03:雲の上の存在
「シーラ、昨日もまた召喚されたの?」
そう尋ねてくるのは、シーラと同い年の少女エマ。
シーラが働くパン屋の四つ隣にある喫茶店で働いており、休憩時間が合うと二人で一緒に過ごすことが多い。今日もパン屋に顔を覗かせ、シーラが今から休憩だと告げると嬉しそうに公園に誘ってくれた。
そうしてシーラはパン屋のパンを、エマは喫茶店の軽食を、二人並んでベンチに座って食べる。
「召喚されたわ。歩くより早く帰れるから便利なの」
「便利って……。ほとんど毎晩でしょ? よく続くわね」
「続くと言われても、私はただ召喚されるだけよ。七時になるとパッと光って、パッとクラウスさんの家に着くだけ」
特に自分は何もしていない、そう話しつつ、シーラは手にしていたサンドイッチをパクリとかじった。新鮮で瑞々しい野菜と肉厚なベーコンが挟まった、店主特製の賄いサンドイッチだ。
その話を聞き、エマが肩を竦めた。
「そもそもクラウス様は誰を召喚しようとしてるのかしら」
「聞いても教えてくれないのよ。いつもはぐらかして、『成功したら紹介する』って誤魔化すんだもの。でも、私もクラウスさんも知らない人っていうのは聞き出したわ」
シーラもただ召喚されていたわけではない。
ときおり「誰を呼びたいの?」「会いに行った方が早いんじゃない?」と話し、そしてたまにクラウスの口からヒントめいた返事を引き出している。
おかげで分かったことが幾つかある。
「召喚で呼び出せるのは生きてる人間限定。あと、会った事のない人は召喚しても鏡に姿が映るだけらしいの」
「いつも鏡が用意されてるんでしょ? それなら会ったことのない人を召喚しようとしてるってことよね。そもそも知人なら三年掛けて召喚するより会いに行けば良いわけだし」
「そうとは限らないのよ。クラウスさん曰く、誰が当てはまるか分からなくても、条件を付ければ召喚できるんですって。たとえばこの街で一番の看板娘が誰なのかを知りたければ、『この街で一番の看板娘』を呼び出せば誰が当てはまるかが分かるらしいの」
「なるほど、そういう使い方も出来るのね。でも一番の看板娘なら召喚するまでもないわね。私に決まってるわ」
「あら、エマってば何言ってるの。一番の看板娘なら私よ」
片やパン屋の看板娘、片や喫茶店の看板娘。この街一番の座は譲れない、とシーラとエマが睨み合う。
次いでどちらともなくふっと噴き出し、しばらく笑いあった。
そうして会話を弾ませながら昼食を進め、ちょうど食べ終えたころにエマが「そうだ」と声をあげた。
「さっきお使いで大通りを通ったら、午後から異国の賓客がくるって整備してたの。まだ時間もあるし、見に行かない?」
瞳を輝かせるエマの提案に、シーラもまた表情を明るくさせて立ち上がった。
『異国からの来賓』といえば堅苦しく聞こえそうなものだが、城下に住む一介の国民からしてみれば堅苦しさよりも興味が勝る。見たことのない動物や眩い衣装を着た者達が見られるとあり、いわば娯楽と言えるだろう。
もちろん野次馬して楽しむだけではない。皆口々に歓迎の言葉を示している。
◆◆◆
大通りへと向かえば、既に人だかりができていた。
誰もが興味深そうに整備された通りを眺め、中には「何があるんだ?」と不思議そうに背伸びをしている者もいる。
まさに野次馬の群れであり、シーラもエマと共にその中へと入っていった。
「こんなに集まって、みんな暇なのね。私達も人のことを言えないけど」
「賑やかなのは平和な証ってクラウスさんが言ってたわ。私達が手を振って歓迎することで友好を示して、外交がスムーズに進むんですって」
「私達は珍しいものを見れて楽しい、向こうは歓迎されて嬉しい、って事ね。あ、来たわ!」
ほら、とエマがシーラの腕を掴んで引っ張ってくる。
促されてシーラが背伸びをして道の先へと視線をやれば、絢爛豪華な馬車が数台こちらに向かってくるのが見えた。
