人ならざる者
沙喜は弓の扱いに長けている。その精密で力強い矢は敵の急所を正確に射貫く。加えて、彼女は幼いころから魔法の才能にも恵まれていた。そしてその恵まれた魔法の力と弓の才能は、極限まで鍛えることにより誰にもまねできないある能力を開花させた。それは俗に、『飛法術式』と呼ばれる、特殊魔法。これは矢に魔法を乗せ、相手に命中した瞬間、あるいは任意に決めたタイミングに乗せた魔法を発動する条件発動型術式。魔法による追い打ちが可能だ。矢に魔法を乗せることはさほど難しいことではない。問題は、魔法発動の時間の決定である。一回一回命中するタイミングが違うことから、これはつい最近まで不可能だとされてきた問題だ。それを沙喜は可能にしてしまった。その驚くべき才能と努力で。
斜陽がその赤みを増し、眩しかった西日が落ち着き始めた。俺は最終試合である第十三試合の開始を純粋なる好奇心と共に心待ちにしていた。沙喜は魔法使い系のコースに進むはずなので、おそらくは弓を使うことだろう。考えてみれば魔法使いが弓を使うのはおかしな話なのだが。それはともかく、剣術の評価が加わるのは騎士養成のコースだけなので、ということだ。
「最後の試合は盛り上がりそうだな、ノア」
俺は観客席の後ろの方に一人で座っていたノアに話しかけた。俺が歩いて階段を上っているときに舌打ちが聞こえたが。
「ここじゃあ見にくいだろう。前の席をお勧めするが?」
ノアは俺をその切れ長な目で睨みつけた。俺は当然ながらそんな忠告を無視して、ノアの一列前の席に腰かけた。
「ご忠告どうも。前の席に座らせてもらいます」
俺は笑顔だ。親切なことに俺を気遣ってくれたのだから当然だろう。ノアはもう一度、いや先程よりも大きく舌打ちし、それきり黙ってしまった。俺も視線を闘技場に移し、目に魔力を込めた。なんとなくしか見えていなかった選手二人が、大きくクローズアップされて視界に入る。偵察などによく使われる魔法だ。望遠の魔術と呼ばれる、特殊だが習得が容易い魔法だ。決して、のぞき見の魔法ではない。……いやホント。
「お前、その魔法どこで習った?」
さすがノア。一応これでも目立たないように発動したつもりだったのだが。
「偶然だよ。たまたま知人に使えるやつがいたのさ。お前こそこんな魔法、習う機会なんてなかなかないだろうに」
俺は魔力を微量に放つノアの目に視線を向けた。微量、俺でなければ気が付けないほどにしか魔力を感じられない。恐ろしいほどに精密で無駄のない魔法だ。
「お前と似たようなものさ」
「これより、最終試合、鏡見沙喜と雪冷花による試合を執り行う」
ライル先生が声を張り上げる。その声は今でもかすれていない。喉も強いのか、あの人。
「始め!」
ライル先生の掛け声とともに、沙喜は虚空から弓を取り出す。銀色に光り輝くそれは、魔法によって召喚されたものだ。対して雪は反りの入った剣。つまりは刀を左手に持った。木刀なので鞘は無いが、それはまさしく居合の構えだ。前世での剣術の腕前はどうやら衰えていないようだ。
「ほう、弓とは珍しいな」
ノアが呟く。その通り、弓を使う生徒など初だ。魔力を直接飛ばす、魔甲砲が開発されてから、弓という兵器は時代遅れになりつつあった。もっとも、魔法と組み合わせられないその性質の制で、弓が使われること自体なかなか無かったのだが。例外として、魔法で矢を作りだし、それを射出するという使いかたがあるが、それができるのは魔法制御の達人だけだった。それも先天的な才能によるものだ。
――――そう、沙喜は魔法で矢を作り出せる。もっとも、魔法で矢が作り出せたところでそれに魔法を乗せられるわけじゃないので、どっちにしろ弓はそこまで強い武器ではないのだが。
沙喜は静かに矢を作り出した。あれはスピードに特化した細身の形状をした隼矢はやとの魔力版だろう。沙喜は普段、魔法で矢を作り出さない。それは、飛法術式を使ったほうが少ない魔力で強い魔法が使えるからだ。だが、今回はあの技術を明かさないつもりなのだろう。人はおろか神でさえほとんど使えない技術をこんなとこで明かしてしまっては後々面倒なことになるだろう。
沙喜がその矢をつがえて引き絞ると、雪が刀の柄に手をかけた。二人の気が闘技場を覆う。緊張感なんてものじゃない。ちょっとやそっとの鍛え方では足がすくんで動けなくなるだろう。
雪が動いた。低姿勢のまま一歩踏み出したかと思うと、沙喜の眼前にまるで瞬間移動したかのように現れ、一閃、水平方向に切り払った。直後、頭上から飛来した魔法の矢をその木刀で払う。
なんという攻防。沙喜は空中で矢を三本つがえて放つと、着地することなく掻き消えた。
「なんだあの魔法は……」
ノアの声が後方から聞こえた。答えてやりたいところだが、実のところ俺もよく知らない。幻術の類であることに間違いはないが。俺はそっち方面に弱いのでな。……そういえば沙喜は前に、ある目的があって習得したといっていた気がするが。
雪は闘技場の真ん中で剣を上段に構えた。わざと隙を作って誘っているのだろうか。しかしあの速さの矢を避けきれるのか?
