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03:幸せ者

 

 翌日、眩しいほどに晴れ渡った昼時。城下街にある公園でシーラはエマと昼食をとっていた。

 だが今のシーラには天気の良さも、ましてや公園の穏やかさも感じている余裕はない。それどころか昼食のパンの美味しさも、今飲んでいる紅茶の味さえもおぼろげだ。


「それで、クラウスさんと結婚することになったの?」


 エマに尋ねられ、シーラは頷いて返した。


「責任を取るために結婚ね。真面目なクラウス様らしいわ。それで、シーラは何て返事をしたの?」

「突然の事だから、ビックリして『はい』って言ったわ」

「あら、良かったじゃない。ご成婚おめでとう。結婚式のウェディングケーキはパン屋に譲るけど、料理はうちの喫茶店に依頼してくれるのよね?」


 どんなメニューにしようかしら、と結婚式の話をしだすエマに、シーラは「もう!」と怒りながら軽く彼女の腕を叩いた。

 こちらは未だ心ここにあらずだというのに、エマの脳内では既に挙式にまで進んでいるのだ。……いや、エマだけではない。


「お母さんもお父さんも、クラウスさんの話を聞いて『あらあら』なんて言いつつあっさりと了承したのよ。その後は二人で紅茶で乾杯するし。普通はもっとビックリするものよね?」

「……そうね、普通ならきっとビックリしたでしょうね。ところで、シーラはクラウス様との結婚は嫌なの?」


 エマに問われ、シーラはパチンと一度瞬きをすると「そんなまさか」と即座に返した。

 脳裏にクラウスの姿が浮かぶ。穏やかに笑って、そして時に屈託なくあどけなく笑う。次いで親しみを込めて「シーラ」と呼ぶ。

 その顔も、声も、……そして彼がどれだけ素敵かも、鮮明に思い出せる。


「嫌なわけないでしょ。だってクラウスさんは優しいし、格好良いし、知的だもの。仕事中は凛々しくて、でも笑うと年下のようにあどけないの。それに、クラウスさんと一緒に居ると落ち着けるし楽しいわ」

「そうね、クラウス様は立派で素敵な方だわ」

「でもちょっとずぼらなところもあるの。食器を洗うのを面倒くさがるし、コートもローブも直ぐにあっちこっちに掛けてそのままにするのよ。あとこれは秘密なんだけど、クラウスさんって猫舌なの」


 寒いからと温かい紅茶を淹れ、かと思えば冷めるまで飲めずに待っているクラウスの姿を思い出し、シーラが笑みを零す。見慣れた光景だが、きっとクラウスを『上級国家魔導士』としてしか知らない者は意外に思うだろう。

