赤と黒の騎士
打ち鳴らされる。
「…………ッ!」
初撃は、弾いた。だが、追撃が来る。
ウィルの意識は、次手へと運ばれる。それよりも速く、斬撃が飛んできて、不安定な大木の上でよろけた。
「あっ!」
閑静な森の中――一際、甲高い音が響く。
宙高く打ち上げられて、くるくると回る木剣。数秒間の浮遊を楽しんで、地面へと剣先が突き刺さった。
「悪いね、ウィル」
親友は、栗色の長髪を掻き上げて微笑む。
「また、僕の勝ちだ」
「う、うっせー、バーカ! 言わなくてもわかるわアホッ!!」
汗ひとつかいていないノアに引っ張り上げられ、汗だくのウィルは、荒げた息を整えながら立ち上がる。
「休憩しようか」
「……お前がしたいならな」
ふたりで倒木の上に座り込み、小鳥たちのさえずりに耳を澄ませる。葉と梢の間から挿し込んだ日の光が、あたたかな白色で、彼らを包み込む。
「……俺」
木の枝で地面に絵を描いているノアに、ウィルは消沈した声で訴える。
「才能、ないのかな?」
「そりゃないでしょ」
女のように綺麗な顔立ちをしたノアの、容赦ない返答に顔をしかめる。
「でもさ、ウィル。僕は、お前以上に、心が綺麗で勇敢なヤツを視たことがないよ。
だから、僕は、君のことを、唯一無二の相棒だと思ってる」
「……強くなきゃ、誰も助けられねぇよ」
「そんなことない」
そう言って、ノアは、美しい装丁の絵本を取り出す。
赤色と黒色の騎士――ふたりの騎士が、表紙に描かれた絵本には、ふたりが背中を預け合って、大勢の敵と戦っている姿が描かれていた。
「僕たちは、赤と黒の騎士だ」
ノアは、いつもの、猫みたいな、ニヤッとした笑顔を浮かべる。
「将来、僕たちふたりで、冒険者になろう。それでさ、いずれは、大勢の人たちを救って英雄になるんだ。墓に刻まれるんだよ、僕と君で。
『赤と黒の騎士、ここに眠る』ってさ」
「んな、子供みてーなこと言うなよ……」
「違うよ、ウィル」
日の光が差して、ノアの、白皙の顔貌に影が差し込む。
「夢を追い続けることを、子供みたいなんて言わないんだ。夢を諦めてしまった人たちの、言い訳として、人は『子供みたい』って言うんだよ。
なにを始めるにしても、年齢も才能も性別も関係がない」
「わ、わかったよ、怒んなよそんなに」
「ウィルには、そんなことは言って欲しくな――」
唐突、ノアが、激しく咳き込む。
ウィルは、慌てて、苦しげに何度も咳をする彼の背を擦ってやって――血でまみれた口元――顔を上げたノアは、にっこりと微笑む。
「だ、だいじょうぶ……い、いつものだ……」
「…………」
最近、更に、調子が悪くなった。
不安気に見つめるウィルに、ノアは赤色の笑みを返す。
「す、すこし、休憩したら……うぃ、ウィルに……あの剣を教えてあげるよ……ぼ、僕の“技”をさ……」
「俺に、あの技は無理だよ……ウィルにしか使えない……」
「そんなことはない。
なんたって、君は、僕の認めた黒の騎士なんだから」
立ち上がったノアが、手を差し伸べる。
差し込んだ光が、彼を照らして、美しき微笑を浮かび上がらせた。
「ウィル、約束してくれ」
彼は、笑う。
「僕たちで、英雄になるんだ」
「……あぁ!」
その一週間後、赤の騎士――ノア・フレンジは、病で命を落とした。
「…………ん!」
声が、聞こえる。
「ウィルおじいちゃんっ!!」
「ぁ……ぉん……?」
朧げに、聞こえた声……目の前に視える、霞んだ彼の姿、儂は懐かしさのあまりに笑う。
「ノア……久しぶりじゃな……」
「なに言ってるの?」
儂の前に立つ、小さな幼子。
栗色の髪をもつ少女が、訝しげに、こちらを見据えて立っていた。
「わたしよ、わーたーし! エマぁ! ウィルおじいちゃん、ご飯よご飯! さっさと食べてくれないと、片付かないんだからっ!!」
「ぉ、ぉう、それはすまんのう。ちと、寝ぼけておった」
「なにか、夢でも視てたの?」
「……親友の夢をな」
儂は、目を擦りながら、痛む節々を伸ばす。
腰にだるさと激痛を覚え、とんとんと叩きながら眉間を抑える。ぼやけた視界、ようやく、ピントが合ってくる。
「エマ、何度も言っておるが、儂の世話などしなくてもいい。年寄りの相手などしても、つまらんじゃろう?」
「お爺さんもお婆さんも、みーんな同じこと言うのね。耄碌するって、そういうことなのかしら? なんていうか、あれ、わんぱたーん?」
いつもの、無遠慮な物言いに儂は苦笑する。
「どれ、顔を洗ってくる。先に行っておいてくれんかな?」
「転ばない? 大丈夫? お手伝いしよっか?」
「だいじょうぶだいじょうぶ……」
まだ、10歳になったかならないかだったと思うが……ここまでしっかりとしていて、優しい子は稀であろうな。
そんなことを思いつつ、儂は家の中に引っ込む。
瓶に溜めた水で顔を洗い、ふと、水面に映り込んだ己を見つめる。
「…………」
皺とシミだらけの顔、瞳からはかつての輝きは失われ、沈み込んだ目の縁が黒ずんでいる。頬は異様なくらいに痩せこけていて、骨の陰影がくっきりと浮かび上がり、気味が悪いくらいに死を彷彿とさせていた。
節くれ立った両手、理由もわからず、ぷるぷると震えている。
「……歳をとった」
毎日、毎日、毎日。
同じような日々を繰り返して、辿り着いたのは、古びて使い物にならなくなった己だけだった。
