拳の斬撃
騒がしかった声も消え、クラスの誰もがこれから始まる試合に関心を寄せる。闘技場の中央に立つは二人の男子生徒、貴族のノアとこの俺、五坂。ノアは木剣を振り回し、最終的に俺の眼前にぴたりと止めた。
「お、大口たたけるのも今の内だからな。僕の剣で叩きのめしてやるっ」
ノアは先ほどの俺の不気味にして不敵な笑みを空威張りだと解釈したらしい。ニヤッといういかにもな悪徳貴族の笑みに俺は吐き気がした。
「安心しろ。手加減してやる」
俺はロングソードを右の逆手に持ち替えた。
「ㇰっき、貴様っ!! この僕を侮辱するのか!」
ノアの顔は紅潮した。対して俺は、数歩下がって間合いを取る。逆手のロングソードを握る力を強め、足を前後に開き腰を落とす。前傾姿勢のこの構えはこの世界の学生にはひどく奇異なものに映ったらしかった。
「ねえ、沙喜ちゃん。リャックンのあの構えはなに?」
観客席での会話だ。アンが不思議そうな顔で沙喜に尋ねると、それに乗っかって雪が口を開いた。
「ロングソードを逆手に持つなんて聞いたことがない」
「なんかの武術?」
さらにミルカまでもが質問を付け加えると、沙喜はさも自慢げな顔で……
「まあ、見てれば分かりますよ」
観客席でこんな会話が行われているとは露知らず、というか知る由もなく、俺はただただ、試合開始を告げる声を待っていた。ライル先生はおもむろに立ち上がると、闘技場の真ん中に歩み寄り片手をあげた。
「これより、ノアと五坂による模擬戦を開始する」
空気が変わった。闘技場も観客席も静まり返り、両者に視線が集中する。
「…………始めっ!!」
刹那、俺は前方の左足に力を込めた。体は滑るように動き出す。腰は上下動することなく滑らかに移動を開始した。対して相手は盾を構える。最初の一撃を防ぎ、カウンターで決めるつもりなのだろう。てっきり、感情に流されて突っ込んでくるかと思っていたが、意外なことにノアは冷静であった。
「はあっ!!」
息を吐き出し、俺が踏み込むと、逆手に持ったロングソードがきれいな弧を描いた。ノアは盾を左わきに構え、右手の剣を振り上げる。逆手のロングソードは盾に弾かれると踏んだのだろう。しかし、――彼の予想はあながちはずれていなかったが――盾に直撃したのは木剣ではなく、俺の拳だ。
「っ?!」
全力を込めた俺の突きは木の盾を木っ端みじんにするには十分すぎるほどの威力を誇っていた。その勢いは盾を破壊しただけでは収まらず、ノアを後方へ大きく吹き飛ばした。
闘技場の端まで飛ばされ身体中を強打したノアは反撃はおろか立ち上がることも出来なくなっていた。亀裂の入った闘技場の壁にもたれかかりながら、ただただ俺を睨んでいた。
「な、何があった?」
「何だあいつ? いかさまか?」
「あの貴族大丈夫かな?」
闘技場中から歓声やら驚きの声やら色々聞こえてくる。
あーあ、やりすぎでしょー。
どうして挑発ぐらいでカッとなるかなー?
「ねぇ、沙喜ちゃん? リャックンってすごいね」
「え? あー、そうでしょ?」
どうやら一般人にはすごい人、と見えるらしい。
「逆手の斬撃で相手をあそこまで吹っ飛ばすなんて」
訂正しましょう。剣の斬撃で人をあそこまで吹っ飛ばすのは無理です。出来たとしても略には出来ません。
ならどうしたか? 答えは単純。斬っていない、ただそれだけ。
逆手のロングソードで攻撃したように見せかけただ殴っているだけなのです。一般人なら速すぎてそんなの見えてないですが。
これで剣術の評価も受けられると。こんなときだけ頭が働くんですから、先輩は。
しかし、一人だけ違う意見の者が……。
「今のはロングソードで攻撃したのか? 私には殴っている様にしか見えなかったが?」
さすがに聖霊使いには見えてましたか。誤魔化さないといけないじゃないですか。
「まさか~そんなことあるわけないじゃん」
おお! 何かわかんないけどミルカ、ナイスフォローです!
「そうか、私の見間違いでしたか」
この模擬戦はライル先生が止めるまで続けるようだが、まだ止められていない。
まぁ、一瞬しか戦ってないしな。動けないみたいだし、とりあえずさっきのお返しといきますか。
「おいおい、まだ一回しか攻撃してないぜ? さっきの威勢はどうしたんだ? お坊ちゃん?」
「…………」
なにもなしかよ。動けないどころか喋れないとは。
「やり過ぎたかな?」
ノアの様子を見て初めてやり過ぎたことを自覚する。
にしても、いつになったら終わるんだ?
「そっちから来ないなら、こっちから行くぜ?」
そう言い放つや否や拳に力を込めノアの方へ走り出す。
もう、ノアに抵抗する力は残ってないだろう。
「これで、終わりだ!」
ノアにとどめを刺そうとしたとき、目の前にに来て初めて気づいた。ノアの手が淡く輝いていた。
これを待っていたのか、ノアやライル先生は。
不覚にも気づけなかった。
回避! いや、間に合わない!
「バカめ! まんまと引っ掛かりやがったな!」
そう叫んで手に溜めた魔力を一気に解放した。
さすがはお坊ちゃん、魔力の強さはそこそこ強い。
決死の一撃が直撃しものすごい音と衝撃が俺を襲い、遥か後方へ吹き飛ばされる。
……という筋書きだったのだろうが、俺には通用しない。
直前に例の防御魔法を使わせてもらった。
そして、とどめの一撃がに届く……前にライル先生の制止が入った。
「……そこまで」
静かにそう呟くと俺の手を上に挙げ
「勝者、五坂略!」
高らかにそう叫ぶと闘技場中から大きな歓声が上がった。
随分と目立ってしまったものだ。
深いため息を残して、俺は闘技場をあとに観客席に向かった。