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DRAGON MASTER(ドラゴン マスター)  作者: 方丈 治
第一部

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18/29

第十八話:張り巡らされた糸

 

 エトナはその朝、いつもより早く目覚めた。ベッドから起き上がりながら、目が腫れていることに気付く。

 昨晩、アスクから『あの話』を聞かされてからずっと、涙が止まらなかった。結局、泣き疲れてそのまま寝てしまったのだ。

 一晩経った今、少しは冷静さを取り戻したようだが、まだアスクの考えに納得はできない。

(アスク……わたしをジール魔法学院に預けるなんて……本気で言ったの?)

 そんなことをモヤモヤと考えながら旅立ちの準備をしていると、部屋の扉が開かれた。扉の外に立っていたのは、カルスタムだった。

「おっす、エトナ! 俺たちの方はもう準備終わってるから、あんちゃんと下のロビーで待ってるしなあ。……あれ、姉貴の奴、まだ寝てやがるのか。姉貴は昔からホント、朝が弱いからなー。ほら、エトナ。こうやって起こさないとダメだぜ」

 カルスタムはずかずかと部屋の中に入ってくると、ミネートの寝ているベッドの前に立つ。そして、ミネートにこう囁く。

「姉貴、起きろってば。あんちゃんがすぐそこで見てるぞ。姉貴の寝顔」

「えっ!?」

 その瞬間、ミネートが布団を跳ね上げて起き上がった。キョロキョロと部屋の中を見渡して、アスクがどこにもいないことに気付くと、弟に騙されたことを知る。

 ミネートは寝ぼけ眼でカルスタムをじろりと睨んだ。

「……カルスタム……朝からあなたって子は……」

「ははは。残念だったな、姉貴! あんちゃんなら、下にいるよ。ほらほら、姉貴もさっさと支度しろよ」

「あうう……」

 ミネートは嫌々ながらも、カルスタムに促されてベッドから起き上がる。

 その横で、エトナも急いで宿を発つ準備を進めた。その際に、昨日まで髪を結わえていた白色のリボンを持って帰っていたことを思い出す。

「そういえば、このリボンどうしよう。お気に入りだったから、衣装屋から持って帰ってきたけど……捨てるのももったいないよね。……あっ、そうだ」

 エトナは足元のモルを抱き上げると、そのリボンをモルの首に結んだ。

「どう、モル? わたしのお下がりだけど……気に入ってくれた?」

 モルははじめ、首のリボンを不思議そうに眺めていたが、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。エトナのにおいのついたリボンが気に入ったらしい。

「そう! 良かった」

 喜んでくれているモルを見て、エトナの顔も笑顔になる。こうやって普段と同じようにモルと喋っていると、つい昨晩、初めてアスクとケンカしたことが夢のようにも思える。

 エトナとモルがじゃれ合っていると、それを見ていたカルスタムが呆れた口調で呟いた。

「しっかし、よくもそんな凶暴な生き物を手懐けたもんだよなあ。エトナは」

「『手懐けた』なんて人聞きの悪いこと言わないでよね、スタン! モルはわたしの子供で、友だちなんだから!」

 エトナはカルスタムに向かって舌を思いっきり突き出してみせた。それから、ベッドから立ち上がると、部屋を出て行く。

「じゃあ、わたし、先に下に行ってるね。モル、行こっ!」

 部屋に残された二人は、視線を交わした。そして、弟の方が静かな声で話し始める。

「──ゼノ様から、小さな女の子がリーストの町でチェスドラゴン様を鎮めた……って話を聞いた時は、信じられなかったんだけどなあ。あの二人と行動するようになって分かったよ、ゼノ様の言ってたことはウソじゃなかったんだって」

「ええ、そうね……。チェスドラゴン様を鎮める力があれば、人間には決して懐かない猫又を従えることができるのも納得がいくわ。……だから、アスク様までも……」

 ミネートが若干嫉妬を感じた顔で呟いた。それを見たカルスタムが、やれやれと溜息をつく。

「……呆れたぜ。“ドラゴンマスター”のエトナにジェラシー感じても無駄だって、姉貴も分かってるだろ。ドラゴンマスターはドラゴンの一族と唯一対等な生き物なんだからな。……それに、あんちゃんだって普通の人間じゃないんだぞ。そんな奴に惚れるなよ」

