第三話:旧友が遺したもの
「おや、えらく懐かしい顔じゃないか」
銀髪の青年の顔を見て、中年の女が言った。
「相変わらずのおっとこ前だねぇ、アスクは」
「そういうお前は老けたな。体型もな」
次の瞬間、アスクの首に刃先が当たっていた。女がどこからともなく短剣を出したのだ。
「レディに対する態度も昔から変わってないね。再開早々、ケンカ売ってんのかい?」
「本当にレディなら人に剣先を向けないと思うぞ。……お前も喧嘩っ早いところは昔と変わってないな、ティナ」
「フン。ま、いいさ」
中年の女──ティナが短剣を収めると、改めてアスクの顔をまじまじと見て言った。
「……25年前かな? パーティーを解散した時のままだね、ホント。全然変わってない」
「ま、例の厄介な力のおかげでな」
アスクが皮肉っぽく笑うと、ティナは真面目な顔で訊ねた。
「……あんた、まだドラゴンの力を解く方法を探して旅してるの?」
「そうだが?」
「手がかりは見つかった?」
「あいにく、な」
苦笑いをしたアスクの背中を、ティナは突然、バンバンと叩いた。
「大丈夫大丈夫! あんたにゃ無限の時間があるんだから、そのうち絶対見つかるよ!」
ティナの根拠のない断定といい加減な励ましさえ懐かしい。アスクはにやっと笑うと、訊ねた。
「この町に住んでいるのか?」
「そうだよ。結婚してからもしばらくはあちこち旅してたんだけど、子どもができてからはさすがにね。とうとう一つの町に落ち着いたってわけさ。ま、子どもらが独り立ちしてからは、たまに旅に出ることもあるけどね」
「結婚? 子ども? お前が?」
アスクは驚いた。まさかお宝しか目に入らないあのティナが結婚していたとは。そして、子どもたちはすでに成人しているというから、歳月の経過を感じずにはいられない。
「うるさいね。あれから何十年経ってると思ってんだ。アスクだっているんじゃないの? 旅仲間だの、恋人だの。あ、もしかしてあんたも結婚なんかしてたりして」
そこまで言って、ティナは自分が失言してしまったことに気付いた。気まずそうに口を開く。
「……ごめん。そんなはずないよね。あんたの心の中にゃ、あの時から、あの子だけしかいないもの」
「気にするな。俺には、お宝にうるさい女と占いだけは天才的な男の昔なじみ二人がいるからな。こうやって久しぶりに会って、くだらないこと喋って、退屈はしてない」
アスクはニヤリと笑うと、ティナはきょとんとした。
「……え、もしかして、アビアとも解散後に会ったことあるの?」
「だからここにいる。アビアの占いでこの町に行くよう言われたんだよ」
「うわ。ちょっと、アビアとどこで会ったか教えてくれない? 昔あいつにお金貸したままなのよね」
「教えてもいいが、もうそこにはいないと思うぞ。放浪しながら占いしているしな」
「ちっ……。そろそろハンターの情報収集能力と執念の見せ所かねえ……」
ぎらついた目でそう呟くティナを見て、アスクはどこか遠くにいるアビアを憐れんだ。
(ティナは狙った獲物は逃さない性質だからな……アビアのやつも、厄介な奴から金を借りたもんだ)
「それはそうとさ! あたしゃね、今、すごーく機嫌がいいんだ。何しろ最近、とびっきりのお宝を手に入れたからね!」
「……お前の金銀財宝収集癖、まだ続いてるのか……」
「何言ってんだ! あたしゃ死ぬまでお宝ハンターだよ! 知ってるだろ?」
アスクの呆れた顔を無視して、ティナは顔を上気させて続けた。
