ダッチアングルを間違える輩について。技術に敬意を払えないクソなら、日本から往ね
昨今、高市早苗総理の報道で手ブレが話題になっておりまして、今の世代は動画で政治ニュース見ねぇだろ…、見もしない動画写りや写真写りで政治を語った気になって、最近、『自称』日本国民のメス化が激しいとも思ったのですが、私が特に気になったのは、彼らの言うダッチアングルです。
もうね、ダッチアングルではなく、ネトウヨダッチアングルという新しい名前を付けた方が良いかもしれないです。
かつて資源のない日本という国家は、技術で生きていくんだと言われていた時代がありました。
途上国に製造業を奪われる中でも、我々日本人は技術だけは守らなければならない。
あの時代、我々、日本人という国民は『技術』に一定の敬意を払っていたハズです。
いつのまに、私の思う日本人は消えたのでしょうか?
そう私が思った出来事が、今回の一部の自称日本人が始めたダッチアングルの勘違いです。
『斜め』状態の映像から、様々な効果を出す『技術』がダッチアングルです。
ダッチアングルには不安や恐怖しか効果はないだの、斜めじゃなくてもダッチアングルだの、ダッチアングルは政治に巻き込まれて、全く違う悪の効果にされつつあります。
まったく、あの自称日本人共の言うことは、輸血という技術を宗教観で拒むどこかの宗教と変わりません。
そういえば、例の宗教は訴訟を起こしましたよね。
輸血なしの手術を拒むなと。
さて、不可思議な訴訟ですが、どうなることやら。
脳は視界が斜めだと気づくと、我々が思考を始める前に、今の自分の状態を把握しようとするフィルターをかけます。
それは、元来我々が持つ、自らの生存のための本能です。
我々は斜めの視界に対して、全員が全員が同じ体験を共有しています。
つまり、経験則さえ理解出来れば、誰にだって簡単に理解出来る原理なのです、ダッチアングルとは。
変な政治思想に染まっていなければね。
視界が斜め状態で『揺れて』いて、かつ、生存に対して不安定な状態にあるかもしれないなら、不安フィルターがかかる。
不安を煽る画像や映像をたくさん見て、ダッチアングルは、不安や恐怖を煽る物だけしかないんだと勘違いしている人は居ませんか?
しかし、仮に視界が斜めであっても、我々は生存に問題のない状況にある事も実際には多いのです。
なんとなく身体を斜めにして休んでいる時、坂を登り降りしている時、単に作業している時などです。
もし、視界が『斜め』になる度に、我々だけ不安に襲われていたら、我々は他のあらゆる生物に対して、とても不利ではないでしょうか?
しかし、果たして視界が斜めになるだけで、恐怖に襲われている、そんな欠陥生物がこの世に存在しているでしょうか?
そんな生物が居ても、きっと既に滅んでいるに違いありません。
視界が『斜め』である時に、我々脳は状況察知のためのフィルターをかけるために働きはしますが、その働きは、不安や恐怖への一定方向だけではありません。
今自分は問題のない場に居るんだなという状況把握、ダッチアングルのもたらす臨場感フィルター。
今、自分は坂の途中に居て、坂の下側に向かって動く力が働いているんだなという、ダッチアングルのもたらす力学フィルター。
力学フィルターは乗り物を映せば、不安や恐怖ではなく、疾走感をもたらします。
視界が斜めであるにも関わらず、リラックス出来る環境かつ、近くに微笑んでいる人のいる場合には、ダッチアングルは、今は大丈夫なんだよという親近感フィルターをもたらします。
つまりダッチアングルは、我々人間の本能に基づく、状況把握の仕組みそのものを利用した映像技術なのです。
ダッチアングルは本来の意味で使えば、素晴らしい技術として、様々な映像効果を我々にもたらしてくれます。
それを、どこかの宗教の輸血みたいにダッチアングルは不安しかもたらさないから使えないだの、なんだのを自称日本人共が、宗教じみた事を言っています。
技術イデオロギーの時代で育った人間からすると、何だ、この日本に害しかもたらさないクソ共は、と、私は技術大国日本で育った人間なので思ってしまうのです。
技術に敬意を払えない、敬意を払えないどころか、勝手に宗教化して技術を貶めているクソ共を見ると、どうにも、虫唾が走る。
連中は、いったい、日本のどの時代に育ったというのだろうか。
だから、私には、連中はどうにも国籍を『自称』しているとしか思えません。
ダッチアングルに対して不当な扱いを未だにしている投稿を見ると、どうにも教養の無さすぎる輩に対する、苛立ちの感情がナチュラルに出ます。
いったいダッチアングルの、何が理解出来ないで不安や恐怖しかないという事になったのだろうか。
あの虫唾の走るネトウヨダッチアングル、どうにかなりませんかね?




