン」という鐘の音がした。

それによって客へ挨拶を言いかけた男が、梨佳の姿を見て言葉を変える。

「うん、早紀と彩香と一緒に町の相談してたんだけど、ちょっとね…。」

そう苦笑交じりに応えた梨佳がそっと視線を後方に向ける。

すると早紀と彩香の後に付いてきたのは会った事のない色黒の小柄な老人だった。

「「マスターさんこんにちは。」」

早紀と彩香が挨拶をすると、それまで珍し気に見まわしていた次郎もそちらに目を向ける。

奥のカウンターにいたのは長身でやや細身の男だった。

黒のオールバックの髪にちょび髭で、細い色付き眼鏡をかけている。

その眼鏡の中で鋭い眼光が次郎を捕らえた。

思わず気を引き締める次郎。それほどまでに男の視線は鋭い。

(鋭い眼光じゃな、それになかなかの強さと見受けられる)

その威圧に似た視線に対抗するように見つめる次郎。互いに緊張をはらんで一触即発という感じに空気が冷えた。

「こらぁー!お客さんなんだからその目はやめなさいっ!」

梨佳がオールバックの男を叱る。それによって張り詰めた緊張は霧散し、店の空気は元に戻る。

そしてオールバックの男はバツ悪げに苦笑し、次郎に告げる。

「いらっしゃいませ。」

それに次郎は笑顔で応じる。

「いらっしゃいましたじゃ。」

その次郎の言葉に3人の女性が一瞬動きを止めてから笑う。

「ちょっと、おじいちゃん何それ~。」

そう言いながらお腹を抱えて笑う彩香。

早紀は口元を押さえ、大笑いするのを堪える様に身を震わせる。

そして梨佳は微笑ましくクスクスと笑うと、次郎に席を進めた。

「さ、次郎さん座って。ここは私がごちそうするわ。」


やって来たのは食事の出来る喫茶店だった。

店の名前は『ハートボイルド』。

店主はオールバックの精悍な顔つきの男「小野寺おのでら 龍二りゅうじ」。

どう見ても喫茶店のマスターというより、どこかの暴力団でいそうな迫力ある感じなのだが、彼が淹れるコーヒーは絶品でなかなか繁盛している。

そしてお気付きと思うが、梨佳と同じ姓である通り、彼女の夫である。


笑いで終えた紹介の後でカウンター席に座った次郎たち。

梨佳は手伝いにキッチンへ向かうと、しばらく待ってから出されたハンバーグ定食。

手を合わせて「頂きます」と言った次郎は、用意してくれた箸を手にして目の前の料理を凝視する。

アツアツの鉄板の上でジュージューと焼ける肉に、チーズとデミグラスソースがかけられたその逸品を口にした次郎が身を震わせて呟く。

「ヌゥゥ…こりゃ旨いぞ!」

当然生まれて初めて食べるハンバーグ。その味に一心不乱に箸を進める次郎。

早紀たちも同じくハンバーグ定食を食べる傍ら、褒められた龍二がコーヒーミルを回しながら言う。

「ありがとうございます。お口に合ったようで何よりだ。」

「ほんと、私もハンバーグ造るけどこんなにおいしく作れないのよね~。」

そう彩香がぼやくと、早紀も咀嚼する口を手で覆いながら頷く。

「もぐもぐ…。そうよね。どんなに教えてもらってもこの味はどうしても出せないのよね。」

二人も結婚していて料理をするのだが、龍二の腕前には一歩譲ってしまう。

「最初は私も負けるかって頑張ったんだけどね、今ではもういくつかの料理はお任せしてるわ。」

少し悔しそうに梨佳が呟く。

それからお腹も膨らんだところで再び次郎の話となる。


「とりあえず次郎さん、これからどうするつもりかしら?」

梨佳が尋ねると、次郎は少し考えて顔を向ける。

「ワシとしては全く見知らぬ世界に来たから、まずは色々と知識を得たいと思っておるのじゃ。

そのためにも旅をしようかとも思っておるのじゃが。」

その言葉に梨佳は首を振った。

「いいえ。それは止めておいた方がいいと思うわ。

さっきおまわりさんに言われたとおり、今の次郎さんはこの国にいない存在なの。

だから旅をしていたら必ずその問題が発生するはずよ。」

「なんだと?その爺さんがどうかしたのか?」

それを聞いて怪しんだ龍二は、改めて次郎についての説明を受けた。

【梨佳による説明中にて閑話休題】

「なるほどな。よく解らない事象によってこの地に来てしまったという訳か。」

「なんかあっさり納得されますね?」

余りの状況把握に早紀が不思議そうに尋ねる。

「まぁ、この世は不可解なことが必ずある世界だ。

そして納得するも何も現実に目の前でその人が居るわけだ。

だとしたらまずはその言葉を聞いて、時間をかけて吟味するしか方法はないだろう?

