11:未来の伴侶
一瞬の静けさの後、目を瞑ったままのシーラの耳に、騎士や護衛が駆け出す音と沸き立つ声が届いた。怒号とさえ言える勢いだ。
うっすらと目を開ければ、押し潰さんばかりに捕らえられるアルフ達の姿。シーラを人質に選んだ男も同様、警備の一人に取り押さえられ「どういうことだ!」と喚いている。
その光景を、シーラは少し離れた場所で眺めていた。
自分が人質にされている間、騎士達がもどかしげに警戒の表情を浮かべていた場所だ。
その距離は僅か。平時であれば何も考えずに数歩進んで終わりの距離だ。たとえるならば、シーラの家とクラウスの家の距離に近い。
だがこの状況下では別である。僅かであっても遠く思えた距離。シーラは「こちらに来られた」と僅かなはずの距離に絶大な安堵を抱いた。
「よかった……」
「シーラ!」
安堵の息を吐くと同時に、ぐいと抱き寄せられた。
シーラの視界の隅で、濃紺の布が揺れる。
誰かなど確認するまでもない、クラウスだ。彼は感極まったと言わんばかりに勢いよくシーラを抱きしめ、怪我は無かったか大丈夫だったかとしきりに案じてくる。
人質にされたシーラ以上の動揺ぶりではないか。
「クラウスさん、私なら大丈夫よ」
「そうか、怪我は無いんだな。だがすまない、俺が昼食の配達を頼んでいたからこんな事に……。それに、すぐにシーラを見つけていればアルフに捕まることもなかったんだ」
「私がいつもより早く王宮に来たのよ、それにアルフ様に捕まって着いていったのは私。クラウスさんのせいじゃないわ」
「いや、そもそも俺達がやつの行動に気付かずみすみす反乱を起こさせたのが原因だ。それなのにシーラを危険な目に合わせて……。おばさんやおじさん、パン屋の夫妻に合わせる顔がない……」
案じてきたかと思えば、今度は自分の責任だとクラウスが己を責めだす。
これでは埒があかないとシーラは彼の腕を擦ることで宥めてやった。肩を軽く押して離れるように促し、笑顔で彼を見上げる。
ようやく落ち着いたのか、クラウスが肩の力を抜くのが分かった。
「無事でよかったけど、シーラが一人で残ったときは心臓が止まるかと思ったよ。俺が召喚に気付かなかったらどうするつもりだったんだ」
「クラウスさんなら絶対に気付いてくれると思ったもの」
シーラが得意げに胸を張った。
あえて自分だけが人質に残ることで、クラウスに召喚してもらい脱出する。これは完全な賭けだ。彼が気付かなかったら、今頃シーラはアルフ達の人質として連れていかれていただろう。
だがシーラの胸にはうまくいくと確信があった。どうしてと聞かれれば明確な答えはないが、あえて言うのであれば「クラウスさんだもの」と言ったところか。
いわば絶対的な信頼である。それを得意げなシーラの表情から察したのか、クラウスが安堵と共に苦笑を浮かべた。
そんな彼を見上げ、シーラはふと先程の事を思い出した。
「そういえば、召喚の時に『未来の伴侶』って言ってた? クラウスさんはずっと未来の奥さんを召喚したかったってこと?」
眩い光に包まれた瞬間、彼の声を聞いた。
『我が未来の伴侶をここに』
つまり彼の結婚相手。
三年間ずっと結婚相手を召喚しようとしていたのかと問えば、クラウスが僅かに間をあけたのち……、
「そ、それは……!」
と、一瞬にして顔を真っ赤にさせた。
どうやら、大衆の面前で『未来の伴侶』を召喚しようとしていたと公言したことに気付いたようだ。分かりやすく慌てふためき「これは」だの「違う」だのと的を射ない言葉を必死で口にしている。
そんなクラウスに対して、周囲の生温かい視線と言ったらない。同僚の一人がポンと肩を叩き、集まった野次馬達も「あらあら」と楽しそうな表情で去っていく。
そんな周囲の反応にクラウスの顔がより赤くなっていった。だがじっとシーラが見つめていると、これはさすがに誤魔化せないと考えたのか、フードを目深にかぶって顔を隠しながら話し出した。
