第十七話:すれ違う心
宿に入ると、妙に愛想のいい宿の主人が三人を出迎えた。それから、アスクのいる部屋へと案内してくれる。宿部屋は二人用しかないようで、アスクが手配した部屋は二部屋──アスクのいる部屋と、その向かいの部屋──らしい。
扉を開けると、アスクはベッドに腰掛けて、剣を磨いている最中だった。モルはその横で丸まって寝ている。
「ただいまー! どう? いいでしょ、ミネートに買ってもらったんだ」
エトナは向かいのベッドに腰掛け、アスクに新品の服を得意気に見せる。それから、モルの頭を撫で、“道具袋での苦労”をねぎらった。
「あんちゃんに言われた通り、寄り道せずに帰ってきたぜ」
「ただいま戻りました……アスク様……」
続いて、カルスタムとミネートがぞろぞろと部屋に入ってくる。そして、カルスタムが一言。
「で、エトナに話って何なんだ?」
「…………。おまえたちには関係ない話なんだがな」
当たり前のように部屋のテーブルについたカルスタムとミネートを見て、アスクは溜息をつく。姉弟に部屋から出て行って欲しいと思っているのは明らかだ。
「別にいいじゃん! 俺たちに聞かれたら困る話でもないんだろ?」
「い、いえ……私は別に、アスク様がお嫌なら、出ていきますが……」
二ヒヒと笑っているカルスタムに、慌てて立ち上がろうとするミネート。そんな二人を見て、アスクはさらに深々と溜息をついた。
その時、エトナがあっさりとこう言った。
「アスクがわたしに何を話したいのか分からないけど……。カルスタムたちにも聞いてもらおうよ! だって仲間でしょ?」
その言葉にカルスタムが拍手を送る。
「イイこと言うじゃねえか、エトナ! そうだ、俺たちはもう仲間なんだからな! 話を聞く権利はあるはずだ!」
「……ま、いいか……」
アスクはカルスタムたちのことを無視して話し始めた。
「おまえはすっかり忘れていると思うけどな……。パルマの町でドラゴンの伝説を見てきただろ」
「……あ」
エトナはパルマの町で、アスクと約束をしていたことを思い出した。今日はいろいろな──実に、いろいろなことだ──があって、すっかり忘れていたのだ。
「……やはり忘れてたか。それで、一体何を思い出したんだ? 何か大切なことを忘れていた気がする……と言っていたな」
アスクはエトナの顔を見つめる。一刻も早くそれを聞きたかったのだ。
「ええとね……」
エトナはベッドの上に座りなおすと、怖々と口を開いた。ドラゴンのことを話すのは何だか緊張する。
「アスクがリーストの町からわたしを助け出してくれた時……アスク、訊いたよね。チェスドラゴンとわたしは、一体どんな関係なんだ、って」
「ああ。そして、おまえは『ドラゴンが悲しんでいる』と言った」
「そのことで少し思い出したことがあるの。どうしてドラゴンが悲しんでいたのか……」
エトナは目を閉じ、あの小屋で過ごした時間を思い出すように呟いた。ドラゴンの痕跡に触れて、抑え込まれていた記憶がふと蘇ったのだ。
「ドラゴンがわたしの前に来て、こう言ったわ。『この人間の里で我が同胞が殺された。故に、我は彼らを滅した』って……」
エトナの目は閉じられていたが、向かいでアスクが身を乗り出すのが、──そして、ドラゴニアの姉弟が固唾を呑むのが分かる。
「ドラゴンはそのあと、こうも言ったの──『だが、それは勘違いだったようだ。ドラゴンマスターのおまえがそう決めたのであれば、我は干渉せぬ。森へ帰ろう』。そうして、空に飛んでいったの……。ねえ、アスク。ドラゴンのこの言葉……どういうことなの? 思い出したのはいいけど、わたし、さっぱり意味が分からなくて」
(エトナに分からないものが、俺に分かる訳がない)
アスクは心の中でそう呟いたが、アスクなりの考えを説明する。
「エトナの話からすると──とりあえず、元来温厚なドラゴンがどうしてリーストの町を滅ぼしたのかは分かったな。……つまり、ドラゴンの同胞──つまり仲間のドラゴンということだろうが──が殺されたからだ。……そして次に明らかになったのが、おまえが“ドラゴンマスター”なるものだということだ」
「わたしが……“ドラゴンマスター”? “ドラゴンマスター”って、なに……?」
「それが分からない。俺も今、初めて聞いた。──おい、おまえたちは聞いたことはないか?」
