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13.「現在」

  *「現在」*


 縁側に座り、俺は一つ息をついた。

 冷たい麦茶でも飲もうと思ったが、気が変わって緑茶を煎れることにした。熱いのは嫌だからと氷を大量に入れたら、随分薄くなってしまった。

 それを一口すすって、また息をつく。

 昨日のことがあって、どうにも落ち着かない気分だった。

「こんにちは」

 これからどうするべきか考えていると、声が聞こえてきた。顔を上げると、門の向こう側に女性が立っていた。俺は腰を浮かせた。

「すみません、インターホン気付かなかったみたいで……ああ、父なら今少し出かけ」

「私、いつもインターホンなんて鳴らさなかったでしょう」

 彼女は言葉を遮り、勝手に門を開けた。

「久しぶり、っていうのが正しいか分からないわね。私にとっては、つい昨日も会ったばかりだし」

 俺はその姿に目を見開いた。


「……歴史は繰り返すとは、よく言ったもんだな」

 彼女の話を一通り聞き終えると、俺は既に残り少なくなったコップを傾けた。

「最初につっこむのがどうでもいいところで悪いが、つまり俺は、君が来てすぐ家を飛び出したんだな?」

「ええ。祭りに行った息子たちが、私の息子に会って、貴方の二の舞にならないように」

「全く記憶にないんだが……」

「当たり前でしょう。結局、間に合わなかったんだから」

 どうも釈然としない。俺にとっての昨日は、今気分が落ち着かない原因となった家族会議をした昨日だ。彼女と会った昨日なんて、どこにも存在していない。

 優雅に緑茶をすする彼女に、俺はなおも問いかけた。

「でも、君は『繰り返し』には関与してなかったんだろう。なのにどうして、昨日俺に会いに来た記憶があるんだ」

「さあ。多分、関わってなくても能力があるから、それぐらいは覚えてることになるんじゃないかしら。さすがに、あの子達が過ごした二週間弱は、私も経験してないけど」

 話がややこしい。「昨日」――つまり、繰り返しの起点となった日だ――、彼女の息子が「繰り返し」を起こしたことで、「昨日」の俺を含むあの五人以外の人物の記憶はカウントされなくなり、代わりに五人にとっての昨日、つまり繰り返しの最終日が、そのまま俺達の昨日にすり替わった。五人は二週間ほど「昨日」を繰り返していたが、昨日それが断ち切られた。彼女は同じ能力があるから、「昨日」のみの記憶はある、と。

 手のひらで顔をこすりながら、唸る。きのう、がゲシュタルト崩壊だ。

「理解が追いつかない……」

「自分も体験したことなんだから、理解ぐらいはしてほしいものね」

 俺はちらりと横の彼女を見た。

 確か、小学生の頃だった。うちの両親は離婚していて、俺が母、兄が父に引き取られていた。俺と母は隣の県で暮らしていたのだが、長期休みの時は、俺だけ父のところへ遊びに行くのが習慣となっていた。そうしていつものように夏休みにここへ来て、出会ったのが――彼女だった。

 ふらりと一人で遊びに行った夏祭りで知り合って仲良くなったが、翌日俺は母のいる家に戻ることになっていた。もともと、数日前に帰る予定だったのを、祭り行きたさに引き延ばしてもらっていたのだ。不思議なほど馬の合う彼女とその日限りで離れることが辛いということを話していたら、彼女がこともなげに言ったのだった。

『じゃあ、ずーっとお祭りしよっか。そしたら、お別れしなくていいもんね!』

 ――そうして、俺は彼女が望んだ「繰り返し」の中に取り込まれることになったのだ。

「だいたい、貴方は私を責めるけれど、貴方だって時間が進まないことを願っていたじゃない。たまたま、私がそれを解決する術を持っていただけ」

「でも、やっぱり時間を操れるなんて、いいことじゃない」

「繰り返しの中で起こった、世界中の全てのことはどうなるのかって? みんながこの力を使えたらどうするのかって? そういう諸々の倫理上の問題? じゃあ貴方は、この力を持っててもあの日使わなかったっていうの?」

 言葉につまる。彼女は靴を脱いで、白い足に陽をあてていた。

「でも、星太をそそのかしたのは私」

 彼女は静かに言った。

「力を使うことへの罰があるんだとしたら、力が遺伝することだと思う。でも使ってみないとそれが不要な能力だってことには気づけないから、結局ずっと受け継がれていくのよね」

「不要な能力、ね」

 コップの底に、小さな氷が転がっていた。千鶴は自分で氷を食べるのは好きなくせに、俺が食べるとうるさいと文句を言う。理不尽なものだ。

「そういえば」

 隣の彼女も、同じようにグラスの中を見つめていた。側面を伝う水滴が、ぱたぱたと落ちて庭の土の色を変える。

「貴方が私に言ってくれなかった言葉、あの子はちゃんと星太に言ってくれたみたいね」

「あの子?」

「貴方の甥っ子よ。翔太くんだっけ」

「ああ」

 翔太の名前を聞いて、また昨日のことを思い出す。

 見覚えのない女の子に翼と千鶴を預けたと思ったら、翔太が「話がある」と言ってきた。ついていった部屋には既に翔太の両親――つまり兄夫婦にあたる――と妻がいて、一体何の家族会議だと驚いたものだ。