 外では見栄を張って熱くても我慢して飲んでいるというから猶更だ。


 クラウスの事を思い出しながら彼の魅力を話せば、エマも丁寧な相槌を打ってくれる。それがまた心地良く、そして次の話へと誘う。

 そうして話の最後に、シーラが結論付けるように言い切った。


「クラウスさんより素敵な男の人なんていないわ!」


 はっきりと、それどころかまるで宣言するかのように、自分の声が力強いと分かる。先程まで心ここにあらずだったのが嘘のようだ。

 次いでふぅと一息ついて紅茶を飲めば、不思議と先程まで感じなかった紅茶の味が伝わってきた。


「そんなクラウスさんと結婚するのね。今までも一緒だったけど、これから夫婦になって、ずっと一緒にいるんだわ」


 改めて口にすれば、胸の内がほわと温かくなった。

 それどころか次第に胸が高鳴ってくる。鼓動が早まり、胸だけではなく頬まで熱くなってくる。

 頭の中に鮮明に浮かんでいたクラウスがより笑みを深めた気がする。「シーラ」と呼んでくれる声は相変わらず優しいが、今まで以上に胸に染み込んでいく気がする。

 今までは家族同然に名前を呼んでくれていたが、これから彼は妻として自分を呼ぶのだ。


「どうしよう、エマ。私……」


 頬を赤くさせてシーラが戸惑いの声漏らせば、エマが優しく笑った。ようやくと言いたげな表情だ。

 対してシーラは鼓動を抑えるようにぎゅっと胸元を手で押さえた。胸が痛いくらいに高鳴っている。自分の頬がまるで焼きたてパンのように熱い。



「私、世界で一番の幸せ者だわ!」



 世界中から嫉妬されちゃう! とシーラが声をあげれば、それを聞いたエマが「惚気タイム終了、さぁ働くわよ」と告げて立ち上がった。



 ◆◆◆



 時刻は昼過ぎ、場所は王宮の研究室。

 クラウス・ベルネットはいつも通り研究室のデスクに座り、執務に務めていた。

 報告書を読み、書類と比較し、魔術の法則を考え……。


「まったく頭に入らない」


 と頭を抱え込んだ。本日三度目であり、最初こそ心配してくれていた同僚達も今では誰も気にも留めていない。

 それどころか今日のクラウスは使い物にならないと割り切り、クラウス抜きで研究を進めるではないか。シビアすぎる……とクラウスが恨みがましく同僚達を睨みつけるも、今日の己が使い物にならない自覚はある。

 だがそんなクラウスに、横から声が掛かった。


「クラウス様、どうなさいました?」


 声を掛けて来たのは王宮に勤める女性。

 名前はレリア。年はクラウスの両親と同年代、佇まいや言動から聡明さを感じさせる女性だ。


「頼まれていた研究文献です。届いたと連絡がありましたので持って参りました」

「あぁ、ありがとう」


 礼を告げて受け取り、数ページ捲る。

 今進めている研究に必要な文献。だというのにこれもまた頭に入ってこない。

 本当に使いものにならないな、とクラウスは心の中で呟き、先程淹れたばかりの紅茶に口をつけた。淹れたてでまだ熱いが、それを我慢して飲む。


「そういえば、今日はシーラちゃんは来なかったんですね。パン屋のご夫人をお見掛けしました」


 レリアの話に、クラウスはピクリと肩を震わせた。

 視線を向けるのは机の上に置いたままのパン。どうにも今日は食が進まず、昼食を残してしまった。


「シーラちゃん、何かあったのかしら」


 心配そうにレリアがシーラの名前を口にする。

 王宮へのパンの配達はシーラの仕事だ。昼時になると研究室の扉がノックされ、「こんにちは、お昼をお持ちしました」とバスケットを手にした彼女が顔を出す。

 最初こそ注文していたのはクラウスだけだったが、一人増え二人増え、いまでは研究室にいる魔導士の殆どがパン屋の配達を利用していた。シーラの登場は昼休憩の合図となり、普段は重苦しい研究室の空気が、シーラが現れると途端に温かなものに変わる程になっていた。