アスクの顔がいきなり自分たちの方に向けられたので、カルスタムとミネートはビクッとした。
「し、知らないよ。俺たちが知ってるわけないじゃん!」
慌ててそう言うカルスタムの横で、ミネートがコクコクと首を縦に振っている。
そんな二人を怪しそうに見ていたがアスクだったが、やがてエトナの方に視線を戻した。
「しかし、分からない……。“ドラゴンマスター”のおまえはあの時、リーストの町で、一体何をしていたんだ? チェスドラゴンが仲間を殺されたと勘違いするようなことがあって、エトナが何かを『決めた』……。謎は残るばかりだ……」
アスクは腕組みをして唸る。
だが、少しはドラゴンに近付くことができたのは間違いない。こうやって少しずつでもエトナの失われた記憶を取り戻していけば、いつか必ず『アスクの願い』にもたどり着けるはずだ。
「ところで」
難しい顔をしているアスクを見て、カルスタムが口を開く。
「あんちゃんはさ、どうしてそんなにチェスドラゴン様のことを知ろうとしてるワケ? チェスドラゴン様の手がかりを探してるのは、エトナのためなのか──それとも、何か他の理由があるとか?」
だが、アスクは答えない。
その沈黙でカルスタムはピンときたらしい。鼻の先でせせら笑う。
「なーるほど……。こうやって危険な旅をしてるのはエトナのためじゃないってのは、よーく分かったよ。エトナはチェスドラゴン様の手がかりを得るための道具ってことなんだよな」
「カルスタム、その言い方はないでしょう?」
ミネートが目をつり上げるが、アスクは肯定した。
「いや、おまえの言う通りだ。俺は早くエトナの記憶を取り戻して、少しでもドラゴンに近付きたい──そう思っているからな」
「アスク……」
エトナはアスクの言葉を聞いて、「やっぱり」と思った。出会ったときからアスクのチェスドラゴンに対する探究心は、それは大きいものだった。アスクが『何か』のために自分の記憶からドラゴンの手がかりを得ようとしているのも、エトナは薄々分かっていたことだ。
だが同時に、少し寂しくもある。カルスタムの言葉に「違う。エトナは道具なんかじゃない」と言って欲しかったのだ。──でも、アスクは認めた。エトナが『道具』であることを。
その時のエトナの表情を見て、カルスタムが舌打ちをした。そして、再びアスクに食ってかかる。
「そうまでして、あんちゃんがチェスドラゴン様を追う理由は何なんだよ?」
しかし、アスクは皮肉っぽいく笑みを浮かべ、こう返す。
「おまえたちが“本当のこと”を言ったら、俺も隠さずに話してやる」
「なっ……」
「おまえたちが何かを隠しているのは分かってるぞ。俺たちを『守れ』というおまえたちのボスの命令は本当らしいが……任務はそれだけじゃないんだろ? それに、おまえたちドラゴニアは……エトナが何者か、知っているような気がするしな」
カルスタムとミネートは神妙な顔を見合わせた。アスクには、姉弟の心の中が見えているかのようだ。
カルスタムとの話はそれで決着がついたと思ったのだろう。アスクはエトナの方に向き直った。──話はまだ終わっていない。
「それで……エトナに話さなければいけないことが、もう一つある」
「なあに?」
エトナは大きな目でアスクを見上げた。今の話でまだ頭の中がぐちゃぐちゃだというのに、次の話についていけるかしら、と思いながら。
「おまえの今後のことだ……。おまえの身を守ってくれそうな、拠り所となる場所を考えていたんだが……」
「え……何の話?」
エトナはアスクの言葉を遮り、怪訝な目でアスクの顔を見ている。アスクは溜息をつくと、一から説明を始めた。
「いいか、エトナ。こうしている間にも、俺たちの居場所はどんどん世に知られている。今までに二度、襲撃されてきたのがその証拠だ。このまま追われながらの旅をいつまで続けられるか分かったものじゃないからな……安全な場所におまえを預けようと思う。その候補として、ジール魔法学院を考えている」
アスクの話にはじめに口を開いたのは、カルスタムだった。相当驚いているようで、しかもどこか焦っている様子でもある。
「エトナをどこかに預けるなんて……あんちゃん、それ、本気で言ってんのかよ!? しかも、ジール魔法学院? エトナが魔法の素質──しかも、とびっきりのだ──を持ってるとでも言うのかよ!?」