苦笑した儂は、いつもの、変わらない日常へと舞い戻ろうとし――戸棚に足をぶつけて、ぽとんと本が落ちた。
「…………」
赤と黒の騎士――幼少の頃、亡くなった親友から受け継いだ絵本。
――僕たちは、赤と黒の騎士だ
「ノア……」
ぼやけていた頭が覚醒し、突然、儂は思い出を思い出す。
――将来、僕たちふたりで、冒険者になろう。それでさ、いずれは、大勢の人たちを救って英雄になるんだ
「約束……そうじゃ、儂は……約束を……なぜ、忘れていたのか……ノアが死んでから、ただ剣を振るだけで、志すこともなく……だが、儂は、もう歳で……」
――なにを始めるにしても、年齢も才能も性別も関係がない
振り返った儂の顔が、透明な水面に投影される。そこには、なにもかもを諦めきって、干からびた男の顔が映っていた。
「ノア……」
――ウィル、約束してくれ
「今からでも……遅くはないか……?」
――僕たちで、英雄になるんだ
遅かれ早かれ、死ぬのであれば、亡き友との約束を果たそうと思った。
「ダメよダメーッ! そ、そんなこと、エマが許さないんだからぁ!! な、なんで、急にそんなこと言うのよダメェー!!」
旅支度を整えた儂が「村から出ていく」と告げると、エマは大泣きして、儂の服裾を掴んで反対を叫んだ。
「すまんのう、エマ。どうしても、儂は、冒険者にならなければならんのじゃ」
「ど、どうして、今更、そんなこと言い出すのよぉ!! え、エマのこと、嫌いになったのぉ!? も、もう、え、偉そうなこと言わないからぁ……い、言わないからぁ、で、出ていくなんて言わないでよぉ……だ、誰が、エマと遊んでくれるの……ひ、ひどい…ひどいよぉ……!」
号泣してへたり込んだエマの頭を、儂はやさしくやさしく撫でる。
「友との約束がある」
「お友……だち……?」
「おいで」
小さなエマの手を握って、森の奥にまで歩く。
奥へ、奥へ、奥へと……木々で遮られていた視界が、ぱっと開いて、仄かな光が差し込む場所に出た。
そこには、ひとつの名もなき墓があった。
親もなく子もなく死んだ、たったひとりの、赤色の騎士の墓石が……孤独に、ゆったりと、佇んでいた。
「……誰のお墓?」
「儂の、唯一無二の親友のものじゃよ」
儂が手を合わせると、エマも真似て、祈りを捧げる。
「赤の騎士」
「赤の……騎士……?」
「かつて、村に、幾度となく魔物が襲いかかってきた。月のない、真っ黒な夜に。儂は、眠り込んでいて、剣戟の音に目を覚ました。どうやら、誰も気づいていなかったようで、ただ空気のゆらめきを感じた」
儂は、言葉を紡ぐ。
「たったひとり、赤の騎士だけが戦っていた」
真夜中。
闇の中で閃いた剣の軌跡。
闇夜を切り裂いて、肉と骨を断ち切り、世の憂いを薙ぎ払った。
「儂は問うた――なぜ、たったひとりで、戦い続けている?
彼は答えた――誰にも、犠牲になって欲しくないからだ」
儂は、微笑を浮かべる。
「村の者たちの練度は、異様に低かった。誰かが、手助けに駆けつければ、間違いなく手傷を負うか死んでいたじゃろう。領主に手助けを訴えたところで、こんな小さな村のために、高額な金を払って冒険者を雇うわけもない。
村を捨てて、移住しろと言われるのがオチじゃろうな」
「その人は、村のために、たったひとりで、戦い続けてたの?」
「あぁ、だから」
儂は、懐に入れた絵本を握り締める。
「儂は、黒の騎士になりたいと願った」
「…………」
エマは、ぎゅっと、儂の手を握る。
「ココにいる騎士様が、ウィルおじいちゃんの大切なお友だち?」
「あぁ、そうじゃよ」
「……帰ってくる?」
目に涙を溜めた少女が、ウィルを見上げる。
「また、この村に、帰って来てくれる……?」
「あぁ、約束する」
しゃがみ込んだ儂は、笑顔で、彼女の頭に手を置いた。
「儂は、いずれ、冒険者として……いや、英雄として、この村に戻ってくる。
じゃから、この本を、預かっておいてくれるか?」
ボロボロになって黄ばみ、装丁が崩れかかっている『赤と黒の騎士』……手渡すと、エマは、大事そうに抱えてこくんと頷いた。
「気をつけてね……お、お父さんが、冒険者は、とっても危険なお仕事だって……い、いっぱい、人が死ぬんだって……だ、だから、し、死なないでね……絶対に、この村に帰ってきてね……ま、また、遊んでね……」
「あぁ、帰ってくる」
儂は、泣き続ける彼女を、そっと抱きしめて背を撫でる。
「きっと、帰ってくる……約束じゃ」
儂は、あの時のように――約束を捧げた。
「……これは、驚いたのう」
人、人、人、人の波。
剣や杖、槍に盾、見慣れない武具を身に着けた冒険者たちが、街道を覆い尽くして笑いながら歩いている。所狭しと並べられた軒からは、客を呼び込む野太い声が発せられ、昼間から酒を飲んでいる若人たちが騒いでいる。
冒険者の聖地――『ヘプト・シリウス』。
日に日に、数え切れないほどの依頼が舞い込むこの街には、命知らずの冒険者たちが星の数ほど集まると言う。
「冒険者……ギルド……? ココで、登録をすれば、冒険者として仕事ができるのかの……ノアの言っていた、正規の窓口とやらなのか……? しかし、どこが、冒険者ギルドなのか……?」
きょろきょろと辺りを見回していると、高そうな鎧を着けた若者の集団が、こちらに近づいてくる。
「よう、爺さん! どうした、孫に買ってくお土産でも探してんのか?」
「こら! 平気で、年長者の方に、失礼な口を利くな!
