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第三話:密かな旅立ち

 

 ニスト村の裏、鬱蒼と茂る森の入口……。

 すっかり旅支度を済ませたアスクとエトナが、村を旅立とうとしていた。

 アスクは長年愛用してきたらしい、ボロボロの旅装束と濃い灰色のマントがすっかり様になっている。腰には黒い鞘に収められたロングソードが下げられている。

 エトナの方は、桜色の動きやすそうなケープ付きのワンピースを着ている。髪も動きやすいように、白いリボンでポニーテールに結わえている。

 そんな二人を見送るため、酒場の女店主アリリスと闇医者ラングは村の裏口に立ち寄っていた。

「ねえ、アスク……。本当にエトナを連れて行くの?」

 アリリスは心配そうな顔でアスクに尋ねた。そんな彼女の心配をよそに、アスクは淡々と答えた。

「ああ、この村に置いておくのは危ないしな」

「だからと言って、旅に連れて行くのも……!」

 アリリスがアスクに反発する。それを見ていたラングは、アリリスをなだめた。

「落ち着きなさい、アリリス。アスクの言う通りだよ。ドラゴンによるリーストの滅亡から一週間……世間は騒ぎ始めている」

「それはそうだけど……」

 アリリスもそのことを分かっていた。アスクがエトナを連れてきた翌日、早くもリーストの異変に気がついた各国の調査団や団体がリーストに向かうのを、ニストの村人たちは目撃していた。

 彼らはまず炎の廃墟と化したリーストの消火にあたり、今頃はもう町の中の捜索を始めているはずだ。ドラゴンの炎で姿かたちが残ることなく死んでいった町人が殆どなので、少女が一人町から消えたことなど彼らが気づくはずもないだろう。

 しかし、念には念を入れておかなければならない。もし調査団が他の場所を捜索するとしたら、リーストから最も近いこの村から始めるに違いないからだ。そうなればエトナがここにいるのも、いずれはバレてしまうだろう。村人でない少女がこの村にいれば、怪しまれるのは当たり前だ。

 エトナにとって旅が危険だとしても、一刻も早くこの村から離れた方がいい。アスクのこの案に、エトナにラング、そしてアリリスも賛成したはずだった。

 しかし、まさに旅立たんとする今になってアリリスの不安は蘇った。

(物騒なこの時代に、こんなに小さな子供を旅に出すなんて!)

 歯痒い思いを抱くアリリスに対して、エトナは声を掛けた。

「心配しなくても大丈夫だよ、アリリス。わたし、とてもわくわくしているもの!」

 エトナは目を輝かせて言った。リーストの惨劇から生き残ったたった一人の少女は、この一週間で少しずつ回復し見違えるほど明るくなった。これがこの少女の本来の姿なのかもしれない。

 短い間ではあったが、アリリスとエトナはまるで母娘──いや、姉妹のように仲が良くなった。村人たちにエトナの存在を気づかれてはいけないので、村人が外を動き回る間は酒場二階のアリリスの自宅から出ることはできなかったが、アリリスは甲斐甲斐しくエトナの世話をした。エトナもそんなアリリスを慕い、嬉しそうにアリリスとたくさんの話をしたのだった。

 記憶を失った少女には見るもの、聞くもの全てが新鮮だったので、自分がアスクと共に旅に出なければいけない身だということを知った時も、エトナはそれを快諾した。アリリスとラングに別れを告げなければいけないのは寂しかったが。

「エトナ……気をつけてね。旅の途中でもご飯しっかり食べて、よく眠るのよ? 危ないことがないようにアスクの傍から離れてはダメよ。それに、外の世界のものは危険なものが多いって聞くから、簡単に触らないようにね。怪我したらいけないから。えーとそれから……」

