第九話:井戸勝負(3)
エトナはそろそろと祭壇に近づき、祭壇にロウソクを向けた。
「たしかにここから音が……」
「エトナ~、やめようよ……」
後ろからトビーの弱音が聞こえてきたが、エトナはそれを叱咤した。
「何が起こっているのかちゃんと調べないと帰れないよ!」
「うう……」
その時、再び、祭壇から石の動く音が鳴り響いた。まるでエトナに続いて、トビーを叱るかのように。
「ひゃああ!」
トビーは頭を抱えてその場に座り込んだ。エトナも恐怖で顔がこわばっていたが、後ろには退かない。むしろ、さらに一歩前へ進んで祭壇をよく見ようと身を乗り出した。
「……あれ?」
祭壇を見たエトナは、何かに気が付いたようだ。壁と祭壇の間のわずかな隙間に、ロウソクを近づけた。小さな灯りがその“何か”を照らし出す。
「祭壇の後ろに何かいるよ……」
「──ええっ!?」
エトナの一言にトビーが素っ頓狂な声を上げた。エトナが見つけたものとは、亡くなった町人たちの怨霊か、それとも町人たちの人骨か、はたまた彼らが自分たちを殺した者に呪いをかけるためのアイテムか……。トビーの頭の中には様々な恐ろしい想像が浮かび上がったが、対するエトナはトビーとは対照的だった。エトナは先程までの恐怖など、どこかへ飛んでいったかのように落ち着いた様子で、祭壇の横にしゃがみこんだ。そして、そのわずかな隙間に顔を寄せて覗き込む──。
そこには、握りこぶし二つ分の大きさの生き物──真っ白な毛で覆われた子猫がいた。まだ生まれて間もないらしい。立ち上がろうとしているが、思うように足が動かずにもがいている。目もまだ開いていないようだ。
「な~~~~、な~~~~」
その子猫は辺りに向かってか弱く鳴いた。声と体が小刻みに震えている。母猫を呼び求めているのだろうか。
「かっっわいい~~!!」
エトナは目を輝かせて歓声を上げた。そして手を伸ばし、子猫をそっと持ち上げた。柔らかくて温かい感触がエトナの手に伝わる。
「ほら、トビー。赤ちゃんネコ! こんなちっちゃいの! ……ん?」
両手で子猫を抱えてトビーに披露したエトナは、その小さい背中に注目した。子猫を見せられたトビーも子猫の異変に気が付いた。二人は感じたのだ──この子猫は普通の猫と何かが違うと。
「ね……猫又だよ、そいつ……!」
トビーは地面に尻を付けたまま、後ろにずり下がった。エトナとトビーが見たものは、子猫の尻からぶら下がる三尾の尻尾だったのだ。それに、閉じた両眼の上の狭い額には、まるで焔が走ったかのような模様があった。
「この子が猫又なの……?」
エトナはキョトンとしながら子猫を見た。これが、バースたちが言っていた例の化け物だというのか? エトナの想像では、猫又はもっと巨大で怖い顔をしていて、人を見ただけで襲いかかってくるようなやつだった。
だが、普通の猫は三本も尾を持っていない。この子猫が猫又というのは確かのようだ。
それにしても想像していた猫又よりも遥かに可愛すぎる、とエトナは思った。この子猫は猫又に間違いないようだが、それほど恐ろしいものではなく愛らしいものであると、猫又そのものに対するイメージを改めたエトナであった。
「大丈夫だよ、そんなにこわがらなくて。こんなに可愛いのに……」
トビーに向かってエトナはそう呟いた。トビーがどうしてそんなに恐がるのかが分からなかったからだ。こんなに小さくて弱々しい動物が人に危害を与えるとでも言うのだろうか?
