07:迷子の看板娘と国家魔導士達
クラウスの同僚達がこちらへと歩いてくる。
その年齢は幅があり、一番年上であろう男性はシーラの父親と同じくらいか。対して若い者はクラウスと同年代、つまり親子ほどの差がある。
彼等はクラウスとシーラを交互に見やり、不思議そうな表情を浮かべた。
「クラウス、彼女は?」
「彼女はシーラ。俺が世話になっているクレール夫妻の娘だ」
「あぁ、お前がいつも召喚失敗して呼び出してる子か」
どうやらクラウスから話は聞いているようで、彼の同僚達がシーラの素性を聞くや合点がいったと頷いた。
それを聞き、シーラは己の頬に熱が灯りだすのを感じていた。
いったいクラウスは日頃彼等にどんな話をしているのか。
『昔から付き合いのある家の娘』や『召喚失敗して毎晩呼び出している』ぐらいならば良いが、他にも変な話をしていたら……。
たとえば先日など、おすそ分けした鍋をなかなかクラウスが返してくれないので、シーラは召喚されるや第一声に「クラウスさん、お鍋返して!」と訴えてしまった。
――もちろん普段は「ただいま」と言っている。その日は朝から鍋を持って帰るように言われており、召喚の際に忘れないようにと意識しすぎてしまったのだ――
その話をされていたらどうしよう。
他にもあの事やこの事……と他言されたら恥ずかしい話が次から次へとよみがえる。十年を超えるの付き合いはだてではない。
だが恥ずかしがっているシーラがはたと我に返ったのは、クラウスの同僚達が自分を見ているからだ。
挨拶もまだだったことを思い出し、慌てて佇まいを直した。
こういう時にはなんと言うべきか。相手は国家魔導士なのだから、失礼のないように挨拶をせねば。
そんな焦りを抱きつつ、適した言葉を探し……。
「あの、私、シーラ・クレールと申します。……ク、クラウスさんがいつもお世話になっております!」
そう声高に告げると、勢いよく頭を下げた。茶色の髪がふわんと揺れる。
この挨拶に、言われた国家魔導士達はもちろんクラウスさえも目を丸くさせたのだが、あいにくとシーラ本人は頭を下げていたせいで気付いていない。だがさすがに笑い声が聞こえれば疑問を抱いて頭を上げる。
どういうわけか、国家魔導士達が楽しそうに笑い、対してクラウスは額に手を当てているではないか。
「……クラウスさん、私なにか間違えたのかしら」
「シーラ、そういう時は『クラウスさんにはいつもお世話になっております』と言うんだ」
「そのつもりで言ったんだけど、もしかして間違えてた?」
「あぁ、間違えてた。いや、でも確かに俺のほうが日頃シーラに世話になっているな。そのせいで自然と口に出てしまったのかも」
もしそうなら俺のせいだ、とクラウスが項垂れる。
それに対してシーラは己の頬が赤くなるのを実感した。言い間違えたどころか、これでは自分がクラウスの世話をしているようではないか。
慌てて「違うんです!」と訂正すれば、それも楽しかったのか魔導士達の笑みが強まる。必死で訂正すればするほど面白がられて悪循環ではないか。
見兼ねたのか、それとも自分も笑われて気まずいからか、クラウスがコホンと咳払いをすると「笑いすぎだぞ」と同僚達を咎めた。きつく睨むのは牽制だろうか、普段は見せぬ表情だ。
「ところでシーラ、店に戻らなくていいのか?」
「そうね、あんまり長居してると心配されちゃうわ。そろそろ戻らないと……」
言いかけ、シーラが言葉を止めた。
クラウスや彼の同僚達に出会えたことで忘れていたが、そもそも自分はこの研究所内で迷子になっていたのだ。
だがそれを話せば再び笑われてしまうのは火を見るよりも明らか。この件に関してはクラウスも関係していないので、笑う同僚達を咎めてはくれないだろう。
それを考えれば到底話す気にはならないが、かといって黙って彼等を見送っても研究所から出られるとは思えない。
どうしたものか……とシーラはしばし考え込み、チラとクラウスを見上げた。
「私はパン屋に帰るわ、帰るのよ……。ところでクラウスさん」
「なんだ?」
「私はちゃんとパン屋に帰るけど、今夜も七時に召喚してね。絶対よ。約束して!」
