02:湯上り看板娘と土下座魔導士
「やぁシーラ、遅くなってすまな……なっ!!」
と、クラウスが間の抜けた声をあげたのは、クレール家の脱衣所からシーラの姿が消えた直後。
場所はもちろんクラウスの家。その中でも召喚時に使用している部屋だ。床に描かれている魔法陣が淡い光を放ち、積み重ねられた書類が風を受けて揺れる。
普段通り召喚を終えてローブのフードを捲ったクラウスだったが、現れたシーラの姿にぎょっとして慌てて背を向けた。
「見ないで! クラウスさん酷い!」
シーラが悲鳴をあげ、すぐさましゃがみこむ。身を縮こまらせて少しでも自分の体を隠そうと考えたのだが、それでもやはり下着姿では隠しようがない。
唯一持ってきたタオルは布面積が少なく、なんと頼りない事か。せめて体を覆えるサイズのタオルを持っていればよかったのに。
「な、なっ、なんっ、なんで、シーラ! なんでそんな姿でっ!」
「酷い! どうしてこんな時間に召喚したのよ!」
背を向けたままのクラウスに対し、しゃがんだままのシーラが酷いあんまりだと喚いて責める。
だがいくら喚いて訴えても今のクラウスには答える余裕もましてや考える余裕すら無いようで、後ろ姿でも分かるほどに慌てている。
「なんで」だの「どうして」だのと繰り返し――シーラとしては「こっちが聞きたいわ!」という気分だ――果てにはあたふたと「まずは着るものを」と周囲を探り出した。
だがここは召喚用の部屋だ。資料や研究道具は積んであっても衣服はない。壁に掛かったままのコートは昨日シーラが片付けてしまった。
それならと考えたのか、クラウスがもぞとローブを脱ぎ、上擦った声で「投げるぞ」と告げて放って寄越してきた。ポスンと落ちたのはシーラの居る場所から些か離れているが、こちらを見ずに放ったのだから仕方ない。
「と、とりあえず、それを着てくれ。丈も平気なはず」
「……分かった」
クラウスの提案にシーラは恨みがましい声で答えつつ、そろそろと這うようにしてローブの元へと向かった。
幸い、ローブは大きめに作られており前を留めることができる。クラウスの言っていた通り丈も問題ない。これならば体は隠せるだろう。
もっともローブはあくまで衣服の上に纏うもので、留め具の隙間から肌が見えないようにと手で押さえておく必要はあるが。
国家魔導士のみ着ることを許される、特別なローブ。
上質の濃紺色の布。細かく描かれた金糸の刺繍は、魔力を使うための呪文だと以前に聞いたことがある。
高価どころか値段のつけられない代物。ただのパン屋の看板娘ならば羽織ることはおろか、袖に腕を通すことも出来ない。遠目で「素敵なローブ」と呟いて憧れるのがせいぜいである。
……だが今はそんな事を気にしている場合ではない。
もちろん、まだ乾ききっていない髪がローブのフードに掛かって濡れてしまうのだが、それも気にしている場合ではない。
濡れても、それどころか胸元を隠すために掴みすぎて皺になっても、すべてクラウスの責任である。
「……も、もう平気か?」
恐る恐る尋ねてくるクラウスに、シーラは「平気よ」と答えると同時に、振り返った彼にずいと詰め寄った。
彼の顔が真っ赤になっている。耳まで真っ赤だ。銀の髪が良く映える。
「それで、どうしてこんな時間に召喚したの? 今日は時間変更の約束はしていなかったはずよね? もしかして私のお風呂上がりを狙ったの!? クラウスさんのエッチ!」
「エッ、エッ……チ、なんて、俺がそんなこと考えるわけないだろ! それに時間はいつも通り、七時だ! ほら、あの時計を見れば……時計、を……」
話も終わらぬ内に、サァと一瞬にしてクラウスの顔色が真っ青に変わる。真っ赤から真っ青へ、見事な変化だ。
それを見て、シーラは全てを理解した。
……理解したうえで、
「エッチは訂正するわ。……クラウスさんのドジ」
と、硬直するクラウスを睨みつけて言い直した。
◆◆◆
「すまないシーラ。本当に、その、申し訳ない。すまなかった。時計の事は忘れていて……いや、言い訳なんて情けないな。たんに俺がヘマをしたんだ。毎日の事だからと召喚を軽く考えていた。魔導士の恥さらしだ。なんて情けない。申し訳ない。すまなかったシーラ」
真っ赤になって詫びの言葉を繰り返すクラウスに、シーラは温かな紅茶の入ったカップを手に「もう良いわ」と返した。