トビーは相変わらず怯えた調子だったが、エトナが猫又を祭壇の上に優しく置く様子を目で捉えながら、恐る恐る腰を上げた。いつでも逃げられる用意は出来たようだ。そして、呟いた。
「昔、本で読んだことがあるんだけど……猫又は生まれてすぐの子供でも狂暴だって……だから絶対に近づいちゃダメだって……」
「それ、ほんと──」
トビーの言葉の真偽を確かめようと、エトナが目の前にうずくまっている子猫又の顔を見た時だった。──その子猫又のずっと閉じられていた両眼が、何の予告もなく、突然見開いたのだ。
子猫又のぱっちりとした大きな瞳は、真っ白な毛に浮き立つ赤色だった。その透き通った赤眼にエトナが映る。
「あ……」
エトナは突然の開眼に少し驚いたが、子猫又は身動き一つせずにエトナを見つめている。エトナも子猫又を見つめ返すしかなかった。
そうして数秒の間──エトナはそれが数十分のことに感じられたのだが──、エトナと子猫又は視線を交わし合った。
一人と一匹の様子を横で見ていたトビーは「もうおしまいだ」と呟きながら、恐怖で身が凍りついている。
この静止した時間を打ち破ったのは、子猫又のか細い声だった。
「な~~~~~~」
鳴いたかと思うと、次に子猫又はエトナに向かってゆっくりと這いつくばった。そうやって台の上に置いていたエトナの手に近づいたかと思うと、その手になんと体を擦り付け始めたのだ。その姿はまるで、世の動物たちが母親を慕う愛情表現にそっくりだ。
「あはは、くすぐったいよ」
エトナは笑った。トビーも呆気にとられた様子で、ようやくエトナに近づいてきた。ずれ落ちていた眼鏡を元の位置に直しながら、信じられないといった調子で口を開いた。
「これってもしかして……『刷り込み』ってやつじゃあ……?」
「すりこみ?」
エトナは子猫又の体を優しく撫でながら聞き返した。子猫又は気持ちよさそうに目を閉じながら、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
トビーはそれを見て確信したようだ。はっきりとした口調で言い切った。
「絶対そうだよっ! 『刷り込み』っていうのは、生まれたての子供が最初に見たものを親とみなすってこと! つまり、エトナはこの猫又にお母さんだと思われたんだよ! うわ~、猫又って刷り込みするんだー」
先程までずっと怯えていたトビーは一転して、今やすっかり興奮していた。人に恐れられてきた猫又が刷り込みで人になつくという驚きと感激が、トビーをそうさせているようだ。その目は世紀の大発見でもしたかのように輝いている。
よちよちと慣れない足取りで祭壇からエトナの膝の上に移った子猫又は、今やエトナの膝の上で安心した様子で寝入っていた。エトナとトビーはその可愛さに顔をほころばせながら、子猫又を見守っていた。
しかし、その時間も長くは続かなかった。
「────エトナッ!!!」
男の荒げた声が閉ざされた空間の中に響き渡る。その声に驚いたエトナとトビーは、弾かれたように部屋の入口を振り返った。飛び込むようにして部屋の中に入ってきたのは、エトナがよく知っている人物────アスクだった。
「ア……アスク……なんでここに……!?」
エトナは息を呑んだ。膝の上で寝ていた子猫又を抱きかかえて、反射的に立ち上がった。そのおかげで安らかに眠っていた子猫又はすっかり目が覚めてしまったらしい。目を瞬かせている。
(アスクったら寝てたんじゃなかったの? それに、どうしてわたしがここにいるって分かったの……!?)
エトナは目を丸くして、部屋の入口に立っているアスクを見つめた。そもそもアスクは寝てなどいなかったことなど、エトナには考えも及ばなかったのだ。
一方、夕方の時点でエトナの異変に気が付いていたアスクは、夜中にエトナが何か行動を起こすと踏んでいた。本来ならば宿の部屋を出る前にエトナを止めればいいのだが、それではエトナが何を考えて行動しようとしていたのか、真相が掴めなくなる。だからこそ、寝入ったフリをしてエトナを安心させ、しばらく泳がせたのだ。もちろんエトナの尾行をすることなど朝飯前だ。
(しかし、あのエトナのことだ。何か面倒なことに首を突っ込んでるんじゃないかと思ったが……案の定だったな)
アスクはやれやれと溜息をついた。尾行していて、何となくだが事情が掴めてきていた。フラワーズに着いた昼の少しの間、エトナと別行動になったが、エトナはその時に町の少年たちと出会ったのだろう。そして何らかの理由があって、猫又に襲われそうになっていたあの少年たちと決着でもつけようとしたのだろうか。そうでもなければ、真夜中に子供たちだけで井戸の中に潜るようなことはしないだろう。