「俺もそろそろ結婚していてもおかしくない年齢だろ? 同年代の魔導士は殆ど結婚してるか恋人がいる。だからつい焦って……。それにいつまでもおばさん達の世話になるわけにもいかないし」
「それでお嫁さんを召喚しようとしたの?」
「あぁ、だけど召喚したからって無理に迫るつもりはない。どうにも俺は恋愛事は苦手なようだから、事前に相手が分かれば出会った時に上手くアプローチ出来るかもと思って……。せめて、相手が居るってだけでも分かれば……」
しどろもどろにクラウスが話す。目深にフードをかぶってはいるものの、隠しきれていない頬は随分と真っ赤だ。落ち着きなく手を動かし、言葉尻はどんどんと弱くなり、ついにはシーラや周囲の視線に耐えられないのか項垂れてしまった。
上級国家魔導士とは思えない姿だ。
だが今のシーラにはそれを気にかけている余裕はない。
クラウスは毎夜七時に未来の伴侶を召喚していた。
知り合いなら呼び出し、まだ出会っていない人物ならば鏡に姿が映る。
だがその結果、召喚されていたのはシーラだった。三年間ずっと、そして今日も変わらず。
これは……とシーラが考えを巡らせた。
生温かく見守っていた周囲が、にやにやと意味深長な笑みを浮かべだした気がする。
なかには期待を込めた瞳で見てくる者もおり、そんな視線にシーラとクラウスは晒され続け……。
「ずっと失敗し続けているってことは、クラウスさん、もしかして結婚できないんじゃないかしら……!」
「そんな!」
「だからきっと誤作動で私が召喚されているんだわ!」
そうに違いない、とシーラが深く頷いた。
なんて残酷な結論だろうか。ショックを受けるクラウスの姿に思わず胸を痛めてしまう。
だが次いでシーラが考え込んだのは、なぜ彼が結婚できないかということだ。
クラウスは優しく温厚で、肩書や身分を気にせず親しく接してくれる気のいい性格だ。整った顔立ちをしており、時に凛々しく、時にあどけなく笑う。背も高くスタイルも良い。
多少不器用なところはあるが、それぐらいの隙があったほうが良いだろう。クラウスの場合、他が秀でているだけに不器用さは人間味に変わるはずだ。
そのうえ上級国家魔導士なのだから、そこいらの男は逆立ちしたって敵わない。人生の伴侶として彼ほど好条件の男はそう居ないはずだ。
しかし結婚となると話は別なのかもしれない。
シーラもまたクラウス同様に浮いた話一つなく、結婚どころか異性とのお付き合いだって未知の領域だ。
恋愛への憧れが無いわけではないが、それよりも焼きたてパンの香りに惹かれてしまう。
「私も人のことを言えないわ。結婚どころか恋人もいないし、クラウスさんにアドバイスしてあげることもできない……。召喚も恋愛も役に立てないわ」
「いや、良いんだ。だが俺は諦めないぞ。今の時点では結婚出来なくても、未来は変わるかもしれない」
折れぬ決意を見せるクラウスに、シーラはさすがだと彼を見上げた。
フードを捲れば銀の髪が揺れ、決意に満ちた紫色の瞳がじっとシーラを見つめてくる。
彼に見つめられると、不思議とシーラの胸にも希望が湧く。
「それなら、クラウスさんが召喚に成功するまで失敗に付き合ってあげる」
「あぁ、これからも毎晩七時にパンを届けに来てくれ」
お互いに微笑みあい、これからも変わらぬ生活をと約束し合う。
二人のやりとりはなんとも穏やかで微笑ましく……、
そして周囲は呆れを込め、声を掛ける気にもならないと一人また一人と去っていった。
クラウスが時計を見誤り風呂上がりの下着姿のシーラを召喚してしまい、クレール家で土下座をしながら責任をとって結婚すると宣言したのは、その翌年の事である。
片や上級国家魔導士、片やパン屋の看板娘。この二人の結婚に、周囲は騒然と……するわけがなかった。
……end……
『お隣さんが召喚してくる!』これにて完結となります!
最後までお読み頂きありがとうございました!
さくっと読めるテンポの良い作品をと考えて書き始めたこの作品、いかがでしたでしょうか?
短編等書けたら更新したいと思っておりますので、その際にはお付き合い頂けると幸いです。