第二話:昔とは違う
ジール魔法学院を出てから半日が経った。五年ぶりに再会したアスクとエトナは、荒野の真ん中の大岩を見つけると、その陰で休憩することにした。
「フラム マ ヴァロー」
エトナが地面に積まれた薪に向かってそう唱えると、薪にボッと火が点いた。それを横で見ていたアスクが、思わず感嘆した。
「魔法使いが一人いれば道具も使わず火を起こせることを忘れていたな」
「すごいでしょ~?」
エトナは得意気に笑った。杖を掲げて意気込む。
「これからは魔法でアスクを助けられるからね。敵だってバンバン倒しちゃう!」
「ほう……見違えたな。五年前とはえらい違いだ」
アスクはからかったが、エトナは真剣な顔をしている。
「そうだよ……頑張ったもん。『約束』の、この日のために」
エトナのまなざしを受けて、アスクはやがて頷き、ニヤリと笑った。
「……そうか。期待しているぞ」
「!! ……うん!」
──期待している。アスクがそう言ったので、エトナの顔がパッと輝いた。今は、共に闘える。もう守られるだけの存在ではないことが嬉しいのだ。
「でもごめんね、野宿になっちゃって。せっかくドルキアの村が近くにあるのに、立ち寄れなくて」
「野宿はいつものことだから構わん。だが、ドルキアに行けない理由でもあるのか? おまえのことだから、行きたがると思ったんだが」
確かに、アスクからドルキアに寄るかと提案されたとき、エトナは五年前に訪れたあの村のことが懐かしくて、行きたい衝動に駆られた。でも、エトナにはどうしてもそうできない理由があった。
「実はね、ジール魔法学院の卒院生には、守らなきゃいけない規則があって……学院の機密保持もそのひとつ。卒院式の後、卒院生が故郷に帰る前にこぞってドルキアに寄ったら、『学院で何かあったんだな』ってばれちゃうでしょ? だから、卒院生はみんな、学院から一番近い人里であるドルキアには近づかないんだよ」
「なるほどな……。しかし、規則というものは破るためにある。……こんな格言を聞いたことはないか?」
アスクがニヤリと笑ったので、エトナはきょとんとした顔で訊ねた。
「どういうこと?」
「他の卒院生がその規則とやらを守れば、俺たち二人くらいが訪れても学院から来た者だとは気付かれないんじゃないか──という訳だ」
「もう! アスクったら! そんなズル、ダメだよ!!」
にやにやと笑うアスクに、エトナがぷりぷりと怒る。
「それにね、卒院式のときに宣誓書を交わしたんだからね!」
「宣誓書?」
「そうだよ。卒院生は守るべき規則が書かれた紙をモーランド先生の前で読んで、モーランド先生がそれを魔法の火で燃やして、その燃えカスを魔法で卒院生の体に埋め込むの。……ほらここ」
エトナはべえっと舌を出してみせた。見えにくいが、舌の付け根に何やらひし形の黒い模様がある。エトナは舌を引っ込めると、再び喋り始めた。
「だから、私は卒院生の誓いを守らなきゃいけないの。アスクも協力してよね!」
エトナはフフンと威張ってみせた。ジール魔法学院の卒院生であることが誇らしいのだろう。
「……もし、その宣誓書の内容に背くようなことをしたら、どうなるんだ?」
エトナの話を聞いて考え込んでいたアスクが、顔を上げて訊ねた。意外なことを聞かれて驚いたのだろう、エトナはぽかんと口を開けた。
「えっ? ……そういえば知らない。モーランド先生は確か、恐ろしいことが起こるとか言ってたっけ……」
「何とも末恐ろしい宣誓書だな……」
(……ま、あの院長がやりそうなことだな。さしずめ、院長の正体の秘密と学院の安全を守るためだろう)
アスクは苦笑しながら、自分もジール魔法学院に何度も訪れたことのある身ではあるが、そのような宣誓書は交わされていないことに安心する。
「あーあ、でも残念だなー。ジール魔法学院での五年間のこと、アスクにたくさん話してあげたかったのになあ……。大変だったけど、楽しくて、驚くことばかりの学院生活のこと!」
エトナは溜息をつくと、ふと思ったことを訊ねる。
「そういえば、アスクはこの五年間、何してたの? 学院の決まりだから卒院するまで会えなかったのは分かるよ? でもアスクったら、手紙のひとつも送ってくれないんだもん。こうして再会できた今、いーーっっぱい話してもらうからね!」
覚悟しなさいとでも言うようににやにやと笑うエトナに、アスクはやれやれと溜息をついた。