どうしました? なにかお探しでしたか?」
溌剌とした男子は腰につけた長剣を揺らし、彼を諌めた女性が、殊更に優しげな声で問うてくる。
そうして前に出てくる彼らよりも、後ろのほうで大量の荷物をもたされて、おどおどとしている僧侶の子が気になった。
「いや、冒険者ギルドを探している」
「冒険者ギルドぉ? なんだ、依頼でもあんのか? 俺らだったら、もっと安い値段で、個人的に引き受けてやるぜ?」
「だぁかぁらぁ! そういうのは、違法だっつってんでしょうが!」
歳の割には、まだ、耳が悪くなっていなくてよかった……と思いつつ、儂は、円滑に会話を運ぼうとする。
「依頼ではなくてな。冒険者として、登録しようと思っている」
男女は、唖然とした表情を浮かべ――大笑いした。
「アッハッハッ! じょ、冗談きついぜ、爺ちゃん!! そ、そんな、しわくちゃの身体で、どうやって魔物と戦うんだよ!? その腰についてる、古臭い剣で、ごっこ遊びにでもしに来――」
「だから、あんたは、言葉を選べっつーの!!」
頭を殴られた少年は、藻掻きながら蹲る。
「ねぇ、お爺さん。悪いこと言わないから、お家にお帰りなさいな。
どこの村から来たの? 家族は? あたしたち、依頼完了を報告した後は、少し時間が空くから……よかったら、送ってあげられるよ?」
「ありがとう、優しいお嬢さん。だが、無用な気遣いじゃよ。覚悟を決めて、ココに立っているものでな。そこの少年のように、儂を笑う者がいるのも、当然のことだと受け止めておるよ」
じろりと睨みつけられて、少年は申し訳なさそうに頭を掻く。
「わ、悪かったよ、爺さん。でもよ、本当に、危ないんだぜ。言っちゃあ悪いが、一回も依頼をこなさないうちに死ぬと思う」
少年の言葉に、誰も反論を返さない。
恐らく、この言葉は、失礼でもなんでもなく、単なる事実なのだろう。
「お爺さん、帰りましょ? ね? あたしたちで、送ってってあげるから。このアホの態度が、癇に障ったなら、謝らせ――」
「ありがとう」
察したのか、笑顔を浮かべていた少女は、哀しそうに顔を曇らせる。
「な、なら、よかったら、あたしたちと一緒に――」
「君たちのような若者と会えて良かった」
勧誘しようとした少女の後ろで、嫌そうな顔を浮かべている、彼女の仲間たちの表情を窺いながらつぶやく。
「儂たちの、憧れていた冒険者は……貴女のような人だ」
「そこらへんでやめとけ。ここから先は、本人の問題だ」
真面目な顔をした少年は、儂のもっていた地図を取り上げて印をつける。
「この赤く印をつけたとこが、冒険者ギルド。受付のミアさんに『簪の小鳥』からの紹介だって言えば登録できるから。あとで、俺からも言っとくよ。
紹介制だからな……登録金はあるよな、爺さん?」
儂は、こくりと頷く。
「ちょっと! ねぇ!! 最近は、素人から金を巻き上げるような奴らだっているんだから、本当に危ないのよ!!
教えちゃダ――」
「爺さんの気持ちも汲んでやれ」
少年は、少女を睨めつけてつぶやく。
「生半可な覚悟だったら、とっくの昔に引いてるよ」
少女は、なにか言いたそうに、口をぱくぱくとさせていたが……悔しそうに、口を噤んで俯いた。
「色々と世話になった。本当にありがとう。この礼はいずれ」
「いいよ。道中、気をつけてな爺さん」
鈍った足を動かして、腰を叩きながら、儂は冒険者ギルドへと向かう。
「…………」
その背を、彼らは、ずっと眺めていた。
「冒険者ギルドへようこそぉ!
って、あら?」
胸元の開いた制服を着ている受付嬢――ミアは、くりくりとした目を動かしながら、儂のことをまじまじと見つめる。
「どうしたの、お爺ちゃん? 迷子?」
「いや、冒険者として登録をしに来た。『簪の小鳥』からの紹介じゃ。登録金はココに」
儂が金袋を置くと、彼女は目を丸くする。
「お、驚いたぁ……なに、本気? あのね、お爺ちゃん、冒険者ってのは魔物と戦うのが主な仕事だって知ってる?
視たところ、鎧も着てないみたいだけど……?」
「鎧を着たら、速く動けんからな」
受付嬢は、深いため息を吐く。
「言っておくけど、死なれたら、こっちだって目覚め悪くなるんだから……で、お爺ちゃん、恩恵はなにがあるの?」
「……恩恵?」
承認印を押そうとしていた、ミアの動きが固まる。
「す、恩恵よ、恩恵! 冒険者を目指そうってなら、もってるのが当然でしょ!? ほら、アレ、風みたいに速く動けるとか! 手から火が出るとか! 光みたいな剣閃を飛ばせるとかさっ!!」
「すまんが、知らんな」
がくりと、ミアは机に突っ伏して、流れるような動きで承認印を押した。
「強いて言えば、剣は振れるが……」
「そ・れ・は・あ・た・り・ま・え・で・す・ぅ!!
