04:元お隣さんの旦那様
午後の仕事も終え、夕方。
店仕舞いを終えたシーラが時計を見上げれば、時刻はまだ六時半。
いつもならば早く終えられたと誇らしげに店長に報告するところだが、今日に限っては恥ずかしさが勝ってしまう。クラウスに早く会いたい一心で掃除をしていたところ、どうやらいつも以上の働きをしてしまったようだ。
「歩いて帰ろうかしら。でもそうしたら、クラウスさんに早く会いたくて急いで帰ってきたと思われないかしら。なんだかそれは恥ずかしいわ」
己の頬がほんのりと熱くなっていくのが分かる。
そんなシーラに声が掛かった。店長夫妻だ。
詳しい事情を知らない彼等は、それでも昼休憩から戻ってきたシーラがいつもの調子を取り戻してくれたことに良かったと安堵してくれた。
「午前中はすみませんでした。私ってば、心ここにあらずでミスもしちゃって……」
「気にしないで。シーラの悩みが晴れるのが一番だし、午後の働きは凄かったもの。それに、何があったかはちゃんと話してくれるんでしょう?」
楽しみ、と悪戯っぽく夫人が笑う。事情を知っているわけではないだろうが、おおよその予想は着いていると言いたげだ。
この優しい冷やかしに、ぽっとシーラの頬が赤みを増す。この反応もまた夫人の推測を肯定しているようなものだ。
「シーラ、七時まで時間があるしお茶でもどう? 大丈夫、今日はまだ聞き出したりしないわ。今日はね」
「……頂きます。それと、ちょっとだけお話も」
夫人のいたずらっぽい笑みと言い回しに、シーラが頬を染めつつ答える。
それを聞いた夫人の顔がパッと明るくなる。彼女に腕を掴まれ、シーラは店の奥へと連れていかれた。
◆◆◆
「こんばんは、クラウス・ベルネットです」
店の方から聞こえてきた声に、夫妻とお茶をしていたシーラはガタと立ち上がった。
クラウスだ。だがどうして店に?
慌てて店の方へと向かい、鍵を開けるのとほぼ同時に扉を開いた。
「クラウスさんっ!」
「や、やあ、シーラ。お仕事ご苦労様」
どこかぎこちなくクラウスが笑う。
彼の言葉に、シーラもまた照れ臭さを感じながら労いの言葉を返した。
「でも、クラウスさんどうしたの? 仕事終わりにお店に来るなんて珍しい」
「シーラを迎えに来たんだ。一緒に帰ろうと思って」
どうだろう? と誘ってくる彼の頬がほんのりと赤い。
それにつられるようにシーラの頬も熱をもった。いつもなら「もちろん!」と上機嫌で答えただろうが、今は胸が高鳴ってしまい上手く声が出ない。
返す自分の声には緊張の色が混ざっている。気付かれただろうかと考えると恥ずかしさがより増してしまう。
「それなら、店長さん達に挨拶をしてくるわね」
妙なもどかしさを感じつつシーラが告げ、急いで店の奥へと向かおうとし……。
奥へと続く扉から顔だけ出し、こちらを窺う店長夫妻に気付いて足を止めた。
覗きである。
そのうえ二人共ハンカチで目元を拭っている。まるで娘を嫁に出す親のようではないか。
「もう! 覗き見なんてやめてください!」
怒りながら近付けば、夫妻がさっと奥へと隠れた。もちろんそれを追いかける。
そうして鞄とお土産のパンを手に再びクラウスの元へと戻れば、彼は楽しそうに笑いながら待っていてくれた。――お詫びにとタルトを包んでくれたので、覗き見の件は不問とした――
パン屋から家までの距離はそう遠いというわけではない。
だが夜だけあり周囲の店は既に閉まっており、日中のような賑やかさはない。建物の半分近くは明かりを落とし、普段は気にもとめない街灯の明かりがこの時間だけは明々と感じられる。
それと月明かりを頼りに歩きながら、変な気分、とシーラは心の中で呟いた。
隣を見ればクラウスがいる。
見慣れているはずの彼の横顔が、今夜は妙に格好良く見えてしまう。銀糸の髪が月の光を受けて輝き、紫の瞳は夜の暗さでいつもより色濃く見える。
「……駄目だわ、どうしよう」
「どうした?」
