第十六話:初めてのお買い物
アスクたちがパルクの町に着いたのは、パルクの町を出発してからちょうど一時間後だった。
街道は街灯で明るく、しかも一本道だったので迷うことなく進めたのだった。
「パルクの町かあ……知らなかったなあ。この辺りにこんな“派手”な町があるなんてなあ……」
パルクの町を囲む大きな外壁を街道から見上げながら、カルスタムは半ば呆れながら呟いた。
カルスタムが呆れるのも無理もない。町の入口にでかでかと掲げられた看板は、目の眩むような明るさの灯りで飾られ、外壁の中の町も無数の灯りで覆われているからだ。
町の中はまるで昼のような明るさだ。パルクは夜間も昼間と同じように賑わう、まさに眠らない町らしい。
新しい町を目前にして、エトナは早速、足元で何かを見つけたらしい。土の上に残る轍、そして沢山の足跡を見ながら、顔を輝かせる。
「ねえねえ、これって馬車の通った跡だよね? それに、人の足跡もすごい! パルマも大きい町だったけど、パルクはもっと大きな町みたい!」
「外から見た感じでは、まだまだ人通りがありますね……。私とカルスタムが生まれ育ったオリエットの里では、この時間はもうみんな寝静まっている頃なのに……。こんな町もあるんですね」
横からミネートが感心したように呟いた。きらびやかな町を眺めるその黒い瞳に、町の灯りが映る。
ミネートの言葉に、エトナが興味を示したようだ。エトナはミネートの顔を見上げながら訊ねる。
「ミネートとスタンが生まれ育ったそのオリエットって、どんな所なの?」
「これといって面白味のない田舎だよ。人も物も少ないし、娯楽もないし。あー、やっぱり外の世界はいいよなあ、楽しいものがいろいろあって!」
「子供にはまだまだオリエットの良さが分からないようね」
カルスタムがにやっと笑う横で、ミネートは聞こえないような声でぼそっと呟く。エトナは姉弟の話を聞きながら、オリエットという里に思いを馳せた。
「へー、スタンは里があんまり好きじゃないの? 静かな所、わたしは好きだよ。いいなあ……スタンたちの故郷にも一回、行ってみたいなー」
何気ないエトナの言葉に、ドラゴニアの姉弟は目をぱちくりとさせた。二人は互いに視線を交わすと、カルスタムがエトナに話しかける。
「おい、エトナ……俺らの里に行きたいの? その……エトナとあんちゃんから見たら、俺たちドラゴニアは初めは敵だったわけだし……。もちろん今はそんなんじゃないけど、元・敵の懐に飛び込むなんてこと、危ないと思わないのか?」
「え? どうして? スタンとミネートはもう私たちの仲間でしょ? なら、ドラゴニアのみんなだって、わたしとアスクの敵じゃないってことじゃないの?」
「まあ、そうだけど……」
「わたしはスタンたちの里に行ってみたいって思ってるんだけど……。でもねえ、アスクがそれを許してくれるかどうかが問題かも……」
そこで、エトナは最後尾を歩くアスクの方をちらりと振り返った。
アスクは目を伏せて、一人で黙々と歩いている。ここに来るまでのあの一件以来、もはやドラゴニア姉弟の一挙一動を疑い深く監視してはいなかった。少しは二人を信じてみようと思ったようだ。
だが、アスクの頑固さはいまだ健在だろう。いくらこの姉弟を信じてみようと思っても、ドラゴニアの本拠地であるオリエットに行くことを快く許すはずがない。
「そりゃ確かに問題だな……。あんちゃんの頑固さは並大抵じゃなさそうだしなあ……」
エトナの言うことももっともだと、カルスタムは溜息をついた。ミネートも困ったような顔をしている。
「おい、止まれ」
そのまま町の外門をくぐろうとした時、突然アスクが口を開いたので、エトナたちは肩をビクッとさせてその場に立ち止まった。アスクの噂話をしていたのが聞こえていたのだろうか。
「な、なんだよ、あんちゃん?」
