11.一週間と数日目(昼)
*一週間と数日目(昼)*
「翔坊ー」
祖父に呼ばれて、翔太は振り返った。
「電話だぞ。板橋という少年からだ」
机の電気を消し、下へ降りる。電話台の上で、黒い受話器が無造作に転がっていた。
「もしもし」
『おう、ショウボウか』
「うるさいな。お前が呼ぶことないだろ」
『なんつーか、ちょっと古風なじいちゃんだな。いや、気はいいんだけどさ。てか、ショウボウって、イントネーション変えたら』
「赤い車に乗ってる人たちの話をしたいなら、余所へかけてくれる?」
『あーもう違うって。ただ、どうしてんのかな、と思ってさ』
どうしてるかな、と思った、か。苦笑する。
「真意の見え透いた前フリはおもしろくないよ、啓介」
『お前ほんっとに核心突くの早いよな……。わーった、白状する。――宿題手伝ってくれ!』
「もう何回目だろうね……違う高校に行ってまで、僕に自分の休みの宿題やらせる気なのか?」
『いや、だってさ、マジでわかんねーんだもん。オレ、授業寝てっからさ』
「アホ」
『うう、お前に言われると一層その真実味が増すぜ』
「お前さ……もう八月に入って結構過ぎてんだよ? もうちょっと前にやっとけば、彼女を遊びに連れて行ったりとかできただろうに」
『げっ、何で知ってんの?』
「内村に聞いた」
『あのすっぽこたんが……。でもさ、入ったっつってもまだ2日じゃん? オレにしちゃ、動き始めるの早くねえ?』
「え、何言って……」
横の壁にかけてあるカレンダーに目をやる。日めくりタイプのそれは、確かにでかでかとした「2」を主張していた。
「――ああ、そうかも」
『だろ? だからさあ、頼む!』
「……教えるだけだから。僕は一切手をつけないから」
『ショウボウタ様ー!!』
「何言ってるのか分からないよ。じゃあ、帰ったら連絡する。あと数日ぐらいだと思うから」
『おう。あ、待て待て、あのさ、翔太、』
耳から離しかけた受話器に、一気に言葉が詰め込まれる。
「ん?」
『……大丈夫か?』
――苦笑する。
尋ねられることを、心配されることを望んでいるような女々しい自分がいる。でも、例えば話を聞いてもらったところで、結局何の解決にもならないのだという事も知っている。
自己顕示はしたいのに、当事者でなければ分からないという悲劇のヒーローぶり。「力にはなれないけど話だけなら聞ける」。それは、本当に助けを求めている人間には、何ら意味をなさないのだということを、一体世の中のどれほどが実感しているのだろうか。
嘲笑する、心の中で。
「啓介を含め、なんとか両手の指を折るだけで数え上げられる人数の男どもから、宿題について泣きつかれることを平気だって言うんなら、大丈夫。めちゃくちゃ元気だよ」
『うわあー! ほんとすまん! 今度超高級なアイスおごってやるから!』
大音量で述べられる謝辞を一通り言わせてから、電話を切った。
カレンダーを見る。
間違いなく、8月2日だった。
……いつ、ここへ来たのだろうか。どれだけ滞在するつもりで、実際今、何泊泊まっているのだろうか。夏祭りに行けているのは、今日で何日目になる? 普段から日にち感覚がないのが悔やまれた。
それにしても、と思う。
祖父や同時に遊びに来ている親類はともかく、あの両親がカレンダーをめくることを忘れるだろうか。ましてや父なんか、自分の暮らしてきた家だと言うのに。
しかも、何故毎日のように「お許し」が下るのか。普段ならありえない。
この夏は、おかしい。
「……ほんとにあの人たち、おかしい」
いや、いつもかな。
――一番焦っているのは、自分だ。星太には偉そうに語ったものの、今だって時間の解決に任せようと思えている訳じゃない。なのに、無駄なもがきを続けて世界から隔離されたいと望む自分は、やはり悲劇の主役になりたがっているのだろう。
決心すれば済むことを、先延ばしにしているだけだというのに。
ふっと自嘲気味に笑い、翔太は階段を上がろうとした。その時だった。玄関の磨りガラスの向こうに、ぼんやりとした人影が見えた。いつものように、祖父の知り合いが来たのかもしれない。
翔太は玄関の引き戸を、開けた。