あーそうか、恩恵が一般的になったのは、30年くらい前だから、お爺ちゃん世代には馴染みないのか……えーと、確か、はじめての発現者が見つかったのが60年くらい前……そうすると、それ以前は、全員、無恩恵か……今後、目覚める可能性は……ここまで歳とってると、まぁ、有り得ないわよねぇ……」
げんなりとした様子で、彼女は、しっしっと手を振る。
「依頼はあっちよ、あっち! 悪いこと言わないから、頭下げるなりなんなりして、強そうなヤツに寄生すんのよ! そうしないと、あなたみたいなお爺ちゃん、あっという間にお陀仏なんだから!」
「ご親切にありがとう」
ぺこりと頭を下げて、儂は、ミアに教えてもらった掲示板を見上げる。
やはり、魔物の討伐依頼が多い。街の掃除などの依頼もあるが、どうやら、見向きもされていないようだ。
ミアの言っていたとおり、主だった依頼は、魔物退治になるらしい。
「おい、ジジイッ!!」
掲示板を眺めていると、唐突、背後から肩を掴まれる。
振り返った先には、禿げ上がった頭と筋骨隆々の体躯をもった若者がいて、彼の後ろにいる仲間たちがニヤニヤと笑っていた。
「……儂か?」
「あぁ、そうだよ! 数合わせだ! 仕事に行くぞ!! 簡単な魔物退治だから、安心して来い!!」
不穏な空気。
周囲にいる優秀そうな冒険者には目もくれず、真っ先に儂に声をかけてきた。簡単な魔物退治、数合わせという割には、どう視ても人数が多すぎる。親切で誘ってきたにしては、逃さないと言わんばかりに、肩から手を離さない。
「ね、ねぇ、ちょっと、やめなさいよ……そこのお爺ちゃん、ついさっき、冒険者登録したばか――」
「なら、同じ冒険者だろうがっ!! 同業者を仕事に誘って、なにが悪い!?」
恫喝されて、びくりと震えたミアが押し黙る。
周りにいる冒険者たちは、事なかれ主義なのか、ちらりとこちらを瞥見しただけで関わろうとしない。
「別に、そのジジイじゃなくてもいいんじゃねぇの? そんなしょぼくれた爺さん連れ回してたら、バカな正義野郎が釣れちまうかもしれないぜ?」
ニヤニヤと笑いながら、男の仲間が言った。
「なら、あっちの、ひ弱そうなのにすっか?」
指さされた少年が、あからさまに怯えて、逃げようとしたところを取り囲まれる。
彼もまた、儂のような素人なのか。あまりの恐怖で全身が小刻みに震えて、既に涙を流し始めていた。
「やめなさい。儂が行くから」
「だとよ?」
儂は、解放された安堵から、へなへなと崩れ落ちた少年に微笑みかける。男たちに小突かれながら、街の外にまで連れて行かれた。
無人の森の中。
リーダー格らしい禿頭の男が、ニヤケ面で口を開く。
「さぁて。単刀直入に言うぜ。
有り金、全部、置いてい――」
閃いた。
男の利き腕の筋を斬った儂は、ぽかんと口を開いている男の陰で、忍ばせていた短剣を取り出し目測をつけ――
「おい、どうし――」
飛び出すと同時、投擲する。
人数は三人、腕の付け根に突き刺さった短剣、悲鳴が上がると同時、姿勢を低くしたまま駆け出している。腕の付け根を押さえつけられた状態で、腰につけた剣を抜くのは困難だ、だから儂のほうが速い。
既に懐へと飛び込んでいる儂は、一人目の顎を蹴り上げる。
「…………ぉ?」
昏倒して、くるりと目を剥く。
いち早く、自身から短剣を引き抜いていた男が、抜剣して斬りかかってくる。だが、ただ、無闇に力を籠めただけの一撃。
剣をしならせるようにして受け――反転――剣柄で、みぞおちを突く。
失神した男が取り落した剣を、視線を向けずに投げつける。背後で、武器を拾おうとしていた禿頭の眼前に突き刺さった。
「ひっ!?」
のこったひとりが、奇声を上げながら、突っ込んでくる。
腰の後ろから小盾を取り出し、タイミングを合わせ、足腰を踏ん張って思い切り突き出す。速度ののった男は、思い切り顔面を弾かれて、砕け散った歯が飛んでいき、ずるりとその場に崩れた。
「…………」
腰を叩きながら、儂が歩み寄ると、ハゲ男はバッと片手を突き出し――
『火炎――』
投げた小盾が、男の下顎に突き刺さり、音もなく意識を失った。
「今、最後にしようとした、変なのが恩恵かのう?
口頭でなにか言わんと、発動せんのか……予備動作が必要とあれば、結局のところ、剣を振るのと変わらんと思うが」
たった数分、全力で動いただけで、節々が強烈な悲鳴を上げている。恐らく、彼らの中のひとりでも、儂のことを侮らなかった者がいれば、無様な敗北を教え込まれていたのはこちらだったかもしれない。
訓練を怠ったつもりはなかったが、コレでは英雄からは程遠い。
――僕たちは、赤と黒の騎士だ
「……黒の騎士、失格じゃな」
苦笑して、冒険者ギルドへと戻り――無傷の儂を視て、受付嬢たちは、呆然とする。
「だ、だいじょうぶだったの……お爺ちゃん……?」
「老体相手に、手加減してくれてのう。心優しい若者じゃったよ。
ところで」
「は、はい!?」
儂は、しょぼついた目を擦りながら、掲示板を指差す。
「大変申し訳ないが、もうちと、文字が大きくならんものじゃろうか? 高いところにあると、どうにも、文字が読めんくて」
「こ、こっちにリストがある……ありますので……よろしかったらどうぞ……」
「これは、ご親切に」
奥の棚から出してもらったリストを視ていると、恐る恐るといった体で、ミアから声をかけられる。
「あの……さ、先程は、聞き忘れてしまい大変申し訳ないのですが、登録する冒険者名は、いかがいたしましょうか?」
本名を口にしようとして、いたずら心が芽生えた儂はやめる。
「黒の騎士」
「はい?」
「黒の騎士、でお願いしようかの」
「は、はぁ……」
こうして、儂は、正式に冒険者として迎えられた。
冒険者になって、わかったことがある。
儂の故郷の村と同じように、名もない村々は、冒険者を雇うための依頼金を調達することができない。だから、願いをかけるようにして、採れた野菜や畜産品を代価に、冒険者ギルドへと依頼を持ち込む。
掲示板の上、誰も見向きもしないところに、それらの依頼が集められていた。また、そうした依頼に、冒険者たちが、見向きもしないのも理解できた。
なにせ、小さな村のことだから、名声には直接、結びつかない。ささやかなる野菜や畜産品をもらったところで、将来の備えにはならない。まともな情報機関を通していないので、どういった魔物が出てくるのかもわからない。
冒険者の寿命は短い。
だからこそ、こうした依頼に目を向けられないのは必然と言えた。
そして、儂が、そういった依頼を積極的に引き受けるのも……必然と言えたのだろう。
だが、儂は、慢心していた。
戦闘の高揚感によって、己が若い頃のままだと錯覚した瞬間、油断の刃が静かに迫って突き刺した。
「ぐっ!」
小さな村での依頼で、儂は、背後から迫る小鬼を対処できず……刺された。