「クラウスさんを見ているとドキドキしちゃうの」
どうしたらいいの? と熱くなる頬を押さえてシーラが尋ねる。
それに対してクラウスは一瞬言葉を詰まらせ……次の瞬間、夜の暗さの中でも分かるほどに顔を真っ赤にさせた。
「それを俺に聞くのか……」
「だってクラウスさんは上級国家魔導士でしょ。頭が良いんだし、なにか解決策はないかしら。このままじゃドキドキして家に着くまで心臓がもたないわ」
「魔導士はまったく関係ないな。……でも、それなら少し寄り道しようか」
良いかな、と尋ねられ、シーラはまだ熱い頬を押さえながら頷いて返した。
クラウスと共に向かったのは、城下街の外れにある公園。
日中エマと昼食をとった公園と比べると狭くこじんまりとしているが、そのぶん静けさと落ち着きがある。
等間隔に設けられたベンチの一つに腰掛ければ、さぁと風の音が聞こえてきた。心地良い音だ。
「まだ頬が熱い。ねぇクラウスさん、私、顔が赤くなってない?」
「だからそれを俺に聞かないでくれ。俺まで顔が熱くなってくる……」
「そうね。クラウスさんも顔が赤いわ」
「……でも、シーラも顔が赤いってことは、俺と同じ気持ちなんだな」
呟くようなクラウスの言葉に、シーラは頬を手で押さえたまま彼を見た。
同じ気持ち? と尋ねれば、クラウスが何か言い淀み……、
「シーラ!」
と、意を決したかのように大きな声でシーラの名前を呼び、こちらへと向き直ってきた。
シーラもビックリして「はい!」と声をあげてしまう。
夜の静かな公園の中、二人の声が場違いなほどに響いた。
「シーラ、その、昨日は責任を取るからと結婚を申し出たけど、俺は……俺は、心からシーラと結婚したいと思ってる」
「クラウスさん……」
「シーラ、君のことが好きだ。ずっと一緒に居たい。俺と結婚してくれ!」
クラウスが真っすぐに見つめてプロポーズの言葉を口にする。上擦った声なのは、きっと緊張し、そして想いを込めているからなのだろう。
元より痛いくらいに高鳴っていたシーラの鼓動が更に加速する。胸元を手で押さえればその手すらも鼓動に合わせて震えそうなほどだ。
返事をしなくてはと思うのに声が出ない。だがこのまま無言では駄目だと己に言い聞かせ、シーラもまた「クラウスさん!」と彼を呼んだ。
「私もクラウスさんの事が好き。今までのように、いいえ、今まで以上に一緒に居たいわ。クラウスさん、私と結婚して!」
先程の彼に負けぬほど上擦った声で、シーラが想いを告げる。
それに対してクラウスは一瞬きょとんと眼を丸くさせた後、
「これじゃ二人共プロポーズしたことになるな」
と笑いだした。
シーラもパチンと瞬きを一度し、己の発言を思い出す。
確かに、クラウスからの「結婚してくれ」という言葉に、シーラは「結婚して」と返してしまった。なるほど、これは確かに返事にはなっていない。
「だって仕方ないじゃない、クラウスさんってばいつも突然なんだもの」
「だからって、プロポーズの返事にプロポーズで返すなんて」
「笑わないでよ!」
笑いだすクラウスをシーラが叱咤する。
なんて失礼なのだろうか。先程までの胸の高鳴りはどこへやら、ふんとそっぽを向いてやった。
このままクラウスを置いて帰ってやろうか。そんな事すら考えてしまう。
「笑ってすまなかった。なんだかシーラらしくて、つい」
「……つい、で笑っちゃうクラウスさんもクラウスさんらしいわ。こういう時は、微笑んで優しく肩を抱いてキスするくらいの余裕を見せてくれないと」
「キ、キスなんて……。そんな対応が出来る男なら、三年間も伴侶の召喚を……」
言いかけ、クラウスが言葉を止めた。
何かに気付いたように唖然としている。
そんな彼の表情にシーラはどうしたのかと首を傾げ……、
「あぁ!!」
と声をあげた。
クラウスが三年間召喚していた相手は『伴侶』。
だがその召喚はいつもシーラを呼び出していた。毎回、変わることなく。
それを失敗だと思っていたが……、
