09:不穏な配達
何が「いずれは」なのか、召喚が成功したらどうなるのか。
そもそもクラウスが誰を召喚しようとしているのか。
気にはなるものの聞き出すことが出来ず、おかげでここ数日シーラは考え込むことが増えた。
クラウスの態度はあの日以降も変わった様子はない。相変わらず夜七時に召喚してくるし、その時には紅茶を飲みながら雑談を交わす。母からのお裾分けを喜び、昨日は休みだからと家の窓枠の修理をする父を手伝いそのままクレール家で夕食をとった。
だが召喚相手の事を聞こうとすると、巧みに……とはいかず、白々しく誤魔化してくる。
やれもう遅いから帰った方がいいだの、やれ仕事に戻らなくてはだのと、分かりやすく話を遮るのだ。
「そりゃあ、私じゃ召喚の手伝いは出来ないわ。魔導士じゃないし、難しい事は分からないもの。……でも、教えてくれたっていいのに」
ポツリとシーラは呟き、パンを入れた袋の口を軽く留めた。
王宮への配達分。クラウスの昼食だ。まだ温かく、出来立てで柔らかいのが見ただけで分かる。
これを届ければ、彼は今日も喜んでくれるだろう。王宮勤めらしい凛とした態度の上級国家魔導士が一転して、シーラの知るお隣さんの顔になってしまうのだ。
温かなパンの入った袋を受け取り、嬉しそうに紫色の目を細めて労ってくれる。
……だけど、召喚相手だけは教えてくれない。
「私には関係ないことなのよね。結局、ただのお隣さんだし……」
溜息を吐きながら配達用のポーチを下げる。
それに気付いたのか、店番のために店内に出ていた夫人が「大丈夫?」と声を掛けてきた。母のような優しい瞳に、今は不安そうな色が混ざっている。
そこでようやく自分が落ち込んでいること、そしてそれを表に出してしまっていたことに気付き、シーラは我に返ると慌てて背筋を正した。
「だ、大丈夫です! ちょっと考え事をしてて……!」
「考え事? 大丈夫なら良いけど、具合が悪いなら今日は私が配達に行ってもいいのよ? もし辛いなら休んでも良いし」
「そんな、平気です! あの、私……行ってきます!」
無理矢理だと分かりつつも、声高に平気だと告げて慌てて店を飛び出した。
クラウスの誤魔化しを白々しいだの分かりやすいだのと感じていたが、この件に関してはシーラも同等である。
◆◆◆
パン屋から王宮まではさほど距離はない。
王宮内に入るのも警備に通行証を見せるだけだ。最初こそ険しい表情で通行証を凝視していた警備も、今ではにこやかに笑って通してくれる。
いわゆる顔パスというものだ。シーラはいつでも見せられるようにと首から通行証を下げてはいるものの、警備の視線はそこには向かわず、シーラの顔と、そして最近では羨ましそうに手元のパンを入れた袋に向かっている。
それどころか、先日はついにパン屋を訪れてくれた。王宮を守る警備とは思えないほど緩んだ表情で、「ようやく食べられる」と笑っていた。
そんな警備に挨拶をしつつ、王宮内へと入る。
考え込むあまり足早になっていたのか普段より到着が少し早い。
だがいつ来ても王宮内は変わらずシンと静まっており、それがまた別世界のように思えてしまう。――なにせシーラの知る昼時と言えば、パン屋の混雑から始まり、店内に人は絶えず、それを捌ききって今度は自分のお昼……と一日で一番慌ただしい時間帯だ――
それが今日は妙に息苦しさを覚え、クラウスが待つ研究室に到着してもノックをする手を躊躇わせてしまった。
いつも通りノックをして入れば、彼は嬉しそうに出迎えてくれるはずだ。「今日は早いな」と話し、労い、もしかしたら焼きたてパンを同僚に自慢しだすかもしれない。
シーラの知るお隣さんだ。
だというのに、先日から続く靄がいまだ胸に残ってしまう。
クラウスは毎日この王宮で、重苦しい扉の向こうで、自分にはとうてい分からない研究をしているのだ。
国が誇る『上級国家魔導士』として……。
対して、自分は日々パンを売るだけだ。パン屋の仕事を卑下するつもりは無いが、かといって上級国家魔導士と比べられるとは思えない。
「確かに、クラウスさんの召喚には私は関係ないわ……。たまたま隣で過ごしてるだけで、元は別世界の人なんだもの……」
小さく溜息を吐き、今度こそノックしようと顔を上げ……。
「……君は、クラウスの知り合いの子かい?」
と、背後から声を掛けられ、ビクリと肩を振るわせて振り返った。
そこに居たのは、先日紹介されたクラウスの同僚の一人だ。
金色の髪に水色の瞳、背が高く穏やかな顔つき。甘いマスクとは彼のような事を言うのだろう。