「この五年の間、わざわざ手紙に書くほどのことがなかっただけだ。院長の研究の手伝いと、おまえの頼まれごとを済ませに行っただけさ」
アスクはそう言うが、エトナには盛り沢山の五年間に聞こえる。どちらの話題も今すぐ聞きたい──うずうずとしているエトナだったが、まずは自分が頼んだ用件の方を聞きたかった。
「──五年前、ジールで別れる前に頼んだことだよね? スタンとミネート、それにモルがどうなってるか調べてほしいって……」
「そうだ。面倒くさかったが、ジール魔法学院でしごかれているおまえを思って、調べてきてやったぞ。感謝するんだな」
「ホント? 嬉しいっ! 本当に調べてきてくれたんだ! ……でもなんか一言多い……」
アスクは、どうして自分が学院で『しごかれ』ていたことが分かったのだろうか。でもエトナにはその謎がすぐに解けた。
(それもそーか。魔法の基本の「き」も分かってない子どもがジールに入ってきたんだもの。当然よね)
アスクは焚火の中に薪を放り込むと、話し始めた。
「五年前……ミネートの移動魔法によって、ドラゴニアの里──オリエットに降り立ったことは覚えているな? だが、その後再び移動魔法でオリエットを後にした……カルスタムとモルを残して」
エトナは真剣な顔でこくりと頷いた。
「……着いた先は、この辺りだった。ミネートが私をジール魔法学院に連れて行ってくれようとしたんだよね。そのあと、私たちを残して、ミネートはオリエットに帰った……スタンの元に戻るために」
「つまり、あいつらの消息を知るには、オリエットを探すのが道理だ。そんなわけで旅の間は常に、オリエットへ行く手がかりを探していたんだが──」
「オリエットへの手がかりは見つかったの!?」
エトナが身を乗り出して訊ねると、アスクは苦笑いで答えた。
「──手がかりは結局、得られなかった。さすがはドラゴニアの隠れ里だ。百年生きて、長い間放浪の旅をしている俺でも、その場所がどこにあるのか、些細な情報も聞いたことがないんだからな」
「そっか……」
がっくりと肩を落としたエトナに、アスクはさらに追い打ちをかける。
「知り合いに評判の占い師がいるんだが、ダメ元でそいつにも尋ねてみた。そいつの水晶玉でもオリエットのことはよく分からなかった……霧がかかっているように見えにくいんだと。どうやら魔法でオリエットの里ごと隠蔽されているらしい」
「隠蔽魔法? そんなの、どうしようもないじゃん……」
もはやオリエットへの道は閉ざされたも同然だ──とエトナは絶望した。五年も魔法の修錬を積んできたから大体は分かる。“禁呪”である隠蔽魔法を解く方法など、簡単に見つかるはずがない。
それにしても、隠蔽魔法を扱える魔法使いがこの世に何人いるのだろうか。しかも里を丸ごと隠せるほどの力を持った魔法使いが。アスクとエトナは、そんな魔法使いを抱えるドラゴニアを敵に回してしまったのだ。そのことを考えても未来はないように思える。
すっかりしょげてしまったエトナを見て、アスクがニヤッと笑った。
「まあ、そんなに肩を落とすな。つい先日、ふと思い出したことがある」
「思い出したこと……?」
「昔のよしみに、ありとあらゆるお宝を集めていた変わり者がいてな。そいつが世のすべての魔法を記した書物を手に入れたと、確か自慢していた。もう5、60年前になるが」
「すべての魔法……!?」
「魔法なんて俺には興味がなかったからその時は聞き流していたが……あの時のあいつの興奮ぶりからすると、とてつもなく凄い代物であることは間違いない。その書物を見れば、隠蔽魔法を打ち消す方法が何かわかるかもしれない」
エトナはそれを聞くなり、目をパッと輝かせた。
「じゃあ! その人に会いに行ってみれば──あ、でも、その人ってまだ生きてるの?」
「そうだな、あいつはもうこの世にはいないだろう。だが、子孫は残っているはずだ」
「本当!? それなら──」
「だが、あまり期待するなよ。子孫がそんなお宝を簡単に見せてくれるとは限らないし、すでに手元にない可能性だってある」
「それでもいいっ! 何もできないでじっとしてるよりマシだよ!!」
「──そうだな」
望みができて張り切るエトナを見て、アスクは微笑した。
──俺はこれから、永遠に生きなければいけないのか。彼女のいないこの世界で。
──じっとなんかしていられるか!!