それが最も確実で懸命な手段だからね。」

何やら達観した言葉に、なるほどと思ってしまう早紀と彩香。

夫の考えに賛同する妻はより具体的に一つ一つ確認する。

「とりあえず次郎さん、今のあなたは身元を表す手段がありませんね?」

「うむ。そのとおりじゃ。」

「それに所持しているものはお金を含めて全くないのよね?」

「うむ、すっからかんじゃ。」

「そして何より、この社会の知識を全く持っていないのよね?」

「うむ、恥ずかしながら全く分からぬ。」

ここまで聞いたら誰もが思う。「この状態で一人旅など出来るわけがない」と。

「それでは旅はおろか生きていくことも大変だな。」

龍二のつぶやきに女性たちもそう思う。

「どこにも行けないとなれば、もうここで居るしかないという結果になるわね。

なので次郎さん、しばらくこの町で暮らさない?」

その問いかけに次郎は疑問符をいっぱい頭に浮かべた。

言われるとおり、どこにも行けないならそれしかない。

しかしそうなれば暮らしていく方法がないのだ。

だから次郎はもしも山があるならばそこに籠ろうと考えていた。

だけどその考えはすぐに却下される。

「次郎さんが山で暮らしていたというのはそうなんだろうけど、それは昔の話。

今では山も色んな開発がされて、山の動物がエサを探しに人の町まで下りて来るほどだもの。

当然そこで暮らしていくにも次郎さんが考えているよりも大変だと思うの。

だから一先ずでもいいから、この町で暮らしてみない?」

親身になって語る梨佳の言葉に、次郎は疑う気持ちはない。逆になぜ知りもしない自分をそこまでしてくれるのかが分からない。

「ふむ、梨佳さんが言う事は嘘偽りなくそうなんじゃろうと思う。

と同時にじゃ、ワシとしては何故そこまで親身にしてくれるかが分からんのじゃ。

自分で語るもなんじゃが、今朝がた会ったばかりで碌に事情も分からんワシに対して大変ありがたい話じゃが、何故そこまでしてくれるかが分からんのじゃ。」

そう尋ねた途端、隣で座っていた彩香がクスクス笑った。

そしてその向こうに座る早紀も同じく笑っている。

目の前ではコーヒーを淹れながら龍二も微笑んでいる。

そして問われた梨佳は溜息をつく。

何やら悪い企てに引っかかった様子だが、そこにいる人たちから悪質な気配はない。

そして早紀が梨佳に視線を向けて語る。

「昔からなのよ。梨佳ったら困ってる人や動物が居たら絶対に助けないと気が済まないの。」

その話にうんうんと頷きながら彩香が続ける。

「梨佳さんはね、特別に面倒見がいい人なの。

困っている人が居たら手を差し伸べる。

そしてその人が笑顔になる様に努力する人なの。

だから、この町でみんなが梨佳さんに色々とお願いするの。

でも、みんな梨佳さんを信じているから、困った時はみんなで解決できるように頑張るの。

私たちの町の自治会長さんは自慢の人なんだよ。」

そういう友人二人の微笑ましい答えに、梨佳が頬を染めた顔を背ける。

「べ、別にそんなんじゃないわよ。

でも、困ってる人を放って置いたら夢見が悪いでしょ?ただそれだけよ。」

明らかに照れていると分かる態度。

だから次郎はこの女性を信頼できると意識した。

当然、一緒にいる二人も同様である。


そして次郎の前へ、彼にとって懐かしい香りを漂わせるコーヒーが差し出された。

「爺さん、無理にとは言わない。

だが、何もすることがないなら色々知識を得るためにここで居てはどうだい?」

龍二が言葉と共に差し出したコーヒー。

食後に一杯と言ってサービスしてくれた自慢のブレンドだ。

そのカップに少し息を当てて冷まし口にする。

溢れんばかりの豊潤なコーヒーの香りが口内から鼻腔をくすぐる様に抜けていく。

昔いた町を離れる時に呑んだあの味を思い出す。


あの時は別れの時だった。

好意を持ったただ一人の女性と別れる時、共に座った喫茶店の席で味わったほろ苦い味。

久しく忘れていたあの頃を思い出しながら、今回は出会いで味わう事になったのだと気付かされる。

(あれで人との縁を切ろうとしたワシじゃったが、結局は人との繋がりを切れなんだなぁ)

