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第八話:井戸勝負(2)

 

 エトナとトビーが井戸に入った頃、先に井戸に潜っていたバースとエポートは、順調に井戸の中を進んでいた。

 バースたちが迷うことなく進むことができたのは、一枚の古びた紙──この井戸構内の設計図──を持っていたからだ。井戸の入口から、奥に行くほど複雑に枝分かれしている細かい道までが、その紙に記されているのだ。今回の勝負の目的である祭壇の位置も記されているようだ。

 バースは目の前の三本に枝分かれした道と手元の紙を見比べながら呟く。

「それにしても、あいつらバカだよな。おれたちは何度かこの井戸の中を探検してるからいいけど……」

 そう、好奇心旺盛な彼らは今までに数回、この井戸の迷路を探索しに来たことがあった。その目的はもちろん、町で噂になっていた猫又の化け物を見つけることだった。

 はじめはただ怖いもの見たさで井戸探索をしていただけだったのだが、化け物の象徴である三尾のうち一尾でも持って帰ることができれば、町の子どもたちに自慢できると考え始めたのだ。そうして猫又を求めて探検してきたものの、結局は一度も成果を収めることはできなかったのだが。

「ほんと助かったぜ、バースがそのマップを持っててさ。こんな別れ道の多い井戸の中、マップがなかったら絶対に出られないぜ。それなのにあいつら、ホイホイ勝負を受けてきやがった」

 ロウソクを持ったエポートが横で辺りを照らしながら、にやっと笑う。マップを振りながら、バースも得意げに言った。

「まあな。そもそも、これをおれんちの倉庫で見つけてなかったら、こんな勝負してねーよ」

「そーだな。今頃、あいつらもこの中に入ってきた頃だよな……。でも、すぐに迷って泣きだすんじゃね? あいつらはカンで進むしかないもんな」

 声を揃えて笑っていた二人は、その時、ピタリと笑うのを止めた。何か様子がおかしいと感じたのだ。

「……何か聞こえなかったか?」

 バースとエポートは顔を見合わせた。そして、恐る恐る、後ろを振り返った。

 ロウソクの灯りによって照らし出された先には、丈が二メートルほどの、何か大きなモノが立ちはだかっていた。薄汚れた白色のごわごわした毛皮に、上部には赤い光が二つ……そしてその背後には、子どもの腕ほどの太さの尾が三つ、ゆらゆらと揺れている。

 ──正真正銘、三尾の猫又だ。

「────ッッ!!」

 バースとエポートは恐怖で息を呑んだ。その鋭く光る瞳に射すくめられたからだ。決して見たい訳ではないのに、猫又から目を離すことができない。

 おかげで、人々に恐れられている怪物がどんな姿をしているのかよく観察できた──二本脚で立つその姿は、人間たちが飼う普通サイズの猫をただ大きくしただけのようにも見えるが、そんなに可愛らしいものではない。三尾はバースたちを捕らえようと蠢いているし、爪や牙の長さと鋭さは明らかにただの「お飾り」ではない。何よりも印象深いのが、額の模様だ。濃い灰色の獣毛が焔形に象っているのだ。バースは何となく、その額模様が不気味に感じた。

「グルルルル……」

 地響きのような唸り声と共に、生臭い息がバースとエポートの顔にかかる。そして、ずんぐりとした前足がおもむろに振り上げられた。

 それを見たバースとエポートは恐怖で叫ぶしかなかった。

「うわーーーーーーーーッッ!!!」


「──!?」

 暗闇の中をとぼとぼと歩いていたエトナとトビーは、井戸内部のどこからか響いてきた叫び声を聞いて立ち止まった。エトナは顔を硬くして、恐る恐るトビーに向かって呟く。

「……今の声……バースたちの声だよね……?」

 そんなことは確認しなくてもわかっていた。この井戸にいるのは自分たちと、あとはバースとエポートしかいないのだから。でも、エトナは自分を落ち着かせるために聞かずにはいられなかったのだ。

 エトナの背後に身を隠していたトビーの顔はますます青ざめた。

「や……やっぱり……猫又がいるっていう噂は本当だったんだ……。バースもエポート、もしかしてそいつに襲われたんじゃ……」

「ま、まさかぁ……」

 声を震わせながらそう呟いたトビーに、エトナは空元気な声で返す。

 どうであれ、エトナたちが取る行動はただひとつ──前に進むことしかなかった。複雑な構造になっている迷路のおかげで、すっかり方向感覚がわからなくなっていたからだ。来た道はほとんど覚えていない。

「と……とにかく、進もうよ!」

 前進しなければ、目的の祭壇に着くことはできない。エトナはとりあえず祭壇にたどり着けることを祈りながら、再び歩き始めたのだった。


 勢いよく振り下ろした前足の下に、二匹の獲物がいないことに猫又は気が付いた。予定では、この一撃で侵入者二匹ともどもひっ捕らえていたはずなのだが。

 バースとエポートはというと、間一髪のところで鋭い爪をかわし、一目散にその場から逃げ出していた。少しでもあの化け物から離れたい一心で駆け出したので、自分たちが今、どこにいるのかはもう分からなくなっていた。しかも、頼りのマップはもうない。猫又の突然の出現に驚いたバースはとにかく逃げることに必死で、どこかに落としてしまったのだ。