とりあえずエトナが無事であることを確認できたアスクは安堵した。ただでさえ、エトナは狙われている身だ。いつどこで、あのドラゴニアのような敵から襲われるかもわからないのだ。アスクの気苦労は絶えない。
「それはこっちのセリフだ! こんな夜中にどこへ行くのかと思いきや……もし怪我でもしたらどうするんだ!?」
アスクは叱るつもりはなかったのだが、エトナを心配する気持ちから、知らず知らずのうちに怒気を含んだ声になっていたようだ。それを聞いたエトナは、たちまちしょんぼりと肩を落とした。
「ごめんなさい……」
(やっぱりアスクに内緒で出て行ったのはダメだったよね……)
しゅんとした顔で謝るエトナを見て、横に立っていたトビーも「ごめんなさい」と呟いた。昨日今日出会ったばかりの旅の女の子に、こんな危険なことをさせてしまったのだ。その保護者──目の前の男がエトナの父親と考えるには随分若いように見えたので、父親ではなく兄だとトビーは考えることにしたのだが──に謝るのが筋というものだろう。
本気でしょげさせてしまった二人の子供を見て、アスクは気まずくなってきたのだろう。咳払いをひとつすると、場の空気を変えようと口を開いた。
「まあ、いい。無事だったんだからな。ほら帰るぞ!」
エトナ、それにトビーはアスクのお許しが出て、またたく間に顔に元気を取り戻した。二人は部屋の入口に立つアスクの下へと駆け寄った。
子供たちがやって来たのを確認してから、アスクは出発しようと二人に背を向けた。──が、何かに気が付いて再び二人の方を振り返った。
「……待て。何だ、それは」
アスクはエトナの抱えているものを指差した。もちろんクマの縫いぐるみのテディではなく、本物の動物の方だ。その白くて小さな生き物は、眠たくて仕方がないのにゆっくり寝られやしないとでも文句を言っているかように、アスクの方をうるさそうに見遣る。
「あっ……あのね! この子ね、まだ生まれたばかりなのに、お母さんがいないようなの……。トビーが言うには猫又らしいんだけど……あっ! もちろん、ぜんぜんこわくないし、いい子なんだよ!」
エトナは慌てて説明を始めた。アスクに絶対に訊かれると分かっていたので心構えはできていたのだが、いざ説明しようとすると上手く言葉が出てこないのだから困ったものだ。
「ねえ、アスク。あの、その……この子も旅につれていっていいでしょ?」
説明の最後にエトナは恐る恐るその言葉を口にした。何故『恐る恐る』なのかというと、この子猫又を旅に連れて行っていいとアスクが許可するのは望み薄だったからだ。それどころかまた怒られるかもしれないのだ。
しかし、エトナは真っ直ぐな瞳で、アスクをじっと見つめた。エトナは真剣だった。なぜならば、母猫又のいないこの小さな生き物を放っておけば死んでしまうだろうし、何よりも自分がこの子によって母親として選ばれたのだ。無責任なことはできない。
まっすぐな瞳を向けられたアスクは溜息をついた。もちろんエトナがどんなに頼み込んでも、ただ一言「ダメだ」というつもりだ。エトナ一人でさえ守るのが精一杯だというのに、お荷物が一匹分増えるのだ。そんな余裕はない。
その猫又には可哀想だが──放っておけばじきに飢え死にするだけだ──、今この場で手を下してやるくらいの世話はアスクもしてやるつもりだった。剣の柄に力を入れた時だった。アスクは、はたと気付いた。
「ん……猫又……?」
そう、このチビは猫又だ。そして、先程出会った少年たちが襲われていたのも猫又だった。
(まさか……さっきのデカいやつはこのチビの母親だったのか……!?)
あの少年たちを襲ったあの猫又は、おそらくこの子猫又の母親だったのだ。そういえば、出産・子育て中の猫又はさらに狂暴で神経質になるということをアスクは聞いたことがあった。あの猫又は繁殖のためにこの井戸構内を縄張りとしていたのだろう。だから、縄張りを侵したあの少年たちを襲ったのだ。
しかし、あの時はそんなことを知るはずもない。このチビの母猫又は自分の子供のことなど忘れてこの井戸から逃げ出し、今やはるか遠い所にいるのだろう。散々な目に遭ったこの井戸に再び戻ってくるとは考えにくい。
そう、母猫又が子猫又の育児を放棄せざるを得なくなったのは、追い出したせいなのだ──アスク自身が。
「…………」
アスクはしばらくの間、無言で考えた。エトナはアスクににべもなく却下されると思っていたのだが、意外にもアスクは真剣に考えてくれているようだ。どうか許してくれますようにと心の中で願いながら、エトナはアスクの答えを待った。
やがて、アスクの答えは決まった。「仕方ない」といった様子で溜息をついて、子猫又を指した。
「……そいつの面倒はおまえが見るんだぞ、わかったな?」
ゆっくりとエトナの顔に笑みが広がっていく。なんと、アスクはこの子を旅に連れて行くことを許してくれたのだ!