「ラパスの隠密集団に襲われた時……敵の魔法で放たれた巨岩を打ち消したんだ。一瞬でな」
アスクはその時の状況を今でもはっきりと覚えている。だが、エトナは納得がいかない。
「え……でも、あれはアスクが……」
「俺は何もしていない。エトナの隠された魔法の素質が、身の危険を察知して一瞬だけ解き放たれたんだろう。……無意識のうちに」
魔力の使い方が分からないうちは、魔力の爆発でその身を滅ぼすことはあるかもしれないが、無意識で巨岩を消すといったそんな都合の良いことなど普通はできない。だからこそ、カルスタムとミネートは、エトナに眠っている才能がいかに凄いかを理解した。
「本当にエトナがジールに入れるのかは俺にも分からないが……昔なじみの占い師がそう言っていた。ジール魔法学院へ行け、と。……そいつの占いが昔からよく当たらなければ、俺も信じなかったんだけどな」
「えっと……じゃあ、ドラゴンのことは? “ドラゴンの手がかり”は探さなくていいの? わたしの昔の記憶、まだ思い出せないことばっかりだよ……?」
エトナはまだ諦めない。粘りの質問をしたエトナだったが、アスクは淡々と答える。
「それは魔法学院に入ってからでも構わないだろう。エトナの身の安全の方が先決だからな。ジールにはたまに訪れてやる。もしドラゴンに関する何かを思い出したなら、そのときにでも聞けばいい」
「それにしても……」
カルスタムはエトナの方を見遣る。
「エトナはそれでいいのかよ? あんちゃんの言う通りに、ジール魔法学院に行くなんて?」
皆の視線がエトナに集まる。エトナはいろいろと考えたが、やはりこの気持ちが強い。ただ一言、呟いた。
「……嫌」
アスクはエトナのその反応に少し驚いた。いつも目新しいものに興味を持つエトナなら、ジール魔法学院にも行ってみたいと言うだろう──そう思っていたからだ。
「エトナ……今はそう感じるかもしれないがな。ジール魔法学院に行ってみて、どんな所かを見てから決めても──」
「行きたくない!」
エトナは珍しく声を荒げて、アスクの言葉を遮った。そんなエトナを、アスクは厳しい目で見つめる。
「駄々をこねるな、エトナ」
「駄々なんかこねてない! そんなの、アスクが勝手に決めたことでしょ? わたしはどこにも──そのジール魔法学院っていう所にも行かないよ」
「ジール魔法学院に入ることで、安心した生活が送れるかもしれないんだぞ? 誰かに追われて、いつ襲われるかも分からない、危険な旅をしなくても良くなるんだ。それに野宿だってしなくていいし、足の痛い思いをして歩くこともなくなる」
「『安心した生活』なんかいらない! わたし、ずっとアスクたちと……アスクと、カルスタムと、ミネートと、モルと……みんなとずっと、旅ができればいいんだもん!」
エトナの声は、最後の方は涙声になっていた。エトナは立ち上がって、アスクをまっすぐ見据えた。
「アスクはわたしのことが嫌いになったの? だから、わたしをどこかに預けようとしてるんだよね?」
「馬鹿なことを言うな、エトナ」
エトナがこんなにも声を荒げているのに、アスクの表情は一向に変わらない。
それを見たエトナは、今にも泣きそうな顔で部屋を横切ると、そのまま扉を開けて出て行ってしまった。モルが慌ててベッドから飛び降りると、エトナのあとを追いかけていく。
しばらくして、向かいの部屋のドアがバタンと閉まる音が聞こえた。
「エトナちゃん!」
ミネートがドアの方を心配そうに見遣り、そしてアスクの方をチラッと見てから、エトナを追うために部屋から出て行った。申し訳なさそうな顔をしていたのは、アスクに配慮したからだ。──ミネートはエトナの気持ちも、アスクの気持ちも分かるのだ。
「あ~あ……今夜の部屋割りはこれで決定だな……」
男二人が取り残された部屋で、カルスタムがそう呟いた。くじか何かで部屋の割り当てを決めようと企んでいた分、必然的にそれが決まってしまったのでは楽しみが半減だ。
「あんちゃんはそっちのベッドで寝るよな。じゃあ、俺はこっちのベッド使うしな」
「…………」
しかし、アスクからの返事はない。見ると、アスクは無言で剣磨きの作業に戻っている。
「ちえっ、なんでえ」
カルスタムは面白くなさそうにベッドに寝転がる。
そして、この男部屋では一言も交わされることなく、朝を迎えたのだった──。