カルスタムはどぎまぎしながら、アスクの方を振り返った。怒られるかと思いきや、アスクは三人に向かって手で指示を出している。こちらへ戻ってこいと言っているようだ。
その指示通り、三人は外門から離れて、アスクの元へと戻っていった。アスクはそのまま三人を連れて、外門前の一角にある茂みへと入っていく。木々も生えているので、四人の姿は木々の影にすっぽり隠れて目立たなくなった。
「アスク、どうしたの? 早く町に入ろうよ~~」
「そうだぜ、あんちゃん。宿も早く取らなきゃいけないんだろー?」
エトナとカルスタムが我慢できない様子でアスクに迫る。
(……子供が一人増えたな)
そんな二人を見て、アスクは深々と溜息をついた。
「忘れてないだろうな? 俺たちは追われている身なんだぞ。そしてここは、『俺とエトナを追え』と国王の命令が出ているラパス国の領内だ。このまま町に入れば、怪しまれるだろう」
「何でだよ? むしろこの人混みに乗じて町の中に入った方が安全なんじゃねえの? こうやってこそこそしてる方が、よっぽど目立つって!」
カルスタムがヘッとあざ笑う。その時、ミネートは弟をたしなめた。
「カルスタム、アスク様は私たちのことを思って言ってくださっているのよ。ごらんなさい、私たちの恰好を」
「え? ……あ」
カルスタムは姉の服装を見て、それから自分の服装を見下ろした。何かに気付いたようだ。
「白装束──か。……そりゃ、まずいわな」
「それに、その左手の紋章もだ」
アスクはカルスタムの左手を指しながら、付け足す。
「ドラゴニアが白装束を身にまとい、手にドラゴンの紋章を刻んでいるというのは有名な話だからな……。町の連中がおまえたちの恰好を見れば、ドラゴニアだと一目瞭然だろう。ついでに、ドラゴニアと共に行動している俺とエトナも怪しまれる。『捕まえてくれ』と言っているようなものだ」
「えっ、どうして? まるでスタンたち──ドラゴニアが悪者みたいな言い方なのね」
エトナの疑問に、カルスタムがバツの悪そうな顔で答えた。
「まあ、実際そうだからなあ……。ラパスの奴らからすると、俺らドラゴニアはまさに敵、悪者なのさ」
カルスタムに続き、ミネートが重々しく説明を始める。
「これまでも、ドラゴニアとラパスは何度か武力衝突してきたの。ドラゴニアもラパスも同じドラゴン信仰なのだけれど、主義が……信仰に対する考え方がそれぞれ違っていたから。私たちドラゴニアは、数多くの派閥のあるドラゴン信者の中では『過激派』と言われているわ。それは私たちが常軌を逸する行動──武器や魔法などの破壊の力も含むわね──をしているせいなのだけど……」
ミネートの発言を聞いて、カルスタムが激しい口調で責め立てる。
「姉貴、俺たちが間違ってるって言いたいのか? 俺たちだけじゃない、ゼノ様も間違ってるって言ってるようなもんだぞ! 俺はドラゴニアのやってきたことが間違ってるなんてひとつも思ってないからな!!」
「まあまあ、スタン。落ち着いてよ」
横で見ていたエトナは思わず仲裁に入った。カルスタムがどうしてこんなにも声を荒げるのかは分からないが、これまでドラゴニアがどういったことを行ってきたのかは何となく分かった気がした。
──自分たちの主義のためなら、どんな手段を取ることも厭わない奴らのことさ。
エトナは、以前アスクがこう言ったのをふと思い出した。
確かに、ドラゴニアはエトナが考えもできないような恐ろしいことをやってきたのかもしれない。けれどもエトナは、カルスタムとミネートを嫌いにはなれなかった。
(だって……スタンは面白いし、ミネートは優しいし……二人ともわたしの友達だもん。そうよ、それは絶対に変わらないもん! ……それにしても、ミネートが言ってた、ドラゴニアの「信仰に対する考え方」って一体どんなのだろう?)
