第二十話:祈りと夢
ラパス領内の中央に位置するラパス中央区。ここには、ラパス国王が住み、そして政務を執るラパス城がある。
ラパス城の謁見の広間では、今日も緊迫した空気が流れていた。
「こ……国王様に申し上げます」
一人の執務官の男が王座の前で簡単な挨拶を済ませると、そう切り出した。
「先日、領内全土で配布した例の少女の人相書きについてですが……パルクの町で、何件か情報が入ってきたようです。フラワーズの町で得た情報から、少女を攫ったのは一人の男と考えられていましたが、どうやら他にも二人、仲間がいましたようで……。パルク駐在の兵士らがすぐに一行の後を追いかけましたが、その三人の人間によって壊滅的な状態に……。──現場を監視していたパルクの情報兵が、先ほど、そう報告してきました」
(先日、王様ご自慢の“黒の者”がすっかりやられてしまったという報告をしたばかりだというのに……)
執務官は心の中で舌打ちをした。今日も気の進まない報告をしなければならないのは彼の執務上、仕方のないことだ。だが、国王に怒りの言葉を浴びせられてしまうのも彼なのだから辛いところだ。
現在のラパス国王は数年前に病死した父の跡を継ぎ、まだ二十三歳という若さだ。この青年王は少々気の短いところがあり、自分の思い通りにならないことを聞くや否や不機嫌になってしまう癖がある。
ところが、今日は違った。ラパス国王は落ち着いた様子でこう返す。
「そうか……報告ご苦労。なに、気にするな。パルク駐在の兵士に過大な期待はしていない。相手は余の隠密集団を倒すほどの実力者だからな、並みの兵が敵うはずがあるまい。……それにしても、兵士らは奴らの足を止める時間稼ぎという役目をきちんと果たしてくれたようだ」
褐色の目を光らせると、ラパス国王は言葉を続けた。その表情からすると、何か嬉しい知らせがあるようだ。
「良い知らせがある、ハードゥ執務官。ようやく、隠密集団の再編成を済ませたのだ。彼らの中でも最強の十人を選んだつもりだ……もはや相手に手加減はいらぬようだからな」
「なに、左様でございますか!」
「相手の力量を見誤ったせいで一度は少女奪取を仕損じてしまったが、今度こそ我が“黒の者”たちは成し遂げてくれることだろう。──例の肖像画を」
そう言って手を横に伸ばすと、隣に控えていた僕がひとつの肖像画を持ってきた。国王はその煤で汚れている肖像画を顔の前に持ってくると、じっくりと眺めた。
「崩れ落ちた礼拝堂の中で発見されたこの肖像画……。リーストに送った調査団がこれを手に入れなければ、この少女の存在を知ることはできなかったであろう。しかし、まさかあれほど田舎の人間が、ドラゴンのカギを握る人物を匿っていたとは……。今やこの少女を巡り、世界が揺れ動いている」
「まさに国王様の仰る通りでございます。今が勝負時という訳ですな」
ハードゥ執務官は国王の言葉に相槌を打った。国王に怒鳴られずに済んで安心したのか、顔に笑みが広がっている。
「そうだ。チェスドラゴンを追い求めていた曾祖父の願いを、ようやく叶えることができる。この少女を手に入れることができれば、最強の生物であるドラゴンを操る力、さらにはドラゴンの血肉によって不老不死の力を得ることができるのだ! こうなれば全世界がラパスに跪くだろう!」
国王は恍惚とした表情で立ち上がった。不敵な笑みを浮かべているのは、よほど肖像画の少女を手に入れる自信があるからなのだろう。
「ふふふ……リーストの少女よ。近いうちに、このラパス城で会おう」
エトナは身震いをした。それから、不安そうな顔で空を見上げる。
ラパス城でまさか自分のことを噂されているとはつゆも知らないエトナだが、からだが震えたのは遠くの地から何かを感じたからだろうか。
エトナの青白い顔に気付いて、ミネートが声を掛けた。
「寒い? エトナちゃん」
「ううん、大丈夫」
エトナは首を振って微笑んだ。
パルクの町を出て、三日目の夜を迎えようとしている。今は野宿の準備のため、エトナとミネートは二人で焚火を囲んで座りながら、簡単な食事を作っている最中だ。
モルは火に近づきがたいようで、食事を作る二人を離れた所で見ている。ちなみに、アスクとカルスタムは、焚火用の枝を集めに出ている。
「そう……無理しないのよ」
「うん、ありがと」
せっせと手を動かすエトナを見て、ミネートはこの長い長い三日間を思い出した。パルクの町を出た直後から、パルクの兵に加え、自分たちの泊まった宿屋の主人と立て続けに襲撃に遭ったが、それは始まりに過ぎなかった。
その後も二度、パルクの兵士や民間人がエトナを捕らえるためか、ただ後をつけるためかは分からないが、アスク一行の後を追ってきたのだ。
幸い、追跡されていることには早い段階で気付いたので、隠れるのに丁度良い深い森の中に入ることで、追跡者を撒くことができた。森の中には野生動物など別の危険が潜んでいるのだが、うっとうしい人間どもに尾行されるよりかはマシだ。それで、今日はずっと、森の中を移動していたのだ。
(誰かに追われる旅だもの、エトナちゃんが心身ともに疲れるのも当たり前よ。それに、私たちが仲間に入る前からこんな旅を続けてきたのよね……)
ミネートがエトナを心配そうに見遣った時、アスクとカルスタムがそれぞれ木の枝を抱えて帰ってきた。木の枝を地面に置きながら、カルスタムが鼻をひくつかせる。
「おっ、なんかいい匂いだな」
「こら!」
味見しようと料理に手を伸ばしたカルスタムの手を、ミネートが叩く。
「なんだよー、ちょっとくらいいいじゃんか。ケチ姉貴」
ぶつくさ言っているカルスタムを見て、エトナはくすっと笑った。殺伐とした戦闘を見なければならない旅の中に、このようなあたたかい光景があると、とてもホッとするのだ。
その時、先ほどの震えが再びエトナを襲った。ぶるっと身を震わすエトナを見て、アスクが片眉を上げた。
「どうした、エトナ」
「大丈夫、何でもないよ」
エトナは「どうということもない」とでも言うような顔でアスクを見上げた。野宿の夜は確かに少し寒いが、このくらいだったら我慢できる。
(ただでさえ、みんなにメイワクかけてるんだから。……足手まといにならないようにしなきゃ!)
