悩める神と聖なる霊
試合後、俺とノアは治癒魔法使いであるオリヴェル先生と話していた。相変わらず、ノアの口調は攻撃的なものであった、が俺はノアがただの頭の悪いお坊ちゃんには見えなかった。先ほどの試合、突っ込むという浅はかな選択をしなかったうえに、最後の罠まで用意してあったという事実が、俺のノアに対するイメージを変えたのだ。
「お互いケガ一つないとはね。今年の学生はみんなこんななのかい?」
オリヴェル先生は念のために、と俺たちの体を検査している。そんなわけで、今現在俺たち二人は上半身裸である。念のために言っておくと、ここは観客席でも闘技場でもない。選手の控室のようなもので、ここで試合が終わった選手がケガをしていないかチェックするそうだ。
「俺たちが特別だと思います、先生」
俺は端的に事実を述べた。
「俺が知る限り、あと二人ほど似たようなのがいますが」
言わずもがな、沙喜と雪の事である。もっとも、ノアに関しては予想外というかなんというか。
「それは雪と鏡見のことだろ?」
ノアは、先程の振る舞いからは考えられない、非常に落ち着いた口調で確信と自信に満ちた問いを投げかけた。俺はなんというか、驚いてしまった。仕方ないだろう、となりの治癒魔法使いは話についてこれてさえいないのだから。それほどまでに高度な内容の問いだったのだから。“見るだけ”で実力を測りきれる猛者などなかなかいないだろう。
「その通りだ。お前……いや、まず先に謝らせてもらう。侮ってすまなかった」
俺はただ、実力を見切れなかったことを恥じていた。もしもノアが本当に俺よりも強かったのならば、挑発に引っかかったのは俺であり、当然のごとく死んでいただろう。勝てたのはただの力の差、実力ではない。
「ふん。謝るな。負けたのは僕だ」
ノアは上着を着終えると、部屋を早々に出て行ってしまった。残された俺は、よく鍛えられたノアの体を思い出し、なぜそんなことにも気づけなかったのだろう、と苦い顔をしていた。
「ありがとうございました、オリヴェル先生」
「あ、ああ。またいつでも来てくれよ」
俺は部屋をでると、褒められたくないという思いから、観客席には向かわなかった。
試合は順調に進み今はもう第十試合まで終わって、闘技場の整備が行われているところの様です。
一般人にはつまらないというのが試合を見ていての感想らしく、それを象徴するかのように五試合目辺りから私語が増えてきました。
まぁ、第一試合からあんな試合を繰り広げられてしまえば他の試合がつまらなく見えるのも分からないこともないですが。
しかし、こちらとしてはこの世界の力を測るためには見ていなければならないのですが......。
にしても先輩はどうして帰ってこないのでしょう? 迷子にでもなりましたかね?
今は次の試合まで時間がありそうですし、さがしに行ってみますか。
先輩が行きそうな場所は......控え室でしょうか? もともとこの模擬戦のためにあるようなものなので長居するような場所はないはずですが。
とりあえず控え室まで行こうと観客席を後にし、一つ目の角を曲がると早くも目的の先輩を見つけました。狭い通路の端にうなだれながら座っていました。
「あっ、せんぱ......」
話しかけようとして気づきます。先輩はいつになく落ち込んでいるようです。長年付き合っていればそれぐらい分かってしまう、そんな自分が少々誇らしいです。
しかし、なぜなのでしょうか。試合には完勝、傷一つなく笑って帰ってくると思っていたのに。
「どうしたんですか? 先輩」
私は幾度となく先輩の悩みを聞いてきました。その度に先輩は何一つ隠すことなく話してくれました。
ですが、今回は違います。
先輩は沈黙を続けるばかりなのです。私はここは無理に聞き出してはいけないと判断しました。
「先輩が話したくないなら、話さなくてもいいです。でも、私はいつでも先輩の味方ですよ」
そう告げて立ち去ろうとしたときにようやく口を開き……
「............った」
「え?」
その声はあまりにも小さ過ぎて聞こえません。落ち込んでいるのでしょう。
「見抜けなかった。ノアの実力を見抜けなかった」
ノアの実力? 見抜くもなにもノアを終始圧倒していたのは先輩です。
「何を言ってるんですか? ノアさんには悪いですけど、そこまで実力のある人ではないですよ。私も確認しました」
「力で押し切っただけだ。あいつを下に見ていた」
先輩はうつむいていて表情が見えません。ただ、その震えた拳が胸の内を語っています。
「最初の挑発的な言動から、最後の罠まで全て計算されたものだと思う」
先輩は嘘をついているようには見えませんし、そもそも私に嘘をつくこと自体あり得ないので、本当の事なのでしょう。ですが、私はその事実をすぐには呑み込めませんでした。実力を見切ることは私の特技の一つなのですから。
「そ、そんな! 私が気づけないなんてこと......」