そんなことを考えているエトナの横で、カルスタムはむすっとしているし、ミネートは暗い表情で沈んでいる。この沈黙を破ったのは、珍しくもアスクだった。
「おい、話がそれているぞ。今はどうやって町に入るか──じゃなかったか?」
「……あー、そうだったな。でもなあ……俺ら、ゼノ様からこの命を受けてから、すぐに里を飛び出してきたもんなあ。着替えも何も持ってきてないんだよ。さーてと、どうしようか……まさか白装束を脱いで裸で町中に入る訳にもいかないし」
カルスタムが難しい顔で唸る。
「仕方がない。おまえたちに俺とエトナのマントを貸すから、それを被って町に入ってくれ。俺が宿の手配をしに行く間、二人は衣装屋へ行って着替えるんだ。分かったな? ……ん?」
アスクが皆の顔を見渡すと、一人だけ物言いたげな顔をしている者に気付く。──エトナだ。
「どうした、エトナ」
「ねえ、わたしも二人と一緒に衣装屋に行っちゃダ……」
「駄目だ。おまえが行っても、特に用事はないだろう」
エトナに皆まで言わさずに、アスクはきっぱりと言い切った。ムッとして、エトナは頬をぷくっと膨らませる。
「おまえは狙われている身なんだぞ? 無駄な行動を慎んだ方がいいことは分かってるだろ。それに、余分な金がある訳でもないしな」
アスクが言い聞かせるにつれ、エトナの頬はますます膨らんでいく。
「……別に服を買ってって言ってるわけじゃないもん……」
もちろんエトナだって、アスクの言うことは分かる。だけど、こんなに賑やかな町を見て回れないのは、絶対に損だ。
そんな可哀想なエトナを助けたのは、ミネートだった。恥ずかしそうにアスクに話しかける姿はいつもと変わらないが、その奥には揺るぎない意思がある。
「ア、アスク様……、エトナちゃんの衣装もそろそろ“替え時”だと私は思うんですが、どうでしょうか……。あっ、もちろんエトナちゃんの分の衣装代は私が出しますわ。里を出る際、ゼノ様から旅費を頂いてますし……。それに……途中でもし怪しい者を見かければ、移動魔法を使ってすぐにその場から離れることができますわ……」
ミネートはチラチラとアスクの顔を見る。どうやらアスクから良い答えを待っているようだ。
アスクはやれやれと溜息をついた。それは自分自身に対しての溜息でもある。
(……まあ、この姉弟が強いのは俺も“確認”済みだしな。モルも付いていることだし、大丈夫だろう。それに、俺にはどうも気のつかないことがあるようだ……)
エトナはミネートに言われて初めて、エトナの服がくたびれ始めていることに気が付いた。男一人旅を続けてきたアスクは、やはり“女の子のあれこれ”には疎い。ここはやはり、女のミネートに任せるのが一番のようだ。
「……分かった分かった。エトナのことは任せる。できるだけ早く宿に戻ってこいよ」
「えっ、いいの!? やったー!」
エトナは飛び上がって喜ぶと、ミネートの手を取った。その柔らかい手に姉のような親しみを感じながら。
「ありがとう、ミネート!」
「いいのよ。エトナちゃんだって、お買い物したいわよね。やっぱり女の子だもの」
ミネートはそう囁くと、ウインクをした。
それを見て、エトナの顔はさらに笑顔になる。エトナに昔の記憶はないが、もし自分にきょうだいがいたとしたら、こんなに優しい姉もいたのだろうか。
「なにやってんだ? 二人して」
クスクスと笑い合っているエトナとミネートを、スタンは訝しそうに見る。アスクからマントを受け取り、羽織っている最中だ。
「何でもないよっ! 男の子のスタンには関係のない話!」
「なんだそりゃ」
カルスタムはエトナが着ていたケープをミネートに渡すのを見ながら、ますます怪しげに眉をひそめた。
ミネートとカルスタムがそれぞれマントで白装束を隠し、左手をマントの中へと忍び込ませたのを確認してから、四人は町の中へと入っていった。モルは例によって、アスクの道具袋の中で不服そうに鳴いている。
入口で町の案内板を発見したので、目当ての店の場所を確認する。
「とりあえず、ここで別れよう。俺はここの宿屋で部屋を取りに行くから、おまえたちは衣装屋での買い物が済んだら、寄り道せずにまっすぐ宿に帰ってくるんだぞ」
アスクが案内板に地図を指しながら、三人の顔を見渡す。それを聞いて、カルスタムが口を尖らす。