硬直していたクラウスが意識を取り戻してから十分は経っただろうか。己の失態を理解した彼は先程から謝りっぱなしだ。
対してシーラは彼が謝れば謝るほど落ち着きを取り戻し、クラウスの洋服タンスを漁って手頃な服を見つけ、着替え、温かな紅茶を淹れるまでの余裕を取り戻していた。デザートを家に忘れてきたのが惜しまれる。
「クラウスさん、私はもう気にしてないわ。不慮の事故よ。そういう事にしましょう」
「だ、だが、俺は一瞬とはいえ、シーラの……その、は、はだ、かを」
「もう言わないで! それに下着は着てたわ!」
裸じゃなかった! とシーラが訴える。
次いでコホンと咳払いをして場を改め、再び謝りだそうとするクラウスを「静粛に!」と黙らせた。
「悪意が無かった事は理解してあげる」
「そ、そうか、ありがとう。だがすまないシーラ……。俺はどう詫びれば良いのか……」
クラウスが項垂れる。かと思えば次の瞬間跳ねるように顔を上げたのは、「シーラ? シーラ、そっちにいるの?」と声が聞こえてきたからだ。
この声はシーラの母親の声。聞こえてくるのは隣家であるクレール家と面している窓。いつもその窓越しでやりとりをしており、見れば薄手のカーテン越しに人影が見える。
きっと風呂に入っていたはずのシーラの姿が見当たらず、どこに行ったのかと探しているのだろう。そしてもしやと窓越しに尋ねてきたのだ。
「お母さん」
「おばさん!!」
シーラが立ち上がる。だがそれより先にクラウスがガタと勢いよく立ち上がり、窓辺へと駆け寄っていった。
勢いよくカーテンと窓を開ければ、待ち構えていたシーラの母親がその勢いに僅かに目を丸くさせた。次いでクラウスの背後に娘の姿を見つけ、不思議そうに首を傾げた。
「シーラ、貴女どうしてそっちにいるの? お風呂に入ってたんじゃなかったの?」
「おばさん! これは、その……い、今すぐに説明にそちらに向かいます!!」
クラウスが窓辺にぐいと身を寄せて告げた。今すぐに駆け付けそうな、それどころか窓辺越しに乗り込みかねない勢いだ。
これには母も虚を突かれたのか、ぱちんと一度瞬きをした後「えぇ……それなら待ってるわ」と返した。
◆◆◆
クラウスの家の隣、クレール家。
温かな明かりを窓から漏らすその家に、不釣り合いな謝罪の声が響いた。
「申し訳ありません!!」
床に座り身を屈めて頭を下げるのはクラウス。
彼の姿に、シーラはもちろんシーラの両親も困ったものだと言いたげに顔を見合わせた。
場所が変わってもクラウスは謝りっぱなしで、クレール家に着くとついに土下座までしだしてしまった。
――『土下座』という謝罪方法こそ知っていたものの馴染みのないシーラは、「クラウスさん、床に座ると冷えるわ」とクッションを差し出してしまった。床で土下座するクラウスの隣にチェックのクッションが置かれているのはなんともおかしな光景だ――
「クラウスさん、そんなに謝らなくても良いのよ。とりあえず顔を上げて、ほら、椅子に座ってちょうだい。床だと足を痛めるわ」
「おばさん……。でも俺は、大事なご息女の……は、はだ、裸を」
「下着は着てた!!」
裸じゃない! とシーラが横から訴える。
ここは決して譲れない。
「はだか……ではないとはいえ、し、下着姿を見てしまいました。どれだけシーラを傷つけてしまったか……。嫁入り前の女性にこのような仕打ち、謝っても許されることではないと理解しています」
「そうねぇ。ところでシーラ、買ってきてくれたシフォンケーキ美味しかったわね。また買ってきてよ」
「娘の危機なんだからもうちょっと心配したり怒ったりしてよ」
クラウスに対しての怒りは既に引いたが、かといって両親のこの対応は如何なものか。
そうシーラが訴えれば、両親が「でもねぇ」と顔を見合わせた。なにやら物言いたげな顔である。
シーラが文句を言おうとする。だがそれより先に名前を呼ばれた。
クラウスだ。彼は何かを決意したのか真剣な表情でじっとシーラを見つめてきた。
「シーラ、どうか責任を取らせてくれ」
「責任? クラウスさん、責任ってどうするつもりなの?」
「俺と結婚してくれ!」
突然のクラウスからのプロポーズに、シーラはきょとんと目を丸くさせた。