05:パン屋の休日
日々パン屋で働くシーラだが、もちろん休みもある。
パン屋の定休日。となれば看板娘だってお休みだ。
休日は昼前までぐっすりと眠り、見かねた母に起こされてようやく朝を迎える。今日は「あんまり寝過ぎると発酵するわよ」と茶化され、これにはシーラも布団から出るしかなかった。
そうして朝食を済ませ身支度を整えて家を出る。
休みの日はのんびり家で過ごす事もあれば、朝から友人と出かける事もある。
休日の過ごし方は様々で、今日は昼過ぎにエマが働く喫茶店に行き、休憩中の彼女とランチをする予定だ。
「お店の前を素通り……。何度やっても慣れないわ」
定休日の看板が下がっているパン屋を通り過ぎる。
休みの日なのだから当然、むしろ鍵がしまっていて入ろうにも入れない。だがどうにも素通りは落ち着かず、つい立ち止まって窓から店内を覗いてしまう。
店内は明かり一つ点いておらず、シンと静まり返っているのが窓越しでもわかる。もちろん棚にはパンも並んでいない。
店長夫妻は奥の工房か二階の自宅にいるのだろう。
「静かなパン屋って不思議な感じ。私の知ってるお店じゃないみたいで、なんだかさみし……あら、壁の絵が傾いてる」
寂しがるのもほんの一瞬、すぐさま店内に飾ってある絵が傾いている事に気付き、思わず窓に張り付いてしまう。
あれは明日出勤したら真っ先に直さなくちゃ……と呟きつつ、そのままじっと真剣な眼差しで店内を見つめ、他に直すべきところはないかを探す。
「カーテンも解れてるから暇を見て直しておかなきゃ。いっそ明るい色に変えたほうが外からの見栄えがいいかもしれない。たまには別の角度から店内を見るのも良いものね」
大収穫、と満足気に窓から離れ、意気揚々と喫茶店へと向かう。
先ほど胸に湧いた寂しさなど一瞬にして消え去ってしまった。そもそも考えてみれば、明日になれば再びパン屋は明るさとパンの香りにあふれるのだ。
「私も休むんだもの、お店だって休みたいに決まってるわ。休息は大事よね」
そう結論づけ、喫茶店の扉を開ける。
上部に取り付けられた鐘がカランと鳴り、嬉しそうなエマが出迎えてくれた。
◆◆◆
風通しの良いテラスでエマと昼食を取り、仕事に戻った彼女を見守りつつデザートを堪能する。その後は城下で買い物をし、夕刻前には自宅に戻った。
自宅の扉を開ければふわりと良い香りが漂う。焼きたてパンの香りとは違うが同じように食欲を誘う、これはポトフの香りだ。
台所へと向かえば、夕食の準備を進めていた母が「おかえり」と迎えてくれた。
「お母さん、今からクッキー焼いていい?」
「あら、今から?」
「エマから美味しいクッキーの焼き方を教わったの。今から焼けば、夕食後のデザートに食べられるでしょ」
だから、と買ってきた材料を並べながらシーラが強請れば、母が苦笑しつつ手早く調理道具を片して半分場所を明け渡してくれた。「はいはい」という返事はまさに子供を愛でる声色だ。
おおかた、教わったばかりのレシピを試したくて仕方がないシーラの胸中を察したのだろう。他でもない母親なのだ、いかにシーラが隠そうともばれてしまう。
そうして母娘並んで雑談をしながら調理を進め、父の帰宅とほぼ同時に夕飯の配膳を終える。
さぁ夕食だと椅子に座った瞬間……。
シーラの足下が目映く光りだした。
しまった! とシーラが棚に置いてある時計を見る。
時刻はいつの間にやら七時だ。
「お母さん、ポトフ!」
目映さの中、シーラが目を懲らしつつ両手を出す。
その手に小鍋が手渡された。
「シーラ、クッキーも! ほら、分けといたから!」
「分かった!」
もはや目を開けていられないと眩しさに眉をしかめて目を瞑れば、その手に何かがふれた。小鍋は既に持っている。これはきっと小分けしたクッキーだろう。
目を瞑ってもなお感じる眩しさの中、鍋のポトフをこぼさないようにクッキーを入れた袋を受け取る。
「ポトフは多めに分けてあるから、向こうで食べてきちゃいなさい」
「わかった。いただきまっ」
いただきます、と言い切らぬ内に、シーラの姿が光に包まれて消えた。
「やぁ、いらっしゃいポト……シーラ」
「クラウスさん、今私のことをポトフって呼んだ?」
「そんなまさか。俺がシーラを呼び違えるわけがない」
乾いた笑いを浮かべ、クラウスが着ていたローブを脱ぐ。
白々しい。言及するように「ポトフの召還は成功ね」と言ってやれば、クラウスの頬が露骨にひきつった。冷静を取り繕おうとしているが、顔が「まずい」と無言ながらに訴えている。
それを見て、シーラは肩を竦めると共に手にしていた鍋を彼に手渡した。
「私も一緒に食べていい?」