濃紺のローブを纏う姿は威厳を感じさせ、シーラは慌てて背筋を正した。
「えぇっと、確か名前は……」
「シーラ・クレールです」
「あぁそうだ、シーラと言ったね。僕はアルフ」
改めて自己紹介をしてくるアルフに、恭しく頭を下げて返す。
といっても今日はパンを入れた袋を手にしているため、スカートの裾を摘むことは出来ないが。
しかし隣町の研究所で働いているはずのアルフがどうしてここに居るのか、だが彼もまたシーラが王宮にいることを不思議そうにしている。この場合、シーラの方が疑問を抱かれて当然だろう。
「クラウスさんに……いえ、クラウス様にパンの配達をしているんです」
「なるほど、焼きたてパンを届けてもらえるとは羨ましいな。クラウスは恵まれている」
「恵まれているかは分かりませんが、食の星の下に生まれたとは言ってました」
先日話したことを思いだし、シーラが思わず笑みをこぼす。
だが次の瞬間に体を強ばらせたのは、突如大きな音が響きわたったからだ。
掻き鳴らすような音は一瞬で警報だと分かる。心臓を鷲掴みにされかねないほどの音だ。
「な、なんでしょうか……」
「この音は緊急時の警報だ。なにかあったんだな、とにかくここを離れよう」
「えっ、でもクラウスさんが……!」
緊急時ならなおさら、クラウスに会わなくては。
彼の無事を確認したいし、なにより自分が無事である事も伝えなければ、彼が自分を捜して逃げ損ねてしまうかもしれない。
そう言い掛けてシーラが部屋へと入ろうとするも。それを遮るようにアルフが腕を掴んできた。
思わず息を呑んだのは、制止とは思えないほどに強く腕を掴まれたからだ。痛みを感じ、思わず眉根を寄せる。
そのうえ彼は足早に歩き出してしまい、シーラは半ば引きずられるように歩き、道を曲がったところでようやく足を止めた。
「ア、アルフ様、待ってください! クラウスさんに……!」
「クラウスなら平気だろう。それより民間人である君の保護が優先だ」
「ですが、クラウスさんが心配しちゃう……!」
「彼には僕から連絡しておく。ほら早く歩いて」
「でも、研究室に戻ればすぐに」
「魔力を使って伝えたほうが早い。とにかく着いてきなさい」
有無を言わさぬアルフの言葉に、シーラが僅かに身を震わせた。
言葉尻は穏やかで、声も落ち着いている。まるで子供を諭すように優しい口調。
だがどこか有無を言わさぬ圧を感じさせる。いまだ掴まれた腕は痛みを覚え、ギリギリと音がしそうなほどだ。振り払って逃げることは出来ない。
「かしこまりました……」
ここは大人しく従うべきだろうか。
そう考え、シーラはアルフに連れられるままに元来た道……ではなく、別の道を歩き出した。曰く、こちらの方が近道なのだという。
鳴り響く警報は焦燥感を募らせ、アルフに保護されているというのに妙な胸騒ぎが嵩を増して胸を締め付けさせた。
入り組んだ道を通り、連れられて王宮の外へと向かう。
だが外に出た瞬間にシーラが目を丸くさせたのは、長閑だったはずの王宮の出入り口に、騎士や警備が集まっているからだ。
それも僅かに出入り口に距離を取るようにして……。
さながらそれは、王宮に立てこもる危険人物を見張るかのように……。
「……え?」
と、シーラが小さく呟いた。
どういう事かと尋ねるようにアルフを見上げる。
だが返事は無く、それどころかドンと強引に背を押された。思わず数歩よたよたと歩き、今度は別の男に強引に肩を掴まれる。
見知らぬ男だ。身形も王宮関係者らしくはない。きつく睨みつけられ、その威圧感に小さく息を呑む。
「なんだこのガキ」
「クラウスの知人だ。人質に追加しとけ」
男に命じるアルフの声はひどく淡々としている。
その声に、そしてなにより『人質』という物騒な言葉に、シーラは一瞬にして顔色を青くさせた。
「アルフ様、こ、これはどういうことですか……!」
「うるせぇガキだな。ほら、さっさとこっちに来い」
シーラが問うもアルフは答えず、代わりに肩を掴んでいた男が強引に背を押してきた。
促された方を見れば、武装した男達が数人の女性を囲んでいる。一角に追いつめられ身を寄せ合って座る女性達の姿はまさに人質だ。
王宮勤めなのか纏う衣服の質は良いが、誰もが怯えの表情を浮かべている。
その中に入れと強く背を押されて命じられ、シーラは戸惑いつつも一角に腰を下ろした。
「シーラ!」
と、覚えのある声を聞いたのはその時だ。
見れば、こちらを警戒する警備や騎士達の中にクラウスの姿があった。