「あははは、アリリスったら心配しすぎ! わたしは元気にしてるって約束するから、アリリスも元気でね。あと……」

 エトナはそこまで言うと恥ずかしそうに俯いた。

「……いつかまた、遊びにきていい?」

「あったりまえじゃないの! ばかねえ」

 アリリスはエトナをギュッと抱きしめた。そして優しく囁いた。

「必ず帰って来るのよ」


「そろそろ行くぞ、エトナ」

 アスクが水や食料、寝袋などの入った荷袋を肩に担ぐと、アリリスとラングに別れを告げていたエトナに声を掛けた。エトナは振り向き、元気良く頷く。

「うんっ! じゃあ行ってくるね!」

 エトナはニストに残る二人にそう言い残すと、アスクの方へと駆け寄った。

「アスク、エトナのこと頼んだわよ」

 アリリスは既に去り行こうとしているアスクに真剣な表情で声を掛けた。アスクの足が一瞬止まり、答える代わりに重々しく一回だけ頷いた。

 エトナを連れて旅に出ることを提案したアスクだったが、果たして自分がエトナの守護者としての務めを果たすことができるのかは疑問だった。今はエトナの存在が知られていないが、エトナとドラゴンの関係が世間に露見してしまう可能性だってある。もしそうなった場合は、各国の調査団や団体がエトナの行方を追跡するだろう。そして次々と襲撃者が自分たちの目の前に現れるに違いない。

(俺に……エトナを守りきれるだろうか?)

 アスクは剣の柄を強く握った。自分の身を守る程度の剣の腕はあるし、そのための努力もしてきた。そう自負しているアスクではあったが、エトナを狙う者全てを退けることなど、果たしてできるのだろうか? しかもエトナ自身は全く戦闘能力の無い、まだ幼い少女だ。エトナの身の安全は全て自分の肩にかかっていた。

 しかし、何としてでもやり遂げなければならなかった。

 今はまだエトナの記憶が戻っていないが、この旅の中でエトナの記憶を取り戻し、ドラゴンとの関係やドラゴンの秘密を得たいからだ。アスクにはドラゴンを見つけて、やらなければいけないことがある。エトナとは偶然の出会いではあったが、ドラゴンと何らかの関わりを持つこの少女を他の奴らに渡すわけにはいかない。

 どんな逆風にも耐えてみせる。アスクは意を決してから、歩き始めた。エトナもその後を追いかける。そんな二人をアリリスとラングは静かに見守っていた。

「二人とも、またこの村に戻ってくるのよ!」

 ここが村の裏口だとはいえ村人に聞かれたら困るので声量を抑えて、どんどん小さくなっていく二つの後ろ姿にアリリスは最後の声を掛けた。アリリスの声が聞こえたのだろうか、エトナが振り返って大手を振って応えた。

 そして、アスクとエトナは森の中に消えていった。


 アスクたちの姿が見えなくなった頃、それまで無言だったラングが一言呟いた。

「ようやく結婚しようって気になったんじゃないか?」

「……急に、何よ?」

「あんな娘が欲しくなっただろ?」

 ラングがにやっと笑う。半分冗談で言ったラングだったが、アリリスはぼんやりとしながら答えた──エトナが消えていった木々の奥を見つめながら。

「そうね……あんな娘ができるなら、してみてもいいかもね」

 今まで村人たちにいくら結婚に関してからかわれても、アリリスは茶化して真面目に答えようとしなかった。だから、このアリリスの反応にラングは驚いた。

「……そうか」

 そう呟きながら、ラングは緊張でごくりと唾を呑み込んだ。──自分の人生の中で、今ほどこんな良いチャンスはない!

「じゃあ……私となんか、はどうだい? 年をとるまで独り者だった同士仲良く、さ」

 アリリスはゆっくりとラングの方に振り返った。初めは何の反応も無かったが、徐々にラングの言葉を噛み締めたのだろう。アリリスの眉がつり上がっていく────その瞬間。


 ぱちん!