歳による目の劣化で目測を見誤り、筋力の衰えた両腕が長剣を制御できず、よぼついた足元のせいで避けることもできなかった。
結果的に、儂は、後ろから刺された。
辛くも討伐を成し遂げたものの、傷口が化膿して、高熱を出し生死を彷徨った。
『…………』
高熱でうなされている中、ノアの夢を視た。
無表情の彼は、どこかを指差している。
だが、その先を窺うことができない。
『……行くな』
ノアは、つぶやく。
『行くな、ウィル……君は、行かなくていい……ウィル……行くな……行くな……』
どこに、行かなくていいと言うのだろうか。
ぐるぐると回る闇の中で、儂は、ノアと並んで弁当を食っていた時のことを思い出す。
『ウィル、僕は、不安だよ』
『あ? なにが?』
『君は優しいから……早死にしてしまう気がして……』
『ばーか! 俺たちは、英雄になるんだろ? 華々しく散って、なんぼだろうが』
笑いながら、ノアは、哀しそうにつぶやく。
『でも、僕は、君に死んで欲しくないな』
『だいじょうぶだよ、俺はしぶといから。ジジイになって、しあわせに死ぬね』
『君は、子や孫に囲まれて……しあわせに死んで欲しいな』
『ばーか、ちがうだろ! 俺とお前は、格好良く、英雄として戦場で死ぬんだよ! それが、赤と黒の騎士の結末だろ?』
『……あぁ、そうだね』
ノアの言葉が、意識に、沈み込んでいく。
『僕たちは、赤と黒の騎士だ』
目が覚めた時、全身を、重い泥が覆っているかのような倦怠感があって――美しい少女が、こちらを覗き込んでいた。
「あ、だ、ダメです! 立ち上がられたら!」
儂が立ち上がろうとすると、法衣を着込んだ彼女が押し止める。
薄い色素。
金色の髪と白い肌をもった、僧侶の少女が、こちらを見据えていた。
なにかを怖がっているかのように、瞳には潤んだ恐怖が浮かんでいる。小さな体躯を、更に目立たせないよう、折りたたむみたいにして猫背だ。自分に自信がもてないのか、おどおどとしていて、こちらを押さえつけようとしている手が浮いていた。
「お嬢さん……貴女は……?」
「レーナです。以前、一度、お会いしたことが」
言われて、思い出す。
ヘプト・シリウスを初めて訪れた時、世話をしてくれた冒険者たちの後ろで、荷物をもっていた少女だ。
「あぁ、あの時の……彼らは、一緒に、来ていらっしゃるのかな?」
「いえ、彼らとは、別れたんです。その、戦力不足ということで、お互いに話し合って合意の元で別離しました。
冒険者は実力主義なので、仕方ないと思います。荷物持ちくらいでしか、お役に立てることができませんでした。恩恵も、簡単な回復術くらいしか、使えないものだったので」
俯いていた彼女は、顔を上げて微笑む。
「その後、ひとりで活動していたんですが、この村にはお医者様がいらっしゃらないということで……他の皆様は、お引き受けにならなかったので自分が」
「それで、儂の看病を……ご迷惑をおかけした」
頭を下げると、顔を赤らめた彼女が、ぶんぶんと両手を振る。
「い、いえいえ! いえいえ! とんでもないです! あの、ただ、わたし、この村のお医者様なので! お、お野菜も、ちゃんともらってますから!」
「……失礼ながら」
儂がうめき声を上げると、彼女は心配そうに顔を歪める。
「お幾つで、おられるのかな?」
「今年で、16になります」
若い。まだ、子供だ。
「普段は、教会に勤めているのですが、孤児院の子供たちに食べさせるには稼ぎが足りなくて……神から頂いた、恩恵をお金稼ぎに使うのも、どうかとは思ったのですが、小さな子たちがひもじくて泣くものですから……ど、どうしても、耐えられず……」
苦笑して、少女は続ける。
「わ、わたし、落ちこぼれなんです。将来は、教皇様になるんだーなんて言ってたんですけど、発現した恩恵は簡易癒術だけで。頼み込んで、パーティーに入れてもらったのに、足を引っ張ってばかりいて。じ、自分から、荷物持ちをさせてくれって頼んだんですけど、に、荷物の管理さえもまともにできなくて」
苦しみを吐き出すようにして、彼女はささやく。
「さ、才能、ないんですわたし……あ、頭も悪いから、教会でもバカにされてて……い、今まで、教皇になれた人に女はいないって……ば、バカだから、そんなことも知らないんだなって……あ、あは……あはは……ほ、本当に、バカみたいですよね……」
「……なにを始めるにしても、年齢も才能も性別も関係がない」
「え?」
友の言葉を、儂は、つぶやいていた。
「竹馬の友が、言い遺した言葉じゃよ。だから、儂は、こんなにも歳をとっても、英雄を目指して剣を振っていた」
「……すごい」
振り絞るかのように、彼女はささめく。
「『黒の騎士』、ですよね? お爺さんなのに、すごい剣を振る人がいるって、冒険者ギルドで噂になってて。受けた依頼は、全部完遂して、一度足りともしくじったことがないって、す、すごいなぁ。
やっぱり、才能がある人は、すご――」
「違う」
儂は、首を振る。
「儂に、才能なんてない……いや、才のあるなしなんて、関係がないのじゃ……ただ、そこに意思があれば……」
儂は、皺だらけの手を握り締める。
「必ず、成すことができる」
「…………」
「お嬢さん」
力の入らない両手を、ぷるぷると震わせながら言う。
「儂は、剣を振れるのかな?」
「いえ、恐らく、もう……そもそも、老体で剣を振ること自体が、寿命を縮めるようなもので……今回の傷は、ただの契機に過ぎません……しょ、正直言って、今まで動けていたほうがおかしくて……か、身体の外も中も、ボロボロで生きているのが不思議なくら――あ、す、すみません」
「構わんよ。自分の身体のことは、自分がようわかっておる」
手を貸してもらいながら、儂は身体を起こした。
「結局……約束は、守れんかったか」
「約束?」
「お嬢さんは、赤と黒の騎士という絵本を知っておるかな?」
彼女は、パァッと、輝くようにして笑顔を浮かべる。
「し、知ってます! わたし、あの絵本、大好きなんです! 孤児院の子供たちも好きで、何度も、読み聞かせしてます! ふたりが背を預け合って、愛する故郷を救うために、命懸けで戦う場面が素敵で!」
「儂の親友も、その絵本が大好きでなぁ。一緒に潜った布団の中で、月明かりを頼りに、夢中になって読み耽ったものじゃ」
小さな手が、ページをめくる。
月明かりの下、笑い合いながら、競うようにして読み上げる。
追憶の中で、無邪気な笑顔を浮かべたノアは、儂を『黒の騎士』と呼んでいた。
「将来、赤と黒の騎士になろうと誓った」
「え?」
「ふたりで、冒険者になって、いずれは英雄となり故郷を救おうと誓ったんじゃ」
なにかを察したかのように、彼女は押し黙る。
「ノアは、幼少の頃合いから、病で伏せることが多くてのう……その上で、無茶をしたものだから……貴女と同じ歳の頃、亡くなってしまった」