私は、今でも信じられないという面持ちで顔を上げた先輩に視線を送りました。
「あいつは力を隠していたんだ。力を測られないために」
神にさえ見抜けないように力を隠すなんてことは並の人間には出来ません。相当な、非常識な訓練を積んできたのでしょう。
私たちは神の力にうぬぼれ、努力を忘れ、力なき種族を下に見ていたのかもしれません。そもそも、人間と神との間の差というのを私たちは正しく把握できているのでしょうか。人間は果たして力なき種族なのでしょうか。神と人間の差は圧倒的なものでないのかもしれません。
遠くで歓声が聞こえた。試合が再び始まったのだろう。
彼らは努力し、自分を追い込み、勇者になるべくこの学校に入ったのだろう。俺には彼らがまぶしく見える。その光は、俺の驕りを照らしているようだ。苦しかった。これが神のあるべき姿なのだろうか。少なくとも俺には彼らの上に立つ資格何て無さそうだ。
暗く冷えた廊下で俺は強く拳を握りしめた。足掻き、努力すること。俺が久しく忘れていたこと。俺はただ、彼らに負けたくなかった。
「あー、いたいた。どこ行ってたの? 二人とも」
「少しね」
アンに聞かれて、話して良い内容ではない。
「あれ、次の試合って……」
沙喜は不思議そうな顔でアンを見た。そういえば次の試合にアンが呼ばれていた気がしたが……
「あ! あ、え~と……行ってきます」
アンは駆け出して行ってしまった。なんという緊張感の無さ。このくらい力を抜いておけば、全力を出せるだろう。そういった意味では彼女の性格は本番に強いといえるだろう。
「……ノアは何者なのでしょうか」
雪はアンがいなくなるタイミングを見計らったようにつぶやいた。この場にいるのは俺たち三人だけ。それは俺らがノアの隠された実力に気づいているということに確信を持っているからこそのセリフなのだろう。それは、俺が神だからなのだろうか。もしそうだったならば、心苦しい。俺は彼らの上に立ってはいけない。
「お前も気づいたんだな、雪。あいつはただの貴族じゃなさそうだ」
神なのに、何にも気づかれなかった。その事実に雪は幻滅するだろうか。
「あなたは最初から分かっていたのですか?」
雪はくるりとこちらに顔を向けた。
「いや、気づけなかった。まんまとしてやられた。はは、幻滅するかもしれないがな。力押しだよ」
俺の表情は清々しいに違いなかった。ただ、雪ががっかりすることが怖かった。だが、いっそのこと罵ってほしくもあったのだ。そんな気持ちが俺の表情を無理に明るくしていた。
「自分を責めているのですね、略。ですが私は幻滅しませんよ。神が完璧なわけないじゃないですか。もしも完璧だったなら、私は神を恨んだりしませんでした……」
雪はなぜ、こんなにも俺を慕ってくれるのだろうか。それが辛い。
「俺はお前らの上に立つ資格何て無い。なぜそうも俺に優しくする!」
俺は見当違いの怒りを覚えた。自分をさげすまない雪に、あろうことか声を荒げた。醜い自分に吐き気がした。
「それは……略が……」
雪はそれきり、何とも中途半端なところで口を閉ざしてしまった。
「俺が? ……ん? え、寝た? おい!」
俺は雪の体を揺すって呼び掛け続ける。なぜこんなタイミングで寝た? おーい起きろーめっちゃ気になるんですけどー
「なんか不自然なタイミングで眠っちゃいましたね」
沙喜も不思議がっている。アンの試合ももう始まっているというのに。なんて考えていると、雪が瞼を開いた。
「ちょっと! そんなに揺らさないでよ! 酔っちゃうじゃない!」
「は? 何言ってんだ?」
急に口調とキャラが激変した雪に俺は戸惑いを隠せない。
「私、酔いにはものすごく弱いのよ。車酔い、船酔い、二日酔い、全部ダメ」
急に話題がガラッと変わり、全くついていけない。
「お前ホントに雪か?」
あまりの変わりようについ気になっていたことを口にする。
「あー、まだ言ってなかったわね。私はこの女に宿っている聖霊よ。初めまして、神様たち」
結構大事なことをさらっと言ってますけど、この人。
にしても宿り主とは正反対の性格だな。
「やっぱり疲れるのよねー。堅苦しいことばっかり言ってると」
聖霊でも疲れるとかあるんだ。つーか堅苦しいことなんて何一つ言っていない気がするが。それにしても聖霊がこんなチャラくて良いのか?
「あー、疲れたー。ということでおやすみー」
「は? おい! まだ聞きたいことが!」
言い終わる前に寝たらしい。出るときも出ないときも急だなー。 いや、何しに来たしコイツ!!
聖霊ってのはすごい存在らしいな。
何かあの雰囲気に押されて、どうでもよく思えてきたな。考えるのは後だ。
今はそんなことより目の前の試合に集中した方がいいな。
「次、鏡見沙喜、雪冷花。闘技場にすぐに来るように」
ライル先生の拡声魔法によるアナウンスが次の対戦の組み合わせを告げる。
沙喜はいきなり雪が相手か......。