あくまでも元気に振舞おうとするエトナを、アスクは目を細めて見ていた。やがて、自分のマントを脱ぎ、それをエトナの頭に放り投げる。
視界が真っ暗になって、一瞬何が起こったのかが分からなかったエトナだったが、マントの下からもぞもぞと頭を出すと、アスクを見上げた──呆然とした顔で。
エトナが何を訊きたがっているのか、アスクには分かっているようだ。地面に腰を下ろし、木の枝を焚火の中にくべながら、口を開いた。
「フン……おまえが何かを隠しているときはすぐわかる。隠し事をしたいなら、もっと上手くなるんだな」
エトナは分かった──憎まれ口はアスクなりの優しさだ。
「……ありがとう……」
エトナは礼を言うと、素直にアスクのマントにくるまった。ミネートはそんなエトナを羨ましそうに眺め、カルスタムはそんな姉をじろりと睨んでいる。
それぞれの思いを胸に抱えながら食事を済ませ、休むために焚火の周りにそれぞれ横になった。
エトナは借り物のマントに身を包みながら、一日の疲れで早くもウトウトしていた。モルはすでにエトナの胸の前で丸まり、微かな寝息を立てている。
(このマント……アスクのにおいがする)
いいにおいだ、とエトナは思った。
口数少ないため、何を考えているかわからない時があるし、見ているこちらが悲しくなるほど、冷たく、寂しそうな目をする時がある。それに、いろいろと謎を持つ──アスクはそんな人だが、エトナは出会った時から、そして今も、アスクを「近寄りがたい人」だとは思っていない。
だから、エトナはパルクの夜に話されたことを今、考え直していた。
(アスクが「ジール魔法学院に行け」なんて言ったのは、やっぱり……わたしのためを思ってなんだよね……。だって、アスクは今もやさしいもの。実際、追ってくる人も増えてきたし……)
そうは思うものの、アスクの言う通りにジール魔法学院に行こうとは思えない。ジール魔法学院に入ることはつまり、旅をやめるということだからだ。
(捕まらないようにあちこちさまよう旅は、確かに辛いし、理由もなくこわくなる時もあるわ……。でも……それでも、わたし、みんなとこうやって旅をしていたい。これって、わがままなのかな……?)
エトナはそう思いながら、眠りの淵に落ちていった……。
翌朝、エトナは周りの話し声で目が覚めた。その上、ざらっとした生温かいものがエトナの頬をしきりに舐めている。エトナはそっと目を開けた。
まず目に入ったのは、モルの大きな瞳だった。何故だか、エトナの顔を心配そうにじっと見つめている。
「あっ、起きたみたいだぜ」
そう言ったのは、モルの横に座っていたカルスタムだった。カルスタムの声に反応して、背後にミネートとアスクが現れる。
「目が覚めたのね……良かった!」
ミネートが安堵した様子でエトナの顔を覗き込む。アスクも一息ついたような表情をしている。
みんなして一体どうしたのだろうと思いながら、エトナは起き上がろうと身を起こした。
だが、上半身を起こした途端、視界がグラグラと揺れる。エトナはそのまま後ろに倒れ込んでしまった。
「あ……あれ……?」
どうして体が言うことのきかないのか。理解できないエトナに、ミネートが状況を説明した。
「エトナちゃん、声をかけてもなかなか起きなかったのよ。それで額を触ってみたら、すごく熱くて……きっと旅の疲れが出たのね」
「ねつ……?」
そういえば、体中が燃えるように熱い。頭はぼうっとするし、身体もだるい。
それでも、エトナは何とか起き上がろうとした。もちろん、エトナの頭の中に「みんなに迷惑をかけてはいけない」という思いがあるからだ。
「ごめんね、心配かけちゃって。もう……大丈夫だから。このくらいだったら、わたし、歩けるし……」
いつものように笑ったつもりだったのに、エトナの顔の筋肉は素直に動いてくれない。そんなエトナを見て、カルスタムとミネートが慌ててエトナの体を横に寝かせようとした。
「エトナ! 無理するなよ」
「そうよ、エトナちゃん。まだ寝ていなきゃだめよ」
エトナは皆の顔を眺め渡すと、心配そうに呟いた。
「……でも、あんまり同じ場所にいたらダメなんでしょ? わたしたちを探してる人たちに見つかっちゃうから……」
「ん? うーん、まあ、そう言っちゃそうだけど……」
エトナの言うことももっともだ、という表情でカルスタムは唸っていたが、その時、名案を思い付いた。──具合の悪いエトナを連れて旅ができないのならば、ミネートの移動魔法で、追っ手に見つからないような安心できる場所に行けばいい。
つまりは、ドラゴニアの里であるオリエットに行くのだ。
(二人を連れてこいっていうゼノ様の任務も果たせるし……な!)