「はあっ、はあっ……」

 がむしゃらに走ってきた空洞の真ん中で、息も絶え絶えの二人は立ち止まっていた。バースは膝に手を付いて、エポートは床に座り込んで、しばらく息を整えた。

「あの化け物……まいたかな……なあ、バース! こんな井戸、早く出ようぜ!」

 先程までの威勢はどこへやら、エポートはすっかり怯えた声でバースにすがった。しかし、バースの方も困惑した目で叫んだ。

「バカ言うな!! それができたら、とっくにやってるっての! ……くそ、マップさえ落とさなきゃ……」

 その時、二人の前に例の猫又が軽やかに降り立った──文字通り、音もなく。巨大な体を持っているのにも関わらず、音を立てずに敵に忍び寄ることが得意なのは、やはりネコ科の生き物だからなのだろうか。猫又は見つけたターゲットを赤く光る目でじっと見た。

 バースとエポートはその突然の出現に、ただ恐怖で目を小さくするしかなかった。エポートは完全に腰が抜けているし、バースの体もまるで石になったように動かない。

「バース……逃げなきゃ……」

「分かってるよ……! でも、おまえ……立てっか!?」

「立てるわけな……」

 エポートの言葉が終わる前に、猫又の鋭い爪がバースたちの頭上に高くに上げられ、そして一息に振り下ろされた。

(誰か…………!)

 思わず目をつぶるしかなかったバースは心の中で叫んだ。

「…………?」

 バースとエポートは自分の体が切り裂かれていないこと、それに鈍い金属音が鳴り響いたことに気付いて、恐る恐る目を開けた。

 目の前には、大きな背中があった。銀髪の男が、振り下ろされた猫又の腕を剣一本で受け止めているのだ。それは、アスクだった。

「あ……え……?」

 バースは初めて見るその男を見て、状況を整理できないままに呟いた。エポートも、ポカンと口を開けたままアスクを見つめている。

「こんな古い井戸の中で何をやっている?」

 少年たちの方を振り向かずに、アスクは尋ねた。その目は決して猫又から離さない。いつまた猫又が攻撃してくるか分からないからだ。それに、アスクも油断できない状況だった。剣を両腕で構えて猫又の攻撃を防いでいるが、その腕は猫又の重みで微かに震えている。

 バースたちはまだこの状況が整理できていないらしく、アスクの質問に答えられずにいた。後ろでただ腰を抜かして、アスクを見上げているだけだ。そんな状態を見てアスクはひとつ溜息をついた。

「まあ、いい……。ひとまずこの化け物をどうにかしないとな」

 アスクは剣の柄を僅かに握り直しながら呟いた。

「まったく……エトナあいつには本当に手を焼かせられる────ぜッッ!!」

 アスクは掛け声と同時に、自分の数十倍ほどの体重がありそうな猫又の巨体を全身を使って押し払った。

 アスクの力によって押し返された猫又は、咄嗟に身を翻す。重い体にも関わらず、それは軽やかに宙を舞う。空中で一度回転して、何事もなかったかのように悠々と地面に着地した。

 猫又のターゲットは新たに現れた侵入者に移ったようだ。すかさずアスク目がけて突進してくる。

「グルルルルル!」

「うわあああ!」

 その様子をアスクの後ろで見ていたバースとエポートは思わず叫んだ。両腕で頭を覆う。

 しかし、アスクは全く動こうとしない。じっと猫又を見つめている──その時だった。


 金色の一閃が空間を切り裂く。


 それは本当に一瞬のことだったので、バースとエポートはそれに気付かなかったが、猫又には効果絶大のようだ。アスクのたったひと睨みで、猫又が体の動きを止めたのだ。

 いや、止めざるを得なかったという方が正しいかもしれない。おそらくそれは、アスクの瞳が猫又の目を捕らえた刹那、まるであのチェスドラゴンの目のように金色に光ったためだろう。つまり、猫又のような獰猛な怪物でさえ、チェスドラゴンの存在を恐れているということだ。現に、猫又は「チェスドラゴンの眼差し」を持つ一人の人間を、ただ震えながら畏怖の目で見ているのだ。

 やがて、アスクは猫又から瞳を逸らした。次の瞬間、猫又は──金縛りから解放されたのだろう──一目散に逃げ出した。アスクの後ろで座り込んでいた少年たちは、慌てふためきながらその場を去る猫又の後ろ姿を、呆然と見送っていた。

 それからアスクは後ろを振り返り、いまだ状況をつかめていない少年たちを立ち上がらせた。されるままに立ち上がったバースは、銀髪の男に向かって口を開いた。

「あ……あの」

 ──なぜここにいるのか? あんたは誰だ?