 ラングの頬にアリリスの平手打ちがきれいに入った。

「年増の独身女で悪かったわね!」

 アリリスは肩をいからせながら、酒場へと帰っていった。

「そういう意味じゃ……」

 ラングはその後ろ姿を見ながら、とほほと溜息をついた。


 *****


 ニストの村を出発してから二時間……アスクとエトナは村を囲んでいた森をようやく抜けたところだった。今は緩やかな丘陵を歩いている。

「はあ、はあ……」

 エトナは先を歩くアスクの後ろを懸命について行っていた。

 森の中は障害物を避けながらだったのでアスクの歩くスピードもそれほど速くはなかったが、今は歩きやすい道で、しかも緩やかとはいえ勾配がある。アスクの歩くスピードも徐々に上がってきていた。それにつれて、エトナの息も上がる。

 しかしエトナはへこたれることなく、黙ってアスクについて行った。エトナは心の中で自分を励ましながら一歩一歩足を前に踏み出した。

(……こんなことでくじけていたらだめよ、エトナ。アスクはあんなに大きい荷物を持ってるのに、わたしが持っているのはテディだけじゃない。……それに、アスクはわたしのために旅をしてくれているんだから……!)

 そんなエトナの様子に気付いたアスクは、立ち止まってエトナの方を振り返った。

(……俺と歩く速度が違って当然だったな)

 今まで一人の旅が長かったから、同行者の歩調に合わせるということをアスクは忘れていたのだ。

「歩くのが速かったか?」

 アスクのすぐ後ろでエトナも立ち止まり、息を切らしながらアスクの顔を見上げた。元気良く、にこっと笑う。

「ううん、平気だよ、このくらい」

(……無理して笑いやがって)

 どうやらエトナは無理して頑張ろうとする性格らしい。

「そうか」

 アスクは素っ気なくそれだけ言うと、また前を向き直って歩き始めた。

 しかし、明らかに先ほどよりも歩く速さは遅くなっていた。エトナの歩調に合わせているようだ。さらに、アスクは後ろを振り返らずにこう呟いた。

「……少し疲れたな。向こうに見える森に入ったら少し休憩していいか?」

 アスクはさりげなく言ったつもりであったのだろうが、エトナにはアスクの心遣いがバレバレだった。

(アスク……ありがとう)


 雑木林に着くと、アスクたちは日陰になっている場所を選んでしばらく休憩することにした。アスクとエトナは持ってきていた水や軽食を摂っていたが、その様子を離れた場所で見守る者が一人いた。

 全身を白ずくめの装束で覆い、頭と顔はフードとマスクでその正体を隠している。その白装束はアスクたちに悟られないように十分に注意を払いながら、隠れていた太い木の幹から顔を出した。その者の黒い瞳にはエトナが映っている。

「見ぃつけた……」

 白装束はぼそっとそう呟いた。


 *****


 暗闇の中で人の話し声がする。まだ大人の男になりきっていない少年らしい声と、落ち着いた口調で話す女の声だ。

「なあ、姉貴! 何であいつらを逃したんだよ! せっかく見つけたっていうのにさ?」

 少年が責めたような口調で問い詰める。すると、女が恥ずかしそうにぼそぼそと呟いた。

「だ……だって……、声を掛けるのが恥ずかしかったんだもの……」

「はあ~~~~。いい年して何やってんだよ、姉貴は!」

 それを聞いた少年が、左手を額に当てて深い溜息をついた。その甲には独特な紋章──ドラゴンの顔のようだ──が刻まれている。闇の中でそのドラゴンの目が、一瞬だけ不気味に光ったのは気のせいだろうか。

「俺たちは里から派遣された選ばれし者だってことを忘れたのか? この任務を成功させなきゃ、里のやつらに会わす顔がねえよ!」

「うん、そうよね……」

 弟に諌められ、姉はしゅんとなって頷いた。

「覚悟が決まったんなら、次こそ作戦実行だ」

「わかったわ……次は頑張る……」


 そして二人の白装束の姿が消えた。


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