 だが今日に限って、扉を開けて顔を覗かせたのはシーラではなくパン屋の夫人だった。

 曰く、今日のシーラは様子がおかしく、代わりに夫人が配達に来たのだという。


「シーラは……その、特に病気とかではないから平気だ。……と思う」

「あら、何か知っているような口振りですね。詳しくお聞きしても?」

「いや、それは……」

「私はシーラちゃんに命を救われた身、彼女を心配し、上級国家魔導士様相手といえども聞き出す権利があります」


 きっぱりとレリアが言い切る。

 それに対してクラウスは僅かに言い淀み「……権利は無いと思うが」と反論したのだが、それは彼女の力強い「あります!」という言葉に圧されて終わってしまった。


 だが、誰かに話すのは考えを整理するのに良いかもしれない。


 レリアは以前に起こった事件でシーラとも面識がある。

 むしろ面識どころかシーラに助けられた身で、それ以降なにかと気遣い、昼時に会うとお菓子をあげているという。相談すればきっと親身に話を聞いてくれるだろう。


「分かった、話そう。だがここでは話しにくいから、場所を変えても良いだろうか」

「かしこまりました」


 クラウスが立ち上がり、話が出来る場所はと考えながら研究室を出ていった。





「それで、シーラちゃんと結婚を?」


 というレリアの言葉に、クラウスは深く頷いて返した。

 昨夜の事を――さすがに下着姿を見てしまったことは省いて――話し、そして最後に「プロポーズをした」と説明したのだ。

 この話にレリアは驚き、「それでシーラちゃんは?」と続きを促すように尋ねてきた。


「『はい』と言ってくれた。だが話を続けようとしたら、おばさん、いや、クレール夫人が話を進めてしまって……」


 夫人は『あらあら』と驚きの声をあげたものの、すぐさまお祝いだと紅茶を淹れ始めてしまった。

 そして娘の結婚を祝って夫婦で乾杯をする。カチンとカップが当たる音を、クラウスとシーラは呆気にとられつつ聞いた。


「普通は詳しく話をすると思うんだ。俺はおじさんに殴られる覚悟だってしていた。大事な娘を傷つけ嫁に欲しいと言い出したんだ、殴られ、反対され、それでも折れぬ意思を見せるべきだろう」


 だというのにクレール夫妻は歓迎ムードで、そのうえ自分達の乾杯が終わるや満足したのか「詳しい話は明日にしましょう」と夕食の支度を始めてしまったのだ。

 結果、クラウスは唖然としたまま彼等と夕食を食べることになった。――ちなみにシーラも同じように唖然としながら夕食を食べていた。――


「結局そのまま別れてしまって……。昼に改めて話をしようと思ったんだが、シーラは配達に来なかっただろう」

「それで心ここにあらずだったんですね」

「ここで悩んでいてもしょうがないとは分かっているんだが、どうにも落ち着かなくて……」


 己の不甲斐なさにクラウスが俯く。

 だが次の瞬間レリアに、


「シーラちゃんとの結婚に迷いがあるんですか?」


 と問われ、顔を上げると同時に「そんなまさか!」と答えた。


「迷いなんてあるわけがない! シーラは優しくて明るくて、しっかり者で家庭的だ。それに笑うとあどけなくて可愛いし、彼女と一緒にいると心が安らぐ。そんなシーラと結婚出来たらどれだけ幸せか! ……結婚、出来たら」


「結婚」とポツリとクラウスが最後に呟き、黙り込んだ。

 脳裏にシーラの姿が浮かぶ。茶色の髪をふわりと風に揺らし、楽しそうに笑う。こちらを見ると嬉しそうに目を細めて、親愛を込めた声で「クラウスさん」と呼んでくれるのだ。

 その姿も、声も、まるで目の前にいるかのように鮮明に思い出せる。


 本人は「地味な色合い」と言っているが、茶色の髪も瞳も温かみを感じて可愛らしい。そのうえ優しく家庭的でしっかり者。

 だが意外と抜けているところも多く、迷子になりやすい。熱心に地図を読み、看板を見つめ、その挙句に「こっちね!」と自信たっぷりに間違えた道を進むのだ。何度慌てて彼女を引き留めたことか。

 もっとも、それを本人に話せば「いつも迷子になってるわけじゃないわ」と怒るだろう。心外だとそっぽを向いて拗ねてしまうかもしれない。それを宥めるやりとりも、クラウスにとっては心地良い日常だ。


 シーラほど理想のお嫁さんは居ない。

 世の女性を知り尽くしたわけではないが、これは断言できる。

 そんなシーラと結婚。彼女が自分の伴侶になる……。


「それは、つまり……俺は世界一の幸せ者ってことか!」


 クラウスが思わず声をあげた。

 一瞬にして世界が明るくなった気がする。

 もっとも、元々不幸で暗かったというわけではないので、明るい世界がより明るくなったというべきか。もはや花が咲き乱れる勢いだ。


「シーラがお嫁さんになってくれる。彼女とずっと一緒だ! クレール家とも正式な家族になれる!」


 浮かれ切った声で幸せだとクラウスが語る。

 それに対してレリアは良かったと安堵しつつ「これはこれで今日は心ここにあらずですね」と肩を竦めた。



 彼女の言う通り、浮かれきったクラウスは丸一日使い物にならなかった。



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[一言] 二人の頭上をひよこがピヨピヨと円を描いて飛んでいる(ただし翼は使っていない)と。
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