失敗ではなかった。
最初からずっと、クラウスの伴侶としてシーラが呼び出されていたのだ。
「召喚失敗って、クラウスさん勘違いしてたのね!」
「俺だけじゃない、シーラだって召喚失敗だと思い込んでたじゃないか」
「だってクラウスさんは上級国家魔導士でしょ。そんなクラウスさんが『失敗』って言うんだもの、ただのパン屋の看板娘が信じちゃっても仕方ないわ」
「ぐぅ……」
シーラの言い分にクラウスが唸り声をあげる。どうやら反論できなくなったらしい。
それがまた面白く、シーラは勝ち誇った笑みを浮かべ、対してクラウスは何とも言えない不満げな表情をし……。
そして、二人ほぼ同時に笑いだした。
なんとも自分達らしい話ではないか。
毎晩召喚され続けた三年間を振り返ればお腹が痛くなるほど笑えてしまう。それどころか笑いすぎて目尻に涙が溜まり、指先でそれを拭った。
「ずっとクラウスさんは私を召喚してたのね。なんだか不思議な気持ち」
「俺は自分の鈍さに呆れてきたよ。……でもまぁ、三年前に気付こうと今気付こうと、変わらず相手はシーラだったんだな」
「ねぇ、クラウスさん。これからも私を召喚してくれる? 私だけじゃないと嫌よ」
「もちろんシーラだけだ。でも、召喚も良いけどこうやって二人で帰るのも良いだろ?」
クラウスが立ち上がり、シーラの目の前に立つと片手を差し出してきた。
夜空に浮かぶ月が彼の銀糸の髪を照らし、その姿はまるで物語の王子様のようではないか。
素敵、と思わず呟いてしまう。聞こえていたのか彼が照れくさそうに笑った。ほんのりと頬が赤くなっている。
差し出してくる彼の手を握って返せば、促すように軽く引かれた。
それに誘われるように立ち上がり……
そして、そのままクラウスに抱き着いてキスをした。
押し付けるように触れた唇をゆっくりと離せば、クラウスの紫色の瞳が丸くなっているのが目の前に見える。
不意を突かれたからだろう、彼はしばらく唖然とし……、次いで事態を理解すると、先程よりいっそう顔を真っ赤にさせた。今日一番、それどころか今までの付き合いでも見た事ないほどに赤い。
もっとも、シーラとてそれは同じこと。だからこそ誤魔化すように「さぁ帰りましょう」と何事も無かったかのように歩き出した。
「シ、シーラ!?」
「今日はお母さんがお祝いにビーフシチューを作ってくれているのよ。お父さんも今夜はクラウスさんとお酒を飲むって言ってたわ。早く帰らないと!」
「シーラ、い、いま!!」
「遅くなるとお母さんが心配しちゃう。ほら、クラウスさん!」
早く! とシーラが繋いだ手を引っ張る。
「あ、あぁ分かった。……ところでシーラ」
「なぁに?」
名を呼ばれ、シーラが振り返る。
次の瞬間、シーラの目の前にクラウスの紫色の瞳が間近に見え……、
唇に柔らかな感触が触れた。
ぱちんと瞬きを一度すれば、その柔らかな感触がゆっくりと離れていく。
目の前には真っ赤なままのクラウスの顔。
幸せそうに笑う顔は上級国家魔導士らしくなく、それでいてシーラのよく知る彼の顔だ。こちらの心まで蕩けてしまう顔。やんわりと彼の唇が弧を描く。
「ク、クラウスさん、いま……!」
「俺だってやられてばっかじゃないさ。……でも、ゆっくり帰ろう、俺もシーラも当分は顔が真っ赤だ」
このまま帰れば、何かあったか直ぐにばれてしまう。
そう話すクラウスにシーラは頷いて返し、彼の隣を普段より少しゆっくりめに歩いた。
もっとも、寄り添い手を繋ぎ顔を真っ赤にして歩く二人の姿に、偶然見かけた者達は何かあったのかを直ぐに理解してしまった。
もちろんクレール夫妻も言わずもがな。ぎこちなくも幸せそうな空気を纏う二人を前にしてすぐさま事態を理解し、シーラとクラウスが話し始めるより先に夫妻で乾杯してしまった。
…end…
『お隣さんが召喚してくる!』本編後の二人のお話、これにて完結です!
本編に続きお付き合い頂き、ありがとうございました!