木の営み
自分の幹の太さはそこらの木と比べ物にならないぐらい太くなっていた。おそらく、人が三十人手をつないでもおそらく1週いかないだろう。馬鹿のように高い自分の体を支えるためにこれだけの太さが必要なのだ。
そして今、その大きな幹で支えている無数の葉をいっぱいに広げて、光合成をしているところだ。
実際、木になってやることといえば、周りの観察に、これぐらいしかない。
今は根を精一杯伸ばすことも入っているが、これはあくまで森につくまでの間だけである。
さて、光合成と言えば、太陽の光をエネルギーに替え、自分の生きる力にすることだ。その副産物として、二酸化炭素を、人間やその他の動物に必要な酸素に変える、という働きもある。酸素を消費し、二酸化炭素にする動物と、二酸化炭素を酸素とエネルギーにする植物は、いわばwin-winの関係であるのだ。
ただえさえ、山のような大木が、光合成をしたらどうなるか。それは、あたりの二酸化炭素がほとんど消費されることを意味する。だからといって、森の木々が光合成する分の二酸化炭素が無くなるという訳では無い。森には多種多様な動物が住んでおり、二酸化炭素は常に放出されるからだ。
しかも、自分の葉は高いところについているため、上空に含まれる二酸化炭素を消費しているに過ぎない。
よって、森自体には影響はさほど無いのだ。そして、上空にある大木から放出された新鮮な空気は、風に乗り遠くへ運ばれる。
自分が光合成するというのは遠くに住んでいる動物を助けることにもなるのだ。
という理論を建てておけば、いくら自分が光合成して二酸化炭素を消費しても罪悪感がなくなった。木からしてみれば、ご飯を大量に消費されているようなものなので、たくさん使うのは気が引ける部分があったのだ。
だが、土の方はどうだろうか。木というのは光合成の他に、地面からも養分をとっている。
これだけ大きな木がエネルギーを吸収しては、土壌が枯れてしまうのでは?
そう思った自分は、どこからエネルギーをとっているのかを分析する事にした。
結果、なんとほとんどが光合成によってエネルギーが賄われているという事が判明した。
根は体を支える為だけにあり、養分を吸収する機能が失われていた。いや、使われていなかったというのが正しいか。事実、エネルギーの通り道は存在しているのだ。ただ使われていないだけで。
以上の結果から、自分の存在は森にダメージをそこまで与えていない、ということが分かった。安心である。
何故そんな心配をしていたのか。それは自分の大きさによるものだ。最初に話したように、自分はでかい。それはもう、普通ではありえないくらいに。きっと、森の外から見ても、自分の姿がはっきりと目に映るだろう。
これは異常だ。自分の存在は邪魔なのではないかととても心配になった。でも自分を分析し、答えを出すことで少し心を落ち着かせることが出来た。
ああ、暇だと余計なことを考えてしまう。今日はもう疲れた。寝よう。
◆
今日は森が良く見える。空気がとても澄んでいて、遠くまで見渡すことが出来た。まあ見えるものはほとんど木なんだが。一体この森はどこまで続いているのだろうか。
そうそう、根の進行度を言うのを忘れていた。実は残り1割を切っている。いやぁ長かった。もう何年経っただろうか。でもこれだけ経っても一つ目の木にも触れられないなんて、どれだけでかい湖なんだって話だ。まあもうすぐだからもうどうでもいいんだけども。
◆
暇だったこの生活も、ついに終わりが来るかもしれない。なぜならーー
根が!根がもうすぐ着くんだ!
ざっと計算して後1日くらい。よし、数えるか。
86400、86399、86398、86397…………




