5. 約束
草原が目立ちまばらな雑木林ばかりであった男爵領から変化し、周囲には太く高い幹をもつ木々が立ち並んでいた。
木々のすき間から流れ込んできた様々な生命の物音が二人を取り囲んでいた。
「暇ね……。何か出てくれないかしら」
「やめてくれよ、そういってると大抵出てくるんだから」
木々に囲まれて見通しの悪い道に入ってから、少年は常に周囲に注意を向けていた。これといった反応を見せない少年に、少女は「つまんないの」といって景色に目をむけた。
「でも、この状況って昔読んだ本の内容に似ててワクワクしてくるわね。やんちゃなお姫様が城を抜け出して男の子と冒険するって話」
「ああ、おまえが好きだったやつか。振り回される男の子がかわいそうな話だったよな」
「わかってないわね、あれは夢とロマンを追いかけていたのよ」
「ロマンねぇ……、今は現実の方が大事だよ」
未来の王妃ともなる少女に護衛の兵士が一人もついていないという現状。少年が思い出すのは主人である男爵とのやりとりであった。
王太子との婚約を反故にされた公爵家からのいやがらせともいえる横槍によって、自領地から王都まで兵士を随行することを禁じられた。
『娘を頼む』と頭を下げる男爵の姿は、ただ娘を心配する父親そのものであった。
もしものことがあったら……と、少年が手綱を握る力が強くなる。
「もっと楽しそうな顔をしなさいよ。つまらない現実なんて蹴っ飛ばして、目指すのは幸せな未来よ。これもロマンね」
そういって胸をはる少女もまた自分の現状を理解しているはずであった。そんな少女を見ながら「ロマンがすぎるよ、まったく」と口の端を上げる。
「アリシアの新たな門出だ、景気づけにこれ持ってけ」
そういって、少年が手渡したのは銀のカフスボタン。
それは幼い頃からの少年の宝物であった。
「いいの?」
「前にほしがってただろ」
それはまだ二人が出会って間もない頃のこと。少女が会話の糸口にしようと、少年の手首で光るカフスボタンを指差した。
―――それ、きれいね
―――ほしいのか?
―――他人のものをほしがるなど淑女のすることではないと教えられているわ
つんと顔をそらして背一杯大人ぶった幼い頃の少女を思い出す。
「あんたからの贈り物なんて初めてよね。誕生日パーティーに呼んだときもこようとしないし」
「そりゃあ、男爵家の令嬢に渡せるような大したものなんて用意できないからな」
「そんなの別にいいのに……、馬鹿みたい。あなたに比べたら殿下のほうがマシよ。容姿もいいし、国一番のお金持ちだし、……それに国王陛下になる方だし」
「それは無茶だろう。殿下と比べるほうがどうかしてる」
呆れた顔をする少年に、「知らない」といってそっぽを向いたままカフスボタンを指先でいじっていた。
「……やっぱり、ねだったみたいでなんか悔しい」
「じゃあ、返すのか?」
少年が手の平を差し出すが、少女はすばやく懐にしまってしまう。
「次にあったときにでも返してあげるわ」
「わかったわかった、次に会ったときな。いつでもいいからな」
「約束よ。忘れないでね」
夜になると、少年は毛布に包まりながら、これからの旅の日程を頭で描こうとする。しかし、別のことばかりに気が散って眠れそうもなかった。
起き上がると酒瓶を取り出した。口に含み、少しでも酔おうとした。そうしなければ煩悶しながら朝を迎えそうだったから。
あと少しで王都が近い、そして少女との別れも……。