「とある情報を手に入れてね、ついこの間まで旅に出てたのさ。で、戦利品は何だと思う?なんと、この世のすべての魔法について書かれた書物さ! 世の魔法使いたちが喉から手が出るほど欲しがる珍本だ! すごいだろ!?!?」
「あー、そりゃすごい」
魔法を使わないアスクにとっては、完全に興味のない話題である。ティナは舌が乗ってきたのか、他の財宝の説明もし始めた。こういう時は適当に聞き流すに限る。昔から変わらない手法だ。
ティナはあらかた喋って満足したのか、意味ありげにちらっとアスクの方を見遣った。
「ま、見てみたいなら、昔のよしみで特別に見せてやってもいいけど?」
「…………。その時は頼む」
「ったく遠慮するんじゃないよ! ドラゴンの力を調べるには一筋縄ではいかないだろ!?利用できるもんは何でも利用しろ!」
口は悪いが、これはティナなりの思いやりだ。それに気づいたアスクは、ニヤリと笑った。
「……心に留めておく」
そう言って去っていく後ろ姿に、ティナは声を掛けた。
「あたしはこの町に骨を埋めるつもりでいるから困った時はまた来な! あたしがもういなかったら、息子たちに言うんだよ!」
礼を言う代わりに、アスクは振り向きもしないまま片手を上げた──。
この世のすべての魔法について書かれているという書物……。
それを手にするべく、アスクとエトナはキエーナの町にやって来ていた。
町の大通りは、荷馬車や大きな荷物を担いだ商人が行き来している。大通り沿いには、あらゆる種類の店が立ち並ぶ。商業が盛んな町のようだ。
「わあ! にぎやかな町だね!」
エトナはきょろきょろと町を見ながら、目を輝かせる。その様子は五年前とまるで同じで、アスクはフードの下でにやっと笑った。
五年前にラパス国がばらまいた人相書きのおかげで、アスクは人のいる場所ではフードを被るようにしていた。ちなみにエトナも同様に人相書きに書かれていたが、特に顔は隠したりしていない。あれから五年経ち、成長して姿が変わっているので問題ないだろうというアスクの判断だ。
エトナは町の中にひときわ大きな建物を見つけた。どうやら衣装屋のようだ。
「ミネートとスタンと三人で衣装屋に行ったの思い出すなあ。店の名前はたしか……『アダムズ・スタイル』だっけ。…………ん?」
──『アダムズ・スタイル』。
エトナが見ているその衣装屋の看板にも、そう書かれてある。
「……あれ?」
「町の見物なら用事が済んでからにしろよ。こっちだ」
「あ、うん……」
衣装屋のことは少し気にはなるが、確かにこちらの用事が先だ。衣装屋には後で寄ってみようと思いながら、エトナはアスクの後をついていく。
「確か、この辺りだったと思うんだが……」
アスクが周りを確認しながら立ち止まったのは、大きな屋敷の前だった。エトナがポカンと口を開けながら、それを見上げる。
「大きい家だね……。アスクの知り合いの人って、お金持ちなの?」
「……昔見た時は普通の家だったんだがな」
(あれから財宝を売って成金にでもなったのかあいつ……)
アスクは臆することなく、門に入っていく。使用人に取り次ぎを頼むと、怪しい風貌にも関わらず、二人はすんなりと客間に通された。
使用人から茶のもてなしを受けながら待っていると、やがて中年の男が客間に現れた。
「お待たせしました。私が家長のエドルフ・アダムズです」
二人の前に座った男がそう自己紹介して、エトナがその名に反応した。
(アダムズ……?)