八十年以上も昔、そう空に吼えて、一人きりの放浪の旅に出た。エトナの姿が、忌々しい力を解きたいと初めて願った昔の自分に重なる。
「ミネートらの一人だって、もうこの世にいない可能性だってあるんだぞ? それでもおまえは行くんだな?」
「大丈夫。ミネートもスタンも、それにモルだって、生きてるよ。何でかな、不思議とそんな感じがするの」
五年前に会ったドラゴニアの長ゼノは、その雰囲気からして、掟を破った配下の者に厳しいだろう。ドラゴニアを──ゼノを裏切ったあの二人を、普通に考えれば生かしておくはずがない。モルも、恐るべき猫又だが、所詮は子供。ドラゴニアの戦士相手では到底敵わないだろう。
──それくらい、エトナも解っているはずだ。もう幼いあの頃とは違うのだから。
それでも、あの二人と一匹は生きていると断言した。アスクはそんなエトナが嫌いではない。
「これはまた、我がパーティーの魔法使いサマはずいぶんと楽天家になられたな」
「あっ、笑った!? 別に、いい加減に言ったわけじゃないんだよ!」
ぷりぷりと怒るエトナに、アスクは笑いを堪えながら「そういえば」と次の話題へと移った。
「おまえを迎えに来たついでに、院長にも会ってきた」
「院長先生に?」
五年間も学院にいたエトナでさえ、ジール学院長と会ったのは入学試験の時のたった一回きりだ。エトナの入学を許してくれた、あの美しいジールにもう一度会ってお礼を言いたいものだと常々思っていたのだが、結局それも叶わず卒院してしまったのだが。
そういえばあの時、アスクが現れたのは門の中からだった。体を焦がしてまで学院の中に入る理由はただひとつ──院長に会うためだ。
「あ、もしかして研究の手伝いに関することで?」
「そうだ。おまえがあの学院にいる間、何度か来たことがある。進捗状況の報告と──ま、おまえが落ちこぼれになってないかを教えてもらうためにな」
それを聞いて、エトナは顔がかっと赤くなった。エトナがジール魔法学院でしごかれているとアスクが知っていたのは、単なる予測だけではなかった。院長から聞いていたのだ。
(学院の決まりだから会えなかったのは仕方なかったけど……アスクはすぐそこにいたんだ……)
──自分はこの五年、アスクの姿を一目見るのも叶わなかったのに、院長は何度も会っていたのか。
エトナが心の中にもやもやとしたものを抱えていると、そうとは知らないアスクがそのまま話を続ける。
「院長がおまえにも研究を手伝ってほしいんだと。だから、これからの旅はミネートたちを探すことと、院長の研究を手伝うこと──二つの目的がある」
アスクと共に研究を手伝うよう院長から頼まれたら、喜んで「はい」と言っただろう──もしエトナがジールに対してまっさらな心を持っていたならば。
だが、このかすかな胸の痛みは何だ。アスクのこともジールのことも大好きだし、恩人だ。この頼み事を渋る理由は一つもないのに。むしろ、二人を助けられるなら喜んでそうするだろう。
エトナの悶々とした顔を見て、アスクが意外そうな顔をした。エトナなら両手を上げて喜ぶだろうと思っていたからだ。
「……何だ? 嫌なのか?」
「ううん、そうじゃないよ。……私にできるかな?」
エトナの意外な反応は、自分に手伝いができるかどうか不安なだけか──。アスクがひとつ息をつくと、焚火に薪を足しながら言った。
「詳しいことは追い追い説明するつもりだが、ま、俺にもできていることだ。ジール魔法学院出身の賢いおまえなら心配することはないだろ」
「うん……」
エトナは自分の心が五年前のそれと同じものではない──五年前のように、ただ無邪気にアスクに接することができないことに違和感を覚えながら、返事をした。