上段……どういうつもりでしょうか。罠、であることに間違いはなさそうですが。とはいえ、隙があることに間違いはありませんね。相手に位置を悟られないようゆっくりと矢を、透明な状態で作り上げます。本当にこの魔法を使えて良かったです。元々は戦闘に使うつもりなどなかったのですが……ってそんなことを考えている場合じゃありませんね。歩くのを止め矢をつがえます。最初の隼矢は避けられてしまいましたが、今回はそう簡単にはいきません。先ほどとは魔力を練った時間が段違いですから。
罠であるにしても相手にこちらの姿は見えていないはずです。
おそらく飛んできた矢の向きからこちらの位置を特定するつもりなのでしょう。ならばそれを逆手にとるのが最適手ということです。
魔力はもう充分過ぎるくらいに練られています。
では、そろそろいきますか。
私が矢をつがえる手に力を込めると、不意に雪が魔法で作り出した氷の剣を狂ったようにあちこちに飛ばし始めました。やけになったのでしょうか? そんなことをしても当たるわけはないですけれど。
私は飛んでくる剣を難なくかわしながら攻撃の機会を伺います。
にしても実に妙ですね。あんな行動をする人ではないはずなのに。客席の方にまで被害が及んでいるようですし。
すると、我に返ったように攻撃がはたと止み、呆然とし始めました。
「この機を逃すわけには行きませんね」
静かにそう呟くと再び矢をつがえ雪の胴体めがけて放つ、同時に雪の行動を予測し、反対の壁辺りまで瞬時に移動する。
呆然としていたにも関わらず矢が飛んできたことに気づくや否や矢の方向に飛び出し、矢を弾き、その勢いで私がいた場所に向かって斬りかかる。
もちろん雪の木刀はむなしく空を切り、雪の背後はがら空きとなりました。
「これで終わりですね」
そう呟いたのはがら空きの雪の背中へ矢を放ったあとでした。
放った矢の行方を目で追いながら、雪の方へと視線を移します。
まだ、彼女は矢の接近に気づいていませんでいた。代わりに小さく笑ったかと思うと私の背中に激痛が走りました。
「なっ! これは一体?」
確かめる暇もなく雪が追撃を仕掛けてきます。雪の猛攻に押され、防御するのが精一杯です。さすがに弓は接近戦には向かないので魔法でシールドを作り出し応戦しますが、先程の負傷が響きまともなシールドがつくりだせませずすぐに破られては作り、破られては作りの繰り返しでした。
ようやくまともな魔法を放てるようになり体勢を立て直すため姿をくらまします。
さっきの攻撃はなんだったのでしょうか? 周りの状況を思い出してみても魔法の出所は壁に刺さっていたあの氷の剣でしょう。しかしどうやって? あのタイミングで魔法を発動させるのは手動でなくては出来ません。
となると、一番あり得そうなものは……。
そうです、飛法術式。あれを使える者は相当限られているはずです。普通ならあり得ないと思うところですが、つい数分前にノアさんにあり得ないことを見せられてしまったので。
だとしましたらもう一つ不可解な点が。いくら飛法術式といえど微量の魔力は感じとることができるはずです。
あの剣からは氷の魔力が微量に感じられただけですが、飛法術式による魔力は感じとることが出来ませんでしたし。相手の能力を確認する前に突っ込むのは相当危険ですが、わからない以上仕方がありません。
目には目を、というやつですね。
しかし、飛法術式を使うには姿をくらまさない方がいいですね。
私は保護色を応用して使っていた幻術を解き、闘技場に降り立ちます。
「ようやく本気になりましたか?」
さすがに雪には気づかれていたようですね。ですが、私が手をぬいているとわかったところでどうにかなるものではないです。
「私を本気にさせたことを後悔しますよ」
そう言い終わる前に私は矢をつがえ上空へ放ちました。それはまるで雨のような数の、それでいて光のような速さで、全てに魔法を乗せ、雪の全方位から襲いかかりました。
雪も先程のように剣を作り出しながら矢を弾いていますが、圧倒的に数で及びません。
徐々に徐々に矢の攻撃に押され始める雪。矢を弾きながらもこちらに魔法を時々放ってくるが、当然のことながらその魔法に力はなく避けるのも容易いことである。
しかし、案外粘るものですね。劣性に立たされて初めて発揮する力と言うものでしょうか。ここらが潮時でしょう。
雪さんあなたはよく頑張りました。
私は最後の矢をつがえ極限まで魔力を練り、雪に向けて放ちました。
未だ無数の矢は降り注ぎ、雪に休む暇を与えません。
――その瞬間、雪は苦しむような表情をしたかと思うと刀を取り落とした。
止めの矢が雪の体を貫き雪がその場に倒れ混む。
なっ! どうして誰も止めに入らなかったのですか? 私は雪さんの体を貫くつもりなんてなかったのに。
「そこまで! 勝者、鏡見沙喜!」
ライル先生がそう宣言すると、闘技場の脇からタンカーを持った二人組が雪に駆け寄り、雪を乗せて運んでいった。
今回は勝負が決着するまで誰も止めに入らなかった。
それほど高度な戦いだったのだ。この二人を戦わせ最終戦に持ってきたのはそういう意味があったのだろう。沙喜はよほど責任を感じているのだろう。タンカーに乗った雪に必死に呼び掛けながらそれについていった。……それにしてもあの状況とはいえ雪が刀を落とすとは。俺はそのことに若干の違和感を覚えながらも、精神的なダメージが大きいであろう沙喜について考えることにした。
その後執り行われる予定だった結果発表とクラス分けについては取り止めになった。解散を告げられ皆が思い思いのことを喋りながら帰る中、そこに沙喜の姿はなかった。