 訊きたいことはいくつもあったが、カラカラになった喉からは思ったように声が出ない。そんなバースの頭の中を知ってか知らずか、アスクは答えた。

「何故ここにいるかは、俺が何者であろうが関係ない。……ただ、訳あって人探しをしているだけだ。おまえたちと同じ年頃の、エトナという女の子だ」

「!!」

 驚いたバースとエポートは思わず顔を見合わせた。この怪しい男が探している人物というのは、「あの」エトナにほぼ間違いないだろう。

 少年たちの狼狽した様子を見て、アスクは確信した。

「……知っているんだな?」

 バースとエポートはその問いに、ただアスクから視線を逸らすだけだった。エトナの保護者と思われるこの男にこっぴどく怒鳴られ、終いには自分たちの親にも今回の悪事がバレるという最悪の展開が待っているのかと、内心不安で落ち着かなかったからだ。

 しかし、アスクは厳しく問い詰めるようなことはしなかった。代わりに、ある物をバースに差し出す。

 バースはそれを見て驚いた。それは、先ほどバースが落としてしまったはずの井戸のマップだったからだ。

「これ……どうして……!?」

「道の真ん中に落ちていたぞ。おまえたちの物だろう」

 バースがマップを受け取ると、アスクはその紙のある部分を指し示した。井戸構内の道の一つだ。

「ここが現在地だ。それだけ言えば自分で帰れるな?」

「何でわかるの!?」

 エポートが驚いて尋ねた。バースも同感だった。何度か探検したことのある自分たちでさえ、地図なしではこの迷路のような井戸からは出られない。なのに、この男は地図を持っていない上に、現在地までも分かるのだ。

(迷宮探査は嫌というほどやってきたからな)

 アスクは少年たちの疑問に答える代わりに、ただニヤリと笑った。


 *****


 一方、エトナとトビーは順調に真っ暗な道の中を進んでいた。よほど奥深くまで潜っているからだろうか、井戸の入口付近では聞こえていた外界の音も消え、全くの無音だ。ただ二人の息遣いと足音だけが聞こえる。

 エトナが持っているロウソクは、既に長さが半分になっていた。既に一時間が経過したということだ。そろそろ地上へ帰ることを考えなければいけないが、帰り道が分からないエトナたちは、ひたすら前の道に向かって歩き続けていた。

「あれ……」

 その時、エトナは周りの様子が今までと違うことに気が付いた。足音の響き方が少し違うのだ。ずっと細い道ばかりだったのだが、この道の先には何やら大きな空間があるようだ。

 やがて二人はひとつの大きな空間──部屋とでも言うべきだろう──にたどり着いた。おおよそ十五メートル四方の部屋だ。

 この広々とした空間はがらんとしていたが、部屋の片隅に何かがあることにエトナは気が付いた。近づいて見てみると、それは石造りの祭壇のようだ。ここが例の場所、今回の勝負の目的地らしい。

「やった……着いたんだ、わたしたち……」

 エトナは張り詰めていた緊張が緩んだのだろう、その場にへなへなと座り込んだ。続いてトビーも腰が抜けたように尻餅を付いた。子供二人きりで、暗くて恐ろしい井戸の中を探検していては、それも仕方のないことだろう。その上、迷わずに目的地点に到着できるという保証もなかったのでなおさらだ。

「暗いのは今まで通ってきた道と同じだけど……ここは何だか……落ち着くなあ」

 ずっとびくびくしていたトビーが、珍しく肩の力が抜けた様子で呟いた。

「うん、そうだね……」

 エトナは頷いた。そして、少し離れた場所に置かれている祭壇を見つめた。

「昔、殺されてしまった人たちがこの部屋を守ってくれてるからかな……」

 エトナがそう言った瞬間、その祭壇の方から物音がした……ような気がした。

「──え!?」

 エトナとトビーは体を硬くした。二人はゆっくりと顔を合わす。

「……たしかに、何かきこえた……よね?」

 今度ははっきりと二人の耳に物音が届いた。ゴトゴトと石の動く音だ。

 思わず、トビーがエトナの腕にすがりつく。

「ひぃっ! ……やっぱり……殺された人たちの怨霊だ……!!」

 トビーが今にも泣きそうな顔で──いや、既に目が涙で潤んでいる──言った。エトナはテディを抱きしめながら、震える声で言った。

「そ、そんなわけないでしょ……おっ、お化けなんている訳ないんだから……!」

 エトナはゴクリと唾を飲み込んで決心した。そろそろと立ち上がると、まだ横で座り込んでいるトビーに声を掛けた。

「トビー、ほら立って」

「えっ? 何するの? ……まさか」

 不思議そうにエトナを見上げたトビーは、徐々に恐ろしそうな表情に変わっていった。エトナは首を大きく縦に振った。

「そう、祭壇を調べるのよ……!」


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