「もちろん! ありがとう、アスク!!」
エトナは有頂天のあまり、子猫又を掲げてくるくると踊った。トビーも嬉しそうにそれを見ている。当の子猫又はというと、ただ不思議そうに「母親」のエトナを見ているだけだったが。
アスクは地上へ戻るために、無言で歩き出した。もちろん、自分のせいでこの猫又の母親が追っ払われてしまったという事実を、あえてエトナに明かすような馬鹿なことはしない。何事もなかったかのように歩き出したアスクの後ろを、事の真相を知るはずもないエトナとトビーがはしゃぎながら追った。
*****
──夜が明けた。
エトナと町の少年たちは、昨日の庭園の前に集まっていた。
「この勝負、わたしたちの勝ちね!」
エトナは、バースとエポートの前で勝ち誇ったように笑みを浮かべる。昨晩、どうやらバースたちは祭壇の部屋にたどり着けないまま井戸を脱出し、そのままそれぞれの家に帰ったらしい。つまり、今回の勝負はエトナたちに軍配が上がったということだ。エトナの隣にいたトビーは、まさか自分たちがバースたちに勝つなんて思ってもみなかったことらしく、どういう態度をとっていいものかとオロオロしている。
(くそ……あのとき、あの化け物に会わなけりゃおれたちが勝ってたのによ……!)
バースは悔しそうに舌打ちをした。井戸の探検を何度かしたことがあり、さらにマップまで持っていれば勝負に勝つと思うのは当然のことだろう。相方のエポートはというと、昨晩の勝負の時のあの巨大な猫又に襲われた恐怖がまだ抜けきっていないらしい。顔色が少し悪い。
「フ……フン! ショウコはあるんだろうな!? 祭壇の供え物がなけりゃ、勝負に勝ったとは言えねえぞ」
バースはたじろぎながら最後のあがきに出た。自分たちがまさか「女」と「弱虫」に負けるはずがないと思っていたバースにとって、どうしてもこの勝負の結果は納得できないのだ。
バースとエポートの顔を交互に見たエトナは、後ろに隠していた両手を二人の前に披露した。エトナの手の中には、きょとんとした様子でバースたちを見上げている猫又の子供がいる。
「ほら、この子よ! 祭壇の後ろで一人ぼっちだった、猫又の赤ちゃん!」
「!!!」
バースとエポートはその猫又を見るやいなや、反射的に飛び退いた。赤い眼に額の焔模様、それに三尾。昨日の猫又と違って明らかに体は小さかったが、猫又には間違いなかったからだ。エポートは昨晩の悪夢を思い出したらしい、へなへなと腰を抜かした。
そんな二人の様子を見たエトナとトビーはポカンと口を開ける。
「二人とも、そんなに怖がらなくても平気だよ。こんなに可愛いのに……ね、エトナ?」
トビーは子猫又の頭を撫でながら言った。エトナはそんなトビーが可笑しかった。
「トビーだって最初はこの子のこと、こわがってたくせに!」
「それもそうだね」
エトナとトビーは口を開けて笑った。バースとエポートは愕然としながら二人の様子を見ていたが、やがてバースが観念したように口を開いた。
「し……しょうがねえ……今回は負けを認めてやる」
「バース!」
エポートが横槍を入れたが、バースは続けた。
「もしおまえらが勝ったら、なんでも言うこときいてやるって言ったからな。ほら、なんだよ?」
エトナとトビーは顔を見合わせた。そういえば勝負を受けた時にそんなことを言っていたが、二人ともすっかり忘れていたのだ。トビーは人に命令することに気後れしたのか、それとも遠慮したのか、首を横に振りながら言った。
「そ、そんなこと……もういい……」
「じゃあ、これからはお花を大切にしてね!」
バースの申し出を断ろうとしたトビーを、エトナは大きな一声で遮った。トビーにエポート、そしてバースは一斉にエトナを見た。
(エ……エトナ……!?)
驚いたトビーはエトナを止めようとしたが、エトナは間を開けずに続けた。
「知ってる? お花だって人と心が通じるんだよ。バースのお父さんだって、きっとお花と心を通わしていたと思うの。だから、バース、あなたにもそうしてほしいって天国で思ってるんじゃないのかな」
(エトナ……きのう、ぼくが言ったこと覚えてる……!? バースにそのことだけは言っちゃいけないって)
エトナにバースの父親の話をしたことをトビーは後悔した。バースに父親と花のことで触れてはいけないとエトナにあれだけ強く警告したのに、エトナは忘れてしまったのだろうか? それともそのことは覚えているが、わざと言ったのだろうか?