「……ぁ」
小さくつぶやいて、レーナは目を伏せる。
「儂も、もう歳じゃ。このまま、死ぬのであれば、最期に亡き友との誓いを守らなければならないと思った。
だから、年甲斐もなく、冒険者を目指したんじゃよ」
しおれた両手を見下げ、儂は、疲労を吐き捨てる。
「じゃが、無理だったのう……届かなかった……英雄には、ほど遠い……ノアから教わった技も、この歳になるまで、練習をし続けていたのに終ぞ、習得出来んかった……儂は、歳をとった……あの時、もっと、早く動けていたら……ノアとの誓いを果たせたのかもしれぬ……儂には、騎士のような高潔な魂が……備わっていなかった……」
儂は、言う。
「儂は……ただの……やつれた老人だ……」
「そんなことっ!」
レーナは立ち上がり、叫んでいた。
「そんなこと、ないっ!! わ、わたしなんて、い、一歩も!! ふ、踏み出せてないのに!! あ、貴方は、こんなにも身体がボロボロになるまで諦めなかった!! 最後まで!! 最後まで、戦ったじゃないですか!?」
「……ありがとう」
儂の代わりに泣いている彼女に、儂は深々と頭を下げる。
「ありがとう……本当に……ありがとう……」
袖で涙を拭った彼女は、儂の手を握って、微笑みかけてくる。
「よ、よかったら、わたしと一緒に来ませんか? 孤児院で子供たちの面倒を視てくれる方が必要なんです。大したお給金をお支払いすることはできませんが、貴方なら、大歓迎ですから」
「……それも、良いかもしれんな」
「でしたら!」
嬉しそうに、跳ねながら立った彼女は叫ぶ。
「まずは、この村で、わたしの助手として働いてください! そうすれば、わたしも、貴方の具合を視られますし! ココでのお医者様を、他から斡旋できたら、早速、孤児院の皆に紹介します!」
「…………」
「きっと、楽しくなりますよ! 子供たちも、大歓迎です!」
儂は、ふと、村で待っている娘を思い出す。
「その前に、一度、故郷に帰らなけ――」
俄に、空気がざわめいた。
窓の外を見下ろすと、汗だくで駆けてきた男が、大声を張り上げながら村中に触れを出している。慌てて出てきた村長が、彼の介抱をしながら話を聞き、申し訳なさそうに首を振って男が泣き崩れる。
「……少し、話を聞いてきますね」
レーナが外に出て、そして、戻ってくる。
「どうやら、近くの村が魔物に襲われたみたいです。それで、この村にも、助けを求めて来たみたいで……可哀想ですが、どうにも出来ませんね。増援を出そうにも、魔物の数が多すぎて、被害が増えるだけだとか」
「……その村の名前は?」
レーナが、その名をつぶやき――儂は立ち上がる。
「えっ!? ど、どうしたんですか!? な、なぜ、剣帯を!? た、立ち上がったらダメですっ!! な、なにしてるんですかっ!?」
「儂の故郷だ」
「……え?」
「魔物に襲われているのは――」
――行くな、ウィル……君は、行かなくていい……ウィル……行くな……行くな……
「儂の故郷だ」
そういうことか、ノア。
お前の指し示ししていた先は、儂たちの故郷だったんだな。赤の騎士が、命懸けで、守り続けてきた場所だったんだな。
――……行くな
「儂は行く」
「ダメッ!!」
絶叫を上げて、レーナは、儂から長剣を取り上げる。
「ダメッ!! お、お願い、やめてっ!! 無理ですよ!! 無理なことは、自分が一番、わかってるでしょ!? その身体で、今まで、戦えていたのがおかしいんですよ!? 剣なんて振れるわけがないっ!! あ、貴方は、老人なんですよ!?」
「言ったじゃろう?」
儂は、彼女に微笑みかける。
「なにを始めるにしても、年齢も才能も性別も関係がない」
そして、彼女から、剣を取り返す。
唖然とした彼女は、歩き出した儂を追いかけて、両手を広げて行方を遮った。
「行かないで!! お願いっ!! み、見殺しになんてできないっ!! し、死ぬとわかっていて、むざむざ、行かせるわけには行かないっ!!」
「死なんよ」
「嘘つきっ!!」
彼女は、静かに涙を流しながらささやく。
「嘘……つき……」
「アイツ、ひとりで、戦わせるわけにはいかん」
――僕たちは、赤と黒の騎士だ
「儂は、黒の騎士じゃからな」
彼女は、力なく崩れ落ちて、儂はその横を駆け抜ける。
嗚咽を上げる彼女を置いて、ただ突き走った。
燃える。
燃える、燃える、燃える。
小鬼の放った火によって、村中を覆い尽くした火の塊は、瞬く間に燃え広がって炎獄を作り上げる。
村の人たちは、大勢、殺されてしまった。誰も助けには来てくれない。
恐怖で怯える足。必死の思いで、言うことの聞かない両足を動かし、歯をカチカチと鳴らしながら走る。
「あっ!」
足がもつれて、エマは転んでしまう。
擦りむいた肘と膝、どんどん、赤黒い血が湧き出てくる。痛みで涙を流しながらも、どうにか、立ち上がる。足を引きずりながら走っていると、串刺しになった人たちが視界に入り、小鬼たちが楽しげな声を上げていた。
「うぁ……ぁあ……ぁああ……っ!」
こわくてこわくてこわくて。
泣きながら、走る。
「お、おがぁさぁん!! お、おどぉさぁん!! た、たすげでぇ!! だ、だずげでよぉ!! ぁあ!! ぁあ~ん!!」
助けなんて来ない。
それどころか、泣き声を聞き取った小鬼が、両手足を千切って遊んでいた男児を放り捨てて駆けてくる。
「やだ……やだやだやだぁあああああああああああっ!!」
絶叫を上げながら逃げて、小鬼の放った矢が、彼女のふくらはぎに突き刺さって倒れ込む。
「が……ぁ……がぁ……!」
地面に叩きつけられる顔面、鼻梁からこぽこぽと血が湧き出て、小鬼たちが歓喜の声を上げる。
「た……たしゅけ……たしゅけ……て……たしゅ……」
小鬼たちは、競い合うようにしてのしかかり、小さなナイフで柔らかいお腹をえぐろうとして――
「たしゅけて……騎士様……」
ふたつに、分かたれた。
ぽかんと、開いた口、右と左に割れて、どしゃりと崩れる。
エマは、お守りのように大事に抱きかかえていた、『赤と黒の騎士』を抱き締めながら、炎の中に立つ背を見つける。
黒色。
夜闇に紛れるために、真っ黒に染められた革鎧の背が、真っ赤な色合いに照らされる。
まるで、赤と黒が、背を預けあっているみたいに。
「今」
黒の騎士は――言った。
「帰ったぞ、エマ」
「お、おじいちゃん……」
彼女は、顔を、くしゃくしゃにして泣きながら叫ぶ。
「ウィル……おじいちゃぁあああああああああんっ!!」
騎士は、ただ、微笑んだ。
斬る。
ただ、その衝動に、身を預ける。
次から次へと襲いかかってくる小鬼たちを斬りながら、全身に突き刺さった矢には、目をくれることもない。
剣を振る度に、心の臓が、鈍く跳ねるのを感じた。
全身がとろけ落ちんばかりの、強烈な熱と激痛。血反吐を吐きながら、儂は全身全霊を叫びながら剣を振るう。
――才能、ないのかな?