兄たちと会い、山の麓の住人たちとも付き合いがあった。

幼い頃は嫌な思い出によって人との関わりを嫌っていたが、結局一人では生きられないという事を気付かされるだけだった人生。

そして今、こうして人の好意に再びありがたさを感じる。

苦味と酸味を伴った熱いコーヒーが喉を下る。

その熱さに胸が熱くなった。

そんな次郎を見て、彩香が驚いた声をあげる。

「おじいちゃん、どうしたの?大丈夫?」

問われて気付いたのだが、自分が涙を流していた。

思えば、涙を流したのはいつ以来であろうか?

覚えているのは父母の墓を前にした時以来だ。

(心が動いたのじゃな)

悲しさはない。

先を考えれば喜びなど出来ない。

だけど、その中で人の温かさに心が震えた。

そしてそれが涙となったのだ。

「ぬ、これは失礼したわい。あまりに懐かしい味に自然と涙してしまったのじゃ。」

「へぇ~、昔もコーヒーがあったんだね。」

「うむ、味は断然こっちが旨いがの。」

袖で涙をぬぐった後、少しぬるくなったコーヒーを一気に飲み干す。

そしてカップを置くと梨佳に向いた。

「ワシがこの時代にやって来たのがなぜかは分からぬし、この世界の事も全く分からぬ。

そしてワシ自身が何を出来るかも分からんが、こうして知り合えたのも何かの縁。

せっかくの好意を無にするは人として恥じゃと思う。

ここはせっかくの申し出をありがたく受けさせて頂こう。

よろしく頼む。」

そう言って首肯する。

それに対して梨佳は微笑む。

「ええ。次郎さんの言う通りせっかくのご縁ですもの。

一先ずはここでゆっくりしてくださいな。」

その会話に彩香と早紀が手を取って喜ぶ。

龍二は口元を緩ませながらミルを回す。

こうして時空を渡ってきた一人の老人が町の住人となった。

そしてこの老人の登場によって様々な騒動が待ち受けている事など彼ら彼女らが知る由もない。

だけど、人の繋がりが増えた事を喜ぶ空気は暖かくやわらかだった。


そして次郎は町の客人として迎え入れられた。

次郎のためにアパートの一室が用意され、そこで生活することになった次郎。

世話になりっぱなしは性に合わないという事で、町の清掃や様々な雑事を行う自治会員として働き、町で過ごすこととなったのだった。

それで早速、夜の繁華街の中で竹ぼうきで掃除する爺が現れた。

真っ白な長髪に太い眉毛、そして長い髭の日焼けで黒い小柄な老人。

白いダボダボとしたトレーナーにオーバーオール姿。

履いているのは白いソックスにゴムスリッパである。

「さぁ、ワシの新たな人生幕開けじゃ!」


特徴だらけなその老人は、やがて町の人々に知られ、必然と頼りとされていく。

これはそんな次郎の新しい人生の物語である。

お読み下さりありがとうございます。

k2takaと申します。

いつもは違うお話を書いているのですが、

少し気分を変えてこの物語を綴ってみました。


この次郎というお爺さんは、元々私がとあるゲーム内で面白キャラ的に作ったのですが、

次第に愛着あるキャラへと変っていき、今回の主人公にしてみました。

こうして作品にしてみると納得のいく形に収まったと感じております。


一応1話目として書いておりますが、こちらは不定期にやって行こうと思っておりますので

宜しければお付き合い下さると嬉しいです。


さて話は変わって、ずっと書き続けている「the Low of the World」ですが、

仕事の忙しさにアウトプットばかりしてきたせいで話が途中までとなっております。

少し余裕ができてから続けたいと思っておりますので、今年度いっぱいお待ちくださいませorz


それでは一先ず、ジローじーちゃんの次回活躍を楽しみにして下さればと思います。

この作品をお読み頂いた皆様に、楽しんで頂けたら幸いです。


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