どちらにせよ、もう遅い。町の皆が触れないようにしていたタブーを、エトナは悪びれる様子もなく平然と犯してしまったのだ。バースがどんな行動に出るか想像したでも恐ろしかったトビーは、思わず目を塞いだ。バースといつもつるんでいるエポートでさえ、トビーと同じようなことを予想したしたのだろう。緊張した表情でバースの顔をうかがっている。
しかし、トビーとエポートの予想は見事に裏切られた。バースは怒鳴ることも暴れることもせず、ただ静かに一言呟いた。
「……知ってるぜ、そんなこと」
「え?」
「花と心が通じるなんて、ずっと前から知ってたぜ」
エトナを始め、トビーとエポートも目を丸くしてバースを見た。誰が今この状況を予測できただろうか。バースは目の前の庭園を見つめながら話を続けた。
「……父さんが死んでからもずっと花が喋りかけてくるんだ。悲しいね、寂しいねって……。途中から、俺の心が全部、花に見抜かれるように思えて、何だかイヤになってさ。……だから、花なんかなくなればいいのに、って花を抜いたり、トビーにも八つ当たりしたのかもしれない」
(『お花を大切に』……か)
バースは先程のエトナの言葉を思い出した。確かに、父親が死んだのはあの花のせいだとずっと決め付けていた。花を大切に育てようなんて、父親が死んでからもう長い間忘れていた気持ちだ。町の大人も子供も皆、自分の前で父親の死やそれを招いたあの花たちの話をする者はいなかったし、それも仕方のなかったことかもしれない。そう、まるで腫れ物に触るように。
しかし、エトナは堂々とそれを言ってくれた。その瞬間、なぜだか清々しい気持ちになれた。
そして、バースは父親の死に際の言葉も思い出した。──「花と話せ」と。
(また昔のように花と心を通わしたら……父さんのようになれるのかな……?)
バースの脳裏に、父親の面影──花と楽しそうに戯れる父親の姿がよぎった。幼いバースにはその姿が羨ましく、そして誇らしく見えたものだ。
バースはひとつ息を吐くと、真っ直ぐエトナを見据えて言った。その顔は晴れ晴れとしている。
「わかったよ。花を大切にする」
バースの言葉を聞いて、エトナは満足そうに頷いた。トビーとエポートはバースの変貌ぶりに、まだ驚きで言葉を失っているようだ。
その時、子どもたちの背後にひとつの影が現れた。アスクだ。
「エトナ、用事は済んだか? そろそろ町を出るぞ」
「あっ、うん! 今、行くね!」
エトナが慌ててアスクの所へ駆け寄った時、バースとエポートが何かに気が付いたように「あっ」と声を上げた。
「あの時の兄ちゃん……! 昨日は助けてくれて、あの……ありがとう」
バースがきまりが悪そうに礼を言うと、エトナは驚いた様子でバースたちとアスクの顔を交互に見た。
「えっ、二人とも……アスクを知ってるの?」
「エトナ! 行くぞ!」
アスクはバースたちが何かを言う前にさっさとこの場から離れたいようだ。二人に昨日のことを喋られては困る、とでも言うように。
しかし、子供にその辺の事情は通じない。バースとエポートは頷き合いながら、ハキハキと話し始めた。
「ああ、おまえの兄ちゃん、強いな! 俺たち、昨日、井戸のなかで猫又に襲われたんだけど……この兄ちゃんのおかげで、あんなおっきな猫又が一瞬で逃げ出したんだぜ!?」
「え……それってもしかして」
エトナは胸に抱いている子猫又を見下ろした。
「この子のお母さんじゃ……ア~ス~ク~~~~!!」
エトナは訝しげに後ろを振り返った。しかし、そこにアスクの姿はない。見ると、アスクは既に町の入口の所まで歩いている──完全にいつもより歩くスピードは速い。
アスクはこのことをを知っていたからこそ、この子猫又を旅に連れて行くことに同意したのだ。それに気付いたエトナは、アスクに問い詰めるため、その後を急いで追いかけた。
「エトナ……いろいろとありがとう!! また……会えるかな!?」
トビーは慌ててエトナの後ろ姿に声を掛けた。エトナは走りながら振り返って答える。
「うんっ! きっと、またこの町に来るねっ!」
すると意外なことに、バースがトビーの前に出てきた。そして大きく息を吸うと、エトナに向かって叫んだ。
「絶対だぞ! 絶対……また、俺たちに会いにこいよ!! 約束だ!!」
エトナは返事をする代わりに、右手を掲げた。その手は、小指だけが立てられていた──“約束の誓い”ということだ。
三人の少年たちはその場に佇んでいた──二人の不思議な来訪者の姿が見えなくなるまで、ずっと。