それを守るように馬を進めるのは異国の騎士隊だろうか。見慣れぬ制服を着ており、勇ましさに見ていた女性達から吐息が漏れる。
ゆっくりと進む一行は華やかでいて圧巻の威厳がある。それでいてあちこちから聞こえてくる歓迎の言葉には手を振って返しており、まるでパレードのようではないか。
「ねぇ、見てシーラ、馬車が輝いて凄く綺麗。飾り布も旗も、ここいらじゃ見ない柄よね。色も鮮やかだし、細かくて素敵な柄だわ」
「あの服装はどこの国かしら。騎士隊の制服も立派で……。あら?」
大通りを悠然と進む一行をうっとりと見惚れながら眺め、シーラがふと一点に目を止めた。
見慣れぬ服を纏うのは異国の騎士達、自国の騎士も彼等と並ぶように馬を進め警備を務めている。
だがその中に数人、騎士服とは違うものを纏っている者がいる。
濃紺に黄金の刺繍があしらわれたローブ。それを纏い、仲間と共に馬を進めるのは……。
「クラウスさん」
と、思わずシーラがその名前を呼んだ。
隣に立っていたエマも彼を見つけ「あら本当だ」と背伸びをする。
「魔導士様達も警備にあたるなんて珍しいわね」
「人手が足りないわけじゃなさそうだし、そっち関係のお客様なのかしら? でもなんだか、クラウスさんだけどクラウスさんじゃないみたい」
ポツリと呟き、シーラが悠然と進むクラウスを見つめた。
見事な刺繍が施されたローブ、あれは王宮の魔導士達に支給される正装だ。それを纏い堂々と進むクラウスの姿のなんと見事なことか。凛々しく、まさに『上級国家魔導士』の肩書が似合っている。
そこに昨夜一緒にお茶をした『お隣さん』の面影は無く、彼だと分かっていても赤の他人のように見えてならない。
十三年になる付き合い、それも毎晩召喚され顔を突き合わせている彼を間違えるわけがないのだが、それでも心のどこかで「知らない人」と思えてしまう。
まるで雲の上の存在。
考えてみれば当然で、クラウスは国を代表する一人であり、対してシーラはしがないパン屋の看板娘でしかないのだ。
「なんだか遠い……」
そうシーラが呟き、悠然と進むクラウスを見つめ……。
ちょうど目の前を通った瞬間ひょいとこちらを向いた彼と、ばっちりと目があってしまった。
紫色の瞳が、意外なものを見つけたと言いたげに一瞬にして丸くなる。
しまった、と別に悪いことをしているわけではないのだがシーラが焦りを抱いた。目をそらした方が良いのか、そんな迷いが浮かぶ。
だが次の瞬間、クラウスが目を細めて笑い、軽く片手を上げてきた。
城下の者達に対する愛想の良い笑みとも違う、仲間達と言葉を交わす時とも違う。もちろん警備を務めるための凛々しい顔とも違う。
柔らかく、穏やかで、優しく……そして何よりシーラの知るクラウスの表情だ。
その表情に、シーラは小さく息を呑んだ。銀の髪が日の光を受けて輝き、厳かなローブが風に揺れる。
今のクラウスの姿はまさに『国家上級魔道士』だ。それでいて、シーラの知るお隣さんでもある。
「シーラ、クラウス様が気付いてくれたよ!」
「え、えぇそうね……」
「ほら、手を振って返しなよ!」
自分の事のように興奮するエマに促され、シーラは我に返って軽く手を上げた。
僅かな緊張が胸に湧いて小さく手を揺らせば、それに気付いたクラウスの笑みがさらに深まる。
だが彼も執務中だ。すぐさま凛々しい表情に切り替え、視線をよそへとやってしまった。途端に『国家上級魔道士』になってしまうのだからなんとも見事なものだ。
不思議と先程まで感じていた距離感は消え去り、まるで家族の活躍を見守るようなくすぐったさと誇らしさがシーラの胸に湧く。
……もっとも。
「シーラ大変! もうこんな時間、戻らなきゃ!」
時計をみたエマの叫ぶような声に、慌ててシーラもポケットにしまっていた時計を取り出す。午後の仕事が始まるまであと僅かだ。
いつの間に! と二人してキャーキャーと悲鳴をあげつつ、野次馬の中を縫うようにして店へと帰っていった。