「分かってるわよ。だけど……」

 惚れてしまったものは仕方がない。エトナを奪うために襲撃した際、勇猛にもたった一人で少女を守るその姿に一目惚れしてしまったのだから。

 ──そう。ミネートがアスクに惚れてしまったのは、アスクがドラゴンの力を持つ人間だからではない。

「それにしても、昨日の感じでは、あんちゃんには全部バレてる感じだったなあ……俺たちの“第二の任務”のことも、ドラゴニアはエトナが何者かを知ってるってことも」

「そうね……さすがアスク様だわ」

 ミネートは感心したように微笑んでから、真剣な顔つきに戻った。

「アスク様とエトナちゃんを狙う者からお守りすることと、オリエットに『お連れする』こと……。これがゼノ様に与えられた、二つの任務だけれど」

「ああ……。どうしてゼノ様はエトナだけでなく、アスクのあんちゃんまでも俺たちの里に連れてこいって言ったんだろうな? しかも『丁重にもてなせ』だなんてなあ……」

 カルスタムは腕を組んで、ふーむと唸る。

「あんちゃんはドラゴニアに良い印象なんか持ってないぜ、絶対。そんなところに招待しますって言ったって、『行く』って言うはずがないしなあ。エトナの方はせっかくオリエットに興味を示してくれてるのに、どうやってあんちゃんを丸め込むかが問題だよな。それに……あんちゃんがチェスドラゴン様を追うのに、あそこまで執念を燃やしてるのも気になるしなあ。……ゼノ様に連絡した方がいいのかね?」

 カルスタムは姉に答えを求めた。ミネートは身支度の最後に手袋をはめながら、首を横に振る。

「いいえ、その必要はないわ……。ゼノ様はその理由をご存じな気がするの。だからこそ、アスク様もお連れしろとおっしゃったのよ……」

「スタンー! ミネートー! まだー?」

 その時、階下からエトナの声が響いて、カルスタムははっと顔を上げた。

「おっと、お姫様がお呼びだな。……ま、とりあえず、昨日は姫がジールに行かないって言ってくれたんでホッとしたぜ。今までの作戦通りに、旅の護衛を続けてればいいしな。二人をどうやってオリエットに連れて行くかは、その途中に考えればいいさ」

「……そうね……」

 ミネートは難しい顔をして、カルスタムの後をついて行った。


 エトナは膝にテディとモル──モルは道具袋の中だ──を乗せて、ロビーのソファに座っていた。

 体をもぞもぞとさせているのは、前にアスクが座っているからだ。昨晩のことがあるので、アスクとは顔を合わせにくい。

「遅いね、スタンとミネート……。今呼んできたから、もうすぐ来ると思うけど」

 アスクはエトナの方に視線をやると、ひと呼吸入れてから口を開いた。

「……エトナ、昨日の話だが──」

「あっ、受付のところに置いてあるあの変な置物、なんだろ!?」

 エトナはアスクの話を遮ると、パッと立ち上がった。エトナがそうしたのは、受付に置かれた置物に特に興味をひかれた訳ではない。──アスクに昨日のことについて話させなければ何でもいいのだ。

 受付カウンターの方へ駆け寄っていくエトナを見ながら、アスクは深々と溜息をついた。

「エトナの奴……何としてでも昨日の続きを話させないつもりか」

 昨晩、エトナは頑としてジール魔法学院には行かないという雰囲気だった。一晩明けてみればエトナの頭も冷えているだろうとアスクは思ったのだが、思いのほかエトナの態度は変わらない。

(こうなったらエトナは強情だからな。……仕方ない、しばらくはこの話は控えるか。──それとも、エトナが自分で気付くか……どちらが早いか、だな)