カルスタムはパッと顔を上げると、意気揚々と口を開いた。
「あ、じゃあさ、俺たちの──」
「カルスタム!」
突然、ミネートの声がカルスタムの言葉を遮った。驚いたカルスタムが姉の顔を見遣ったが、ミネートの表情を見て、何かを悟ったようだ。
──今はまだ、オリエットの里に行こうとアスクに提案する時ではない。
ミネートの顔はそう言っている。普段は姉のことを小馬鹿にするカルスタムだが、こういう重要な場面では姉に弱い。カルスタムはそのまま口をつぐんでしまった。
ミネートがカルスタムを止めたのには理由がある。オリエットに「招待」することを、アスクはまだ承諾しないと思ったのだ。それに、こんな時──エトナの体調が悪い時に、それを口実にオリエット行きの話を持ち出すことは卑怯だと思ったからだった。
姉弟のやり取りを見ていたアスクが、訝しげに尋ねた。
「なんだ?」
「……いいや、何でもないさ」
カルスタムはそれだけ言うと、再び口をつぐんでしまった。
(……ったく、どいつもこいつも、隠し事が下手な奴ばかりだ。一体こいつが何を言おうとしたのかは知らないが……しばらくは、こいつら二人の行動に用心しておいた方がいいようだな)
アスクは溜息をつくと立ち上がり、エトナのもとで膝をついた。そして、ゆっくりとエトナの体を抱き起こす。
「あんちゃん? 一体、何する気だ?」
「俺がエトナを背負って歩く。それで、旅を続けられるだろ」
アスクはそう言いながらエトナを背負うと、寒くないようにエトナの身体をマントで包みこむ。
その時、なされるがままだったエトナが、アスクの背中の上で「えっ」と声を上げた。
「で、でも、アスクが疲れちゃうんじゃ……」
「この程度で疲れるほど、ヤワな旅はしてきていない」
「で……でも」
「要らない心配するな。おまえのすべきことはできるだけ安静にして、早く熱を下げることだ。そうだろ?」
「あ──うん……」
エトナはアスクの言葉に妙に納得してしまった。だから、もう遠慮なしで背負われることにした。
そうやって、この日も長い一日が始まった。歩き始めて十分もした頃、カルスタムが思い出したように口を開いた。
「……で、俺たちって、どこに向かって進んでるんだっけ?」
この三日間、旅の進行方向はすべてアスクに任せていたため、カルスタムだけではなく、エトナもミネートも、自分たちが今どこに向かって歩いているのかを知らなかったのだ。
「とりあえず、ラパス国を出ようと思っている。エトナの人相書きがラパス領内に出回っているようだからな……ラパスにいる限り、俺たちの居所が常にラパスの国王に把握されていると言っても過言じゃない。ラパス国民全てが密偵な訳だからな」
「なーるほどね。……ま、ラパスを出たら出たで、襲ってくる奴は減らないだろうけどね」
「ふ……そうだな」
アスクはカルスタムの言葉に皮肉そうに笑う。ラパス内でエトナの存在がこれほどまでに知られているということは、他の国々でも同様だと十分に考えられる。
アスクの背中に揺られながら、エトナはうつらうつらしていた。アスクの鼓動の音と声の振動は、エトナに心地よさを感じさせる。そのおかげで、辛い旅と熱による身体のだるさを一時的に忘れることができた。
(この旅が……ずっと続けばいいのに……)
目を閉じながら、エトナはそう祈った。
それから、どうしてかは分からないが、アスクの言葉をふと思い出した。パルマの町に行く前の時のことだ。
──誰しもずっと一緒にいることはできない。
(そんなこと言わないでよ……)
エトナは眠りに落ちた。そして、夢を見た。縫いぐるみのテディで遊んでいる夢だ。
だが、夢の中の登場人物はエトナ一人だけではない。
そこに一緒にいたのは、五歳のエトナと同じ年頃の、一人の少女だった……。