ノア。
――ないでしょ、そりゃ
儂に、才能はなかった。ただ、孤独に戦い続ける、お前に並びたかった。
――……強くなきゃ、誰も助けられねぇよ
強さがなければ、誰も救えないと思っていた。
――そんなことない
お前が。お前が、教えてくれたのだ。
――でもさ、ウィル。僕は、お前以上に、心が綺麗で勇敢なヤツを視たことがないよ
お前が、儂に、諦めるなと、教えてくれたんだ。
だから、戦おう。
この生命、懸けてでも。
この老骨、燃やしても。
この心魂、費やしても。
「う、ぉ、ぉ、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
儂は、お前と共に――戦うことを選び取ろう。
一分、十分、一時間……戦い続けて。
小鬼を一掃した儂は、血だらけになりながら、荒げた息と血反吐を飲み込んで行く。
奥の家屋から出てきた大鬼が、緑色に染まった、三メートルを超える巨躯を現した。獲物を見つけたヤツは、嬉しそうに笑いながら、どでかい棍棒を携えてこちらへと駆けてくる。
「逃げようっ!!」
エマが、儂の服裾を掴む。
「お爺ちゃん、逃げようっ!! 早く!! 今なら!! 今なら、逃げれ――」
「行きなさい」
儂は、その手を、優しく引き剥がす。
「行きなさい、エマ」
彼女は、ちっちゃな顔を、くしゃくしゃにして泣き始める。
「う、うぞづきぃ……か、帰ってくるって……い、いっしょにあそんでぐれるっでいっだのにぃ……う、うぞ……うぞづきぃ……っ!」
「ありがとう」
儂は、薬指と小指が欠けた手で、彼女の頭を撫でる。
「ありがとう……美味しかったよ……お前の作ってくれた料理は……いつも、美味しかった……相手をしてくれて、ありがとう……」
「お、おじいちゃ、や、やだ、おじいちゃ……」
「行きなさいッ!!」
一喝すると、彼女は、号泣しながら首を振る。
「頼む」
儂は、微笑みながらささやく。
「行きなさい」
泣きながら、後退りをしたエマは走り出す。
弱そうな子供を狙った大鬼が、進路を変えようとして――その前に、儂が、立ちふさがる。
「知らんのか」
儂は、つぶやく。
「魔物は――騎士の相手だ」
振り上げられた棍棒、咄嗟に、儂は小盾を構えて――吹き飛ぶ。
息が、詰まる。
恐ろしいまでの衝撃、穴という穴から、血溜まりが噴き出した。メキメキという音と共に、左腕が異様な方向に曲がって、何度も地面に叩きつけられ、臓器という臓器から凄まじいまでの激痛が発信されてくる。
「……っ……が……ぁは……!」
崩れ落ちて、あっという間に、血の沼が出来上がる。
視界が、霞んで、目の前が見えなくなってくる。
倒れ伏した儂には、興味も示さず、大鬼は、逃げていったエマを追いかけていく。
「…………」
ぼやける視界、儂の前に、ノアが立っていた。
『逃げろ』
彼は、村の外を指差しながら言った。
『逃げろ、ウィル。行くな』
儂は、萎えた足に、渾身の力を籠める。
『ウィル、よせ。やめろ。行くな。行くな』
何度も、何度も、何度も、全力を籠める。
崩れ落ちる。
その度に、また、力を籠める。立ち上がれ、立ち上がれと、己を鼓舞する。
『ウィル、行くな。行く――』
「黙っていろ、亡霊ッ!!」
儂は、大声で叫び、そして――立ち上がる。
よろけながら、血でまみれて、汚らしい老骨が立ち上がる。
「ノア……お前は、優しいのう……昔から、儂のことばかり……憶えているか……子どもたちに、村で配られた菓子……お前は、ひとりふたつだと言って、儂に自分の分を寄越した……いつも、お前は、そうじゃった……自分が、損をしてでも、誰かを想って生き続けてきた……」
『…………』
「後で、そのことに気づいた、儂の気持ちがわかるか……いつも、特訓で手加減されて、慰められていた儂の気持ちが……なにが、相棒だ……お前は、いつも、儂のしあわせを願って……ただ、自分を犠牲にしてきた……赤の騎士として、人知れず、たったひとり……この村のしあわせのために、戦い続けてきた……」
儂は、目の前のノアに叫ぶ。
「いい加減、並ばせろッ!!」
儂は、ただ、涙を流しながら――叫ぶ。
「儂は、お前の相棒じゃろう!? お前にとって、儂は、他の者と同じ、守らなければならない存在だったのかっ!? そうだったのか!?