 エトナは受付カウンターの前に立ちながら、背中にアスクの視線を感じていた。こうやって人を無視するのはためらわれたが、エトナだって好きでそうした訳ではない。

(だって……まだ整理がついてないんだもん。……昨日と同じこと言われても困るよ……)

 エトナはふう、と九歳には似合わないような溜息をついた。

 エトナの目の前には、例の置物がでんと据えられている。石の彫刻のようで、湾曲した円錐形だ。エトナには、それが一体何の形を表しているのか、一目では分からなかった。

「どうされました、お嬢さん?」

 受付の横に置かれていた置物をまじまじと見ていると、突然、男に声をかけられた。

 はっとしてエトナが顔を上げると、いつの間にか目の前のカウンターに宿の主人が立っている。昨晩、部屋に案内してくれた時もそうだったが、今朝も愛想のいい接客をしている。

 エトナは笑顔を浮かべたその中年男に笑いかけると、置物を指しながら訊ねた。

「あ……これ、何なのかなって」

「ああ、これですか」

 宿の主人はちらりと置物の方を見ると、ニヤリと笑った。なぜだかその笑みが不気味で、エトナは身震いをした。

「これはですね、チェスドラゴンの牙を模した彫刻ですよ。ここラパスでは、チェスドラゴンの牙は商売繁盛のシンボルとしてされていますから」

「しょうばい……はんじょう?」

「ええ。チェスドラゴンの牙に食らいつかれたら、二度と逃れられない……。それになぞらえて、『お金を掴む』ということなんでしょう。だから、この辺の商売人にとっての神様は“ドラゴン”ではなく、“ドラゴンの牙”なんですよ。うちの宿屋の繁盛のためにも、本当なら彫刻なんかでなく、本物が欲しいところなんですがね……。でも、凡人の私にとっては、それはとても無理な話ですから」

「そうなんだ」

 エトナがクスクスと笑っていると、店の主人は続けた──ギラギラと卑しく光る目でエトナを捉えながら。

「……いや、今なら無理な話ではないですね。ドラゴンの一匹や二匹……お嬢さん、あなたが連れてきてくれやしませんか? そのくらい、お嬢さんなら容易いことでしょう」

「えっ──」

 エトナが男の言葉を理解しようとしたその時、後ろからアスクの声が響いた。

「おい、エトナ! 出発するぞ」

 振り返ると、アスク、それにカルスタムとミネートが揃って立っていた。エトナが店の主人と話している間に、カルスタムとミネートが二階の部屋から降りてきたらしい。

「あ──うん」

 エトナは宿の主人の方をチラッと見ると、逃げるようにしてアスクたちの方へと駆け寄る。エトナの様子が少しおかしいことに気付いたアスクは、宿の扉を開けながらエトナに訊ねた。

「……あの主人と、何を話していたんだ?」

「ううん……何でもないよ」

「……そうか」

 アスクは溜息をついた。エトナの「何でもない」というのは嘘に間違いないのだが、昨日のことがあった今、エトナから無理に聞き出すこともできない。


 宿を旅立つ客四人の後ろ姿を、宿の主人は窓から覗き見ていた。

 その手に握られていた一枚の紙には、まるで肖像画に描かれるように、黒髪の少女が描かれている。おかっぱ頭をリボンで結わえ、白いワンピースを着た少女──まさに、エトナそのものだ。

 そして、その絵の下にはこのような但し書きがある──『この少女 ドラゴンに滅ぼされた町、リーストの唯一の生き残り ドラゴンを操る能力を持つ危険人物。少女に関する情報を提供した者に褒美を与える ──ラパス国──』。

 宿の主人はその人相書きをもう一度確認すると、卑しい笑みを浮かべた。

「この人相……どう見てもあの少女だ。ふっふっふっふ……こりゃ、とんでもない褒美がもらえるぞ! 本物のドラゴンの牙がなくとも、あんたのおかげで俺は大金持ちになれそうだ! 感謝するぞ、お嬢ちゃん!! ──おっと、こうしちゃいられない! おい、馬だ! 急いで馬を用意しろ!!」

 そうして、大声で使用人を呼び続けながら、男は宿の裏出口を出て行った。



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