「迷子になって帰れないならちゃんと言いなさい」
真剣な表情で訴えれば、察してクラウスが溜息を吐く。
それに対してシーラは「迷子になってないもん」とそっぽをむいて答えた。
迷子ではない。ただ入り組んだ研究所内を進んだ結果、現在地と、来た道と、行くべき道が分からなくなってしまっただけだ。
それを話せば、クラウスが参ったと言いたげに頭を掻いた。彼の同僚達が笑っている。結局笑われてしまった。
「俺はシーラを出口まで案内してくる。シーラが帰ってこないとなると、店長と奥さんが俺のところに来そうだからな」
「クラウスさんが案内したいっていうなら、案内されてあげるわ」
「はいはい、案内したいよ。それじゃ、先に戻っててくれ」
同僚達に伝えて、クラウスが「行こう」と歩きだす。
これでようやく研究所を出れる、とシーラはほっと安堵し、次いで安堵したのがバレないようにと佇まいを直した。
もちろん国家魔導士達への挨拶も忘れない。スカートの裾を摘まんで余所行きの挨拶をすれば、彼等もまた深々と頭を下げて応じてくれた。
クラウスに案内されつつ、研究所の出口へと向かう。
上の階にあがって、隣接する建物を繋ぐ通路を渡って、大きな扉の前を通って……とだいぶ入り組んだ道を進んでいく。
シーラ自身「どうしてこんな奥まで来てしまったのかしら」と自分の行動に疑問を抱いてしまうほどだ。
対して、隣を歩くクラウスは随分と慣れた様子である。入り組んだ施設内だというのに案内板を見る様子もない。
「クラウスさんはこの研究所にはよく来るの?」
「あぁ、よく呼ばれる。国家魔導士になった時に、王宮とこの研究所の両方から誘いが来ていたんだ」
「そうなんだ、知らなかった。そうよね、クラウスさんは国家魔導士なんだもの……」
長い付き合いとはいえ、シーラはパン屋で働く街娘、対してクラウスは上級国家魔導士。改めて自分と彼の違いを思い知る。
彼がクレール家の隣に越してこなければ、今こうやって二人で並んで歩くこともなく、話すこともなかったはずだ。
せいぜいシーラが憧れを抱いて遠巻きに羨望の眼差しを贈る程度で、クラウスには『名前も知らぬ街娘の一人』でしかなかっただろう。
それを考えるとシーラの胸に寂しさが湧く。
あの大通りでクラウスを見た時と同じだ。
今隣にいるクラウスが、自分の知らない『上級国家魔導士クラウス・ベルネット』だと思えてくる。
十年を超える付き合いだからと家族同然に接していたが、そろそろ態度を改めるべきかもしれない。
そんな考えが浮かび、それと同時に寂しさが増していく。
「ここが出口だ。ところで、シーラ……」
「な、なに?」
ふいに言葉を止めるクラウスに、シーラはびくりと肩を震わせて彼を見上げた。
もしかしたら同じことを考えていたのかもしれない。
そろそろ態度を改めてくれと言ってくるのか、せめて同僚達の前ではと言い出すかもしれない。
不安と寂しさが胸に湧く。だが話を聞かないわけにはいかず、上擦った声でクラウスの名前を呼んで先を促した。
彼は考え込むような真剣な表情のまま、じっとシーラを見つめてくる。そうしてゆっくりと口を開いた。
「パンの配達ってのは王宮にも届けてくれるのか?」
「……配達? 王宮に?」
「あぁ。以前からシーラが配達の話をするたびに考えてたんだ。俺はいつも前日の売れ残りを貰って昼食に持っていってるが、ちゃんと店に貢献しないとな。それに配達を頼めば焼きたてが食べられるだろ?」
「焼きたて……」
「いつも貰ってるパンも美味しいが、先日食べた焼きたて食パンは別格だった。やはりパンは焼きたてが一番美味い。配達ならそれを味わえる!」
瞳を輝かせて語るクラウスに、シーラは思わず目を瞬かせた。
シーラはクラウスとの身分の違いを実感し、それどころか彼に態度を改めるよう言われるかもしれないと不安になっていたのに。当のクラウスはパンの配達について考えていたのだ。
この温度差と言ったらない。
思わずガクリと肩を落とし、「お店に帰ったら聞いてみる」とだけ答えて小さく溜息を吐いた。