 よく言った、というのが、正直な感想だった。翔太は、自分の両親と一緒に住むのをいったんやめ、俺の家に住まわせてほしいと頼んできた。このまま両親のプレッシャーの下にいたら、自分がだめになってしまうからと。

 前々から、翔太にはうちの家に来ることを提案していた。兄夫婦が教育に熱心すぎるのは知っていたし、うちの翼と千鶴もよく懐いている。こっちに来た方が、気楽なんじゃないのか。その度に、彼は苦笑して辞退していた。やっぱり、自分の家から出るのはちょっと。おそらく、兄夫婦を気遣って、とても言い出せなかったのだろう。翔太に実際の生活を聞いてみた今は、もっと早くに決断してほしかったと思うばかりだが。

 あの後、誰かから連絡を受けて飛び出していったが、ずいぶんさっぱりした顔をしていた。兄夫婦もショックを受けていたが、自分達も頭を冷やすべきなのかもしれないと、納得してくれた。

 落ち着かないが、まあ大丈夫だろう。あとは、時が解決してくれる。

「で、俺が言えなかった言葉だって?」

「そう。その一言さえ言ってくれれば、私は繰り返しを願わなかったと思う」

 結局彼女はグラスを傾けて、音を立てて氷を食べた。およそ上品な外見には似合わない行動だったが、俺の記憶にある彼女とは違わない姿だった。

 綺麗で落ち着いた雰囲気があるのに、実は好奇心が旺盛で、若干粗野。いつもは、つい気を張ってしまうのだと言っていた。

「昨日貴方に会った時、なんだか脅しのようなことをしてしまったけど、本当に、顔が見たかっただけだったの。まあ、星太をそそのかした時点で、構ってほしかった、っていう表現の方が正しいかも知れないわね」

「だから俺にはその『昨日』の記憶がないんだがな」

「あら、そうだったっけ」

 彼女はグラスを起き、靴を履いた。

「それじゃ、お邪魔しました」

「もう行くのか?」

「だいぶ長居したわ。それに、奥さんは今お買い物かしら。見つかったら、変な誤解受けるわよ」

 カバンを持ち、立ち上がる。

 彼女は一瞬こちらを見たが、すぐに視線をそらした。その表情が寂しげだったのは、気のせいだろうか。

「……じゃあ」

「あ、ちょっと」

 きょとんとした顔で、彼女が振り返る。呼び止めてしまってから、しまったと思った。なんとなく声をかけたものの、別に取り立てて用事がある訳ではない。

 言葉を探した。黙り込むには長い時間をかけて見つけた言葉は、いつも何気なく口にするはずの挨拶だった。


「また……また、今度」


 彼女はちょっと目を見開いた。それから勝ち誇ったように微笑んで、後ろ手を振った。

「三十年越しに言われても、ね」

 門が閉まる。俺はしばらくその場に突っ立っていた。すると、買い物に行っていた妻と翔太が帰ってきて、その後ろから翼と千鶴が騒ぎながら庭に走り込んできた。

「おかえり」

「今、女の人が来てた?」

 翔太が門の外を見ながら言った。どきりとする。何も後ろめたいことはないのだが、台所にいる妻が気がかりだ。

「……まあ、昔の友達がな」

「別に隠さなくてもいいのに。あの人、友達のお母さんだから知ってるよ。昨日うちに来て話したし」

「昨日?」

 聞き返すと、翔太は目をぱちくりさせた後、秘密めいた笑みを浮かべた。

「あー、うん。色々話をしてくれたんだ。その友達のことでね」

「ああ、そうか……」

 俺は翔太達の二週間の存在を知らないことになっているが、本当は問い詰めたい気持ちでいっぱいだった。昨日、だけでは、どの昨日のことを言っているのか分からないのがつらい。

 まだにやついたような顔で俺の方を見ていたので、「なんだよ」と言ってやった。

「いや? 僕も相当情けない人間だけど、おじさんもなかなかだなって」

「おま……っ! 何を根拠にそう言うのか知らないが、これからおまえを食わせるのは俺だってこと、忘れるなよ?」

「はいはい、ごめんね」

 軽やかに笑って、翔太は翼や千鶴の相手をしに行った。

 ため息をつき、再び縁側に座る。そういえば、ここで彼女と一日中話していたこともあった気がする。

 ――情けない、か。

 ごもっともだ。俺は先ほど彼女が言っていた「言葉」の正体を知っているし、事実それを当時言えなかった。

 俺が繰り返しに気づいて、それが終わった日、よく分からない感情のままに、俺と彼女は泣いた。本当は言いたい言葉があった。繰り返しを始める原因となった不安をなくすために。どうして泣くことしかできなかったのか、たった一言が言えなかったのか、俺は今でも不思議に思う。

 結局、あの夏以降、俺と彼女が会うことはなかったのだけど、それでも。

「また、来年」

 言えなかったその一言は、幾度の夏を越え、巡り巡って。

読んでくださったあなたに、最大の感謝を。

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