「執事からあなたのお名前を聞きました。アスクさん、ですね。何でも我が家に頼み事があるとか」
「不躾に申し訳ないが、このお屋敷にティナという方はおられるか?」
「祖母のことですね。残念ながら、祖母はとうの昔に亡くなっておりまして……」
ティナがすでにこの世にいないことは、半ば分かっていた。だが、旧友がまた一人この世界からいなくなったと聞いて、アスクの心から小さなかけらが崩れ落ちていった。
アスクはやがて口を開く。
「頼みたいことというのは──」
「お待ちください。その前に……アスクさん、そのフードを取っていただいてもいいですか?」
アスクとエトナは張り詰めた視線を交わした。エドルフがそんなことを言ったのは、アスクの正体に気付いているからではないか? 人相書きが出されたのはここから離れたラパス国で、しかも五年も前のことだが、中には覚えている者もいるだろう。
アスクはすぐに逃げられるようひそかに構えながら、ゆっくりとフードを下ろした。
「…………!」
あらわになったアスクの銀髪を見て、エドルフが息を呑んだ。
「……やはりそうでしたか。私たちアダムズ家一同、長い間あなたをお待ちしておりました」
そう言って頭を下げたエドルフを見て、エトナはぽかんと口を開けるしかない。
「ど、どういうことですか……?」
「『アスクという名の銀髪の若い男が訪ねてきたら、我が家の宝物庫の扉すべてを開放せよ』──祖母のティナが生前、子どもたちに遺した言葉です。私も幼い頃から祖母に、この言葉は忘れてはならない、子子孫孫に至るまでの家訓とするときつく言われて育ってきました。私の父の代にあなたは現れなかったので、正直祖母の世迷い言だと思っていたのですが……本当に現れる日が来るとは!」
(……あいつめ……)
あの、がめついティナからこんなもてなしを受けるとは。うつむくアスクを見て、エトナは何だか嬉しくなった。
(ティナさんは、優しい人だったんだね)
また今度アスクにティナさんとの昔話を聞いてみよう、とエトナが微笑んでいると、エドルフも何だか嬉しそうに口を開いた。
「祖母の遺した言葉からすると、アスクさんは我が家の宝をお求めなんですよね? どれでもお好きな物を持って行ってください」
「いや、少し見せてくれるだけでいいんだ。俺が探しているのは、魔法書……この世のすべての魔法について書かれているという書物だ」
「おお、よくご存じで。それは我が家が所有する宝物の中でも指折りのお宝なんです」
「……あるのか?」
エドルフが頷くのを見て、アスクとエトナが顔を見合わせた。可能性を信じて来た甲斐があったというわけだ。
ところが、エドルフが申し訳なさそうに口を開いた。
「それでは早速……と言いたいところなのですが、私には持ってこられないのです。申し訳ない」
「持ってこられない……とは?」
「実は、祖母が収集した宝の噂をどこからか耳にした盗賊やコレクターが、年々我が家に忍び込むようになりまして……。うんざりした祖母が晩年、金銀財宝のすべてをとある場所へと移したのです」
そこまで聞いたアスクは、何だか嫌な予感がしてきた。エドルフが本棚から一枚の地図を持ってきて、机の上に広げる。
「この町がこれですね。ここから北にある山脈の麓に、古い塔があります。祖母に聞いたところによると、古代に建てられたという塔で、中には盗賊避けの罠がたくさん仕掛けられているそうです。祖母はさらに手を加えていたようですが……。宝のランクが上がるほど、保管している階数と罠の難易度も上がるようです。罠を見事突破した者には、それが誰であっても宝を持って行かれていい、と祖母が嬉しそうに呟いていたのを覚えています。ただ罠が奏して、持って行かれた宝はまだないみたいですが」
嫌な予感は見事、的中した。アスクは眉間を押さえて、ため息をついた。
(つまり、お宝が欲しければそれ相応の罠をくぐり抜けてみろと。……あいつのやりそうなことだ)
──すまないね、アスク。お宝欲しけりゃ、あんたの力、証明してみな?
ティナのそんな声が聞こえてきそうだ。面倒くさいが、ここまで来たのだ。仕方ない。
「行くしかないな」
顔を上げて言ったアスクに、エトナは若干顔を引きつらせて訊いた。
「でも、その書物が塔の何階にあるのかわからないんだよね? 一階一階しらみつぶしに探すのって結構大変なんじゃ……」
「あ、そこは大丈夫です。祖母が保管場所のリストを遺してくれているので」
エドルフは地図の下に隠れていた一枚の紙を取り出した。リストをしばらく目で追ってから、口を開く。
「ありました。46階ですね」
「よんじゅ……」
エトナは絶句した。
「ち、ちなみに、その塔って何階まであるんですか……?」
「47階です。つまり、我が家の宝物ランクでいうと、上から二つ目になるわけですね」
それを聞いて、エトナは引きつった顔のままアスクを振り返った。まさか、自分たちが求めている本がそれほど手の届かない所にあるものとは。
「もう行くしかない、諦めろ。ミネートらを探したいんだろ?」
アスクにそう問われ、エトナの気持ちが一気に引き締まる。
「……! うん!!」
こうして、アスクたちの次の目的地は、北の塔になったのだった──。