「もちろんだ。今日はポトフって聞いていたから仕事帰りにパンを買っておいたよ」
「パン? うちのパン屋は今日は休みよ?」
「隣町のパン屋だ。今日は仕事で研究所の方に行っていたから、そのついでに」
ちょうど良かった、とポトフを受け取ったクラウスが笑いながら話す。
その話にシーラはじっとクラウスを見つめ……、
「浮気だわ……」
と呟いた。
「な、何の話だ!?」
「あれだけうちのパンを愛でておいて、隣町のパン屋のパンを食べるなんて。クラウスさんがそんな浮気性の男だなんて思わなかった。ひどいわ……!」
「変な言い方をしないでくれ。俺の本命はいつだってシーラのパン屋だ。これは、このパンは……そう、一日限りの遊びだ!」
断言するクラウスに、シーラがわざとらしく俯き……。
ふっと吹き出して笑い出した。それだけでは耐えられないとお腹を抱えて笑い、目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。
「一日限りの遊びって、本当に遊び人みたいな言い方。クラウスさんてば笑わせないでよ」
「言い出したのはシーラだろう。それにシーラだってパンを食べるなら浮気じゃないか」
「私のは敵情視察よ。時にはよそのパンを食べて見聞を広めなきゃ」
だから自分は浮気ではない。そう言い切れば、クラウスが悔しそうに「ずるい」と言ってきた。
だがシーラがクッキーを見せると不満げな表情を一瞬にして明るくさせるのだから、これではどちらが年上か分からなくなってしまう。両親がいまだクラウスを息子同然に扱うのも納得だ。
「クッキーはデザートに食べよう。でも焼きたての香りには逆らえないな」
味見を……と理由をつけてクラウスがクッキーを一枚袋から取り出す。パクンと一口で食べきってしまうのを、シーラは不安げに見上げた。
教えてもらったレシピ通りに作ったし、もちろん味見もした。母からも美味しいと好評だった。
それでも、改めて第三者に食べて貰うと緊張してしまうものなのだ。
だがそんなシーラの不安を余所に、クラウスは一枚食べきるや更に一枚と口に放り込んだ。その表情は随分と満足そうだ。
彼の反応を見るに、クッキーは問題なく焼けていたのだろう。良かったと安堵し、三枚目を食べようとするクラウスに「夕飯が食べられなくなるから駄目」とストップをかけた。
このやりとりもまた、どちらが年上か分からなくなりそうだ。
そうして夕食を食べ終え、デザートに紅茶とクッキーを堪能する。
鍋に入っていたポトフはちょうど二人分で、食べ終えると皿と一緒に鍋も洗う。
ついでに、流し場の隅に置かれていたカップと皿も。
どうせ今朝もまた面倒くさがって放置したのだろう。そう考えてカップへと手を伸ばすも、シーラはおやと首を傾げた。
クラウスが普段使っている白いカップ。その隣に……ピンク色のカップがある。
目新しく、そして見慣れぬカップだ。
ちなみに、シーラがいつも使っているのは赤のカップである。
「クラウスさん、誰か来ていたの?」
「どうした?」
「このカップ、新しいのよね。ピンクってことは……」
答えを求めるようにシーラがクラウスをじっと見つめる。
ピンクのカップから想像するのは女性だ。可愛らしい花柄も描かれており、女性が好みそうなデザインである。
もしかして、自分を召還するまでクラウスはここで女性とお茶をしていたのでは……。
シーラの想像の中で、カップを手にしたクラウスが笑う。彼の向かいに座るのは、ピンクのカップでお茶を飲む見知らぬ女性。
不思議な光景だ。さすがに「そこは私の席なのに」と怒りこそしないが、どうにも落ち着かない。
だがそんなシーラの考えをよそに、クラウスは「パン屋で貰ったんだ」とあっさりと答えた。
「パンを買ったら抽選が出来るって言われて、適当に引いたらそのカップが当たったんだ」
「そうなの? ……たとえば、女性用とかじゃなくて?」
「シーラのカップなら今手に持ってるじゃないか」
「そうじゃなくて、私以外の女の人よ」
「おばさん使うかな。……でもおばさんをうちに呼ぶと、掃除の手抜きがばれるからなぁ」
出来れば呼びたくない、とクラウスが渋い声を出す。ーーもちろん嫌っているわけではない。だが母親代わりの存在に自室を見られるのは気まずいものなのだ。散らかっているから猶の事ーー
そんなクラウスとピンクのカップを交互に見て、シーラは小さく肩を竦めた。
「私ってば変なこと考えちゃった。そうよね、他でもないクラウスさんだもの」
「俺がなんだって?」
「何でもない。クラウスさんはやっぱりクラウスさんだなって思っただけ」
楽し気に笑い、シーラが洗い終えた皿とコップを手早く拭いて棚に戻した。