俺とお前は――」
すべてを籠めて、叫んだ。
「赤と黒の騎士だろ、ノアッ!?」
彼は、静かに微笑む。
本当に、哀しそうに、それでいて得難いものを得たかのように嬉しそうに。
そして、ノアは、いつもみたいに、猫みたいなニヤッとした笑顔を浮かべて――反対方向を、指差した。
『行け、ウィル』
儂は、駆け出す。
返答を返すつもりはない。必要はない。
ただ、駆ける。
赤と黒の騎士として、救うために、ノアの隣に並ぶために――駆ける。
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
追いついた儂は、大鬼の踵に、全身全霊を叩き込んだ。
血しぶきが噴き上がり、背後からの奇襲に、大鬼の巨躯が倒れ込む。叫びながら、儂は、憎き敵の頭に回り込んで長剣を突き刺す。
反射的に飛んできた拳が、儂の脇腹を捉えて、あばらがへし折れた感触が推し広がる。口から反吐を吐きながら後退し、立ち上がってきた大鬼が、儂を球のように蹴り上げた。
宙に――浮いて――地面に叩きつけられる。
理解させられる。
儂は弱い。そして、大鬼一匹にすら敵わない。
だから――儂は――立った。
「…………」
幾度でも、立ち上がろう。
全身の骨が割れて折れても、血という血を流しても、あまりの激痛で死を迎え入れてしまいそうな時でも。
赤と黒の騎士は――立ち上がろう。
「ノア……そこにいるか……?」
ふらふらと、儂は、大鬼を前にして立つ。
背中に、確かに、彼を感じた。
たったひとりの、赤の騎士の存在を、想い続けていた。
「不思議だった……お前の技が、どうして、使えないのか……教えてもらったとおりに、練習したのに……幾度、繰り返そうとも、無駄だった……だがな、ようやく、気づいたんじゃよ……」
――す、すこし、休憩したら……うぃ、ウィルに……あの剣を教えてあげるよ……ぼ、僕の“技”をさ……
「お前……いつも……叫んでいたじゃろう……?」
――俺に、あの技は無理だよ……ノアにしか使えない……
「俺は、なんだか、気恥ずかしくてな……叫べなかったんだが……最近、冒険者になって気づいた……アレは、お前の恩恵だったんじゃないかとな……」
――そんなことはないよ
「だから、お前の技、借りるぞ……きっと、今なら、出来る気がするんだ……」
――なんたって、君は、僕の認めた黒の騎士なんだから
「なんたって、俺は」
儂は――俺は――重なったノアと共に、構える。
「お前の認めた――」
そして、すべてを解き放ち――ノアは、嬉しそうに、笑っていた。
「『赤と黒の騎士』だ」
剣閃が、迸り、光の流れとなって大鬼を薙いだ。
一閃。
首の跳んだ大鬼が、音もなく膝をついて倒れ伏す。
「…………」
いつの間にか、取り囲まれている。
わらわらと、幾らでも、押し寄せてくる小鬼と大鬼の大群。全員が油断なく、俺とノアのことを見据えて、背中合わせになった俺たちは、互いに支え合いながら剣を構える。
「なんだよ、ったく、幾らでも湧いてきやがる。
おい、ノア、だいじょうぶか? ビビってんなら、お前の分も、引き受けてやってもいいぜ?」
『……ウィル』
「なんだよ?」
『ありがとう』
涙を流しながら、ノアは微笑む。
『ありがとう……ウィル……君に……君に逢えて良かった……僕は……ずっと、孤独だった……誰にも……誰にも、たすけてとは言えなかった……僕は……こわかったんだ……君が……君が死んでしまうのが……』
「ばーか、なに言ってんだよ」
俺は、笑う。
「約束しただろ」
そして、剣を構える。
「俺たちで、英雄になるって」
思い出す。
ふたりで、思い描いた夢を。
一緒にふたりで布団に潜り込んで、語り合った、あの楽しくて綺麗な夢を。
あの綺羅びやかな、英雄譚に焦がれた夢の時間を。
ただ、思い出す。
「安心しろよ。俺たちが、敗けるわけがねぇんだ。
だって、結末で、最期のページで、俺たちが勝つことが描いてあるんだから」
そうだ、だって、俺たちは――
「『赤と黒の騎士だ』」
剣を、振った。
明け方。
かつて、一度は、荷物持ちとして同行していた冒険者たちを引き連れたレーナは――その光景を視て、へたれ込む。
そこには、泣き叫ぶ少女と――騎士がいた。
赤色の光に包まれた黒色の騎士は、左腕がもげていて、両足が複雑怪奇に捻じ曲がっていた。全身には凄まじい数の矢が突き刺さり、原形を留めないほどに、あちこちの部位がなくなっていた。
そして、彼の周りには、夥しい数の小鬼と大鬼の亡骸が転がっていた。
「英雄だ……」
その壮絶な光景を前にして、冒険者の少年はつぶやく。
「あの爺さん……いや……あの人間は……」
ただ、その騎士は――
「英雄だ」
欠け落ちた剣を握りしめ、立ったまま、誰かを守るようにして死んでいた。
時は流れた。
ウィルの故郷の村は、年を経るごとに、どんどん大きくなっていって街になった。様々な場所から人が流れてきて都市になり、とある遠縁の血筋から王が生まれでて、国家へと至った。
そして、その墓には、いつも花が捧げられている。
かつて、小さな村だったこの場所を、命懸けで守った英雄の眠る墓だ。
諸説あるが、歴史上、初めて生まれた女教皇が、英雄の命日にだけは、必ず墓参に訪れたと言われている。
先祖代々、栗色の髪をもつフリンジ家は、エマと呼ばれる女性の言いつけを守って、今もその墓を守り続けている。そのお陰か、辺鄙な場所に設けられている、英雄の墓が荒らされたことは一度足りともない。
英雄の登場により、赤と黒の騎士の認識は変わった。
今となっては、絵本の題名のことではなく、実際に存在した英雄を示す言葉として扱われている。
かつて、赤と黒の騎士が、命を懸けてこの国を救った。
ふたつ並んだ、英雄の墓には、こう刻まれている。
赤と黒の騎士――ここに眠る。