「ちえっ、あんちゃんてば、まるで俺たちが寄り道するような口ぶりだなあ……」
「まあ、こうでも言っとかないと、寄り道しそうなのが二人ほどいるからな」
そう言って、アスクはエトナとカルスタムをじっと見た。二人の心の中はアスクにはすっかり見透かされているようだ。エトナとカルスタムは気まずそうに顔を見合わせる。
アスクは続けて口を開いた。
「それに……エトナに話もあるしな。だから、今日は早く宿に帰ってこい」
「わたしに……?」
一体何の話だろう、とエトナは思った。
しかし、エトナの疑問に答える前に、アスクはその場から消えていた。宿屋の方向へと歩いていくアスクの後ろ姿を見ながら、カルスタムが呆れたようにポツリと呟く。
「あんちゃん、行動早いなあ……。頑固なだけでなく、せっかちでもあるんだな」
「さあ、私たちも行きましょう」
ミネートがそう声かけをすると、エトナとカルスタムは同時に声を上げた。
──そう、お待ちかねのお買い物タイムだ。
三人が向かった先は、『アダムズ・スタイル』という名の衣装屋だ。衣装の種類、品数ともにこの町最大で、もちろん旅の装いも豊富に取り揃えている。
最大というだけあって、店は三階建ての建物だ。店の前に着いた三人は、その衣装屋のあまりの大きさに、しばらくの間呆気にとられていた。
やがて、エトナが顔を輝かせながら叫ぶ。
「わああ! おっきいお店なのね!! ミネート! スタン! 早く入ろうよ!」
「わっ、わっ! おいおい、そんなに急いだらコケるぜ」
「うふふ。慌てなくてもお店は逃げないわよ、エトナちゃん」
エトナに手を引っ張られ、カルスタムとミネートも続いて入店する。町に入った時のように、店の出入り口にも店内案内板がある。大きい町に案内板は欠かせないようだ。
「なになに? 『辛くて苦しい旅も、アダムズ流で楽しくしよう! 旅支度にはぜひアダムズ流で』……ねえ。はっ、服ひとつで旅が楽しくなるんだったら苦労ねえよな」
案内板に書いてある宣伝文句に、カルスタムは鼻で笑った。しかし、衣装屋での時間を最も楽しんだのは彼であることを、今は知らない。
案内板によれば、『旅の装いコーナー』は三階にあるようだ。三人は階段を上り、三階にたどり着くと、唖然とした。──広大な部屋一面に、衣装が並んでいたからだ。
初めは戸惑いながらも店内を見て回っていた三人だったが、そのうちに楽しくなってきたらしい。それぞれ、お気に入りの衣装を選び始めた。
「姉貴、エトナ! じゃーん! 旅の大道芸!!」
何かの衣装を持っていそいそと試着室へと入っていったカルスタムだったが、試着室のカーテンがさっと開かれてカルスタムの姿が現れた時、ミネートとエトナは呆然とした。
というのも、カルスタムが、目の覚めるような赤色を色調とした派手派手しい旅芸人用の衣装に、頭には大きな羽飾りが付いた帽子という、なんとも目が痛くなるような恰好をしていたからだ。
「あははっ! スタン、すっごい服~!」
エトナは腹を抱えて笑っているが、その横でミネートは顔を赤くしてうつむいている。
「まったく……あの子ったら……」
「……とまあ、お遊びはここまでとして」
カルスタムが再び試着室から出てくると、横の試着室に話しかけた。先ほどの派手な旅芸人の衣装は脱いで、今は深草色の旅人用の服を身につけている。
「姉貴たちも、その服か決まったかい?」
すると、隣の試着室のカーテンが開いて、ミネートが出てきた。ミネートはさっぱりとしたドレスに、薄紫色のマントを身にまとっている。
(この色、お嫌いじゃなかしら……)
この場にはいないあの男のことを考えながら、ミネートは両手に手袋を身につけた。カルスタムも左手にのみ、手袋をはめている。二人が手袋をしているのは、もちろん左手の紋章を隠すためだ。
「エトナちゃん、着替えは済んだ?」
「うん、お待たせ~!」
ミネートが向かいの試着室に声をかけると、ちょうどエトナが髪を結いながら出てきた。エトナも動きやすそうな女児用の旅人の服を選んだようだ。
三人は支払いを済ませると、アスクの待つ宿へと向かうことにした。
その途中の大通りでは、面白そうな店がずらっと並んでいた。エトナとカルスタムがウズウズしていたのは言うまでもない。
でもアスクに釘を刺されたので、立ち寄れるはずもない。二人は何とか気持ちを抑えて、宿屋へとたどり着いたのだった。




